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19

挿絵(By みてみん)


      19


「——エレナ!」


 エレナが飛び込んだ途端、ビーバッグの口がざぱん、と、津波のように閉じる。

 その衝撃で大きな風が巻き起こって、ヘドロのしぶきが飛び散った。


「う、嘘……」


 エイリーが、口を押さえて目を見開いている。


「た、食べられた……」


 エレナは魔力のタンクみたいなものだ。

 霊獣級のわりには莫大なエネルギーを持っている。


 だから、エレナ自身がビーバッグの中に入って魔力を放出するのは、効率がいい。


 でも、これでもし失敗したら、エレナは——


「——ヴヴァ」


 ビーバッグが低く唸る。

 それはゲップのような、嗚咽のような——


「何だ、これ……」


 ビーバッグのヘドロのような体が透けて、薄く緑色に光っている。

 まるで——膨張して爆発するように。


「エイリー、危ない……!」


 必死に這ってエイリーの頭に覆い被さった瞬間——


「——ヴヴァアァァァァアアアアアア!」


 壮絶な悲鳴と共に、大爆発が起こった。


 鼓膜が機能しなくなる。

 爆風と共に、大量のヘドロが体に叩き付けられる。

 地獄のような暴風が吹き荒れる。

 呼吸ができない。

 床に敷き詰められたレンガの破片が顔面を打つ。

 息を飲むような小さなエイリーの悲鳴が体の下から聞こえた。

 服の袖が、ぎゅっと掴まれる。

 周囲の建物のガラスが割れる。

 暴風でじり、じり、と体が動く。

 このままだと吹き飛ばされてしまう。

 エイリーを守る——その執念だけで、必死に地面にしがみついた。


「——いてっ」


 どこかから飛ばされてきたイスが、頭に当たる。

 それを最後に、周囲に沈黙が訪れた。


 恐る恐る目を開ける。

 ビーバッグはいなくなっていた。


「勝った……のか……?」


 辺り一面がヘドロだらけだった。


 魔力不足と酸欠でよろめきながら、何とか立ち上がる。

 立ちくらみで目の前が一瞬白くなったけど、頭を振って前を向いた。


「エ、エレナ……」


 ビーバッグの口の中に飛び込んだエレナは、いったいどうなった——


 ——と。


 目を向けた、先に。


「エレナ……?」


 白くて細い腕が見えた。

 空に向かって伸ばしているようだ。


「エレナ……エレナ!」


 大量のヘドロを掻き分けて駆け付ける。


「へへへ……パーチェ、あたし、やったよ……」


 ヘドロに横たわりながら、エレナは弱々しく微笑む。

 空に向かって伸ばしている腕。


 それは、伸ばしているんじゃなかった。


「エ……レナ……?」


 千切れた腕が、ヘドロに突き刺さっているだけだった。


 どくどくとあふれ出す血とヘドロが混じりあっている。


「な、何であんな無茶をしたの……!」


 思わず責める言葉が出てしまう。

 エレナの顔が、霞んでぼやける。


「だってあたし、こうでもしないと誰も守れないからさ……あはは」


 後ろから駆け付けたエイリーは、迷いなくメイド服のスカートの裾を破ると、すぐにエレナの止血を始めた。

 真っ白な布地が、すぐに赤黒く染まる。


「ありがとね、パーチェ。あたしずっと、大好きなこの国に恩返しがしたかった……ありがとうって言いたかったの。これでようやく、恩返しできたかな」


 目にうっすらと涙を浮かべながら、エレナはか細い声でそう言った。


「ごめん……ごめんね……本当にごめんね……!」


 どうしようもなく、エレナを抱き締める。

 その横で、止血を終えたエイリーも声をあげて泣きだした。


「大丈夫だよ、泣かないでパーチェ。あたしね、今、幸せ。とっても幸せだよ」


 そう言いながら、エレナは俺の背中を抱き締めるように、ぽん、ぽん、と優しく叩いた。


「ごめんね。辛い思いさせてごめんね。でも、これでこの国も大丈夫。パーチェとエイリーのおかげ。本当にありがとう」

「エレナ姫……」


 エイリーがエレナに泣き付く。


