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挿絵(By みてみん)


     2


 ようやく森の中に入った。


「ここ、真っ直ぐでいいんだね?」

「合ってますが、私を捨ててください!」


 無視して突き進む。

 目的地も分からないまま、一歩でも遠くへ——


「——ガキ共! どこだ!」


 背後から、怒声が聞こえた。


「絶対に見付け出して、必ずブチ殺すからな!」


 さっきまでの舐めた口調じゃない。

 完全に激怒していた。


 ヤバい、もうきたのか——

 渾身の一撃を喰らわせたのに、全然効いてない。


 もう、ここまでか。


「姫、お願いです。私を置いて逃げてください」

「じゃあもう、こうしよっか」


 俺は女の子と密着したまま、地面に横になった。

 自分がクッションになるように倒れたから、再び脳みそが揺れた。

 さっきの額のケガと合わせて、頭が割れるように痛い。


「ごめん、守れなくて。囮になることもできそうにない」

「そんな、姫……! お願いです! 姫だけでも逃げてください!」

「無茶言わないでよ……」


 あーあ、何だったんだろうな俺の人生。


 ブサイクに生まれて。

 誰からも愛されず。

 イジめられ続けて。

 好きなものを好きとも言えず。

 川で溺れたと思ったら死にかけてて。

 腕もなくなって。

 そして、俺のことを姫呼ばわりする女の子と死にかけてる。


 何だそりゃ。


 めちゃくちゃだ。

 あーあ、すべてが馬鹿らしいや。

 もう何もかも、どうにでもなれ。


 俺の目の前に、泣きじゃくる女の子がいた。

 熟女好きの俺でも可愛いと思える、整った顔をした女の子だった。

 そして今更気付いたけど、女の子はメイド服を着ていた。

 俺が姫で、この子がメイドさんか。

 はは、本当に馬鹿らしくていいな。


「あのさ——」


 いよいよ自棄になった俺は、ほんのしょうもない戯言で、“それ”を言った。

 文字通り、『冥土の土産』というやつだ。


「——死ぬ前に、キスでもさせてくれない?」


 妖怪に例えられるぐらいブサイクな俺が、小さな女の子にこんなことを言っているのだ。

 その場で撃ち殺されても文句は言えない。

 でも、どうせあと数分で死ぬんだ。

 どうだっていいだろ。


 女の子は、目を見開いた。

 満身創痍を忘れるぐらい気持ち悪かったに違いない。

 だけど、


「まさか、(・・・・)そうなのですね?(・・・・・・・・)」


「……は?」


 思ったリアクションと違った。

 もっとドン引きされるとか怒られるとか、話を逸らされるとかだと思っていたのに、『まさか』って何だ?


「いや、えっと——」

「——失礼致します」


 彼女が俺に覆い被さる。

 とっさに目を閉じる。

 頬に両手が添えらえる感覚。

 鉄の臭い。

 唇に触れた柔らかい感触——


 目を開けると、女の子はびちゃ、という音と共に、再び地面に横たわった。

 わき腹を抑え、苦しそうに呼吸をしている。


 何をやってるんだ俺は。

 こんな小さい、しかも苦しんでる女の子にキスをせがんで。

 熟女好きとは思えない。

 自分で自分の行動が理解できない。


 あーあ、人生最初で最期のキスすら楽しめないのかよ俺は。


 もうどうにでもなれ、と目を閉じた。


 鉄の臭い。

 濡れた土の臭い。

 青々とした草の臭い。

 木が風でざわめく音。


 それらが、すべて消えた。


 あぁ、ついに死ぬのか。


 そう思って目を開けた瞬間、


「……は?」


 俺は思わず立ち上がった。


 いや、立てるはずがない。

 え? ケガが治ってる?

