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8(【幕間2】~生真面目なメイドさんの日常~ 完)

挿絵(By みてみん)


      8


 水の中では呼吸ができない——

 そんな当たり前のことが衝撃的だった。


 当然のことなのだけど、物心付いた時から水に極力触れてこないようにしてきた私にとっては、かなり衝撃的なことだった。


 水中から見上げた空は思っていたより透き通っていてきらきらしている。

 そのまま飲み込まれてしまいそうだ。


 私は、このまま死ぬのだろうか。

 恐らく、親の霊獣を仕留めた今、姫なら充分に勝てる相手だ。

 姫をお守りできなかったことは悔やまれるけど、最低限の仕事はこなせただろう。


 驚くぐらい、静かだ。

 寒い。

 頭がぼんやりして、意識が遠くなっていく——


 ——と。


「ぐっ……!?」


 お腹に凄まじい衝撃を受けて、身体中の空気が口から飛び出した。

 今度こそ気を失いそうになった私は、自分の体が水面に向かって急

上昇していることに気が付いた。

 そして水しぶきを振り撒きながら、明るく輝く太陽の下に飛び出す。


「エイリー、エイリー! 大丈夫!?」


 私は姫に抱き抱えられていた。

 金色の長い髪が頬に張り付いている。


「姫……?」

「大丈夫なの? ケガしてない?」


 青ざめた顔で私にそう聞きながら、姫は池を飛び越えて地面に着地した。


「はい、大丈夫です……」

「よかった……何であんな無茶するの!」


 無茶?


 そう言われて、私は自分の行動を振り返る。

 池に向かってグルと一緒に落ちて、霊獣を仕留めて、そのまま池に落ちる——


「わ、私は——」


 自分のやったことを思い返して、怖くなった。

 そうするしかなかったとはいえ、とんでもないことをしてしまった。

 一歩間違えていたら死んでいた——


「姫、その……グルは……?」

「エイリーが池に落ちてすぐ消えたよ! 術者が気を失いかけてる状態で出続けられるわけないでしょ!」


 そうか……。

 それもそうか。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 自分の言葉がだんだん湿っていくのを感じた。

