プロローグ 〜賑やかな国にて〜
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埋もれてしまえ。
このまま、手に入らないのなら、いっそ。
深く、深く、音のない暗闇に沈んでいけ。
手に入れたかったもの。
手に入れられなかったもの。
今から、最悪の方法で、愛した人を殺す。
覚悟なんて、とうの昔に決めてきた。
感情なんて、とうの昔に置いてきた。
あの日に、すべては終わったんだ。
あとはもう、終わった人生の消化試合が待っているだけだ。
さようなら。
せめてこの愛だけは、本物だったと伝わりますように。
※
見渡す限り、人、人、人。
セーレットと違ってアスクワーディは観光大国ではないらしいけど、ここだけ見たらアスクの方がよっぽど観光大国っぽい。
「お嬢さん、ドーナツどう?」
「フルーツジュースあるよ!」
「パン安くしとくよ!」
どこをどう歩いても、露店の人達に獰猛に声をかけられる。
「いえ、結構です……」
右手に焼きトウモロコシ、左手に水飴を持ったエイリーが、その楽しげな持ち物とは裏腹にげんなりと答えた。
※
エレナに見送られてセーレットを後にして、二週間ぐrしグルに乗って走り続けて、やっとアスクワーディの首都部へやってきた。
今は世界的に有名という藍風祭の真っ最中で、世界中から観光客やらお偉いさんやら何やら、実に様々な人達がきている。
祭のスケジュールが書かれたパンフレット(十分の間に二十三冊もらった)を見ると、エレナに義手を贈るといっていた世界的企業、スターダムオリオンの新作発表会もあるらしい。
その中に『ポセイドンネットワーク』のクルーもいた。
ビーバッグと戦う俺とエイリーの姿を、全世界に向けて放映してくれやがった放送局である。
見付かって声をかけられても面倒だから、こそこそと逃げ回る感じになってしまっていた。
この『藍風市』と呼ばれる、巨大……というか超巨大なバザールが催されているエリアは、驚くことにすべてが建物の中だった。
白いトンネルのような通路に色とりどりのランプやテキスタイルと呼ばれる編物や織物、お皿やチャイグラスを売っている店が立ち並び、幻想的な風景を作り出している。
さっきから一時間ぐらい歩き続けているのに、いつまで経ってもこの風景から出られる気配がない。
つまり、建物が途方もなく大きい。
今俺とエイリーで歩いているのは、そのメインストリートらしい。
そこから細い脇道に逸れて外に出ることもできたけど、脇道は現地の人が住んでいる家が作り出す通りのようで、入っていくのは気が引けた。
建物と建物の間にロープが渡され、洗濯物が干してあるのが見える。
露店で売られているドーナツやパン、水飴の甘い匂いやトウモロコシの香ばしい匂い、チャイの匂い、織物のエキゾチックな匂い、色とりどりのランプが織り成す幻想的な風景、そして喧騒。
何だか夢の中をふわふわと彷徨っているようで——
「——待ちなさい!」
突然、後ろから鋭い風が吹いた。
それと同時に、俺の横を小さな男の子が全力で駆け抜けていく。
彼は一瞬後ろを振り返り、恐怖でひきつった顔をしていた。
「ん?」
彼の見た方向を俺も何となく振り返ると、
「うわお!」
少女が走ってくる。
ひらひらした布で口もとを隠していて、何だか全体的にオリエンタルな踊り子みたいなイメージだ。
十二才ぐらいだろうか。
俺とエイリーよりも少し歳上なようだ。
細くてすらりとした体で、だけどしっかりとした足取りで全力ダッシュしてくる。
足元のひらひらした、長く青い布地のスカートが慌ただしくはためく。
スカートの上には、きゅっと絞られたお腹が露出している。
そのお腹の上には、驚くことにビキニみたいな最低限胸を隠せるサイズの布があるだけだった。
成長途中の胸の形が手に取るように分かる。
おいおい、子どもがそんなエッチな格好したらいけないでしょ!
