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「——エレナ!」
エレナが飛び込んだ途端、ビーバッグの口がざぱん、と、津波のように閉じる。
その衝撃で大きな風が巻き起こって、ヘドロのしぶきが飛び散った。
「う、嘘……」
エイリーが、口を押さえて目を見開いている。
「た、食べられた……」
エレナは魔力のタンクみたいなものだ。
霊獣級のわりには莫大なエネルギーを持っている。
だから、エレナ自身がビーバッグの中に入って魔力を放出するのは、効率がいい。
でも、これでもし失敗したら、エレナは——
「——ヴヴァ」
ビーバッグが低く唸る。
それはゲップのような、嗚咽のような——
「何だ、これ……」
ビーバッグのヘドロのような体が透けて、薄く緑色に光っている。
まるで——膨張して爆発するように。
「エイリー、危ない……!」
必死に這ってエイリーの頭に覆い被さった瞬間——
「——ヴヴァアァァァァアアアアアア!」
壮絶な悲鳴と共に、大爆発が起こった。
鼓膜が機能しなくなる。
爆風と共に、大量のヘドロが体に叩き付けられる。
地獄のような暴風が吹き荒れる。
呼吸ができない。
床に敷き詰められたレンガの破片が顔面を打つ。
息を飲むような小さなエイリーの悲鳴が体の下から聞こえた。
服の袖が、ぎゅっと掴まれる。
周囲の建物のガラスが割れる。
暴風でじり、じり、と体が動く。
このままだと吹き飛ばされてしまう。
エイリーを守る——その執念だけで、必死に地面にしがみついた。
「——いてっ」
どこかから飛ばされてきたイスが、頭に当たる。
それを最後に、周囲に沈黙が訪れた。
恐る恐る目を開ける。
ビーバッグはいなくなっていた。
「勝った……のか……?」
辺り一面がヘドロだらけだった。
魔力不足と酸欠でよろめきながら、何とか立ち上がる。
立ちくらみで目の前が一瞬白くなったけど、頭を振って前を向いた。
「エ、エレナ……」
ビーバッグの口の中に飛び込んだエレナは、いったいどうなった——
——と。
目を向けた、先に。
「エレナ……?」
白くて細い腕が見えた。
空に向かって伸ばしているようだ。
「エレナ……エレナ!」
大量のヘドロを掻き分けて駆け付ける。
「へへへ……パーチェ、あたし、やったよ……」
ヘドロに横たわりながら、エレナは弱々しく微笑む。
空に向かって伸ばしている腕。
それは、伸ばしているんじゃなかった。
「エ……レナ……?」
千切れた腕が、ヘドロに突き刺さっているだけだった。
どくどくとあふれ出す血とヘドロが混じりあっている。
「な、何であんな無茶をしたの……!」
思わず責める言葉が出てしまう。
エレナの顔が、霞んでぼやける。
「だってあたし、こうでもしないと誰も守れないからさ……あはは」
後ろから駆け付けたエイリーは、迷いなくメイド服のスカートの裾を破ると、すぐにエレナの止血を始めた。
真っ白な布地が、すぐに赤黒く染まる。
「ありがとね、パーチェ。あたしずっと、大好きなこの国に恩返しがしたかった……ありがとうって言いたかったの。これでようやく、恩返しできたかな」
目にうっすらと涙を浮かべながら、エレナはか細い声でそう言った。
「ごめん……ごめんね……本当にごめんね……!」
どうしようもなく、エレナを抱き締める。
その横で、止血を終えたエイリーも声をあげて泣きだした。
「大丈夫だよ、泣かないでパーチェ。あたしね、今、幸せ。とっても幸せだよ」
そう言いながら、エレナは俺の背中を抱き締めるように、ぽん、ぽん、と優しく叩いた。
「ごめんね。辛い思いさせてごめんね。でも、これでこの国も大丈夫。パーチェとエイリーのおかげ。本当にありがとう」
「エレナ姫……」