 血も出てないし頭も痛くないし、腕もある。


「何だ……?」


 はっきりとした視界と意識で周りを見る。


 一瞬にして、俺は不思議な空間にいた。

 薄いピンク色の空がどこまでも広がっている。


 まるで、編集ミスをした動画を観ているかのようだった。

 本当に一瞬だった。

 ここは森の中じゃないし、女の子もいない。


 足元には、薄いピンク色の雲がどこまでもふわふわと続いている。

 同じくピンク色の空には、キャンディとサクランボのオブジェが音もなく漂っている。


「……なるほど、死んだのか」

「ううん、しんでないよ」


「——!?」


 声にならない悲鳴すら上げる間もなく、俺は声のした方から全力で離れるように飛び去り思いっきり後ろ向きに転んでくるりと回って薄いピンク色の雲にぽふりと包まれて止まった。


「誰!?」


 がばっと顔を上げて声の主を見る。


「えっと……本当に、誰?」


 そこには、無表情……というか何だか眠たそうな女の子……? がいた。

 さっきまで一緒にいたメイドさんより、ちょっと幼そうに見える。


 ふわっとしたショートカットで、白いワイシャツと、濃いグレーをしたドロワーズみたいな形のズボンを履いている。

 可愛らしい顔立ちはしているものの、中性的に見える。

 性別がいまいちハッキリしない。


「ひみつ」

「何が……?」


 あ、あぁ、『誰?』に対しての答えね。

 秘密っておい……。


「えっと、ここはいったいどこ? 俺、さっきまで結構危機的な状況だったんだけど……」

「あはは」


 今笑うとこか!?

 おいコイツ話分かってんのか!?

 今笑うとこじゃないだろ!

 人が死にかけてるんだぞ!


「わらうとこでしょ。あはは、おんなのこみたいなかおで、おれ。おかしい」


 ……は?


 いや、妖怪系男子と言われた俺を『女の子みたいな顔だ』というのはさすがに無理がある。

 子どもとはいえ、そこら辺の美醜の概念は持っていそうだけど……。


 謎の子どもは俺の戸惑いを観て不思議そうな顔をしていたけど、


「……あぁ、」


 手をぽん、と打って、何かを納得した。

 そして、


「うしろ」


 と、俺の後ろを指さす。

 振り向くと、そこには女の子がいた。


 ばん、と心臓に衝撃が走る。


 殴られたのかと思ったけど、違った。

 彼女を見た俺の心臓が、激しく鼓動したのだ。


 そこには、芸術作品のように美しい女の子がいた。


 肌が真っ白で、華奢で、人形のようだった。

 肩ぐらいまで伸びたさらさらの金髪が、潤いを持って揺れている。

 青い瞳は職人がカットしたサファイアのように煌めいている。


 ふわふわとした白いネグリジェを着ているから、彼女の体つきや年齢は分からない。

 でも顔の雰囲気から見るに、小学校の中学年ぐらいだろう。


 彼女は可哀想なことに、いきなり現れた妖怪系男子に驚いているらしく、こちらを見たまま固まって動かない。

 不審者じゃないということを証明しなくちゃいけない。

 とにかく警戒を解かなきゃいけない。


 ここは一発にこりと笑って大人(といっても高校二年生だけど)の男の余裕を見せる必要がある。

 極力、キモくならないように自然に、微笑んでみた。

 すると、何と驚くことに彼女もふんわりと柔らかく、俺に微笑んでくれた。

 にこりとして、閉じられた目が漫画みたいに長いまつげに覆われる。

 よかった、うまくいった——


「——なにしてんの?」

「は?」


 謎の子どもの声に振り向くと、目の前の彼女も後ろを振り返った。


「え?」


 再び前を見ると、女の子も驚いた顔をして俺を見つめる。

 正面に立つ彼女の横に謎の子どもがいて、俺の横にも謎の子どもがいて——


「それ、かがみだよ」


 そう言われてようやく、彼女の周りの空間に、金色のフチが付いてることに気が付いた。

 それは、金色の装飾が施された鏡だった。


「つまり……」


 自分の顔に両手で触れる。

 すべすべのもちもちの頬を、鏡の中の彼女も触っている。


「これ、俺……?」

「そういうこと」


 いや、『そういうこと』と言われてもどういうことだ?

 何で俺は女の子になっている?

 女の子だから『姫』と呼ばれていたのか?

 何で俺は姫になっている?


