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真っ暗な空の下。
何も見えないはずなのに、そびえ立つ巨大なヘドロの塊は異常なほどはっきりと見える。
足元には大量のヘドロが漂っていた。
膝ぐらいまで埋まっていてうまく動けない。
「——ヴァ」
ヘドロの塊が——ビーバッグが口を開く。
ぽっかりと黒く空いた空洞から、大量のヘドロが流れ出す。
逃げたいのに、ヘドロに捕らわれて逃げられない。
顔に、肩に、腕に、胸に、お腹に、ヘドロが雨のように降りかかる。
触れた瞬間、全身が鳥肌を立てる。
ヘドロの生臭い臭いで吐きそうになる。
吐けば少しは楽かもしれないのに、それすらできない。
息が詰まって呼吸すらできない。
気を失いかけた俺の前に、何かがべちゃり、と落ちた。
——パーチェのせいで。
吐き捨てるような冷たい声と共に落ちてきた、何か。
それは、エレナの腕だった。
汚いヘドロの中で、その腕は冗談みたいに白くてきれいだった。
子どもらしい、細くて白い、柔らかそうな手だった。
その手が、動き出した。
まるで、何かにしがみつくように、激痛に悶えるように。
必死で何かにすがり付くように。
乱暴に引きちぎられた切り口から、異常な量の血を撒き散らして。
「ヴァヴァヴァヴァヴァヴァヴァ!」
ビーバッグが声を上げると同時に、大量のヘドロが押し寄せる。
俺は足を取られて、ヘドロの海に顔面から倒れこんだ。
生臭いヘドロを吐き出しながら、顔に付いたヘドロを
取り払う。
目を開けて最初に見たのは、ヘドロに押し流されてくるエレナ腕だった。
その腕は、華奢な少女のものとは思えない力で俺の首を掴む。
すがり付くためじゃなくて、締めるために。
締めるためじゃなくて、握り潰すために。
殺すために。
意識がどんどん遠くなっていく。
声も出ない。
薄れていく意識の中で、ビーバッグを見た。
ビーバッグの口の中に、片腕のないエレナがぼんやりと座っていて、眼球のない黒い空洞をこちらに向けて血の涙を流していた。
残った方の腕をこちらに向けて、エレナは言う。
お前も、こっちへ——
「——うわぁっ!」
伸びてきた腕を追い払うと、かけられていた白い布団が宙を舞った。
布団の外の涼しい空気が体を撫でて、少し遅れて気だるさに襲われる。
「ここは……セーレットの城?」
※
ビーバッグとの戦いのあと、俺とエイリーは気を失ったらしい。
そして、セーレットの城に運ばれてきたようだ。
同じ部屋の中に、エレナの姿はなかった。
「あれから……どうなったの?」
俺よりも先に目を覚ましていたエイリーに聞くと、
「エレナ姫は、命は助かったようですが……腕が……」
と言いかけて、泣き出した。
それを見て、俺も泣けてきてしまった。
「ごめんねエイリー。私が、助けるなんて、言わなければ……」
「いえ、私があんな作戦を立てなければ、町に降りてビーバッグと戦うことにもなりませんでした」
ごめんなさい、ごめんなさい、とエイリーは何度も何度も、繰り返した。
※
しばらくして、セーレットのお城のメイドさんが部屋にやってきた。
そして、事の顛末を教えてくれた。
まず、ビーバッグについて。
ビーバッグは、俺とエイリーの攻撃によって完全に消滅したらしい。
それを聞いて、二人で胸を撫で下ろした。
あれだけの犠牲と火力を注ぎ込まないと倒せない相手——
改めて、階級が違う能力の恐ろしさを思い知った。
そして、エレナについて。
エレナはあの後、病院に運ばれた。
国外から有力なホーリーの能力者を呼んでこれば、腕を治せる——そう提案されたエレナは、
「この腕は、セーレットに対するあたしの『大好き』の証だから、このままでいいかな」
と強く否定し、しかも、
「それに、あんまりすごい人を呼んじゃうと、税金の無駄遣いになっちゃうしね」
と言ったらしい。
「はは、何だそれ……」
笑ってしまうのに、涙が出てくる。
こんなにも国のことを大切に思える人間が、王様に向いてないわけがないじゃないか。
「それで、イザドラなのですが……」
「イザドラさん?」
あぁ、そういえばあの人どこ行ったんだろう… …。
こういう場にも、真っ先にあの人が出てくると思ったんだけど……。
「何かあったのですか?」
エイリーが訊くと、
「えぇ……お二人は今、歩けますか?」
俺もエイリーもケガをしたわけじゃないから、問題なく歩ける。
二人して頷くと、こちらへ、と窓際に呼ばれた。
メイドさんがこっそり少しだけカーテンを開けると——
「——な、何これ!」
城の下に、人だかりができていた。
どうやら報道陣らしい。
前の世界で見慣れた、マイクやカメラがたくさん見える。
少しだけ窓を開けると、記者達が質問を次々と投げかけている状態だった。
そして、投げかけられているのがイザドラさんだった。
「あれはいったい、何なんですか?」
エイリーが、窓の外とメイドさんの顔を交互に見ている。
「今、やってるかな……」
メイドさんが窓を閉めて、テレビを点けた。
そこには——
『——操獣機巧【破】』
『ヴヴァァァアアアァァ!』
「こっ、これは……」
俺とエイリーが見事に固まる。
テレビに、ビーバッグにとどめを刺している俺とエイリーが映っていた。
「え、な、何で? え?」
「科学先進国では最近、電信端末で映像記録ができるらしいんです。恐らく観光客の誰かが、撮った映像をポセイドンネットワークに売ったのでしょう」
えぇー……?
スマホでムービー撮れるよみたいな……?
『ポセイドンネットワーク』はテレビ局みたいなものか……?
『先程からお伝えしておりますが、セーレットに数年前から生息していた精霊級の霊獣、ビーバッグを、セーレットのエレナ・コリアス国王と、謎の少女二人が倒したということです』
キャスターが原稿を読み上げている画面に『美少女三人! 観光大国を守る!』という見出しまで出ている。
『今回の事件で、エレナ・コリアス国王は腕を失う重症を負いましたが、命に別状はない模様です。また、今回の件を受け、スターダムオリオン社のCEO、エディ・ラドフォード氏は、次のように述べています』
画面が切り替わると、メガネをかけた背の高い男性がステージの上に立っていた。
何だか、意外なほど近代的なステージだ。
『今回の彼女の勇気ある行動に、世界は感動させられました。そして、私達スターダムオリオン社は、彼女のために何かできないかと考えました。その結果、』
エディの後ろの巨大なモニターに、義手らしきものが映る。
『我が社の粋を集めた義手を、彼女に贈ることにしました!』
わぁ、と会場から歓声があがる。
それが少し弱まったところで、エディが『もちろん、彼女が気に入ってくれればですが』と少しおどけて言うと、記者から笑いが起きた。
「すごい……あの、スターダムオリオンが……」
エイリーのリアクションを見たところ、かなりすごいことらしい。
「今、セーレットは本当に大変なことになっているんです」
メイドさんはテレビを消して、近くのイスに腰かけた。
「エレナ姫の勇気と、お二人のご協力のおかげです。これから本当に、毎日楽しくなりそうです」
ありがとうございます、とメイドさんは楽しそうに微笑んだ。
俺とエイリーはどんな顔をしていいか分からず、とりあえず頭を下げた。
続く




