13
13
もう一人、キスしてほしい人がいる。
人生で言われてきた言葉の中でも、かなり上位に入る衝撃だ。
まさか生きている間にこんな言葉を聞けるとは……。
「その方は、お強いの?」
また可愛い女の子とキスができるという大興奮を抑えつつ訊く。
「ドルヴィ様も、霊獣級能力者です」
あぁ……。
確か俺とエイリーと国王夫妻以外に、この国にはもう一人、霊獣級の能力者がいる、みたいなこと言ってたな……。
ということはドルヴィちゃんは、俺と同じぐらいの強さの子なのか……。
「へぇ。その方はどんな能力なの?」
あぁ、とエイリーは表情を曇らせた。
「姫は、ドルヴィ様を覚えておいでではないのですね」
「あ、うん……その、記憶がね」
しまった。
エイリーの傷を抉る形になってしまった。
でも、今まで一回も名前が出てきてない子なのは確かだ。
「それにそもそも、姫はまだ当時、五歳でしたものね。覚えていらっしゃらないのも無理はありません」
……助かった。
いつこういう地雷を踏み抜くか分かったもんじゃないという恐怖は、どこまでも付いて回るらしい。
俺が実はパーチェちゃんではなくてただの他人だと知ったら、エイリーは、俺をいったいどうするんだろう。
……まぁ、今は考えないでおこう。
「うん、よく覚えてないなぁ。どんな方だっけ」
「ドルヴィ・エルズバーグお姉様は、先代国王……プリート様のお父様の遠い親戚に当たります」
あー、親戚なのか……。
エイリーから見てお姉様っていうぐらいだから、中学生とか、あっても高校生ぐらいか。
下手したら前世(?)の俺と同じぐらいの歳かもな。
ただあの綺麗な王妃の親戚ってことは、かなり期待できそうだ。
「ドルヴィお姉様は、その強力過ぎる能力をご自身で制御することができず、様々な国から永久国外追放を受けています」
「追放? 可哀想に……」
何となく、生前(?)の俺がフラッシュバックした。
イジめられっ子だったし、のけ者にされる辛さはよく分かる。
「本当に、可哀想なお方なのです。ですが、リベロ様がご慈悲で国の一部をドルヴィ様に分け与えたのです」
それ、言い換えれば『国の一部を分け与えてそこに隔離』ってことだよな……。
どんだけ危ない能力なんだよそれ……。
「お姉様はどういう能力なの?」
「ドルヴィお姉さまは、いわゆる『デュアルタイプ』です」
また新しい単語きたぞおい。
「何それ?」
「一人の能力者が、タイプを二つ持っているのです」
二つ、だと……?
何だそれ、ずるいぞかっこいいぞ。
ウィンドとフレアで爆炎風とか、そういうことだろ?
ずるすぎるだろ。
「そんなことあり得るの?」
「いえ、まずありません。非常に珍しいものです。デュアルタイプの能力者を、私はドルヴィ様以外で直接見たことがありません」
エイリーは少し自慢げに続ける。
「姫がナインとして覚醒し、ドルヴィ様がデュアルタイプで、国王ご夫妻も霊獣級。そして私はナイン、と……この国には属性神王級能力者や精霊王級能力者といった飛び抜けた存在はいませんが、王家関係者の持っている能力の平均値は、田舎の国にしては高いのです」
この子たまにドヤ顔するなぁ。
こういうところ、最高に可愛いわ。
やっぱり子どもっていいなぁ。
「ところでエイリー、ドルヴィお姉様は何と何のデュアルなの?」
実は今、俺達はあの質素だけどきれいな城にはいない。
俺とエイリーは湿地帯にいた。
足元がずぶずぶにぬかるんでいる。
腐った木が横たわってぐずぐずになっている。
お約束のように空が暗い。
紫色だ。
「お姉さまは、アクアとグランドのデュアルタイプです」
水と地面ってことか。
へぇ、と相槌を打ちながら、ずぶ、ずぶと足を運び──
「……」
ぬかるんでいる。
前を見ても後ろを見ても。
どこまでも。
「……ねぇ、もしかして『能力をご自身で制御することができない』っていうのは、これのこと……?」
どこまでも広がる、沼地。
見渡す限り沼地だし、これから進む方向は、ぬかるみがもっと酷くなっている。
「そうです。これがドルヴィ様の能力なのです」
この、広範囲の能力が?
おいおい、こんなの国で使ったら一発KOだろ。
大丈夫なのかこれ。
城も橋もずぶずぶになってまとめて沈んでいくぞ。
だから、隔離なのか?
