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ぎゅっと目を閉じる。
体に衝撃がこない。
「え……?」
恐る恐る目を開ける。
「姫、早く、逃げてください……!」
俺が見たのは、今にも崩れ落ちそうなエイリーの背中だった。
巨大な歯車を盾のように展開して、大男の突進と拮抗している。
肋骨にヒビの入ったエイリーが——
「てめぇ! 邪魔すんじゃねぇ! 今度こそ腹に風穴ブチ開けんぞ!」
巨大な拳が歯車の盾を破壊して、そのままエイリーのお腹に重たい一撃を入れた。
エイリーは、高い悲鳴を喉の奥で押し殺す。
俺とエイリーは二人揃って拳に弾き飛ばされて、受け身も取れずに地面に叩き付けられる。
それと同時に、
「え、嘘……」
グルが消えた。
エイリーはもう、魔力供給ができる状態じゃないのか……?
早くキャンディを舐めなきゃ。
早く。
早く拾いにいって、ポーチから取り出して、舐めるだけ。
簡単なはずだ。
でも、弾き飛ばされたことで、ポーチから余計に遠ざかってしまった。
本当に簡単なのか?
もし失敗したら、痛い目に遭う。
殴られてしまう。
怒鳴られてしまう。
それは怖い。
手が震えている。
足なんて絶対動かない。
動かさないと。
動かさないと。
早く早く早く舐めないと——
地面に叩き付けられたエイリーが、か細い悲鳴をあげながら脇腹を押さえている。
「コルトゥーラ王宮の姫とメイド……人質にはもってこいだな。まさに飛んで火に入る夏の虫ってやつだ! ははは、あのふざけた男を絶望させてやる……まずはお前からだ!」
青い空。
白い雲。
すべてを覆い隠すように視界を遮る、逆光を浴びた真っ黒な大男。
俺の顔より大きな手が、真っ直ぐ顔面へ伸びてきて——
「……おい、まだ邪魔すんのかよ」
——目の前で、手の動きが止まった。
「……しますよ。私の命が尽きるまで……いえ、尽きても!」
大男の手が俺の顔を掴む瞬間、エイリーが、大きな腕に体ごと抱き付いた。
でもその力は弱々しく、虫を払うぐらいの動作で簡単に吹っ飛ばされそうだ。
「エイリー、ダメ!」
「姫、早く逃げてください!」
「逃げられないよ!」
足がすくんでるし、何より——
「エイリーを置いて逃げられない!」
「私のことはどうだっていいんです! だから早く——」
「——どうでもいいわけあるか!」
「ごちゃごちゃうるせぇ!」
大男が腕を乱暴に振り上げると、エイリーがふわっと宙を舞う。
浮いた体が地面に着く前に、大きな手がエイリーのか細い首を容赦なく鷲掴みした。
苦しそうにもがきながら大男の手を剥がそうとするも、エイリーの小さな両手では人差し指すら動かせない。
あぁ。
何で俺は、大事な人が苦しんでいるのを見て、動けないんだろうか。
俺は、ようやく主人公になったんじゃないのかよ。
ここで動けなくて何が姫だよ。
大事な女の子一人守れなくて何が主人公だよ。
国王の言葉が頭をよぎる。
『何があったって、最後に女を守るのは男なんだよ。これは絶対だ。だから、』
回想の中のリベロ王が、にっと笑う。
『ここぞという時は、男になれ。いいな?』
そうだ。
男に。
誰かを守れる男にならなきゃ——
「俺よぉ、握力に自信あんだよなぁ」
大男が、手に力を込める。
「うぐぅ……!」
エイリーが喉の奥から高い悲鳴をあげる。
顔が赤紫色になっていく。
俺が動かないと。動かないと。
エイリーが死んじゃう。
でも、足が。動かない。
「こんな細い首ぐらい、このまま握り潰せんじゃねぇかなぁ俺」
やめろ……。
「さすがに、素手で首潰すのって初めてだな」
やめてくれ……!
「おい、コルトゥーラのお姫様よ! お前のクソ親父にコイツの首持ってってやれよ!」
「——やめろぉおおおおお!」
「はいはい、げろかすきもおたが、げんきいっぱいさけんだところで、やってまいりました」
「やめろぉおおお——お、ぉお!?」
叫んでる途中で。
一瞬にして、俺は不思議な空間にいた。
薄いピンク色の空がどこまでも広がっている。
まるで、編集ミスをした動画を観ているかのようだった。
本当に一瞬だった。
ここは森の中じゃないし、女の子もいない。
足元には、薄いピンク色の雲がどこまでもふわふわと続いている。
同じくピンク色の空には、キャンディとサクランボのオブジェが音もなく漂っている。
「……」
「おい、げろかすきもおたろりこん、りあくしょん、うすいぞ」
男の子か女の子か分からない、けどまぁ何となく可愛い感じの子どもだ。
相変わらず凄惨な口の悪さだ。
ゲロカスキモオタロリコンってお前……。
「えっと……君はあれか? ピンチのたびに俺をここに呼び出す感じなのか?」
前は、電気ビリビリ男に襲われて死にかけていた時に、ここに呼び出された。
そしてこの子は、キャンディが能力の原動力であるということを教えてくれた。
「えっと……今回もこのピンチから助けてくれる感じなのかな……?」
「え?」
子どもは首を傾げて、
「んなわけないじゃん」
断言した。
「あまえんなよかす、だいべん」
「だっ、大便……⁉︎」
今まで俺の凄惨な顔面は妖怪に例えられてきたけど、まさか排泄物呼ばわりされるとは思わなかった。
「そもそも、君が俺をここに呼んでるの?」
「そう」
「じゃあ、何で呼んだの? また何か能力でもくれるの?」
これあれか?
