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「——『絶望の終末【着】』!」
空を飛ぶエレナの蓮から、思い切って飛び降りる。
——ビーバッグに向かって。
勝ったらキス。
勝ったらあんな可愛い子とキス!
キスキスキス!
子どもとキス!
——絶対に、勝つ!
「——っらぁぁああ!」
心臓がふわっと浮くような感覚の直後、それを塗りつぶすように、ビーバッグの嫌悪感がどろりと心の中に流れ込んでくる。
『勝ったらエレナとキス』という褒美がなければ、こんな無茶なことはできなかっただろう。
嫌悪感をぐっとこらえて、振り払うようにアームを降り下ろした。
ビーバッグを狙った一撃は、当然のように避けられる。
代わりに、さっきまでビーバッグのいた地面には、隕石が落ちた跡のような巨大な穴が空いた。
巨大な穴を挟んで、ビーバッグと対峙する。
「姫! このまま作戦通りに!」
青い空を見上げると、魔方陣が展開していた。
「いきますよ、グル!」
どどう、と咆哮が轟く。
その直後、大砲のような勢いでグルが迫ってくる。
だけど俺がやったみたいに地面に衝撃は与えず、ビーバッグの後ろに軽やかに着地すると、
「——お願い!」
エイリーの合図で、強烈な突進をぶちかました。
ぶちゃ、というヘドロが飛び散る音と、『ヴヴァ』というビーバッグの声、そして——
「や、やった!」
頭上から、エレナの喜ぶ声が聞こえた。
それと同時に大きな地響きが鳴り響く。
ここまでは完全に作戦通り——
俺がビーバッグの前に穴を作って、エイリーがそこに叩き落とす。
そしてエレナは、俺とエイリーに万が一のことがあった時のために、上空で待機——
「エイリー、このまま一気にいこう!」
「えぇ! ——グル!」
グルはどどう、と吠えると、ビーバッグに向かって突進する。
ここからは、動けなくなったビーバッグを徹底的にリンチするだけだ。
何か、飼い主を失ったペットを駆除するみたいで気が引けるけど、仕方がない。
誰かが知らずにここに近寄ったら、ビーバッグに食べられてしまうのだ。
だから、誰かがやるしかない。
それが、偶然俺達だったというだけのことだ。
弱肉強食——悪く思うな。
グルがビーバッグに噛みつく。
固いヘドロのような皮が剥がれて——
「——うげぇ……!」
中から、緩いヘドロがドロドロと溢れ出していく。
生臭くて生暖かい臭いが周囲に充満する。
うわ……何あれ、血みたいなもんか?
それとも体液なのか?
気持ち悪——
「——パーチェ! 上!」
空を見上げると——真っ暗だった。
「姫!」
エイリーの悲鳴が、ヘドロのぐちゃぐちゃという音に掻き消される。
頭上から、無数の触手が迫ってきて——
「——えぇーい!」
大量の蓮——
空を覆い尽くすような蓮の大群が、触手に張り付く。
一枚一枚に大した力はないものの、数が尋常じゃない。
だから、ビーバッグの触手を物量で無理矢理封じ込めた。
あっぶねー……よそ見してた……。
ビーバッグの気持ち悪さに目を奪われていたら、うっかり死にかけた……。
「パーチェ! 大丈夫ー⁉︎」
エレナを乗せた大きな蓮が、くるくると心配そうに上空を回っている。
「ごめん、ありがとう、助かった!」
「姫、あれを!」
休む間もなくエイリーがビーバッグを指差す。
「うっ、うっわぁっ……」
話では聞いていたものの、実際に見るとこれは相当キツイ。
『自立栄養捕食型』——
ビーバックは、エレナが打ち出した大量の蓮を食べていた。
ヘドロの触手ごと、何度もぶちゃぶちゃと汚ならしく、しゃぶるように——
「うへぇ……あたしの蓮ちゃん……」
上からエレナの涙声が聞こえる。
可愛い。
違う。
可哀想。
「ううむ……」
これは、少しまずかったかもしれない。
隙を作ってしまった俺が悪いんだけど、ただでさえ魔力がありふれているビーバッグに、追加で魔力をプレゼントしてしまった。
しかもエレナの蓮達はペチペチと音をたててビーバッグに張り付いただけで、まるでダメージを与えられていない。
せいぜい、濡れタオルを叩きつけた程度の火力だ。
生前の俺があれを顔面に食らったとしても『痛
っ……』ぐらいで済む些細なダメージだっただろう。