エイリーがエレナに泣き付く。
「申し訳ありません……私が、不甲斐ないばかりに……!」
「あはは、エイリーも泣くんだね」
そう笑いながら、エイリーの背中もぽん、ぽん、と優しく叩く。
「二人にね、自慢とお願いがあるの」
いててっ、と顔を歪ませながらエレナは続ける。
「あたしね、ビーバッグを破裂させても、実はまだちょっとだけ魔力が余ってるんだよ。すごくない?」
肩で息をしながら、エレナは残った手で、少し自慢げにピースをして見せた。
「あはは、何それ……すごいじゃん」
魔力が残っているのもすごいけど、それ以上に。
何で、こんな時まで、そんな笑顔でいられるんだ。
とっても強いじゃないか。
とっても強くて優しくて、勇敢な王様じゃないか。
誰よりも立派で偉大な王様じゃないか。
ぼろぼろと泣きながら、笑ってしまう。
「で、お願いなんだけどさ、」
エレナは俺達の後ろを指差す。
見ると、
「ビーバッグ……?」
俺の腰の高さもない小さなヘドロの塊が、所在なさげにうろうろとしていた。
「あたし、ビーバッグの中に入ったから何となく分かるんだけど、多分あの子、ビーバッグのコアみたいなものだと思うの」
そう言うと、エレナは俺とエイリーの唇に、ちゅ、ちゅ、と軽くキスをした。
とくん、と。
体に魔力がみなぎる感覚があった。
「え……?」
今のは、魔力の供給——
「今のが、あたしの魔力の残り全部。で、お願い。あとは二人に任せるから——」
——この国を、守ってあげて。
そう言うと、どちゃりとヘドロに倒れ込んで、エレナは動かなくなった。
「エレナ姫……? エレナ姫!」
エイリーがエレナを揺さぶる。
まるで昼寝でもしてるかのような、穏やかな顔だった。
それでも、動かない。
「そ、そんな……エレナ姫! エレナ姫——」
「——エイリー、」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
エイリーがはっとした顔をして俺を見る。
「エレナが今してほしいのは、そんなことじゃない。あいつを倒して、この国を守ることだよ」
今、泣いてちゃダメだ。
泣くのは、すべてが終わってからでいい。
謝るのも懺悔するのも、すべてが終わってからだ。
今は、エレナの思いを無駄にしないこと——それだけを、考えればいい。
「——『操獣機巧【着】』」
歯車の装甲が、音を立てて俺の体を覆う。
体に魔力が満ち溢れている。
ビーバッグを破裂させた上で、まだこんなにも魔力が残っているエレナに驚かされる。
「ヴァ、ヴァ、ヴァ」
おどおどと声をあげながら、意外と素早い動きで逃げ出そうとするビーバッグを——
「ヴヴァッ!」
鷲掴みにして地面に叩き潰した。
地面に叩き付けた衝撃で、銀色の装甲が火花を散らす。
「——言ったよな?」
ビーバッグは顔らしき部分を俺に向けたまま固まっている。
「弱肉強食だって、言ったよな? だから、お前がエレナの腕を千切ったことも、文句は言わないよ」
掴んだビーバッグを持ち上げて、
「だけどなぁ——」
どん、と空に向かって思いっきり蹴りあげる。
「このまま楽に死ねると思うなよ!」
エイリーの手を取る。
「エイリー、一発でいい! 今出せる最大火力を、全部あいつにぶつけて!」
「はい、分かりました!」
降ってくるビーバッグが俺達にぶつかる瞬間——
「——『操獣機巧【破】』」
二枚の巨大な歯車が展開する。
「——廻れ!」
声が裏返るほどの絶叫をあげながら、持っている全魔力を一気に叩き込む。
二枚の歯車は、ビーバッグを許さない。
獣のように獰猛に、だけど機械的に執拗に、正確に、ビーバッグを破壊する。
ビーバッグの断末魔が聞こえなくなっても、歯車は廻り続けた。
俺達の、どこにもぶつけられない激情を乗せて。
続く




