19話 ~悪魔の森 その1 森の民~
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「ふむ、こんなものか」
文をしたためた手紙を見やり、ロインは一息つく。またしてもヒカル、シアー、タクミの三人に勅命が下った。今回も同行するつもりだったがバーチ地区の緊張がさらに高まり、ロインはそちらに出向くことになったのだ。
そこで自分の旧知の友に助力を請う手紙を書いた訳だ。そこでふと気づいた。自分が彼らを心配していることに。
「馬鹿なことだ」と自嘲気味に笑った。かつて王の命に従うまま彼らの命を狙った、自分がそんなことを思う資格は無いというのに。
ドアが静かに鳴った。向こう側から「あなた」と静かな声が。自分の思考を打ち消すように「開いているよ」と返事をした。
姿を見せたのは共に在ることを誓った女性とその結晶である最愛の娘だ。「おいで」と娘を抱き上げる。少し恥ずかしそうな娘は抱き上げられ、満面の笑顔になった。
「ふふ。前に比べて随分懐く様になったな」
「そうですね」妻が微笑む。
「少し前のあなたは何処か思いつめていたようでしたから」
「む。そうか…」
「でも今のあなたは険がとれたようですよ」
「そうか。そうだな」
きっとその原因はあの捻くれ者だろう。随分大きな借りが出来たものだ。
妻を見た。眉尻を下げ、憂い気な表情は時が来たことを教える。
「支度は出来ていますよ」
その声は僅かに震えていた。無理もない、彼がこれから向かうのは戦地なのだ。帰って来ることは無いかもしれない。いくら熟達の兵士でもそれはいずれ等しく訪れるものだ。
兵士の妻である以上それは覚悟の上だろう。
それを知っているからこそ彼は妻を抱き寄せこう言うのだ。
「大丈夫。必ず帰ってくるよ」
いつか自分は罰を受ける日が来るだろう。だからこそその日まで生き抜かねばならない。
家族の為にも―。
それはそれとして、手紙を見た。果たして彼はあの三人と上手くやれるだろうか。
はぁ、はぁ、はぁ―。
息が荒く体力の尽きた身体は休息を欲する。だが彼女は止まらない。止まれないのだ。
左手で右肩の傷を押さえるが、手の隙間からは血がどんどん溢れ旅装束を染め上げる。
右腕の感覚は鈍い。走る体力さえ残っていない彼女は足を引きずる様に歩くのが精一杯だ。
―何故こんなことに。
彼女の背後に鋭い風切り音が聞こえた。刹那、鋭い痛みが右足を襲った。
「あぅっ!?」小さな悲鳴一つ、痛みにより力の入らない足は彼女を支えられなかった。足がもつれる様に倒れこむ。
「うぅ…」立ち上がろうとするが足が上手く動かない。見れば深々と矢が刺さっているではないか。盛り上がった肉は矢を引き抜くことを妨げる。ならば、と這いつくばってでも進もうとする。誰かに知らせねばならない。
そうしないと仲間の死が無駄になってしまう。
気のおける仲間達だった。彼等は流浪の旅人として、様々な国々を旅をしてきた。その時々で誰かを助けることもあった。小さな村や、街かもそうだ。それらの経験は彼らを強くし、周囲に名を知らしめるまでになった。
そんな彼等に久方ぶりに大口の仕事が舞い込んだ。この国からある森の調査を頼まれたのだ。
「へぇ、これが今回の仕事?」
宿の一室で彼女が書類を斜め読みしながら、隣の仲間へと渡す。随分割のいい依頼だ。最後に受け取った武僧がそれを読み終えると、それを燃やした。国からの依頼は証拠を残さないようにしているのだ。
「ま、油断は禁物じゃがの」
武僧が呵々と笑い、禿頭をぼりぼりと掻く。
「で、いつから行くんだ?」
その横で槍の手入れをしていた男が獰猛な笑みを浮かべて聞く。
「出立は明日。それまでに準備を終えろ」
皆の視線を一つに集める赤髪の剣士が冷静に言う。おそらく頭目だろう。誰も異を唱えず、それぞれの部屋へと戻って行った。
そんな彼等に油断は無かったのだ。しかし―。
あの森はおかしかった。調査を始めてしばらくのことだ。異常な量の魔物が現れた。その中には森に住まうはずの無い魔物もいたのだ。