「ここはどこなの? 何で俺は女の子になってるの?」


 無限に疑問がわき出してくる中、何とか言葉にできたのはこの二つだけだった。


「ひみつ。ふめい」

「……は?」


 ……あぁ、『ここはどこ?』が秘密で、『何で女の子に?』が不明ってことね。

 会話がしづらすぎる。


「あの……俺って死んだのかな」


 別に死んだなら死んだでいいんだけど、俺のことを守ってくれていたメイドさんのことが気がかりだ。

 彼女だけでも、人生の最期に、守れる男になりたかった。


 これはしょうもない俺の、人生最期の、しょうもないプライドだ。


「俺さ、ずっとイジめられてたんだよ。誰からも必要とされなかったし愛されなかった」


 いきなり、心にセメントがどろりと流れ込むように、嫌な思い出が数えきれないほどぶり返してきた。

 それに反応するように、目の前の薄いピンク色の世界がどろりと溶けて、目の前に嫌な思い出がたくさん現れた。


 目を逸らしたい。

 逃げ出したい。

 恥ずかしい。

 情けない。

 消えてしまいたい。

 何だよこれ。

 やめてくれよ。

 倒れそうだ。


 でも——今ここで負けちゃだめなことぐらい、分かってるつもりだ。


 このままじゃ俺の人生、本当にしょうもないまま終わってしまう。


「……ちっぽけなプライドなんだけど、あの子だけはどうしても助けたいんだ」


 目の前に広がる無数の映像。

 高校二年生の俺が、竹ぼうきで殴られている。


 あはは、死ねよ。

 キモい。

 学校来んなよ。

 くせぇんだよ。

 病原菌。

 出来損ない。

 お前は母親がキチガイなんだよ。

 クソ野郎。

 落ちこぼれ。

 反省しろよ。

 生まれてきたことを謝れよ。


「うるさい。うるさい……」


 目の前の映像が、少しずつ俺に近寄ってくる。

 いつの間にか周りを完全に囲まれていた。


 イジめられた時、担任に相談した。

『へぇ。どうやってやり返すの?』

 担任はそれだけ言い残して歩き去った。

 もう俺には何の希望もないんだと分かった。


「やめろ……やめてくれ……!」


 隣の席の女の子の消しゴムが、俺の机の下に転がり込んできた。

 拾ってあげたら泣かれた。

 病原菌が触ったから泣いたんだとクラスメイトから殴られて蹴られてめちゃくちゃにされた。

 担任に事情を話したら『お前が悪い』と思いっきりビンタされた。

 鼻血を吹き出しながら倒れる俺を見て、クラスメイトは爆笑した。


「俺はどうなってもいい。だけどあの子だけは助けたいんだ……!」


 嫌な思い出が、目の前をどろどろと通り過ぎていく。

 濁流に飲み込まれていく。

 息ができない。

 このまま倒れていきそうだ。


 でも——


「俺は、行くんだ……助けに、絶対に、今、行くんだ……!」


 ——もうさ、お願いだから、死んで?


「うるせぇ!」


 どろどろに溶けた空に向かって吠える。


「俺は生きる! 生きて、あの子を助けにいくんだよ!」


 目の前の嫌な思い出に、ヒビが入っていく。

 体に、潰されるような重圧がかかる。


 こんなもの。

 こんなもの——!


「どうせ死ぬなら、最後まで戦ってやるんだ!」


 ——こんなもの、跳ね返す!


「だから、そこを——どけえええええぇぇええぇぇぇえええええ!」


 ばん、と、世界が弾けた。


 至るところから白い光が獰猛に差し込んで、再び薄いピンクの雲の上にぽふりと降り立った。


 頭がくらくらする。

 全力で叫んだからだろうか。


 でも、それ以外は何ともない。

 悪夢から目覚めた後の感覚に似ているけど、それよりはるかに気持ちがいい。


「ろりこん、」

 声に振り向くと、さっきの子どもがいた。


「ロリコンって……俺のこと?」

「ほかに、だれが?」


 いや、俺は熟女好きだから……と反論しようとして、


「あれ……?」


 異変に、気付いた。


 熟女にときめいていない……?

 毎日、あれだけ熟女の画像や動画を漁っていた俺が?


 さっきの自分の見た目や、メイドさんを思い出してドキドキしてる?