よくあるパワーアップイベントか?
「ううん、」
子どもは首を振って、清々しいほど真顔ではっきりと言い切った。
「まぁ、あれよ。いうならば——ひやかし?」
「——張っ倒すぞテメェ!」
くそ、このガキ舐め腐りやがって……。
「だいたいここはどこなんだよ……君が何者かもいまだに分からないし……」
「まぁあれよ。いうならば……かみ?」
「神だぁ? ふざけんな」
ダメだ。この野郎、非暴力派の俺が手をあげそうになるレベルでふざけていやがる。
今回は何のパワーアップも期待できなさそうだし、とっとと帰るのが吉だろう。
あぁ、でもよかった。
何かあまりにもくだらなすぎて冷静になってきた。
「だいたい、くそかすげろきもおただいべんかすには、ぱわーあっぷなんていらないよ」
凄惨な二人称は置いておくとして、謎の子どもは俺の心を読んだように『パワーアップ』という言葉を使って続ける。
「いま、たりないのは、ゆうき」
「勇気……?」
「そう。それと、きっかけ。それさえあれば、ぱわーあっぷなんてしなくても、だいべんでもきっと、あいつに、かてる」
足りないのは、勇気ときっかけ——
それがあれば、勝てるのか……?
「だからきょうは、なんもなし。さっさとかえって、たたかってこい」
桃色の世界が薄く白くなっていく。
「ろりこんなんだろ? 『さいごにおんなをまもるのは、おとこ』って、えらいひとが、いってた!」
「はは、」
薄れゆく景色の中で、俺は笑う。
「別にその人、そんな偉い人じゃないから」
——青い空。
白い雲。
泥の臭い。
首を絞められているエイリーの嗚咽。
海風。
潮の匂い。
——戻ってきた!
目に映るすべてがスローモーションに見える。
思考が加速していく。
今の俺にやれることはなんだ?
手は動く。
足も動く。
頭も動いてる。
冷静だ。
今、一番優先しなきゃならないのは——
「——っらぁぁあぁあああああっ!」
大男の顔面に、泥を投げ付ける。
「おわっ⁉︎」
視界を遮った瞬間に、渾身の力で全身でタックルをかました。
まるで木にぶつかったように、大した衝撃にならなかった。
だけどそれは——
「——はぁっ!」
エイリーに、一瞬の隙を作り出す。
首を掴まれたままのエイリーは、両足を揃えて大きく上げて、大男の顔面目がけて、容赦なく足の裏を叩き込んだ。
大男は今度こそたまらず倒れこむ。
その反動でエイリーは解放されて、地面に転がった。
げほげほ、と、首を押さえながら呼吸を整えている。
「エイリー、ごめ——」
んね、と自分の不甲斐なさを謝る前に、
「ありがとうございます」
先にお礼を言われた。
「姫の勇気に、救われました」
頼もしく、凛々しい笑顔だった。
必要なのは、勇気ときっかけ——確かに、そうだったな。
少しおかしくなって、何だか笑えてきた。
落ち込むのも反省するのも、とりあえず後だ。
キャンディのポーチまで歩いていく。
土汚れを軽く払って、中を確認して——
——ぼーなすだぞ、きもおた!
「……はは、」
どこかから聞こえてきた声に、今度こそ笑い声が出た。
「ど、どうしたんです? 姫」
俺は、ポーチの——なぜか完全回復したキャンディが入っているポーチの中を見て、エイリーに言葉を返す。
「とりあえず、エイリーの回復をしようか」
「え? ですが『ちょっとお昼寝【着】』はもう——」
「大丈夫」
エイリーの前でキャンディの包装紙を取って、口に入れる。
痛々しい青いアザの付いた首。
落ちた時に擦りむいた膝。
そして、目には見えないけど一番痛そうにしている脇腹。
そのすべてにゆっくり手をかざしていく。
あとは、治したいという気持ちを込めるだけ。
俺に、できないわけが、ない。
「すごい……」
エイリーは目を見開いている。
見てるそばから、傷やアザが消えていく。
「もう動けそう?」
俺の差し伸べた手を、
「えぇ、」
エイリーは力強く握って、
「いつもより元気なぐらいです」
凛々しく頷きながら笑った。
「さぁ、いこうか」
「えぇ、どこまでもお供致します」
握られた手は、温かい。
もう、怖くなんか、ない。
続く




