18話 ~休日の夢~
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秋が訪れ、少しずつ日の出は遅くなってきていた。少し前までは日が登っていたこの刻も、今ではまだ半分も登っていない。シアーは明かりをつけ朝食の支度にかかる。数日の入院が原因で目ぼしい食材は少なく、片手間に作った乾物が保存庫を占めている。そろそろ買い物もしなければ。適当に食材を取り出しながらそんな事を思う。
外からは乾いた音が響いた。鎧戸を開けば音は更に大きく、「ふっ!」「せやっ!」と短い叫びも聞こえてくる。
くすり。と、シアーは微笑む。タクミとヒカルだ。彼らがこんな薄暗い早朝から稽古をやっているのだろう。特に最近のタクミは、暇を見つけてはロインのいる兵舎にまで足を運んでいる様だ。
それを始めた理由はおそらく自分だ。申し訳なさに表情が少し沈む。もっともそんな事を言えばあの捻くれ者は、
「別にお前の為じゃねぇよ」
と言うだろうが。それが容易に想像できた。
窓から風が吹き付けた。その冷たさに「わっ」と小さく驚く。両腕を抱き、僅かに身を震わせた。そろそろ羽織る物でも必要だろうか。
そうだ。何かを思いついた。まだ朝食の支度には少し早い。彼女は食材を保存庫に戻すと、部屋の奥から薬箱を持って外に出るのだった。
「おおぉっ!!」
タクミの短い叫びと共にナナシが振り下ろされる。それをヒカルが木剣で受け止める。随分と軽い一撃だ。狙いはおそらく―。
「せやっ!」ナナシを素早く持ち上げ、今度はヒカルの胴を狙って素早く薙ぐ。それもヒカルはやはり木剣で受け止めた。
ヒカルは剣を返しナナシを弾く。その隙にタクミの懐に潜り込む。鼻先に木剣を突き付けた。
「勝負ありだな」
ぐぬ。と悔しそうに歯噛みするタクミをヒカルは笑いながら見る。
「一撃に緩急をつけるのは良いけど、懐に入られないようにしないとな」
「ちっ、うるせ」
不貞腐れた様にそっぽを向くタクミ。まるで子供の様だ。ヒカルは笑いを堪えながら背を向けた。タクミはニヤリと笑った。まるで悪戯を思い付いた子供の様だ。ヒカルの背中に気配を殺しつつ近づき―。
「隙ありっ!!」
「…甘い」
タクミの一撃を難なく躱すと、彼の脳天に木剣が降り下ろされた。小気味の良い音が夜明けの空に響いた。
「ぬおぉっ…!」ナナシを放り出し、珍妙な唸り声と共に頭を押さえ蹲る。どうやらヒカルの一撃は容赦が無かったらしい。
あのな。と呆れた目でタクミを見た。
「隙を狙って大声出してどうする?」
「ぐっ、うるせ」
恨みがましい目でヒカルを見るが、彼の態度はどこ吹く風だ。
まったく。と溜息を吐いた。だが同時に少し嬉しくも思う。その理由は一つ。タクミの心が随分開かれている気がするのだ。少し前までは早朝の特訓はしてもそれ以上は踏み込んでは来なかっただろう。だが今はどうだ。だからこそ自分も心を開くことが出来るのだ。もっとも―。
「ぬおりゃぁ!!」
「…甘いって」
「これなら!」
「…まだまだ」
「ぬがぁぁっ!!」
一撃ごとに殺気が増えていく気がするのは気のせいだろうか?
大きく息を切らしながらタクミは大の字で地面に寝ていた。何だか似たようなことを前にもやったような気がする。そんな事を思いながらタクミは上半身を起こした。その視界に入ったのは一体何時からいたのか、シアーの姿だ。
「ふふ。大丈夫ですか?」
薬箱を持ちながらこちらへと近づいてきた。タクミに視線を合わすと手際よく彼の具合を見る。擦り傷こそあれど、怪我らしい怪我は見当たらない。これくらいなら薬箱の出番は無さそうだ。兄が上手く手加減をしてくれたらしい。
「あまり無理をしては駄目ですよ」
やんわりと注意するシアーに、タクミはバツが悪いのか苦い顔をした。
「…おう、善処する」
と、捻くれた答え方をすれば、
「はい、そうして下さい」
遠慮なく言い返された。どうやら彼女もタクミの扱いに慣れてきた様だ。くくっ。とナナシの笑い声が聞こえた。
「なんだよ?」
(いい具合に尻に敷かれてるなって思うてな)
「あん?」
(照れんでもいいがな。あの時言うてたやん、俺のものを傷つけてって)
「ん。何の事ですか?」
シアーが小首を傾げながらナナシに尋ねる。ナナシはさらに機嫌よく、
(あぁ、相棒の事や。あの時嬢ちゃんに―)
「おっと。手が滑った!!」
タクミが思い切り地面にナナシを叩きつけた。(ふべっ!!)と叫びが聞こえたが彼は気にすることなく、更にナナシを何度も踏みつける。
「いかん、今度は足が勝手に!!」
(やめっ!!止めて!分かった。もう言わんから!!)