「それ、ろりこんじゃん」

 俺の心の中を見透かしたように、謎の子どもはけたけたと笑う

。

 でも、何でだ?

 さっき、自分の姿が美少女になっているのを見た衝撃で頭がおかしくなったのか?

 いや、それとも、自分が幼くなったことで、年相応に同世代の子どもを可愛いと思うようになったのか?


「ろりこんの、こどもがすきなきもち、すげぇ、わかった。すげぇきもい」

「いや、俺もまだ混乱してるからキモいって言うのはやめて——」

「——だけど、」


 俺の言葉を遮って続ける。


「だけど、まもりたいきもちも、すげぇ、わかった。それ、すげぇかっこいい」


 かっこいい……?

 呆然とする俺の視界の隅で、薄いピンク色の世界が音もなく消えていく。

 白い空間へと溶けていく。


「はんだんに、こまる。おまえは」

「は?」


 急に怒られた。

 判断に困る?


「何が?」


「いや、こっちのはなし。そして、わるいのも、たぶんこっち」


 謎の子どもは、難しそうな顔をしながら首を傾げている。

 もったいぶっているわけではなく、自分でも分かっていないらしい。


「だから、いろいろぼーなす。けがはなおす。うでは……かしておく」

 こんがらがった頭を自分で整理するように喋っている。


 色々ボーナス。

 ケガは治す。

 腕は……貸しておく?


 聞き取れても意味が分からない。

 訊こうとしたら、


「ろりこんさっき、きすしたでしょ?」

「し、しました」


 先手で封じ込まれた。

 罪悪感で思わず敬語になってしまう。


「あれ、とりがーだから」

「トリガー……?」


 謎の子どもは再び難しい顔をして『どこにしよっかな』と唸っている。


「ぽーちにするか。おきたら、ぽーちのなかに、あめがあるから」


 ポーチなんてあったか……?

 そして雨?

 ……あ、アメ、か。


「アメが、どうしたの?」

「あめ、なめて。そしたら……」

「そしたら?」


 白く溶けていく世界の中。

 謎の子どもは、拳を突き出して、ぐっと親指を立てた。


「そしたらきっと、つぎにいける!」


 鉄の臭い。

 濡れた土の臭い。

 青々とした草の臭い。

 木が風でざわめく音。


 ——帰ってきた!


 五感がそれを気付かせてくれた。

 ばっと飛び起きて周囲を見渡す。


 森の中にいる。

 足元には泥と血だらけのメイドさんが倒れている。

 肩が動いてるから、まだかろうじて生きているということが分かった。


 一方俺は、ケガ一つなかった。

 さっき切られていたはずの右腕も、元通りになっている。


 まるで最初からケガなんてなかったようだ。

 だけど白いネグリジェを汚す泥と血が、あれは夢じゃなかったことを物語っている。


「——ガキ共! 出てこい!」


 さっきの男の怒声が聞こえた。


 怖い——


 今俺は、恐怖を感じている。

 それが意外だった。

 さっきまで死のうが何だろうがどうでもよかったのに、今は、怖い。


 生きたいと思っているからこその恐怖——


 生きなきゃ。

 戦わなきゃ——


 考えろ、何をすればいい?