これがパワータイプに変換されたら、いったいどんな能力になるんだろうか……。
キスのおまけで強い能力まで付いてくるなんて最高だぜ!
わくわくしながら重たい脚を動かしていると、
「……姫、申し訳ありません」
エイリーが脚を止めた。
「どうした?」
振り替えると、うつむいている。
「私は、ここまでしかお供できません」
「え? 何で──」
──あぁ、なるほど……と気が付く。
足元、水だらけだし、この奥はもっと酷いもんな。
気が付けば、少し青ざめているように見える。
「気付かなくてごめん。ここまで無理させてごめんね」
「いえ、申し訳ありません……私が不甲斐ないばかりに……」
「いいからいいから。じゃあ、帰ってきたらまたここで合流ってことでいい?」
「はい。明日の夕方頃までここで待ちます。それまでに帰ってこなければ、探しにいきます」
探しにいきますって言ったって、無理でしょうに……。
「分かったよ。明日の夕方までにはここに帰ってくるね」
「はい。このエリアで危険な獣や盗賊が出たという話はあまり聞いたことがありませんが、いざという時は……」
「いざという時は?」
エイリーは一度うつむいてから、しっかりと俺の目を見て、
「──相手を殺す、お覚悟を」
と、力強く言い切った。
「……うん」
まぁ、そうだよな。
そういう世界だもんな。
剣と魔法の世界はファンタジーだけど、そこにある人間の心はファンタジーじゃない。俺が元いた世界と同じなのだ。
危害を加えてくる人間がいるなら、その時は──
「じゃあ、行ってくるよ」
「えぇ、気を付けて。このまままっすぐ歩いていけば、昼前にはお姉様の家に到着できると思います」
※
エイリーの言う通り、太陽が真上に昇る前にボロボロの家に到着した。
距離はほとんどなかった。
だけど途中から本当に沼のように腰までずぶずぶと浸かるハメになって、到着が遅くなった。
ただひたすら、このまま底無し沼に沈んだらどうしようという恐怖との戦いだった。
とはいえ、能力を使って着替えて、沼から上がって能力を解除……ということを繰り返していけば、ほとんど服を汚さずに進んでいくことができた。
これはかなり便利かもしれない。
それにしてもさすがに疲れた。
ロリコンオウムの能力で、沼地を超えて空を一気に飛んでいこうと思ったけど、道中や帰りで何があるかも分からないし、『魔力欠乏症』になるのも怖い。
だからひたすら歩くしかなかったのだ。
可愛い子とキスができるということで、心の足取りはとても軽かった。
だけど、物理的な足取りまで軽くできるほど強靭な筋肉は持っていない。
俺もパワータイプの能力者として、体は鍛えないといけないな……。
でもこの可愛い子が筋肉ムキムキになるのは嫌だな……。
そんなことを考えながら、俺は家の前に立つ。
この苔むしまくりのボロボロハウスが、恐らくドルヴィちゃんの家だ。
いったいどんな子だろう。
可愛い子だといいな。
「ご、ごめんください」
若干緊張しながらドアをノックする。
「……ううむ、」
中から返事がない。
まぁいいや、入っちまえ。
身内だし怒られないだろ。
「し、失礼しまーす……」
と、一応申し訳程度に言いながら、湿った重たい木製のドアを開け──
「──ん!?」
中から七色の危険な煙と共に、何というか紫色をしてそうな強烈な臭いがどろどろと溢れだして押し流されそうになる。
そのどろどろした臭いの中にぴりっと、本能が『危険!』と警鐘を成らすレベルの刺激臭があって、目と鼻がつーんとする。
七色の不気味な煙が外に放たれて視界が晴れると、部屋の中に、何かが、いた。
全身を黒い布に覆われている、巨大な塊。
それが人だと分かったのは、土気色をした顔が、黒い布の間から覗いたからだった。
ぶよぶよとたるんだ顎が、少しずつ上がっていく。
あ、こいつ俺を見ようとしている。
じゃらじゃらじゃら、と、身に付けられた大量の宝石が鳴る。
「おや、」
その、何か──いや、もう認めざるを得ない。
ドルヴィ・エルズバーグは、濁った眼球で俺を見て、老婆のような声で言った。
「アンタ、プリートのところの坊やじゃないか」
──坊や。
俺のことを──お姫様みたいな見た目をした俺を確かに『坊や』と呼び、ドルヴィは虚ろな目で俺を見つめる。
おいおい、本当にコイツ、プリートさんの親戚なのか?
