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ヘドロの海の中に立っていた。
膝ぐらいの高さでドロドロと漂っているそれは、意思を持っているようで不気味だった。
背後から、ごぽっと嘔吐したような音が聞こえて、振り返る。
ヘドロが大きく隆起していく。
がっぽりと、口のような大きな空洞が空いて——
「——ヴァ」
「もー! 本当に、心配したんだからぁ!」
はっと、目を覚ます。
今のは何だ。
夢か……?
ここはどこだろうか。
エレナに目を向けると、エイリーにしがみ付いて泣いていた。
エイリーも俺と同じように、ベッドで横になっている。
「あ、パーチェも起きてる! パーチェー!」
こちらに気付いたエレナが駆け寄ってくる。
俺に抱き付いて、ただの子どものように泣きじゃくっている。
まぁ、エレナは本当に子どもなんだけども。
あー、エレナはいい匂いだな。
子どもの健康的な新陳代謝の匂いがする。
リトルサンも頭を上げるぐらい、それは尊い匂いだった。
……うん。
そこが元気なら、俺はまだやれるな。
「エイリー、大丈夫?」
ベッドから起き上がりながら、エイリーに声をかける。
頭がぼんやりするものの、ケガはないらしい。
「えぇ、大丈夫です」
エイリーは起き上がりこそしないものの、しっかりとした口調で答える。
大丈夫そうでよかった。
「最後さ、ビーバッグが大量にヘドロ吐いたの、見た……?」
「ヘ、ヘド……」
俺の言葉に、エイリーは青い顔をして絶句する。
あ、全然大丈夫じゃなさそうだ……。
エイリーは露骨に表情を歪めて嫌悪をあらわにしてから、
「いえ、申し訳ありません……ビーバッグがこちらに腕を伸ばしてきた時点で私、気を失ったようでして……」
申し訳ありません、と消え入りそうな声で言った。
あぁ、エイリーはあの段階で気絶してたのか。
最後のヘドロ嘔吐のヴァヴァヴァを見なくて済んだんだから幸せなことだな。
「エイリー、あれ、私達に勝算あると思う?」
ストレートに本題に入る。
エイリーは少し考えてから、
「三割、でしょうか」
と答えた。
三割?
「え? そんな勝てんの? 十回挑めば三回勝てるって——」
「いえ……勝率ではなく、生存率です」
「えっ」
エイリーはのそりとベッドから起き上がって続ける。
「我々がビーバッグに挑み、生きて帰ることのできる確率が、三割です」
「え、じゃ、じゃあ十回行ったら七回は——」
「——死にます」
恐らく、すごく苦しみながら……と震えながら付け加えた。
それって、じゃあつまり勝率は——
……いや、聞かない。
怖くて聞けない。
とりあえずこの問題から目を反らしたい。
「えっと……あ、そういえば私達、どうやって助かったの?」
ここがセーレットの城ってことは何となく分かるんだけど……。
あの時、俺はエイリーを抱きかかえたまま、気を失って落下したはずだ。
「私が助けたんだよ!」
エレナがベッドをばふばふと叩く。
「もー! 大変だったんだから!」
エレナが……?
「急に二人が落ちてくるから、急いでオオオニバス出してトランポリンみたいに着地させて、近くの川を下ってここまで逃げてきたんだよ!」
「そうだったんだ……ありがとう……」
エレナがいなかったら、俺達は本当に死んでいたかもしれない。
ちょっと色々甘く見すぎていた。
俺はもう少し、この世界の『悪意』に対して警戒すべきだと強く思った。
それにしてもエレナの能力って、戦闘向きじゃないとはいえかなり汎用性があるんじゃないだろうか?