いくら腕の立つ彼らてと数には敵わない。まず始めに頭目たる赤髪の剣士がやられた。続いて壮年の武僧が魔物の影に飲み込まれた。
「行け!!」と彼女に叫んだのは槍使いだ。彼は少し笑うと魔物の影の中に突撃していった。
その後の事は分からない。おそらく彼も―。
ならば自分の役目は逃げてこの事を依頼主に知らせる事だ。
だがその役目も果たされることは無いだろう。彼女の背後に数体の魔物が迫っているからだ。逃がさないと確信しているのだろう、その足取りは酷く緩慢だ。
屈強な身体ははち切れんばかり。まるで鍛え抜かれた戦士の様。人と違うのはその身体が毛に覆われ、頭が猪であったということか。
―オーク。彼女の口が小さく動いた。
緩やかに近づいてきたオークは歪んだ笑みを浮かべ、汚らしく涎を垂らしている。これからこの人間を好きに弄べるのだ。生きたまま肉を喰らおうか。それとも壊れるまで嬲ろうか。どちらにせよ彼女に未来は無かった。
ゆっくりと近づく腕に恐怖を覚え、ぎゅっ、と目を瞑った。
彼女の傍を風が吹き抜けた―。
オークの腕は彼女を掴むことは無かった。
恐る恐る目を開けば、彼女を庇う様に一人の少年が剣でオークの腕を受け止めていた。
「おぉ!!」裂帛の気合と共に繰り出される剣筋は彼の目とよく似て真直ぐだ。
背後に控えたオークの一体が弓矢を構えた。自分の足を射たのも恐らくこのオークか。
危ない―。
叫ぼうとしたその時だ。「はっはぁ!!」珍妙な笑い声と共に、また一人の少年が傍を駆け抜けた。
手に持った棒を振り下ろし射る直前の弓矢を落とす。なんとなく捻くれた印象を受けるのは気のせいだろうか。
「もう大丈夫ですよ」
自分のすぐ後ろから柔らかい声が聞こえた。華奢な体つきをした少女だ。腰まで伸びた亜麻色の髪が風で揺れる。自分を優しく見つめるその目は一人の少年と似て真直ぐだ。
少女は膝を突くと彼女の右肩に手をあてがった。淡い光が傷口を包み込む。傷の塞がりこそ遅いものの痛みがゆっくりと引いていく。
「たいしたものだね」
透き通る様な声が聞こえた。驚いてそちらを見ればいつからいたのだろうか、一人の美丈夫が。
整った顔立ちに、少女と同じくらい長く伸びた金髪は日の光を受けて輝いている様ではないか。彼の眼光は鋭く、凛とした空気を纏う。そして尖った耳は人ではない事を示している。
彼女は覚えがあった。
エルフ。森の民と云われる種族だ。人前に滅多に姿を見せない彼等はあまり人を好いてはいない。かく言う自分も数年前に一度見たきりだ。
彼は仰々しく少女の手を取った。まるで芝居を見ている様だ。
「うん、素晴らしい魔法だ。これだけの回復力、人族では中々のものだよ」
その口調は軽薄そのもの。凛とした空気も何処へやら、だ。
「え、あの…戦闘中ですよ?」
少女が困ったように身を捩らせる。この状況に慣れていないのか頬が幾分赤い。もっとも自分もエルフの彼に手を取られてあしらうことは―多分無理だ。
「テメェ!戦え、この野郎!!」
捻くれた少年の怒鳴り声が響く。対峙するオークは弓を捨て、石斧に持ち替えている。石斧が振るわれた。こちらを見ていた少年は慌てて体を捻り回避する。
捻った身体を戻す勢いで棒を突いた。オークの胸元に当たるが、その程度では痛痒にはならないのか平然としている。
少年は苦い顔をしたと思えば、いきなり棒に向かって文句を言いだしたではないか。
もう一人の少年は「またか」と半眼で呟き、少女に至っては「あはは…」と頬を掻きながら乾いた笑いを出すだけだ。
その隙をオークは逃すはずもなく、石斧を真横に振う。
「うおっ!?」と短く叫び頭を下げるとほぼ同時に石斧が走った。黒い髪の毛が数本宙を舞う。
見ていて危なっかしい。おおよそ戦闘には向いていない性質の少年だ。
「…いいの?」
放っておいて?そう瞳が語っているが、エルフの彼は気にも留めず、
「構わないさ」
と言ってのけた。だが彼の視線はあの二人から外れることは無かったのだが。