ナナシの悲痛な叫びが明け方の空に響くのだった。
朝食が済めばヒカルは所用があると出かけて行った。そしてタクミはいつもの様にシアーの買い物に付合っていた。一人行動は許されたものの、その範囲は制限されている。その為、シアーかヒカルについて歩くのが彼の日常になっていた。
「えぇと、あとはこれを下さい」
野菜を手に取ったシアーに、これも持って行けと他の野菜も彼女の細い腕に乗せていく。
「あいよ。シアー様、これもおまけだよ」
「わっ。あのこんなに頂く訳には…」
「いいから持っていきな。食い扶持が増えて大変だろう」
タクミの方を見ながら、にかり。と嫌味の無い笑みを店主は浮かべた。タクミは溜息を吐くと、
「オッサン。そんなに持てねぇよ」
「だからお前さんがいるんだろ。それとも何か、ただシアー様に付いているだけか?」
仕方が無いな。小さく悪態を吐くと、シアーの腕からやんわりと食材を取る。どうだと店主を見れば、彼は満足そうに頷いた。
「お。それでこそ男だ」
がはは。と笑うとタクミの腕にもう一つ野菜を置いた。大きな南瓜は相応に重く、タクミは小さくよろめいた。
「…オッサン。この店潰す気かよ?」
半眼で睨む。この店はどうなっているんだ。支払った金額以上の物が腕の中にある。
「心配しなさんな。ちゃんと稼いでいるさ」
そこに他の客もやって来た。俄かに忙しくなってきた店先に長居するのも良くない。タクミは軽く手を振り、シアーは丁寧に頭を下げその場を後にした。
「すみません。少し寄りたいところがあるのですが…」
「あぁ良いぜ。また孤児院か?」
「いえ、今日は―」
一心教の神殿。そこを更に越えて行けば、静かに石碑が並ぶ場所が。墓所だ。二つの花を手にシアーが一つの墓の間に膝を突く。そっと花を添えると、微笑みながら墓に語り掛けた。
「母様。お久しぶりです―」
自分の近況を丁寧に語る。死者は何も言わない。だがそこに語るというのは自分の心に語り掛ける事なのだ。そして心の中を整理し、新たに一歩を踏み出す。一通り語り終えると、
「―また来ますね」
お待たせしました。後ろに控えていたタクミに振り向き、立ち上がる。
「お袋さんの墓か?」
「はい。季節が変わるので挨拶をしておこうかと」
「そうか。ところで…」
シアーの手に持った花を見た。一つはこの墓に供えた。ならばもう一つのその花は何に使うのだろうか。
「この花ですか。これはもう一つのお墓にお供えしようかと」
二人連れだって歩けば墓地の外れに小さな墓があった。
「本当は本来のお墓に返してあげたかったのですが」
その小さな墓に先ほどと同じように膝を突き、花を供えた。この墓は?とタクミは聞かない。これが誰の墓か分かったからだ。目の前で死者を悼むこのお人好しは想像通りの事をしていた様だ。
「あのアンデッドの墓か」
「はい。ここなら少しでも静かに眠れるのではないかと思いまして」
シアーはかの骨騎士を浄化した。それは彼の心に触れた彼女だからこそできた奇跡の様なものだ。だからこそ、その心は彼女しか知らない。
シアーの隣に膝を突くと、ぱん。と両手を合わせた。その小さな音にきょとんとした表情でタクミを見た。
「俺の世界の作法みたいなものだ」
くすり。と笑うとシアーは両手を握り、二人がそれぞれの形で悼む。しばらくそうしていたが、やがてどちらともなく立ち上がった。
「そろそろ帰るか?」
「そうですね」
また来ますね。墓に語りかけた時だ。ざぁ。と小さく風が吹き抜けた。供えられた花から花弁を一片舞い上がらせた。そして空へと消えていったのだ。
―テメェ。シアーに感謝しろよ?
