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間章5 ~独白 ある侍従の場合~





 ―私は怖い。


 この帝城に働く様になってまだ日は浅い。本来ならまだまだ小間使いが精々だった筈だ。だけど私は今あるお方の専属侍従となっている。それは何故か?簡単だ。あの方が私を気に入っているから。だからと言って何かされた訳では無いのだけど。

 あの方は一体何者なのか?貴族でもないのに城に部屋を用意されている。好き勝手に振舞っても何もお咎めが無い。破格の待遇だ。

 そんな事を考えながら歩いていれば、あの方の部屋の前に来た。ドアを丁重に叩く。


 ―入れ。


 短い返答があった。ドアを静かに開き中に入る。厚い垂絹が朝の光を遮り、薄暗い。もわっとした空気の中に妙な臭いが鼻につく。


 「…朝でございます」


 一礼すると寝台から起き上がったこの方をなるべく見ないようにし、垂絹を纏める。日の光が部屋中を照らし出し、陰鬱な空気を僅かに弛緩させる気がした。


 -うぅん。


 やけに甘ったるい女の声が聞こえた。私は気付かれない様にそっと溜息を吐くと、この方の寝台に歩み寄った。上半身裸のこの方は厭らしい笑みを私に向けた。私は不快感に眉を顰めた。それに気付かれていたのだろう、この方の笑みはますます歪む。


 「…この方の衣服を用意いたします」


 私は目を逸らし寝台でこの方の傍で寝る女性を見た。確かどこかの貴族の娘だった筈だ。権力を笠に着る鼻持ちならない女だ。私にも様々な嫌がらせをしてくれたものだ。私はこの女が好きではない。いや、むしろ嫌いだ。だけどそれで仕事を放り出す訳にもいかないけれど。

 彼女の着替えを用意するため寝台から離れようとした時だ。


 「―待て」


 腕を掴まれ寝台に引きずり込まれた。悲鳴が出そうになるのを何とか堪えた。ただ横の女が随分大きな悲鳴を上げたが。


 「…何をなさるおつもりでしょうか?」


 心臓は恐怖で早鐘を打っている。だけどこの方にその事を悟られたくはない。努めて平静に言葉を紡いだ。この方の手が私の頬に触れた。とても冷たくまるで氷の様だ。その手が髪の毛を優しく撫でる。でも私には不快にしか感じられなかった。だけどこの方にとってそんな事はどうでも良いのだろう。私の反応を見るでもなく、その手が胸に乗せられた。そして侍従服の上から強く握られた。


 「うぁっ…」力任せに握る痛みに私は思わず声を漏らした。はっとしてこの方を見るととても愉快そうに目を細めていた。さらにその手が私の身体を弄ろうとした時だ。


 「な、何をされているのです!?こんな侍従より私の方が―」


 「―黙れ」


 邪魔をしたあの女に短く命令した。まるで氷刃の様な言葉だと思う。あの女が絶句する気持ちもよく分かる。私の背筋にも冷たいものが走ったのだから。だけどあの女の恐怖の表情に少しだけ溜飲が下がったけど。


 「くくっ。お前は面白いな」


 私の両手を押さえ付け、顔を近づけた。醜く笑うこの方を改めてよく見る。垂れ下がり、濁りきった瞳にこけた頬。中途半端に伸びた黒髪は艶を無くしている。痩せぎすな身体と相まってまるで病人だ。ただ瞳の奥は爛々と欲望に燃えている。


 「恐怖をその能面でひたすらに隠す。それでも俺に従う。たとえ悟られていようがな」


 「…何の事を仰っているのでしょうか?」


 悟られていてもそれを顔に出してはいけない。そう、例えば声が僅かに震えていたとしてもだ。


 「まぁいい。おい、お前―」


 寝台の隅で震えるあの貴族女はその声に更に肩を振るわせた。


 「は、はい!?」


 「消えろ」


 「え?」


 「聞こえなかったのか。消えろ」


 え、いや。その、としどろもどろになりながらも、シーツで身体を隠す。何か言いたいのだろうが先程の恐怖で上手く言葉が出ないのだろう。私は仕方が無いと助け舟を出すことにした。


 「あなた様は女性を裸で追い出すのですか?」


 ちっ。とこの方の舌打ちが聞こえた。興ざめしたのだろうか、もういい。と私を離した。私は何事も無かったように寝台から降り、簡単に身なりを整えた。服に変な皺は無い。これなら大丈夫だろう。


 「それでは衣服をお持ちしますのでしばらくお待ちを」


 部屋を何事も無く出た後は、なるべくゆっくり歩いた。心臓を落ち着かせる為と、周りに変に思われないように。後はなるべくあの女を困らせる為でもあるけど。


 「―あ」


 そう言えば、能面ってなんだろう?