あんな整った人とこのデカいおばさんが、本当に血縁関係にあるのか?
「え、えっと、その……」
思わぬ事態にたじろいていると、
「あんた、一人でここまで来たのかい?」
意外と普通のことを訊いてきた。
「えっと、エイリーと途中まで……」
「あぁ、なるほどねぇ……それは『途中まで』になるねぇ……」
エイリーが水が苦手なことも知っているようだ。
だけど、そのことを馬鹿にしたようにも呆れたようにも、かといって哀れんでいるようにも聞こえない。
何とも不気味な口調だった。
その不気味な口調のあとに、ひゅお、という掠れた呼吸音が聞こえた。
ドルヴィは手首に付けた大量の宝石をじゃらじゃらとさせながら詠唱を始める。
大地と清流より生まれし
異形の力よ
我が深き絶望に応え
その力を顕現せよ
『絶望の終末』
魔女。
どう見ても魔女。
完璧に魔女。
雰囲気が百点満点だ。
怖くて臭くて死にそうだ。
あとデカい。
ほぼ白目を剥きかけていた俺の目の前に突然、この部屋とは不釣り合いな、綺麗な透明の水の球体が現れた。
サッカーボールほどの大きさのそれは、ドルヴィの顔より少し下に浮かんでいる。
その中にドルヴィは、どこから現れたのだろうか、スプーン一杯分ぐらいの、これもまた毒々しい七色をした砂をさらさらと入れた。
するとその砂が少しずつ人の形を作り始め──
「エ、エイリー!?」
水の球体の中にエイリーがいた。
徐々に形作られたそれは、
「おやおや、あの小娘も大きくなったもんだねぇ」
全裸のエイリーだった。
布で体を拭いている。
水が苦手なエイリー式入浴なのは分かるけど、エイリーさん、そこ外ですよ!
誰も通らないところとはいえ何してるんですか!
まったく、思わぬところでサービスシーンが入って、マイリトルサンが元気になっちゃったよ。
「まぁ、いい。ところでアンタ──」
その元気も、一瞬で消え去ることになる。
「──パーチェ姫じゃあ、ないね?」
固まった。
ドルヴィは、得意気ですらなく、虚空に呟くように言った。
でも、白く濁った眼球はまっすぐ俺を見据えている。
この世界にきて、あの謎の子ども以外に初めて正体を見破られた。
でもここで大人しく『はいそうです』と答える非常に危ない、とイジめられっ子の本能が叫んでいる。
抵抗しなくては!
「な、何を仰るんですかお姉さま。私は──」
「異世界の……しかもアンタ、男だね」
「oh……」
今度こそ完全に沈黙した。
「で? その体の両親は……国王夫妻は何て言ってるんだい?」
というか観念した。
「……何も……言ってないです……」
「あの小娘も気付いてないのかい?」
「エイリーも……多分……」
「呆れた王国だね。よくこれで国として体裁を保っていられるもんだよ」
えぇ、俺もそう思います。
俺の内心を見透かしたのか、ドルヴィはひっひっひ、と、本当にイメージ通りの魔女のような笑いをする。
しかし、やはりそこには感情がなく、バカにされている感じはしない。
「どうして分かったんですか……?」
ドルヴィにバレたということは、他の誰かにだってバレる可能性がある。
それを未然に防げるのならば防ぎたい。
「そりゃあ、私は魔女だからねぇ……沼地の魔女、ドルヴィ・エルズバーグだからねぇ……」
ひっひっひ、と笑う。
だけど俺の願いは届かず、ドルヴィは意味の分からないことを言って笑うだけだった。
「それで、元の姫の魂はどこにいったんだい。どこにも見当たらないねぇ」
もうどうすればいいか分からなくなってきて、すべてを白状することにした。
「分かりません。ですが……前の世界で、その……」
まぁ『ウキウキ熟女ウォッチングをしていた』とは言えないから、少し考えてから答える。
「……川で溺れました。恐らく前の自分の体はすでに死んでいて、どういうわけか魂だけがこの世界にきて、この体に入って、この体の持ち主を追い出してしまったみたいなんです」
「ひっひっひ……魂から感じられるオーラは下品なものだが──」
おい、何か失礼なこと言ってんぞこのデカババァ。
「──頭は悪くない。概ね正解さね」
「は、はぁ……」
じゃらじゃら、と大量の宝石が鳴る。
「あんたの推測はほぼ合っているよ。きっとね。ただ、何であんたの魂がこの世界にきたのかとか、元のパーチェ姫の魂がどこにいったのかとか、そういうことは私でもまるで分からないねぇ」
水晶の中で、七色の砂がぐるぐると渦を巻いている。
「で?」
ずずず、と巨大な顔が俺を捕捉する。
「今日はここへ、何をしに来たんだい?」
──!?