二人の少年が背中合わせにそれぞれのオークと対峙する。彼らの声が風に乗ってやって来た。
「ヒカル、いつものあれで行くぞ?」
「わかった。でも、大丈夫か?」
「…多分な」
タクミはこちらを見た。正確には彼―エルフの美丈夫―を見たのだろう。その視線は恨みがましい。だが彼は飄々と肩をすくめるだけだ。
「僕は後衛職だよ?前線に出てどうするんだい?」
タクミはこれ見よがしに舌打ちをし、ヒカルと呼ばれた少年と共に「行くぞ」と駆け出した。
「あの、いいんですか?」
おずおずと言った感じで少女、シアーが問いかけてきた。彼は微笑みかけると、
「もちろん。僕はロインではないからね」
「でも、それだとアルカリオさんが…」
「ふふ。アルカでいいよ」
シアーの心配をよそにアルカはその態度を崩さない。そして戦闘中の二人を改めて見やる。
ヒカル。真直ぐな瞳とその剣筋はとても分かりやすい。
「彼はまるで太陽だね」
これほど真直ぐな人物は例えエルフであってもそうはいない。
美しいものをこよなく愛するアルカにとって、どこまでも真直ぐなヒカルは好感を持つには十分なのだ。
「そして彼がタクミ、か―」
意思持つ武器―神器―を持つ異邦者。そして『聖なる御業』を持たない唯一とも言える異邦者でもある。
彼の戦いぶりはまだまだ素人臭さが抜けない。それは彼自身も十分に承知しているのだろう。遮二無二突撃しているように見えるが、自身を囮にして、ヒカルが戦いやすいよう上手く立ち回っている。
「面白い少年だね」
ロインから受け取った手紙にはタクミの事がよく書かれていた。目が良い。機転が利く。捻くれ者。そして彼を気にかけてやってくれと。
あのロインがそこまで気にかけるのだ。興味が生まれた。だからこそ自分は森の奥から出て来たのだ。勿論、人と関わるなどと他のエルフは良い顔をしない。だが彼にとってそんなことは問題ではないのだ。
タクミがオークに突撃する。オークが石斧を振り上げ、タクミの脳天を捕えた。渾身の力で振り下ろされた石斧は、タクミの頭蓋を跡形もなく潰す。それに臆する事無く、寸前まで引き付ける。
―ここだ!
タクミの足は地を蹴り半ば無理矢理に横へと飛ぶ。頭蓋を捕らえたはずの石斧は空を切った。
だが無理が祟ったのだろう。躱しきれずタクミの身体が石斧で僅かに抉られる。鮮血が空を舞う。しかしそれに構うことなく倒れこんだタクミが叫んだ。
「ヒカル、今だ!!」
タクミから数舜遅れでヒカルが突撃する。オークは振り下ろした石斧を持ち上げようとするが、渾身の力で振り下ろしたそれはすぐには上がらない。
オークが見開いた眼が最後に見たのはヒカルの剣閃だった。
「ふふ。ご苦労だったね」
アルカが手を打ちながらタクミとヒカルの二人に近づいてきた。纏う空気は相変わらず軽薄そのもの。二人はアルカを半眼で睨むが、彼はそれに構わず、
「さて、君たちの実力は大体わかった。後は僕に任せると良い」
倒れたオークの先を見ればもう一体控えているではないか。そのオークは薄く笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「馬鹿野郎。お前に任せられるかよ」
ここまで全く戦闘を躱し続けてきたのだ。今更戦うと言われても信用できない。それに死なれても迷惑だ。
決して浅く無い傷から出血を続ける身体を鞭打つようにタクミは立ち上がろうとする。
「よしたまえ。その傷は無視して良いものでは無いよ」
「うるせ。これくらい大したことねぇよ」
「仕方ないね」
アルカはふぅ、と息を吐くとタクミを片手で引きずり倒した。あまりに突然の出来事にヒカルとシアーは目を丸くし、タクミに至っては何が起きたか思考が追いつかないようだ。程なく思考が追いつくとタクミの目は怒気をはらむが、アルカは涼しげに受け流す。
「シアー。彼を頼むよ」
慌てたように「は、はいっ」とタクミに駆け寄る彼女を尻目にオークへ相対した。
「やぁ、待たせたね」