あれならイジめっ子のパンチの方がよっぽど威力がありそうだ。
……。
いくら魔力が多いとはいえ、あの能力で国王になってしまったエレナは結構気の毒なのかもしれない。
そんなことを思いながらふとエイリーを見ると、
「ん……?」
グルと一緒にこっちに向かいながら首をかしげている。
「どうしたの? エイリー」
そして、俺の横にきてビーバッグを見た。
「先程から、ビーバッグが動いていないのです」
「え……?」
ビーバッグを見ると、確かに動いてない。
正確には職種を伸ばすとかそういう攻撃的な動きをやめて、穴の中でもごもごと不気味にうごめいている。
「二人とも、どうしたのー?」
間の抜けたエレナの声が聞こえる。
「何かね、ビーバッグが動かないの」
「え? もう倒したの⁉︎」
——んなわけあるか。
さぞ目をきらきらさせていることだろう。
それがここから見えないのが残念だ。
「おかしいですね……なぜ動かないのでしょう」
何でだろう。
さすがにあんな蓮ペチペチ攻撃で倒せたとは思えない。
アイツが受けた攻撃は、せいぜい穴に落とされた時のグルの突進ぐらいだ。
だからまだ、ろくにダメージは受けていないはずだ。
だったら何で——
「——あ……」
何か、すごく嫌なことを思い付いちゃったかもしれない。
「どうされたんですか? 姫」
「その、さ……」
穴の中でもごもごとうごめいているビーバッグを指差しながら、思い付いてしまった最悪の可能性を口にする。
「もしかして私達さぁ——敵として認識されてないんじゃない……?」
「はい……?」
ビーバッグを見ていたエイリーが、俺に視線を戻す。
「どういうことです?」
「いや、例えばエイリーさ、いきなり大きなヘビに襲われたらどうする?」
「そうですね……逃げるか、それが不可能、もしくは不適切な場合は駆除します」
「だよね。じゃあそれが、顔の回りを飛ぶ小さな虫だったら? わざわざ駆除する? 逃げる?」
「いえ、手で払うぐらいで——あぁ……」
エイリーも気付いたみたいだ。
そう、俺達は敵として認識されていないんじゃないだろうか。
それこそ、小さな虫みたいに——
「認識されていない……? いや、でも、しかし、まさか……ううん……」
エイリーは難しい顔をして考え込んでいる。
何だか拍子抜けしてしまっているらしい。
それもそうだ。
こっちは全力で、国の威信と命をかけて決死の思いでやってきたというのに、当のビーバッグは俺達のことなどまるで興味がない。
「どうしましょう……いっそ、このまま埋めてしまいます……?」
「いや、そういうわけにもいかないでしょう……」
俺だって、できればそうしたい。
でも、それじゃあ『臭いものには蓋』で何の解決にもなっていない。
それに、埋めただけでコイツがそのまま息絶えてくれる保証もないわけで——
ん……?
いや待てよ?
もしこのまま、全力で埋めたらどうなる?
ボコボコにしまくって、泥も土もありったけのものをかけまくって、さらにその上からコンクリートでガッチガチに固めて、ついでに巨大な建物でも建てたとしたら……?
何かもう、それでいい気がする。
それが、いい気がする。
不安の種を完全に取り除くなんて、そもそも無理なのだ。
ビーバッグはセーレットにとって、天災みたいなものだ。
台風や地震みたいなものなのだ。
対策することはできても、台風や地震を完全になくすことなんてできるはずがない。
それと同じで、ビーバッグだって『なくすことはできないけど、対策する』ということにできないだろうか?
何かもうそっちの方がいい気がしてきたな……。
最悪コンクリートをブチ破って出てきたとしても、この一帯には、元からちゃんと百年分のトラップが仕掛けてあるわけだ。
それに行手を阻まれれば、よっぽど出てこれないはずだ。
そして、トラップで手こずっている間に、国民や観光客を逃がせばいい。
地震よりよっぽど親切な天災なわけだ。
『倒す』と約束したのにこんな結末なのは残念だけど——
——あれ?
何だ?
何だこれ。
ビーバッグのおぞましいオーラには慣れたのに、新たに湧き上がった別の悪寒が、俺の心臓を握り潰そうとしている。
このまま不安で潰れそうだ。
いや、大丈夫だ。
大丈夫だよな?