空を飛べて水を泳げてトランポリンになって——扱い方次第ではかなり有用な気がする。
「とりあえず、イザドラが今日はゆっくりしてください、ってさ。詳しい話は、また明日以降ってことで……」
とりあえず、あたしも今日はもう寝ます……と、ふらふらしながら部屋を出ていった。
メンタルもフィジカルも相当疲れたらしい。
それを見届けてから、エイリーはベッドへばふっと倒れこんだ。
うつぶせのまま動かないその背中に声をかける。
「ねぇエイリー……これもう、お父様に助けてもらう?」
「それがいいかと思いますが……」
エイリーはよほどしんどいらしく、今までのきびきびとした姿からは想像も付かないほど、のそのそと首だけ俺の方に向けて、嫌そうに口を開いた。
「いいかと思うのですが……いえ、そうするのが最善であることは明白なのですが、恐らく、私達ものすごく……」
「ものすごく?」
「——ものすごく、怒られる、と、思います……」
「……」
さーっと、血の気が引いた。
あの陽気なおじさん、怒るのか?
あれ、ヤバい。
何かそう考えるとすごい怖いぞ。
生前(?)の俺なら、多分そんなことはなかった。
気が狂ったように怒り狂う教師を、冷めた目で見ることができていた。
でも今、子どもになってしまった今、『大人に怒られる』ということが何だかものすごく怖い。
やたらと涙もろくなったことといい、これも子どもになった影響なんだろうか。
ヤバい、あの国王の怒ったところを見たくない。
ああいう、いつも笑顔のタイプほど怒るとすげぇ怖いんだよな……。
電気ビリビリ男や盗賊達は、最初からこっちに敵意しかなかった。
だからこそイジめられてる時を思い出して冷静に対処できた。
だけどこの場合、リベロ王は俺のことを思って怒ってるわけで……。
あぁ、そう考えると絶対嫌だ!
本当に命というか、国がヤバくなりそうな段階までいかないと、とてもじゃないけど『助けて』だなんて言えない。
言いたくない。
そういえばビーバッグのところに行く前も、エイリーは『コルトゥーラが』じゃなくて、『私達が』倒さなければならない、って強調してたもんな……。
エイリーもよっぽどリベロ王に怒られるのが嫌なんだろうな……。
「どうしよう……」
情けないことに自分の声が、コップに満杯になって、今にも溢れそうな水みたいにぷるぷるしていた。
その俺のぷるぷるにすら気付けないほど、もしくは気付いていてもリアクションが取れないほどぐでぐでになったエイリーは、
「明日から考えましょう……今日は、もう、すみません……では、すみません、明日、はい……おやすみなさいませ……」
と、何かよく分からないことを言いながら、あっという間に眠りに就いた。
「これ、結構ヤバいかもなぁ……」
天井を見上げながら、呟く。
天井を見てないとぷるぷるのコップが溢れ出しそうだ。
どうしたものか……とりあえず考えないと。
そもそも考えてみると、霊獣級が十なら、精霊級は百。
こっちは霊獣級が三人いるから、三十と百の戦いだ。
正直、一と百の戦いだったら厳しかった。
でも、三十と百なら、まだ希望がある。
——と、思っていた。
でもゲームで考えてみれば、レベル十の勇者が三体いるだけで、レベル百のモンスターを倒せるだろうか。
俺がプレイヤーだったら、絶対に倒せない、と判断するだろう。
そして、判断して——そこからどうするんだろう?
きっと、どこかへレベル上げしにいくだろう。
でも、レベルなんてすぐ上がるんだろうか。
そもそも、霊獣級から聖霊級になるなんて無理なはずだ。
ただ一つ、間違いなく言えることがある。
仮に『レベル上げ』なんてことが可能だったとしても——
俺は『レベル上げして強くなったらまた戻ってくるよ』なんて絶対に言わないだろう。
この国を一度離れたら、もう二度と戻ってこない——その確信がある。
でも、それでいいんだろうか。
俺は前世(?)でいじめられて迫害されていた。
それが今、この世界で美少女のお姫様(※♂)になったのだ。
ようやく、物語の主人公になったのだ。
主人公が、逃げていいのか。
もっというと、俺に助けを求めてきた少女の訴えを無視して逃げるなんてことが、ロリコンとして許されるのか。
いや、許されない。
そんなことをしたら、俺は俺のことが嫌いになってしまう。
そしたら俺は、この世界を楽しめなくなってしまう。
だから、ビーバッグは倒すしかない。
絶対に倒してから、次の国に行くしかない。
それはもう、決定事項だ。
でも、どうしたら——
続く