 あぁ、水に濡れるとこんなにも寒いんだな。


      ※


 私と姫は、昼食を摂っていた洞窟に戻ってきていた。


「姫……着替えたいのですが……」

「どうぞ?」

「いえ、その……あちらを向いていてください」

「いいじゃん! 女同士じゃん!」

「姫は男でしょう!」

「えー?」

「えー、じゃありません!」

「はいはい、分かったよ……」

「本当ですよ? 絶対こちらを見ないでくださいよ? 見たら怒りますよ?」

「もうちょっと怒ってるじゃん。ちょっと見るだけだよ」

「ちょっともダメです!」


 何なんだ今日は……やけに食い付いてくるな。


 あのあと、泣いてしまったのがいけなかったか。

 だけど、苦手な水に飛び込んで死にかけたのだ。

 だからそれは仕方ないにしても……やっぱりこの人に弱味を見せてはいけないなと痛感した。


 こういうところは、前と変わっていない。

 まぁ、情けないことに私はまたしても姫に助けていただいたのだ。

 多少は冷やかされても仕方がないか。


 多少は仕方がないにしても、私の魅力の欠片もない体を見られていい道理もないけど。

 いや、魅力に満ち溢れた体だとしても恥ずかしいから見られたくないけど……。


 私が親の霊獣を倒して池に沈んだ直後、あっけに取られた子どもの霊獣を、姫が一撃で倒したらしい。

 そして、みるみる内に消えていくグルに焦り、迷うことなく池に飛び込んで、私を助けてくださったそうだ。


 本当に、情けない。

 私が姫をお守りしなければならないというのに、私はずっと、守られてばかりだ。


 でも、もう、いい。


 苦手なものとちゃんと向き合って、やっぱり苦手だということが改めて分かった。これは収穫だった。

 ならもういっそ、苦手なものは諦めて、私の得意分野を伸ばせばいいんだ。

 ……私の得意分野って何なんだろう。


「……」


 まぁ、それもこれからゆっくり考えよう。


「エイリーまだ? 早く着替えないと風邪引くよ?」

「も、申し訳ありません。ただいま」


 姫は入り口の方を見て座り、私は洞窟の奥の方で、姫の背中を見ている状態だ。

 ちょっと恥ずかしいけど、私なんかの着替えのために姫を外へ追い出すわけにはいかない。

 向こうを向いてくださっているだけ感謝しなくてはいけない。

 早く着替えよう。


 ぐっしょりと濡れたメイド服を脱いで、地面にぐちゃりと投げ捨てる。

 それと同時に、姫の肩がびくりと震えた。


「どうされましたか?」

「はぁん!? いいえ!? 別に!? 何も!? 早く着替えれば!? はぁん!?」


 何を怒っているんだこの人は……。

 爪が白くなるぐらい太ももを握りしめてる……。


 ちなみに姫の着替えは完了していて、髪もしっかり乾いているから、今の衣服に状態に不満があるわけではないだろう。


「分かりました。早く着替えます……あ、寒い……」


 本当に、濡れた後の体ってこんなに寒くなるんだな……。

 だけど、タオルで体を拭くと、多少はそれも和らいだ。

 さて、問題は下か……。


「姫、本当にこちらを向かないでくださいよ?」

「見ないって! はぁん! 見ません!」

「……」


 はぁん、って何なんだろうか。

 とりあえず、見ないというその言葉を信用して、下着に手をかける。

 服を投げ捨てた時より軽い『ぴちょり』という音をたてて、下着が地面に落ちた。


「んぐぅ……!」

「姫?」


 奇妙な唸り声が背中越しに聞こえる。


「どうかされましたか?」

「え? はぁん、どうも? されてませんよ? ちょっとトイレに……あ、でも、あー……でもなぁ……あぁっ、はぁん、うーん……」


 首を捻って、そしていよいよ頭を抱えて悩んでいる。

 ……何なんだ。


 よく分からないけど今の内に着替えを済ませよう。

 衣服を何も身に付けていない状態で屋外にいるというのは、どうにも落ち着かない。


 急いで体を隅々まで拭いて新しい服に着替えると、生き返った気がした。


「姫、お待たせしました」


 声をかけると、姫はのそのそと振り返る。そして私を一瞥して、濡れた床を見て、何だかしょんぼりした顔をしていた。


「……どうされました?」

「いや、何でもないよ。ちょっとトイレいってくる」

「そうですか。近くで待ちましょうか?」

「——ぃいらんことせんでいい! どうせすぐ戻る!」


 旅に出てから始めての剣幕で目を見開いて怒り、姫は腰が痛いの

か屈みながら立ち上がると、やけに速いすり足で出ていった。


「どうせ(・・・)……?」


 やっぱり、不思議なお方だ。


      ※


「そういえば姫、霊獣の子どもはどのように倒されたのですか?」