でも、まさか——
「エ、エレナ、」
エレナを呼ぶ声が、震えている。
「姫? どうされました? 顔色が——」
「エレナ、ちょっといいかな」
エイリーの問いかけを遮って、エレナに訊く。
「んー? パーチェ何か言ってるー? 聞こえないよー」
ここにはトラップが大量に仕掛けられている。
そのエリアに穴を開けて、ビーバッグを落とした。
ビーバッグはヘドロ。
半個体、半液体。
そして、『自立栄養捕食型』——
「エレナ、聞きたいんだけど、」
「はーい。なぁに?」
「イザドラさんから、ここのトラップって、どこに仕掛けたか聞いてる?」
思い違いであれ。
思い過ごしであれ。
どうか、どう——
「トラップ? あー、あのね、グランドとグラスの能力だからねー、土の中に仕込ませたって言ってたよー。踏んだ時に発動するってさ」
それを聞いてさらに青ざめる俺と、
「ま、まさか——」
俺を追いかけるように急激に青ざめるエイリー。
「エレナ、そのトラップさ、どれでもいいから一個、発動させてくれないかな」
「えー、何で? もったいないよー?」
「——いいから早く!」
俺が大きな声を出すと、エレナは『わ、分かった』と答えて、急成長した不気味な植物目掛けて蓮を乱射した。
ビーバッグを中心にして、周りには植物達が囲むようにそびえ立っている。
ここのトラップは、ビーバッグが出てくるのを防ぐのはもちろん、知らずに立ち入ろうとする人間の侵入も防ぐ意味もある。
だから、人間が歩くぐらいの強さでも、土の中のトラップは充分発動するはずなのに——
「あれ? トラップ動かないねー。こっちかな」
円の反対側を狙うように再び蓮を乱射する。
だけど、トラップは一切発動しない。
ビーバッグは、トラップが発動した後に出る、魔力の残滓を食べて生きている。
なぜトラップ自体を食べなかったのかというと、トラップを食べようとすると、発動してしまって自分も痛手を負うからだ。
つまり、地面の上にいた時は、目の前にあるのはただの凶器だった。
でも、地面の中に移った今、どうだろう?
ビーバッグの目の前には、魔力という名の、目が眩むほどのごちそうが、数えきれないほど並んでいるんじゃないか?
俺達は、危険な地雷原に閉じ込められていたビーバッグを、食べ放題のレストランに連れてきてしまったんじゃないか?
ビーバッグはヘドロだ。
半個体で半液体だから、土の中であっても触手を伸ばすことなんて容易いだろう。
そして、ビーバッグは『自立栄養捕食型』だから、目の前にあるごちそうを——
「——ヴェーップ」
ゾッとするような、汚ならしいげっぷが穴の中から響く。
地面を揺らすような、大きなげっぷが。
「うわ、げっぷした! あはは、きたなーい!」
上空から、けたけたと笑う陽気な声が聞こえる。
エレナは悪くない。
悪くないんだ。
上から見て、この惨劇に気付けるわけがない。
げっぷは汚い。
でも今はそれより『何でビーバッグがげっぷをしたのか』という、そっちの方が重要なわけで——
「エイリー、」
「はい」
「これ、完全に私のミスだ。馬鹿な作戦立ててごめん」
恐怖で震えが止まらない。
ぎゅっと拳を握っている。
抑えよう、抑えようと思っても、止まらない。
もう、ここから逃げ出したい。
何も見なかったことにして、帰りたい。
でも今、俺達は猛獣の檻を開けてしまった。
しかもドーピングまでしてしまった。
トラップの包囲網がなくなったビーバッグは、その気になればいつでもここを出ることができる。
このまま逃げ帰ったら、セーレットの人達が危ない——
「何を仰っているんですか。気付けなかったのは私も同じことです。申し訳ありません」
「これもうさ……ないよね?」
周囲をぐるりと見渡しながら言うと、
「えぇ……恐らく一つも」
とエイリーは答える。
もう、恐らく一つも、トラップは残っていない。
穴の中で、一瞬で食い尽くされた。
捕食された。
今、ビーバッグを囲んでいた牢屋は、無数のごちそうとなって、ビーバッグ自身を強化させた——
「ねぇねぇ、パーチェもエイリーも何してるの? このまま倒しちゃう? 私も一回、そっち降り——きああああああああああああああああ!」
上からの絶叫を聞きながら、
「大きくなっちゃったねぇ……」
「えぇ、随分と大きくなってしまいましたね……」
俺とエイリーは、ただただ眺めることしかできなかった——
——穴から這い出てくる、巨大になったビーバッグの姿を。
続く