頭を桃色の描写が駆け回ったけど、これは本当に一瞬の出来事だった。
走馬灯って、きっとこういう感じなんだと思う。
『待ちなさい!』という言葉を聞いて次に息を吸った瞬間には、彼女は俺の真横にいて——
「——あっ!」
エイリーの持っていた焼きトウモロコシを弾き飛ばした。
「ごめんなさい!」
謝りながらも足を止める気は一切ないようだ。
だけど焼きトウモロコシが地面に落ちる直前に、驚くほど正確に風を操って、エイリーの手の中に音もなく焼きトウモロコシを戻した。
俺もエイリーも、両手に水飴や焼きトウモロコシを持ったまま呆然と固まった。
さぞかし間抜けな姿だろう。
今のあれも能力なのか?
ウィンドなのか?
「——まったく、速いんだよ……」
上から声が聞こえて目を向けると、天井に男が張り付いていた。
……いや、そう見えただけで、カエルみたいに張り付いていたわけじゃなかった。
壁ジャンプの最後の一跳びだったらしい。
ばりばり、と電気を帯びながら、男は軽やかに俺達の目の前に着地する。
すごく簡単そうに着地してるけど、結構な高さあるぞ……。
足大丈夫かおい……。
「これはこれは美しいお嬢さん。先程は、あのおてんばが失礼しました」
すっと、体幹のぶれないきれいな所作で立ち上がった男は、ものすごく背が高く見えた。
多分さっきの女の子と同じぐらいの歳だから十二才ぐらいだと思うけど、溢れ出る余裕というか、遊び慣れた大人みたいな空気をまとっていて、ギャップに戸惑う。
高校生だった俺よりよっぽど大人っぽいなコイツ……。
「おケガはありませんか? お嬢さん」
「ん!?」
驚く俺を軽やかに無視して、男はにこっとしながら、本当に自然な所作でエイリーの手を取った。
今でこそ美少女の男の娘だけど、そもそも童貞である俺にはまったく理解できない能力だ。
何でイケメンって、こういうことがしれっとできるんだろう?
妖怪系顔面男子の人生を何だと思ってるんだろう?
お前が簡単に取っているその手は、俺が一生かかっても取ることのできない大秘宝なんだぞ。
まぁ、今は違うけどね!
それにしてもコイツは何なんだ?
エレキの能力者と見せかけて女の子と手をつなぐ能力を持ったナインか?
童貞を拗らせてやきもきしている俺の横でまだ呆然としているエイリーは、ケガはないかという問いかけに、
「え、えぇ……大丈夫です……」
と何とかそれだけ答えた。
「それはよかった……本当に、あのおてんばにはいつも頭を悩ませているのですが、今日だけは感謝しないといけませんね」
そして男はウィンクをして、
「なぜなら、あなたというお美しい方に会えたのだから」
あろうことか、エイリーの手の甲にキスをした。
「ここの近くに僕の行きつけの店があるんです。チャイがおいしくて雰囲気も落ち着いていて、あなたのようなお美しい方をお誘いするには最高の店なのですが……あれを放っておくわけにもいかないので」
あれ、と、女の子が走り去っていった方向を見て大袈裟に肩をすくめながら、ふぅ、とため息を吐いた。
「本当に名残惜しいのですが、今日はここで失礼します。雷神王の思し召しがあれば、またお会いできることでしょう……——では。マイレディ」
そして再びエイリーの手の甲にキスしてから二、三度ばりばりと音を鳴らすと、壁や天井を蹴って駆け抜けていった。
何だありゃ……。
ぽかん、と口を開けたまま、男を見送る形になる。
「姫、こちらを……」
呆然として静まり返っていた周囲が再び呼び込みを始めた頃、エイリーは俺に水飴や焼きトウモロコシ手渡してきた。
「ん?」
「手を洗ってきても、よろしいでしょうか」
よく見たら、耳が真っ赤だった。
「どうぞー」
俺の言葉と同時に駆け出したエイリーは、近くの噴水に、遠くからハンカチを投げ入れる。
展開させた歯車を器用に操って固く絞ると、執拗に手を拭いた。
水は怖いけど、どうしても手は拭きたかったらしい。
「お嬢ちゃん、ドーナツはいかが? 砂糖がたくさん付いてておいしいわよ!」
「いえ、結構ですー」
両手に持った食べ物達を揺らしながら、パーチェスマイルで答える。
「賑やかな国だなぁ……」
耳どころかうなじまで真っ赤になっているエイリーの後ろ姿を見ながら、ぼんやりと呟いた。
続く