 私が池に沈んでいたのはほんの一瞬だったはずだ。

 どうやってその一瞬で倒したのだろうか。


「あぁ、エイリーが親の霊獣を倒したら呆然としててね。その隙を狙って一撃で」

「そうですか……」


 何だか、申し訳ないことをしたような気分になる。

 だけど、こちらだって命を狙われていたのだ。

 やらなければやられていた。


「エイリー、罪悪感を感じてる感じ?」


『感』をたくさん交えながら私の顔を覗き込んでくる。


「それは……多少はそうですよ。おかしいですか」


 何だかムキになったような言い方になってしまう。

 こういうところは私もまだ子どもだなぁと思うけど、こればかりはどうしようもない。


「ううん、おかしくないよ。でもさ、エイリーよく言うじゃん?」

「はい?」

「『ゴーマグの戦闘のすべてに意味があるし、そこには正義がある』って」

「あ……」

「敵だって完全な悪者じゃなくて、敵なりの正義を遂行しているだけだって」

「そう……ですね」


 でしょ? と姫は微笑む。


「アクアガゼル達は、生きていくために私達を食べなきゃいけなかった。私達は、食べられないようにするためにアクアガゼルを倒さなきゃいけなかった。それだけだよ」


 その通りだ。

 その通りだけど、アクアガゼル達はビーバッグのような悪意の塊とはわけが違う。

 あの親子は、人間がテコ入れして生き長らえさせるべきではないというのは分かるけど、気の毒ではあった。


「ううむ……」


 きっと難しい顔をしているであろう私を見て、姫は唸る。


「じゃあ、こうしよう? 今からあの二匹のお墓を立てて、手を合わせよう」

「お墓……?」


「そう! それで『ごめんね!』って謝っておしまい! いいね?」


 お墓……?

 霊獣の?


「ふ、ふふふ、ふふふふ……」

「え? 何? 何で笑うの?」

「いえ、ふふ、あの……ふふふふ……申し訳ありません……すごく……いいと思います……ふふふふふ」


 困惑する姫を目の前にして、私はしばらく笑いが止まらなかった。

 決して、馬鹿にしているわけではない。


 あぁ、このお方は何と優しいのだろう。


 こう思うと、幸せな気持ちが込み上げてきて、笑いが止まらなか

ったのだ。


      ※


 地平線に大きな夕日が沈んでいく。

 息を飲むような美しさだ。木々や草原に黒い影とオレンジ色の光のコントラストを作り出している。

 コルトゥーラでは見ることのできなかった景色だ。


 その雄大な景色の中に、目を背けたくなるようなものがある。

 池に漂う、アクアガゼルの残骸だ。

 普通の動物と違って体の形が残るわけではないから、そこまでグロテスクなわけではない。

 ただ、アクアガゼル達は他の普通の生き物の肉を食べていたわけで、その血液は体に残っていた。


 池の水面に漂うそれは、普通の動物と比べると、やっぱりむしろグロテスクかもしれない。

 池のほとりに土を盛って、その中には何も入っていないけど、木の枝を刺して、お墓らしい形を作る。


 姫はその形だけのお墓に、意外と……と言ったら失礼だけど、意外と熱心に手を合わされている。

 何だかこういうところは、姫は少し大人っぽいところがあるような気がする。

 私も姫に倣って手を合わせた。


 目を閉じて、お墓の中にはいない、いや、もうどこにもいないアクアガゼルの親子に手を合わせる。


 ごめんね。

 辛かったかな。

 寂しかったかな。

 怖かったかな。

 痛かったかな。


 でも、ごめんね。


 私も姫も、死にたくないの。

 だから、私達の正義とあなた達の正義を戦わせて、結果、私達が勝った。

 だから、恨まないでね。


「さ、行こうか」


 姫は膝を軽く払って立ち上がる。


「今日はもう、あの洞窟で一晩過ごすんでしょう?」

「そうですね。今日はもう移動できませんし……疲れました」

「あはは、そうだよね」


 ご飯もちゃちゃっと食べられるものにしよー、と緩く笑いながら姫は歩いていく。


「……」


 あぁ、私はこの人に付いていきたい。

 そんなこと、絶対口には出して言わないけど。


「……ふふ」

「何? さっきの霊獣のお墓の話、まだツボってんの?」

「いえ、そういうわけでは……ふふ、ふふ……あはははは」

「え? 何?」


 私達の旅はまだまだ続いていく。

 何が起こるか分からないけど、きっとこのお方となら、私はどこへでも行けるだろう。


「ねぇエイリー、何ってばぁ」

「さぁ、何でしょうね?」


【幕間2】生真面目なメイドさんの日常 END

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