言うや否や、流れる様な動作で弓に矢を番い放った。矢は真直ぐにオークの肩へと突き刺さる。だがそれがどうしたと言わんばかりに無造作に矢を引き抜いた。力任せに引き抜かれた鏃は傷口を抉るが、周りの肉がそれを絞め塞ぐ。
オークの醜悪な笑みが次はこちらの番だと腰の獲物に手を掛けた。引き抜かれたのは巨大な鉈。同時にオークの巨体から禍々しい気配が膨れ上がった。
「ふふ。随分やる気じゃないか」
アルカの脳天をめがけ力任せに鉈を振り下ろした。後ろに飛び退くが叩きつけられた鉈は地面を抉る。持ち上げられたそれは土が付着し、刃部は歪に欠損を起こしている。ここまでの怪力であれば、刃の有る無しなど関係ないのだろう。
それよりもこの異常な気配だ。
「――ッォ!!!」
醜悪な雄叫びを上げた。空気を震わすほどの大声は、かつて上位魔族と化したガーゴイルと戦ったあの三人でさえ息を呑む。
―やはりね。
このオークは上位魔族として覚醒しかかっているのだ。ならば時間を掛ける訳にはいかない。
「少し本気を出そうか」
アルカは走り出した。対するオークはアルカを間合いまで十分に引き付ける。彼の身体が間合いに入った。瞬間オークは鉈を横に薙ぐ。勢いに乗った鉈はアルカを確実に捉え、その身体を別とうとした。
「――!?」
オークの目が驚愕に見開いた。切った感触が手に伝わらず、あまつさえ切り裂いたアルカが消えたのだ。だがそれより―。
「…すごい」
ヒカルが呟いた。オークの周りには十を超えるアルカがいたのだ。その全てのアルカは弓矢を番え、鏃の先はオークを指し示す。全ての矢が放たれた。
「―――!?」
四方八方から矢がオークを貫かんとする。オークは鉈を振り回しその矢を叩き落そうとする。一本の矢に鉈が当たると先程のアルカの様に矢が消えた。瞬間オークは理解した。
これらはすべて幻なのだ。ならば本物は一本のみ。恐れることは無いとばかりに力を抜けば、矢が胸に刺さった。僅かな衝撃と痛みに表情を歪めるが、これで奴の場所が分かったのだ。矢筋を辿れば一人のアルカが。間違いない奴が本物だ。
「へぇ。流石に賢いね」
特に慌てることもなく、口調はやはり軽薄。だがその目と気配は鋭く砥がれた刃の如し。
―この一中で決めようか。
十二分に引き絞った弓はきりきりとしなり、鏃は淡く光る。力を溜め込んだ矢は放たれ、ひょう、と甲高い風切り音を響かせる。
その矢は先に刺さった矢に当たった。継ぎ矢となってなお止まることなく先の矢を裂いて進む。鏃が二つ連なりオークの身体を射抜いた。
「――ッ!!??」
直後にオークに異変が起こった。全身を焼けるような痛みが襲ったのだ。鉈を落とし足掻く様に苦しみ倒れこむ。
するとオークの身体がぶすぶすと、焼けてきたではないか。身体の至る所から黒煙を上げ、やがて息絶えると同時炎が上がった。
―灰となって再び輪廻に戻らんことを。
エルフ特有の祈祷を捧げ、灰となったオークから一つの鏃を取り出し大事そうに道具袋へ仕舞った。
―ミスリル銀の鏃。破魔の力を持つこの鉱物はエルフのみが製法を持つ。
「どうだい?僕の力は」
軽薄な口調と足取りで、三人の下へ戻ってきたアルカが言う。シアーに手当てを受けていたタクミの肩が震えていた。
「どうしたんだ?まだ傷口が痛むのかい」
「この…。もっと早く戦えよ!!」
タクミの怒声にシアーが小さく「ひゃっ」と驚く。しかしアルカを怯ませることは無かった。
「僕は後衛だよ?」
「くっ…」
「ま、まぁまぁ。えっとアルカ、さん?」
二人を宥めにヒカルが割って入ってきた。苦笑しながらも、こめかみに汗が流れているが。
「アルカでいいよ。親しい人は皆そう呼ぶしね」
「ちっ。これからは戦えるんだろな、アルカ」
実力は確かなのだ。不満を舌打ちで誤魔化し、タクミが捻くれた言い方をする。困った
様にヒカルとシアーが目を合わせた。
「アルカリオでいいよ。親しく無い人にはそう呼んでもらっているからね」
タクミに優しく微笑みかけそう言い放つ。捻くれ者が二人。その事実にヒカルは頭が痛くなりそうだった。




