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今の自分の感情を、どう言い表せばいいのかが分からない。
安心とがっかりが入り乱れた、非常に難しい感情だ。
ただ、人として守らなきゃいけない一線は守れた気がする。
慣れた手付きでトイレを終えて、ベッドに腰かけた。
「何だってんだよ……」
叩きのめされたボクサーのようのうなだれる。
世の中には『男の娘』というジャンルがある。
おとこのこ、と読み、可愛い女の子にリトルサンが付いていることを楽しむという、大変風流な文化形態の一つである。
だけど俺は熟女好きであって、目の前に美しい人がいたら、それはやっぱり女性であってほしいし、リトルサンにはお帰り願いたい。
そしてどうやら年相応にロリコンになってしまった今だって、当然女性であってほしい。
女の子であってほしい。
「男じゃねーか……」
呟く声はどう考えても女の子なのに、リトルサンが鎮座している。
そう考えると何で俺、『姫』って呼ばれてたんだ?
もしかしてあのメイドさん、俺が実は男だということを知らないのか?
あれこれと考えていたら、
「し、失礼しまーす……」
ノックと共に控えめな声が聞こえた。
開けられたドアの方を見ると、小さなメイドさんがいた。
「え……? 起きてる……」
俺を庇ってくれたあのメイドさんじゃない。
もっと幼い感じだ。
起きている俺を見て、静かに混乱している。
「すみません、あの——」
声をかけた瞬間、
「——リベロさぁーん! パーチェ様が起きましたぁ!」
と大声で叫びながら廊下をぱたぱたと走り去っていった。
再び部屋が静かになる。
「いったい何なんだ……」
可愛い声で呟いたのと同時ぐらいに、
「——パーチェ!」
ばん、と乱暴にドアが開け放たれた。
ノックもなく、二人の男女が駆け込んでくる。
「よかった、無事で……!」
男の方が雑に俺を抱きしめる。
女の方は俺の頭を優しく撫でながら、静かに涙を拭っている。
「どうだ? 痛いところはあるか?」
男は俺の肩を掴んで、やっぱり雑に、忙しなく全身をチェックしている。
乱暴ともいえる扱いだったけど、心配しているのが伝わってくる。
さて、考えろ。
恐らくだが、この男女二人は俺……つまりこの体の持ち主の美少女(男)の両親と見て間違いないだろう。
さっきのメイドさんが『リベロさん』と呼びにいってこの二人がきたということは、どちらかが『リベロさん』なはずだ。
そして、俺が『姫』と呼ばれているということは、両親と思われるこの二人は、恐らく国王と王妃——
今推測できるのはこれぐらいか。
そうなると、馬鹿正直に過ごしてたらいつかボロが出て『中身が別人になっている』ということがバレてしまう。
ならば——
「痛いところはないんですが……」
俺は、トイレ中に思い付いた嘘を吐くことにした。
大袈裟に頭を抑えながら、苦しそうな顔をしながら。
「襲われたことによるショックか、ケガのショックか、記憶がハッキリしないんです……」
まぁ、嘘とはいえそこまで深刻な嘘でもあるまい。
事実、川で溺れた結果こうなっているんだから、むしろ正直すぎるといってもいい。
「そんな……!」
女性の方が、口に手を当てて息を飲んだ。
だけど、漏れそうになった嗚咽をぐっと飲み込んで、
「大丈夫、大丈夫よ」
と俺を抱きしめた。
「何があっても、私達が守るからね。一個ずつ、思い出していきましょうね」
とん、とん、と背中を撫でてくれる手が優しい。
こんなことしてもらう資格なんて、俺にはないのに。
俺は、あなたの子どもではないのに——
※
それから二人は、俺に色々話してくれた。
この国のこと、王族であること、自分達の名前のこと——
教えてくれた情報を、頭の中で繰り返して定着させていく。
俺の名前はアルジェント・パーチェ。
アルジェント家のパーチェちゃん(男)ということらしい。
そしてここはコルトゥーラという国で、この二人はやっぱり国王と王妃だった。
男の方がアルジェント・リベロ。
三十手前ぐらいの、がっしりとした体付きの男だ。
リアクションと声がいちいちデカい。
女の方がアルジェント・プリート。
こちらも三十手前ぐらいの、綺麗な女の人だ。
生前(?)の俺なら『四十年後には最高の状態に仕上がってるだろうな』と胸をときめかせていたに違いない。
人を惹きつける不思議な魅力がある。
話を聞くに、このコルトゥーラという国は、恐らく俺の知っている場所ではない。
異世界にきてしまったとみて間違いないようだ。
俺が美少女(男)になってしまう上に、キャンディーを舐めたら変身する世界なのだ。
『ここは異世界です』と言われた方が、むしろ納得できるというものだ。
そして異世界にいるということは、前世の俺はあのまま溺れ死んだのだろう。
元の世界に対する執着は、これっぽっちもない。
どうせ戻ったってイジめられるだけだ。
今まで俺は、酷い扱いを受けていたのだ。
どうせならこの可愛い顔で、人生を満喫させてもらおう。
それと、俺を助けてくれていたメイドさんは、エイリーというらしい。
ケガの影響なのか精神的なショックの影響なのか、まだ目を覚さないという。
「少しずつ思い出してきました……」
頭を押さえながら小芝居を打つ。