 そういえばあの謎の子どもが『アメを舐めろ』と言っていた。


「白いポーチがどうとかって……」


 自分の体を見渡すと、ネグリジェなのになぜか腰に白いポーチを付けていた。

 泥と血でぐちゃぐちゃになっているから怪しいけど、多分これのことだ。


 開けてみると、中にはキャンディーが入っていた。

 白い棒にキャンディーが刺さっているタイプのものだった。

 キャンディーの部分は、白地に金の装飾が施されたビニールに覆われている。


「これを舐めてどうしろっていうんだよ……」


 ケガが治ったとはいえ、小さな女の子になってしまった俺が、あんな大人の男と戦えるわけがない。

 でも他にすがるものもないし、あの子を信じるしかない。


 ビニールを取って口に放り込む。

 特に変哲のない、甘いだけのキャンディで——


「——お……?」


 どくん、と。


 心臓じゃなくて、腕や脚が大きく脈を打ったような感覚——

 それは一瞬のことで、何かのスイッチが入ったような感覚があった。

 全身に力がみなぎり始める。


 絶対割れない水風船に大量の水をパンパンになるまで入れるような。

 ほどよい温度のお風呂に肩まで浸かった時のような。

 真夏の持久走のあとにスポーツドリンクをイッキ飲みしたような——

 そんな、満たされていく感覚が全身を包む。


「お前、何でケガが治ってんだ……?」


 突然、茂みからさっきの男が姿を現した。

 明らかに警戒しながら、ゆっくり近付いてくる。


「ホーリーか? だとしても取れた腕を治せるほどのウィザードがコルトゥーラにいるのか?」


 そして、ずっとわけの分からないことを言っている。


「それとも何だ? お前のその格好がホーリーの能力なのか? 無能力者っつーのは嘘だったのか?」


 その格好、という言葉が気になって、自分の両手を見る。

 銀色のアーマーのアーマーのようなものに覆われていた。


 全身もいつの間にかメカメカしい、パワードスーツのようになっている。

 ところどころに歯車の装飾があって、動物らしい耳と尻尾の装飾も金属でできている。


 これが、キャンディの力なのか……?


「何かよく分からねぇが、てめぇには死んでもらわないといけないんでな」


 バチッと音がする。

 男の足元で青白い光が弾ける。

 地面を踏み込み、息を吸う音。

 そして——


「——死ねェ! ガキ!」


 男が目の前にいた。

 拳を振り上げている。

 目が血走っている。

 そのすべてがスローモーションに見える。


「ひっ……!」


 思わず手を突き出して目を閉じた。

 殴られる衝撃に身構えていると、


「ぐあっ!」


 手に何かが当たった感覚と共に、男の声が遠ざかっていった。

 恐る恐る目を開けると、離れたところに男が転がっている。


「てめぇ……! 無能力者っつーのは嘘だったらしいな! おい!」


 男は口から流れる血を拳で雑に拭って、俺を睨み付ける。


「え……?」


 何だ……?

 もしかして、力が強くなってる?

 こんな小さい華奢な女の子なのに?


「何の能力か分からねぇが、早めに殺しといた方がよさそうだな!」


 再び男が走り寄ってくる。

 握りしめて振り上げた拳は、電気を帯びて バチバチと音を鳴らしている。


「死ねェ!」


 さっきより力が込められた一撃を、


「……おおう、」


 ぱしっと、片手で受け止められてしまった。

 あれ? この男、手加減してくれてる?


 いやまさか。


 ここまで殺意に満ち溢れた人間が、手加減なんてできるわけがない。

 それはずっとイジめられてきた俺が、一番よく分かってるはずじゃないか。


 受け止めた男の拳を、そのまま握り込んでいく。

 腕に付いてるギアが、ギチギチギチ、と音を立ててゆっくりと回っている。


「ぐあぁっ……! お、おい、離せ……!」


 アーマー越しに、骨がギシギシと軋む感触がする。

 男は俺の手から逃れようとして、必死にもがいている。

 ぱっと手を離したら男がよろめいた。

 追い討ちをかけるように腹に前蹴りを食らわせたら、フルスイングされたホームランボールみたいに吹き飛んでいった。


「ぐはっ……!」


 近くの木に背中を打ち付けて、だらりと力なく地面に倒れる。

 そして男は動かなくなった。


 とどめを、刺さなきゃ。


 ギチギチギチ、と腕の歯車が鳴る。

 まるで獲物を追い詰めた捕食者のように。


「た、助けてくれ……! 俺は人に言われてここにきただけなんだ! ただの仕事で、本当に、悪かったから……!」


 見ると、男の脚はおかしな方向に曲がっていた。


「知るかよ。お前、人にこれだけのことしといて、よく命乞いできたな」


 頭を鷲掴みにして持ち上げる。

 手と同じように、骨が軋む音がする。

 あぁ、このまま簡単に潰せるなと思った。

 でも、返り血を浴びるのは嫌だな——


 "あなたは今度こそ、戻れなくなる"


「……!」


 メイドさんのその言葉が頭をよぎった。

 懇願するようなあの言い方が、頭にこびり付いている。


「た、頼むよ。なぁ、出頭でも何でもするからさ、な? 命だけは」


 目玉がきょろきょろと、色んな方向を忙しなく向いている。

 俺もきっと、イジめっ子に命乞いしてた時は、こんな顔をしてたんだろうな。


「頼むよ、た、頼む、なぁ、おね、お願いしま——」


 ——俺は、アイツらと同格じゃない!