ビキッと表情が固まる音がした。
キスだ。
キスをしにきたんだ。
能力をもらいに。
いや、違う。
あくまでもキスがメインで、能力はオマケに過ぎない。
この化け物キスだと?
冗談じゃない!
肉体的にも精神的にも死んでしまうわ!
「いやぁお姉様にご挨拶をと思いまして! 長居もご迷惑ですしもう帰りますね! では!」
一切無駄のない動きで華麗に飛び上がってワンステップでドアに手をかけて──
「──お待ち」
体に何かがねちょべろりと巻き付き、お香がどろどろと臭う部屋に戻された。
ねちょべろりの出所をたどると、
「ひっ……!」
そこにいたには、巨大なカエル──
土でできたカエルが、水気を帯びている。
土と水。
見事な、デュアルスキルだ。
「あんた、いくつだい?」
「九歳……ぐらいですかね」
そういえばパーチェちゃんって何歳ぐらいなんだろうか?
エイリーに訊くのも怪しいし、知りようがないな……。
「違うわよ。あんたの魂の話だよ」
「え? 十七才ですけど……」
自分の魂が十七歳という事実に、もう違和感すらある。
慣れっていうのは怖いな……。
ドルヴィは水晶を覗き込んだまま、
「へぇ……このメイドは十二歳」
と呟いた。
「……はい?」
「あの小娘は十歳、そしてこの小さい子は……八歳ぐらいかね」
この辺りで気付いた。
「え、あ、その、もしかして」
ジーナが十二歳。
エイリーが十歳。
カリーノが八歳……ってこと……?
もしかして、ウキウキでキスしてたのがバレてる……?
「なるほど。それは魂が下品に香るわけだわよ。いい歳した男が、こんな小さな女の子に……みっともない」
「え、いや、それはですね……」
「『歳の近い子ども同士だからいいだろう』って言うんだろう? それは分かる」
じゃあいいじゃねぇか、帰してくれ。
「あんた、この子達とはキスをしたのかい?」
──バレてた。
ドルヴィは、俺のポーチをちらりと見る。
あ、これ俺の能力まで全部バレてるな……。
「キ、キスなんてしてないですよ!」
可愛らしい声が無様に裏返る。
「ふぅん……そうかい」
ドルヴィは俺のあからさまな嘘を追求する様子もない。
その代わり、じゃらじゃら、と宝石を鳴らして続ける。
「してないだけで、随分としたそうな顔をしているねぇ。だけどあんた、中身は十七歳じゃないか。子ども相手にキスをしたがるなんて、特異な性癖だねぇ」
「いや、えっと……」
「とはいえ、人の性癖をとやかく言うつもりはないよ。人間が人間を好きになること、それ自体はいいさ」
おっ、そうだよな!
ドルヴィお姉様、いいこと言うわぁ!
「ですよね! じゃあ帰ります!」
華麗なステップからのねちょべろり。
二回目。
「だからお待ち。あんた、ここには私の能力を手に入れるためにきたんだろう?」
能力を、手に入れるため。
つまりは、キスをするため──
じゃらららら、と音がする。
部屋の中が暗くなる。
ドルヴィが立ち上がった。
天井まで頭が付きそうだ。
大きな体に煽られたねっとりとした空気が、俺の顔面をべろりと舐める。
「さぁ、私のこの、最低最悪のおぞましい能力──『絶望の終末』を、あんたに分け与えようじゃないか」
「え、いやー、その……」
だめだ。
まったく言葉が思い付かない。
『お前は死ぬ』という強烈な警鐘だけが鳴り響き続けている。
「人間が人間を好きになることはいいことさ。だけど、食わず嫌いはいけないねぇ」
隕石のような顔が、ずずずずず、と迫ってくる。視界の九割がドルヴィで埋め尽くされる。
光が遮られて視界が暗くなっていく。
恐らく、いや、間違いなく未来はもっと暗い。
これが本当の『絶望の終末』ってか。
やかましいわ。
顔が。
顔が! 近い! お、おい、嘘だろ! おい! バカバカバカ! やめろ、やめろ! やめ──
「──大人の女の魅力、教えてあげるわよ」
「う、うわ、うわぁあああああああああああ!」
沼地に、鋭い絶叫が響き渡る。
「おいで、坊や」
そして、俺は死んだ。
続く