とりあえずこれだけの情報を頭に入れておけば、致命的なボロを出すことはないだろう。
仮にボロを出してしまったとしても『記憶が……』でゴリ押せる。
ゴリ押すしかない。
今度は、俺の身に起きたことを伝えた。
この身に起きたことをできる限り細かく説明しようと思ったけど、エイリーにキスしたことは気まずいから伏せておいた。
それと、謎のピンク色の空間で謎の子どもに会ったことも伏せておいた。
あの空間と、あの、人のことを舐め腐った子どもからは、まるで境内のようにぴんと張り詰めた静謐な空気を感じたからだ。
みだりに人に話してはいけない気がした。
その結果、腕が千切れたことも、それを治してもらったことも秘密にする形になった。
だけど、俺が殴られた話をするたびに苦しそうな顔をする王妃を、これ以上傷付けずに済んでよかったのかもしれない。
そして、能力の話。
キャンディーを舐めてパワードスーツ姿に変身した話をした途端、
「そうか、お前にもついに能力が……!」
リベロ王は場違いなほど嬉しそうな顔をした。
「どんな能力なんだ? パワータイプか? 聞いた感じエイリーの能力に似てるな。ナインか? ランク的には霊獣級か? サモンだったとしたら——」
「——リベロさん、」
王妃がくすくすと笑う。
「嬉しい気持ちは分かりますけど、パーチェも疲れてしまいますよ」
そういって、俺の頭を優しく撫でた。
「今は、ゆっくり休ませてあげましょう。お話は、明日でも明後日でも、きっと遅くないですよ」
「お、おう、そうだな」
リベロ王は俺を抱きかかえると、ぼふっとベッドに放り投げた。
そして雑に掛け布団をかける。
ぼふっと風が吹いて前髪が浮いた。
雑な扱いだったけど、大切にされてるような、愛されてるような感覚があった。
「今回のことは、本当に災難だったな。だが、よくやった」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でて続ける。
「よく生き延びて、エイリーを守ってくれた。この国の王として、そして父親として、俺は鼻が高い」
おやすみ。
もっと色々言いたそうだったけど、それだけ残して、二人は部屋から出ていった。
※
おやすみ、とはいえ……。
まだ夕方なのに『おやすみ』と言われてもなぁ……。
とはいってもこのお城の中を歩き回るのも怖いし、今は言われた通り眠っておこう。
激闘で疲れていたのか、子どもだから眠くなりやすいのかは分からないけど、何だかんだでぐっすり眠れた。
寝ようと思った瞬間に体がぽかぽかしてきて、気付いたら眠っていた。
健康そうな両親から生まれて、お姫様として健康的に育ってきたんだなぁという感じがする。
こんな健全で美しい体に、俺のような汚れた魂が入ってしまって本当に申し訳ない。
でも仕方がないよな。
わざとじゃないし。
不可抗力だし。
「ふわぁ……」
あくびの声すら可愛らしい。
我ながら、初見で男だと見破るのは無理なんじゃないかと思う。
さて、さすがにやることがないな……。
ベッドから起き上がる。
いつの間にか、すっかり夜になったらしい。
俺がこの世界で目を覚ましたのが今日の昼前ぐらい。
国王と王妃と話したのが夕方ぐらい。
そして今が夜か……あっという間の一日だったな……。
天蓋からぶら下がっているレースのカーテンを開けて、
「——うぉっ⁉︎」
驚きのあまり野太い悲鳴をあげてしまった。
ベッドに尻餅をついてその勢いのまま後ろに一回転した。
「何⁉︎」
部屋の暗がりの中に、ぼんやりと人影が見える。
「な、何ですか⁉︎」
俺の問いかけに、その人影はゆっくりと立ち上がった。
そして、
「……お目覚めですか、姫」
と、感情のない、低い声で言う。
は?
だ、誰?
怖すぎるんだけど……。
いつの間に……?
いつから……?
心臓が脈打つのを感じながら、声の主を凝視する。
よく見れば、小さな女の子だった。
ボロボロの布切れのような服を身に付けている。
だいぶ目のやり場に困る姿だけど、今はちょっとそれどころじゃない。
ほ、本当に誰……?
パーチェちゃんよりちょっと歳上ぐらいの女の子だ。
窓から差し込む月明かりが、潤いのある黒髪のショートカットに反射している。
かなり可愛い顔をしているのに、表情も感情も完全に死んでいるせいでかなり怖い。
いったい誰がこんな時間に——
「——あ、」
もしかして——
「え、『エイリー』……?」
さっき国王が言ってた、俺が守ったメイドさんだ。
そして、俺のことを守ってくれたメイドさんだ。
昼の時は死にかけてたし必死だったから、顔をしっかり見てなかった。
だけど間違いない。
今目の前にいるのは、昼に見たあの子だ。
「……はい。この格好では分からなかったかもしれませんね」
自重気味に手を広げて、ボロボロの服を見せてくる。
ちょっと本当に危ういから下手に動かないでほしい。
「それで、えっと……な、何かな……?」
パーチェちゃんが、日頃エイリーにどういう口調で喋ってるのか分からない。
だけど『姫とメイド』という関係からして俺は敬語ではないだろうし、とりあえず無難な口調で返しておく。
エイリーは、やっぱり顔色一つ変えない。
そして、暗い声で答えた。
「お別れのご挨拶に参りました」
続く