 頭を鷲掴みしたまま、ボールを投げるように近くの木に叩き付けた。

 喉を絞めるような呼吸の音を最後に、男は静かになった。

 失禁しながら痙攣している。


 あれだけの力を奮ったのに、呼吸一つ乱れていない。


「これが、キャンディーの力なのか……?」


 いったいあの謎の子どもは何者なんだろうか。

 とりあえず、棒を掴んでキャンディーを口から出してみる。


「……あれっ?」


 一瞬で変身が解けてしまった。

 慌ててもう一度咥えると、


「戻った……」


 一瞬で銀色のパワードスーツ姿に戻った。

 キャンディーを舐めてる間だけ、変身できるのか……?


 何だそりゃ。変な夢だ。

 まぁそもそも、俺が美少女になってる上に、熟女にときめかなくなって、子ども相手にドキドキするような変な夢なのだ。

 考えても無駄だろう。


 そしてそもそも、今はそれを考えてる場合じゃない。

 まずはこのメイドさんを、医者のところに連れていかないと。


 とはいえ医者はどこだ?

 ここはどこだ?


 さっきメイドさんが『なんちゃらの駐在所』と言っていたけど、聞き慣れないし聞き取れない名前だった。


 もし日本じゃないとして、何で俺はいつの間に外国にきてるんだ?


「……ダメだ、分からないことが無限に湧き出てくる」


 とにかく、まずは行動だ。


 ぐっしょりと濡れたメイドさんの体を抱きかかえる。

 呼びかけても返事がない。

 だけど、寒いのかぶるぶると震えているから、まだ生きてはいることは分かった。

 もしかすると怖いのかもしれない。


 メイドさんを抱きかかえて駐在所の方に歩き出した時、


「……待てよ?」


 ふと、足を止めた。

 駐在所に行って、何て説明をすればいい?


『高二の男だったんですけど川で溺れてる女の子を助けようとしたら女の子に生まれ変わってて、しかも何か海外っぽいし、しかも何か謎の子どもからキャンディーを舐めるように言われて舐めたら変身しちゃいました』


 ……って言うのか?

 不審者扱いされて、そのまま捕まるんじゃないか?


 そうなると、きた道を戻って森を出て、お城を探すべきなんじゃないか?

 お姫様とメイドっていうぐらいなんだから、お城的なものがあるはずだ。

 そこにいるのは、間違いなくこのお姫様の身内だろう。

 頼るべきは駐在所ではなく身内だ。


「そうと決まれば——」


 安心したからか、急に体が重たくなる。

 さっき治してもらったばかりなのに、もうケガをしている。

 でも、ケガの程度としては大したことがない気がする。

 なのに体が重たい。


 そういえば、このキャンディーは大事に使った方がいいんだろうか?

 万が一また敵に襲われたとしても、キャンディーがあれば応戦できるかもしれない。

 もう一度キャンディーを口から出してみると、さっきより小さくなっていた。


 とりあえず、今は使わずにとっておいた方がよさそうだ。

 ただでさえ重たい体を引きずって、能力を使わずに、メイドさんをお姫様抱っこする。

 その状態でお城を探すことにした。


      ※


 歩き出してすぐに森を抜けた。

 空は相変わらず青く、風も暖かくて穏やかだ。


 お城は探すまでもなく、目の前にそびえたっていた。

 石積みの、中世のお城のような外観だ。

 そんなお城の裏手にいるらしい。


「日本にこんな城があるのか……?」


 でもよかった、これで助かった。

 とりあえずこのお城の正面に回ろう。

 そして、中にいる人達に、このメイドさんを——


 かくん、と膝の力が抜けた。

 そしてそのまま——


続く

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