「申し訳ありません……私が、不甲斐ないばかりに……!」

「あはは、エイリーも泣くんだね」


 そう笑いながら、エイリーの背中もぽん、ぽん、と優しく叩く。


「二人にね、自慢とお願いがあるの」


 いててっ、と顔を歪ませながらエレナは続ける。


「あたしね、ビーバッグを破裂させても、実はまだちょっとだけ魔力が余ってるんだよ。すごくない?」


 肩で息をしながら、エレナは残った手で、少し自慢げにピースをして見せた。


「あはは、何それ……すごいじゃん」


 魔力が残っているのもすごいけど、それ以上に。


 何で、こんな時まで、そんな笑顔でいられるんだ。


 とっても強いじゃないか。

 とっても強くて優しくて、勇敢な王様じゃないか。

 誰よりも立派で偉大な王様じゃないか。


 ぼろぼろと泣きながら、笑ってしまう。


「で、お願いなんだけどさ、」


 エレナは俺達の後ろを指差す。

 見ると、


「ビーバッグ……?」


 俺の腰の高さもない小さなヘドロの塊が、所在なさげにうろうろとしていた。


「あたし、ビーバッグの中に入ったから何となく分かるんだけど、多分あの子、ビーバッグのコアみたいなものだと思うの」


 そう言うと、エレナは俺とエイリーの唇に、ちゅ、ちゅ、と軽くキスをした。


 とくん、と。

 体に魔力がみなぎる感覚があった。


「え……?」


 今のは、魔力の供給——


「今のが、あたしの魔力の残り全部。で、お願い。あとは二人に任せるから——」


 ——この国を、守ってあげて。


 そう言うと、どちゃりとヘドロに倒れ込んで、エレナは動かなくなった。


「エレナ姫……? エレナ姫!」


 エイリーがエレナを揺さぶる。

 まるで昼寝でもしてるかのような、穏やかな顔だった。


 それでも、動かない。


「そ、そんな……エレナ姫! エレナ姫——」


「——エイリー、」


 自分でも驚くほど、冷たい声が出た。

 エイリーがはっとした顔をして俺を見る。


「エレナが今してほしいのは、そんなことじゃない。あいつを倒して、この国を守ることだよ」


 今、泣いてちゃダメだ。

 泣くのは、すべてが終わってからでいい。

 謝るのも懺悔するのも、すべてが終わってからだ。


 今は、エレナの思いを無駄にしないこと——それだけを、考えればいい。


「——『操獣機巧(ベースティア・フェローチェ)【着(トッピング)】』」


 歯車の装甲が、音を立てて俺の体を覆う。

 体に魔力が満ち溢れている。

 ビーバッグを破裂させた上で、まだこんなにも魔力が残っているエレナに驚かされる。


「ヴァ、ヴァ、ヴァ」


 おどおどと声をあげながら、意外と素早い動きで逃げ出そうとするビーバッグを——


「ヴヴァッ!」


 鷲掴みにして地面に叩き潰した。

 地面に叩き付けた衝撃で、銀色の装甲が火花を散らす。


「——言ったよな?」


 ビーバッグは顔らしき部分を俺に向けたまま固まっている。


「弱肉強食だって、言ったよな? だから、お前がエレナの腕を千切ったことも、文句は言わないよ」


 掴んだビーバッグを持ち上げて、


「だけどなぁ——」


 どん、と空に向かって思いっきり蹴りあげる。


「このまま楽に死ねると思うなよ!」


 エイリーの手を取る。


「エイリー、一発でいい! 今出せる最大火力を、全部あいつにぶつけて!」

「はい、分かりました!」


 降ってくるビーバッグが俺達にぶつかる瞬間——


「——『操獣機巧(ベースティア・フェローチェ)【破(インパクト)】』」


 二枚の巨大な歯車が展開する。


「——廻れ!」


 声が裏返るほどの絶叫をあげながら、持っている全魔力を一気に叩き込む。


 二枚の歯車は、ビーバッグを許さない。

 獣のように獰猛に、だけど機械的に執拗に、正確に、ビーバッグを破壊する。


 ビーバッグの断末魔が聞こえなくなっても、歯車は廻り続けた。

 俺達の、どこにもぶつけられない激情を乗せて。


続く

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