 「あ、あのぅ…」


 私に着付けを手伝わしながらも、この期に及んでまだすり寄る様な甘い声を出すこの女は、ある意味で強者なのかもしれない。


 「貴様には対価を払う。失せろ」


  対価。その言葉に女の顔色は僅かに明るくなった。まったく。なんて安っぽい女だ。

 私との着付けが終わると、そそくさと部屋を後にした。


 「くくっ。お前、あの女に随分と辛辣ではないか」


 「…御冗談を」


 「それでどう思った?あの女と俺が寝ていて」


 「…お相手はもう少し選ばれた方がよろしいかと存じます」


 「言うではないか」


 この方はそう言うと私の顎を持ち上げた。この方の顔が眼前にあった。思わず「うっ」と声を漏らした。


 「俺はお前がとても気に入っている。大切なほど。何故だと思う?」


 大切?意味が分からない。なら何故こんな事をするの?何故私を恐怖で絡めるの?

 彼の瞳が欲望で燃え上がるのが分かった。その対象はきっと私。一体、今私は何をされているのだろうか。


 「私には分かりかねます」


 「なら教えてやろう。お前は似ているのだ―」


 ―かつての俺の女に。


 なんて残酷な言葉だ。私を気に入ったのは私がその人に似ていたから。それだけなの?なら私は一体何。人形か何かなの?

 足元が揺れる気がした。努めて無表情でいるが、視界が滲んだような気がした。彼はそんな私を見て大きく笑った。


 「どうした?何を泣く。俺はお前を大切にしているのだぞ!!」


 大仰に身振りをすると私の耳元で、大切だ。俺の下にいろ。と囁く。その度に私の視界がどんどん滲む。堪らず唇を噛んだ。少しでも痛みで涙をこらえる様に。


 「お前の内面など、どうでも良い。俺が欲しいのはお前の姿だけだ」


 限界だった。今すぐここを辞めよう。今後暮らしはきつくなるかも知れないが、兄弟がいる。皆で力を合わせればとりあえずは食べていける筈だ。

 そんな私の考えを見抜いたのか、彼が私に歪んだ視線を向けてきた。


 「くくっ。逃がすものかよ」


 にぃ。と笑みを深くすると私にありえない事を言ってきたのだ。


 「直に戦争が始まる。どこぞの間者が持ち帰った報によれば―」


 ―かの国に異邦者がいる。


 私の顔から血の気が引くのが分かった。異邦者。伝説の存在にして、ありえない力を持つ者。だからこそ秘匿されなければならない存在。それは争いの種になるからだ。

 何故そんな事を私に?そこで気付いた。思わず彼を見た。


 「そうだ。それはごく少数の者しか知らない。下賤の身分で知る者はお前のみ。つまり―」


 「それを報告すれば私はよくて軟禁。最悪死罪という訳ですか?」


 「察しが良いな。これでお前はこの国のここしか居場所がなくなった」


 「ですがそれを報告すればあなたもただではすみませんよ」


 「そうかな?」


 嫌に自信たっぷりだ。或いは虚勢なのだろうか。どちらにせよ私はこの男から離れられなくなってしまった。


 「それに俺の傍にいれば兄弟の兵役が免除になるかもな」


 「あなたは…」


 どこまでも卑劣なのか。人の心も命も何とも思っていない様だ。手が震える。鼓動が早くなる。でもそれは恐怖では無くなっていた。

 私はこの男の眼前に立った。長身のこの男の胸元から私は睨み上げる。この男は見下すように笑った。

 私は手を振り上げ、そして―。


 部屋中に、ぱん。と小気味の良い音が響いた。


 彼の頬は赤く腫れあがっているが、私の手もやけに痛む。


 「よろしいでしょう。私はあなたの傍にいましょう。しかし―」


 ―あなたを許しません。


 決意を込めた私の言葉を彼は否定も嘲笑もせずに真面目な顔で聞いていた。


 「いいだろう。傍にいろ、ノア」


 「承知いたしました。アサギ様」


 私は怖い。でも、この男と共に行こう。何時か誰かがこの男を倒すのを見届けるのだ。


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