消えていく花弁を見ながらそんな事を思う。彼の魂はきっと静かに眠っていることだろう。
自宅へと戻った刻限はまだ昼前といった辺りだ。これならあそこに行けるか。そう思えば行動は早い。シアーに出てくると伝え、ロインのいる兵舎までやって来たのだ。
「よう。邪魔するぜ」
手慣れた感じで中に入れば、屈強な男達がタクミを迎え入れた。
「おう、坊主。また来たのか」
「ロインのオッサンは?」
「ロインさんなら今は留守だ」
何だ、空振りかよ。仕方が無いので空いている席に適当に座った。その様子を苦笑しながら男達が見る。
「ったく、太々しいな。ちぃとは遠慮しろよ」
口ではそう言うが表情はそれとは真逆だ。タクミの横に座ると、
「んで今日もロインさんにやられに来たのか?」
「あん?勝ちに来たんだよ」
その言葉に全員がどっと笑い出した。皆タクミがロインに負け続けていることを知っている。その上で未だその減らず口を叩くのだ。まったく面白い奴だ。
「大体お前等、俺やヒカルを嵌めようとしたこと忘れてねぇぞ」
タクミが不機嫌そうに呟く。彼はこの世界に来て間もなく、ロインと戦っていた。その時は奇跡的にタクミが勝利したのだが。その時の一党の中に彼らが数人いたのだ。
「おう。それは済まないって謝ってんだろう」
そう言ってタクミの背中をばんばん叩く。遠慮のない衝撃にタクミは止めろ。と表情を歪める。彼等は遠慮無く力を込めるのだ。まったく堪ったものではない。
「済まん、済まん」と彼等は大きく笑った。
未だ恨みがましく半眼で睨むタクミの姿を、目を細めて見やる。実際大した奴だと思う。
「オッサン。また鍛えてくれ」
そう言ってやって来て数日が経つ。少し前もロインに稽古をつけて貰っていたようだが、今では本格的に鍛えて貰っているのだ。
初めての時、彼はロインにあっさりと負けた。当然だ。実力の差が開き過ぎている。何時かの様なまぐれ勝ちがそう何度も起きる訳がない。
もう来ることは無いだろう。皆がそう思っていた。だが、
「今日も頼むぜ」
翌日も来たのだ。その次も。めげずに何度も何度も―。
いつしかその光景に自分達の心が奮起していた。兵士である自分達は魔法士の盾としての役割しかない。その事実が士気を下げ、腐りかけていたのだ。
しかし自分達よりも歳も、実力も下の少年が諦めないのだ。その姿に一人、また一人と皆がタクミを認めていくのにそう時間はかからなかった。
「そうだ。ロインさんの代わりに俺が相手してやるよ」
名案とばかりに彼が立ち上がると、続けてタクミも、
「はっ。徹底的に叩きのめしてやるよ」
と、不遜な態度で立ち上がった。
結果から言えば、叩きのめされたのはタクミだった。
「はっはっは。済まなかったな坊主」
「ぐ、うるせ」
からから笑う兵士に息も絶え絶えの地面に仰向けに寝るタクミが睨む。今日はこんなのばかりだな。と思うが、自分の実力の結果なのだ。
「…今度は負けねぇからな」
恨みがましそうにタクミが言うが、その言葉を聞いた兵士はふと眉を下げた。
「今度、か…」
「どうしたよ?」
様子がおかしくなった兵士に起き上がりながら尋ねる。
「おう。俺達はしばらく留守にするんだ」
「どういうことだよ?」
「俺達は皆バーチに行く」
その言葉にタクミは眉を顰めた。バーチ。かつて訪れたあの場所の事を思い出した。あそこは隣国との国境沿いにある地区だった筈だ。そして両国は緊張状態にあった。つまり―。
「…戦争になるのか?」
「へっ、心配すんな。そうならないために俺達がいるんだろ」
タクミの不安を吹き飛ばすように、彼の肩をまたしても、ばしばし叩く。今度は止めろ。とは言えなかった。
「ちゃんと帰ってくるんだろうな?」
「当たり前だろ。俺達はロインさんの直属だぜ」
そう、自分達はロインの部下だ。それを思い出させてくれたのもタクミだ。
この少年に出会ってから、ロインはまるで重荷から解き放たれたかのようだ。
かつてロインがヒカルを暗殺する命を受けていたのは皆薄々感づいていた。だがロインが何も言わない以上、自分達が聞く訳にもいかない。聞き出せばそれは彼等にもその責を負うことになってしまう。
だがそれは、今考えれば都合の良い逃げだったのだ。ロインのその心に付け入り、彼に向き合わない為の。
しかし今は違う。この少年に何時までも頼れるものか。何故なら自分達は兵士だ。誰かや、何かを守るためにこの道を選んだのだ。だから―。
「今度は俺達の番なんだよ」
不敵な笑みを浮かべながらタクミの傍を離れた。兵士が皆揃ってタクミを見る。彼等の目には不安や恐れはない。あるのはこの国を守るという自負だ。そこにかつて沈んでいた、腐っていた彼等はもう何処にもいない。だからタクミは頷きこう言うのだ。
「だったら、とっとと行って帰って来いよ」
「あぁ、任せとけよ」
翌日、兵士達は発った。
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