7
7
ここが水場じゃなければ。
私はすぐにでもグルに乗って、姫を助けに行く。
そしてアクアガゼルを破壊して、メイドとしての務めを果たす。
ふと横を見る。
水しぶきを浴びて意識が低下している私の目に、それは飛び込んできた。
「グル……?」
ふらふらと立ち上がる。
……やっぱりだ。
グルの姿が薄くなってる。
きっと、私からの魔力供給がうまくいってないからだろう。
「どうしよう……」
思わず出した声が不安げに震えていて、それを聞いてもっと心細くなる。
その間にもグルはどんどん姿を消していく。
お願い、待って、行かないで。
私を置いていかないで。
グルがいなかったら、私はもう生きていけない。
能力がなくなるから、ということ以上に、一人の人間として生きていけない。
きっと、徹底的に壊れてしまう。
「お願い、待って、グル」
震える声で何とかそれを伝えながら、グルの頭に触れる。
「ごめんね、姫が戦ってて、襲われてて、なのに水が怖くて体が動かないの。ごめんね」
情けない。
泣いてしまいそうだ。
「それでも私は、姫と一緒にいたいし、グルとも一緒にいたいの。それって、ワガママなのかな」
自分の声が、どんどん震えていく。
情けない。自分に、恐怖症なんてなければいいのに——
「——きゃっ」
いきなり体がふわりと浮いて、グルの背中に乗せられた。
「え? グル……? 何?」
じりじりと崖のヘリ、つまりは池への飛び込み地点に歩み寄るグル。
「え? 行くの? え? あなた、水の上走れるの? 嘘、ちょっと待って」
本当に、落ちるギリギリのところまできて、グルは背中の私を振り返った。
「あ……」
これ、ダメなやつだ……。
国王夫妻も姫も、グルは無表情で何を考えているのか分からないと言う。
しかし私にはたまに、人間が言葉を交わすよりも、手に取るように分かってしまう瞬間がある。
それが、今だ。
「『池に振り落とされたくなかったら、気をしっかり持って魔力を供給し続けろ』……って……?」
前足で地面をがりと引っ掻いてから、どどう! と空気をビリビリ震わせて吠えた。
そして——
「え? わっ——きゃああああああああっ!」
グルと私は、池に向かって真っ逆さまに落ちていく——
※
人は死ぬ間際に走馬灯を見るという。
走馬灯でなくとも、危機が目の前に迫ると目の前の光景がスローに見えるらしい。
らしい、というのも、私は今までそんな光景を見たことがなかったからだ。
しかし今、私はそれを経験している。
空高く飛び上がったグルによる、内蔵の浮遊感。
そして直後に訪れる、内蔵が高所に取り残される落下が始まる。
ぎゅっと体が縮こまる。
頭上から、グルの蹴り上げた崖の破片がぱらぱらと降り注ぐ。
グルに必死で掴まりながら目を開ける。
顔を上げる。
髪を、澄んだ風が通り抜けていく。
息を飲む。
絶景だった。
どこまでも続く地平線。
頭上に輝く太陽が、果てしない広さの大地を一部の隙もなく照ら
し出していることに驚かされる。
グルは地面と平行な姿から、頭を真下にして垂直に落ちる姿になる。
グルの頭越しに、池が見える。
水。
水が。
怖い。
あそこに落ちたら私は死んでしまう。
怖い。
怖い。
でもグルがいるから大丈夫。
でもグルがダメだったら?
グルに何かの間違いがあったら?
このまま水面に叩き付けられるようなことがあったら?
……いや。
違う。
そうじゃない。
もう私は、信じるしかない。
グルを、自分の分身を、信じるしかない。
私は自分に自信があるわけではないけど、そんな弱気な自分に、グルまで付き合わせていい道理はない。
私の能力は、世界で唯一の、素敵な能力なのだから!
「はぁあああああああ!」
すべての不安を振り払いたくて、私はお腹の底から全力で叫んだ。
どんな敵にも凛々しく、力強く、そして気高く挑んでいく、ゴーゴーマグナムのように。
叫ぶことで、お腹の中の弱気がすべて吹き飛んでいったような感覚があった。
代わりに、獰猛さにも似た勇気が満ち溢れてくる。
気が付けば、目の前に水面があった。
アクアガゼルの突進を受けて水面を弾き飛ばされる姫。
その姫に追撃を入れようと、水面を滑るように駆けていくアクアガゼル。
三者は、空を見上げて呆然としていた。
叫びながら落ちてくる私と、グルの姿に。
グルは水に落下したあと、どうするつもりなんだろうか。
まさか泳いだりできるんだろうか。
今までそんな場面がもちろんなかったから、まるで想像ができない。
でも、仮に泳げたとして、グルがアクアガゼルに対して有利に立ち回れるとは思えない。
ましてや相手は二匹もいるのだ。
でも、グルがそう決めたのなら——
「——グル、信じていいのね?」
吹き荒れる風の中、私の声はグルに届いたようだった。
その声は、不思議と震えていなかった。自分でも驚くぐらい、静かで冷静で落ち着いていた。
どどう、と水面を波立たせるような強烈な咆哮で、グルは私の問いかけに答える。
「そう。じゃあ——よろしく!」
私は、グルの背中から思いっきり飛び降りる。
手には、姫が私の能力を使う時のように歯車を持って。
そして——
「……はあぁっ!」
落下のスピードを最大限に活かして、親のアクアガゼルの首を叩き折った。
ゼリーが飛び散るような音と共に、痰が絡んだようなおぞましい咆哮が聞こえた。
——入った!
今の一撃で、術者を持たない野生のアクアガゼルは、確実に生き絶えた。
もう再生はできない。
その確信があった。
なら、これでよし。
あとは、グルを信じるだけだ。
「……えええぇぇえええ!? エイリー!?」
そのまま池に落下した私を見て、姫が悲鳴を上げる。
しかしその悲鳴も、生まれて初めて感じる水しぶきの中に消えていった。
続く




