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「あれ何? アクアの霊獣?」
エレナ様からコピーした『それいけ友達大行進【着】』のキャンディを手に持ち、姫は立ち上がる。
「えぇ、恐らく……」
霊獣二体は、大きいものと小さいものがいた。
親子と見て間違いないだろう。
本でしか実物を見たことはないが、持っている知識を総合して考えるに、あれは『アクアガゼル』と呼ばれている存在だ。
アクアガゼルは普通のガゼルとは違って、全身が透き通るような水で構成されている。
はず、なんだけど……。
「エイリー、あの鹿っぽい子達、あれ何なの? 何かすごい色してるけど……」
本来なら向こうの景色が透けて見えるほどの透明度を誇るアクアガゼルが、こんな色をしているのは考えづらい。
体の中をどろどろと漂っているのは——
「何かあの子達の体の中——血っぽいのが漂ってない……?」
——黒くくすんだ赤色だった。
姫の見立ては、恐らく、最悪なことに正しい。
あれは、血液だ。
「あれ、何なの? 霊獣?」
「えぇ……恐らく妖精級の霊獣で、能力者も近くにいない野生の霊獣です。もしこちらに襲いかかってくることがあっても、問題なく処理できます」
突然、親の霊獣が、ばしゃばしゃと水しぶきを上げるような音をたてた。
「な、何か撃ってくる?」
一歩後ろに引くものの、姫はアクアガゼルから目をそらさない。
「いえ、あれは威嚇……いえ、鼓舞のようなものだと思われます」
「鼓舞?」
「えぇ、獲物である私達を確実に仕留めようという——」
——言葉が途中で遮られた。
親の霊獣が、甲高い唸り声をあげる。
それと同時に、全身が細かな振動を与えられたかのように水しぶきを上げ——
「——おわっ⁉︎」
——姫と私の間を、赤黒い弾丸となって駆け抜けていった。
「あ、あっぶな!」
どこで覚えたのか綺麗に受け身を取りながら、姫はキャンディを口にした。
たちまち姿が変わる。
エレナ様と同じ、サロペットパンツを基調とした服装だ。
この姿の姫は火力こそあまりないものの、霊獣級の能力者にあるまじき駆動力を誇る。
本人はまだ妖精級、霊獣級といったランク分けにピンときていないようだけど、あのスピードなら、精霊級の能力者ともかろうじて渡り合えるかもしれない。
いきなり姿を変えた姫を睨み付け、霊獣は低く唸りながら再び全身から水しぶきをあげる。
周囲に赤黒い液体が飛び散り、鉄のような生臭い臭いがする——
——と。
「エイリー!」
親の霊獣が目の前に——
姫の悲鳴と衝突音が重なった。
だけど所詮、大した速さではない。
気付いた時にはすでに目の前にいたとしても、そこから歯車を展開して守りきれる。
歯車にぶつかった霊獣は、生臭い水滴を撒き散らしてすぐに間合いを取る。
さぁ、今度はこちらの番だ。
「いきますよ——グル!」
どどう、という大地を轟かす咆哮。
空高くに展開した魔法陣から、グルが降りてくる。
その咆哮に押し潰されるように、親の霊獣は真っ二つになった。
鋭く叫ぶように吠えた霊獣は、少し緩い赤いゼリーのようになって、地面を這いつくばる。
すぐにアクアガゼルとしてのフォルムを取り戻したが——
「今の、だいぶ効いたみたいだね」
「ですね……」
アクアガゼルは、目に見えて力を消耗したようだった。
水分でできた体をぷるぷると震わせている。
「……」
「……エイリー?」
姫が不思議そうな顔をして私を見ている。
「どうかしたの?」
「いえ……」
あの霊獣の親子について、だいたい想像が付いてしまった。
そもそも、霊獣が野生に存在すること自体、相当珍しい。
ビーバッグのように能力者が死んだり不在になったりするケースを除けば、ほぼありえない状況なのだ。
あの親子もきっと、能力者を失ってしまったのだろう。
アクアガゼルは本来、群れとして召喚される霊獣だ。
数体でまとまって敵に突進をすることによって、大波のような一撃を撃ってくる。
それがアクアガゼルの一番の特性といってもいい。
逆に言えば、それ以外では大した強さはない。
つまり、群れで移動をしないというのは、死を意味する。
きっと、あのアクアガゼルを支えていた父親が、何らかの理由で死んでしまったのだろう。
ただの病死なら群れからはぐれることもない。
ということは、群れのボスに勝負を挑んで、負けて、追い出されたのだろう。
霊獣は、霊力を食らうことで生きている。
群れでいなければ、他の霊獣を仕留めて力を取り込むことができない。
そのままでは死んでしまう彼らが取る最後の行動は——霊獣ではない、生き物の補食だ。
魔力はほぼ取り込めないものの、お腹を満たすことはできるのだろう。
その結果、魔力だけを取り込んでいれば透き通る美しい体をしている彼らが、どす黒い血液に染められているのだ。
アクアガゼルは誇り高い、きれい好きの生き物だと聞いたことがある。
そんな彼らが、ただの生き物を食べ、自慢の透き通る体を血で汚しているというのは、いったいどれだけの屈辱なんだろうか。
そして、どれだけ追い込まれているのだろうか。
そんな親子に私が止めを刺す権利があるのだろうか。
世の中は、弱肉強食だ。
あの親子は、残念ながらこのまま餌を取れずに死ぬだろう。
なら、ここで殺してあげた方が楽なんじゃないか。
彼らのプライドが、これ以上傷付くこともない。
でもそれは人間の感覚で、彼らはどんな姿になってでも生きたいのでは?
文字通り血生臭い思いをしてでも、生きたいのでは?
でも、私がここで倒しておかないと、他の旅人が襲われてケガをするかもしれない。
でも、それだって人間の自分本意な考えだ。
私は、姫がドルヴィお姉様に会いにいく時に、道中に霊獣などが出てきたら『何かあれば相手を殺す覚悟を』と言ったことがある。
何で生き物を殺してはいけないのか。
恐らく、誰もが抱く謎だと思っている。
もちろん、人の嫌がること、悲しむこと、自分がされて嫌なことはしてはいけない、という道徳観に基づいて無駄な殺生は忌避されている。
姫はたくさんの生き物を溺死させてきた。それに何の意味があったのか、私には分からない。
もちろん、その無駄な殺生は絶対に許されることではない。
だけど私だって、今から目の前の霊獣の親子を、殺す。
姫と、自分の身を守るために。
果たして、自分の身を守るための殺生なら許されるんだろうか。
それは、人間の勝手なエゴじゃないか。
でも、霊獣だって人間を補食しようとしている。
やらなければ、やられる。
だから——
「——あっ」
気の抜けた姫の悲鳴を聞いたのと同時に、顔に生臭い水しぶきがかかった。
水しぶきに怯んだ私の横をすり抜けて、霊獣は走り去っていった。
「——ヤバい!」
隣にいた姫が顔色を変える。
蓮のキャンディで爆発的に上がった瞬発力を全力で駆使して、姫が駆け出していく。
「ひ、姫⁉︎ いったい何を——」
と、言いかけて、絶句した。
霊獣が、軽やかに走り去っていった——
——姫の命綱とも言える、キャンディの入ったポーチをくわえて。
続く




