17話 ~数日後のお話~
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あの戦いから三日たった。幸いだったのはノヴァの結界魔法内での戦闘だったことで街に被害が無かったことだ。タクミの怪我も治療院で数日の入院で済んだ。ただよく入院してくる妙な人間、という目で見られる様になったが。
ノヴァの足取りについてはツクヨミが調べるらしい。それについてはただ待つしかないのだが。
ヒカルが出先から大急ぎで帰ってきた。ユーリが事の次第を伝えたのだ。彼はタクミとはまだ顔を合わせていない。何でもタクミが避けているとのことだ。
そしてシアーは未だ目を覚ましてはいない。
(まったく散々やで)
「一体どうしたと言うのです?」
穏やかな昼下がり。神殿の中庭にナナシとツクヨミはいた。ナナシは鬱憤を晴らすかの如くツクヨミに愚痴を言い続けているのだ。
(ワイの相棒の事や)
「タクミ様がどうしました?」
(何を言うても上の空。聞いてんのかどうかも分からん)
思い出されるのはここ数日のやりとりだ。
(なぁ、相棒。今日も嬢ちゃんとこ行くんか?)
「…あぁ」
(そんな気を落とさんでもええやん)
「…あぁ」
(…そない嬢ちゃんが気になる?)
「…あぁ」
(ならワイと結婚しよ)
「…あぁ」
アカン。重症や。これは一筋縄ではいかなさそうだ。
(―ってなことがあってなぁ)
「…何を言っているのです。あなたは…」
深々と溜息を吐くナナシを呆れた様に半眼で見やる。まったく、ため息を吐きたいのはこっちの方だ。
シアーは幸いにも命には別状が無いとはいえ疲労と痛痒、何より神気に当てられ続けたことにより昏睡状態が今も続いているのだ。
(それにしても、あの嬢ちゃんには驚かされたわ)
「えぇ、それには同意します」
まさかノヴァの神気を受けてなお、あのアンデッドを浄化するとは。一歩間違えれば死んでいたもおかしくなかった。まさしく命懸けの所業だ。そしてあれこそが彼女の持つ本当の強さなのかもしれない。
「シアー様の優しさは私達の強さを超えるかもしれませんね」
(何を馬鹿なこと言うとんねん)
ナナシは鼻で笑うが、果たしてそうだろうか。もし自分達が戦えばあのアンデッドを一蹴して終わりだっただろう。それではあのアンデッドの思いを踏みにじる事になる。それではノヴァと同じだ。
しかしシアーはアンデッドを救った。力無い彼女が自分達の想像を上回ったのだ。
神より劣る人間が神とは違う答えを導き出す。それは可能性と呼ぶのではないのか。それが希望となるか絶望となるかはツクヨミにさえ分からない。しかし―。
―私はそれを信じたいですね。
まったく人というのは面白い。
「シアー様への処置も無事に済みましたし、後は目覚めるのを待つだけですね」
普通、人間である以上その影響から逃れることは出来ない。影響とは即ち、死だ。ましてシアーは満身創痍の状態で神気をその身に受けたのだ。本来ならもういなくなっていて当然なのだ。ツクヨミがいなければ、の話だが。
それだけ神と人との間には絶対的な差があるともいえるのだ。だが―。
ちらりとナナシを見た。思う事はナナシの持ち主、タクミの事だ。彼は神気の影響を受けたとはいえ、感情に支配された。程度で済んだのだ。奇跡ともいえるが、果たしてそうだろうか。
或いは彼には何か資質の様なものがあるのではないか。それを直感したからこそナナシは彼を選んだのではないか。
そこまで考えて小さく首を振った。今考えてもしょうがないことだ。
(せやな。相棒にも、はよ元に戻って貰わんと気持ち悪いしな)
ナナシの呆れた様な言葉とは裏腹に心配している感情が見て取れる。そんなナナシにツクヨミは微笑んだ。この短い間に何があったかは知らないが、随分変わったものだ。いや、昔に戻ったと言うべきか。それにしても―。
「前から思っていましたが、なんですかその喋り方?」
指を口に当てて、くすくす。と笑う。昔に戻った。と言っても口調はこんなものでは無かったが。
(む。しゃあないやろ。あの世界に長いこといた影響や)
むすくれた様子で言い訳をするナナシにますます笑みを深くする。本当にタクミには感謝しても足りないくらいだ。
「ふふ。今タクミさんはどうしているのでしょうね?」
治療院のとある一室。そこの寝台にシアーは横たわっていた。身体中に付けられた傷もしっかりと癒え、包帯も取れていた。彼女の胸が静かな呼吸に合わせて上下する。こうしてみると眠っている様にしか見えない。その彼女を見下ろすようにタクミが傍に立っていた。ただ無表情に。だがその顔は今にも泣き出しそうにも見えた。
ドアが静かに開いた。振り向けばそこには、あら。と目を丸くするマルタの姿があった。
「あらあら。今日も来ていたのですね」
「…あぁ」
「少しはあなたもお休みなさいな」
倒れてしまいますよ。と笑いながら寝台の傍へと腰を下ろし、持ってきた花を花瓶に差した。開け放たれた窓から入るそよ風がその花を揺らす。
「涼しい風ですね。もう秋が近いからかしら」
風になびくシアーの髪をマルタは撫で続けた。その姿をタクミはただ見続ける。知らず手を握りこんでいたのか、その手が小さく震えた。
「…何でだよ?」
「どうしました?」
「どうして皆俺を責めないんだ…」
シアーがこうなったのは自分が原因だ。神気に呑まれなければ、彼女を傷つけなければ、こうはならなかったかも知れない。
「…事情は知りませんが―」
ふぅ。と一息吐くと、タクミに向き合った。そして部屋に乾いた音が響いた。唖然と頬を押さえるタクミに彼女は、ずい。と前に出る。
「自惚れなさんな」
その言葉に込められた怒気のなんと大きいことか。いいですか。まるで子供を諭すように、彼女は言う。
「あなたも、この子も懸命に事を成したのでしょう。ならどうしてそれを責められますか?」
「…だけど」
「一人で何もかも出来る筈無いでしょう。それは傲慢というものです。それに―」
マルタが破顔する。どこか子供っぽい笑顔だ。
「シアー様があなたを責めると思いますか?」
そう言われれば何も言い返せない。バツが悪そうに黙るタクミに笑いかけながら、
「ほら、この子の着替えをしますから。あの方と出ていきなさい」
あの方?振り返ればそこにはタクミが今、最も会いたくない人物がいた。
ヒカルだ。お互い気まずそうに黙っていると、横から助け船が。
「ほら、ヒカル様。いくら兄妹と言え女性の肌を見るつもりですか?」
「あ、いえ。すみません」
ほら、お行きなさいな。と半ば追い出される様に二人は部屋を後にするのだ。
二人して中庭に出た。今は周囲には人の気配は無い。ヒカルがやけに陽気に、
「いや。マルタさんには頭が上がりにくくてさ」
アハハ。と誤魔化しながら笑った。タクミはヒカルに目を合わせるでもなくただ、「…あぁ」と素っ気なく答えるだけだ。ヒカルは溜息を吐くと、
「なぁ、タクミ。大体の話は聞いたよ」
「そうかよ。なら俺が許せないだろ」
「そうだな…」
ゆっくりとタクミの目前に来ると、ヒカルは腕を振りかぶり、そして―。
「マルタさんに怒られたんだろ?ならそれでいいさ」
小さく笑いながらタクミの肩にそっと手を置いた。何故?という表情でヒカルを見る。
「俺は、シアーを傷つけたんだぞ?」
「それは俺じゃなくてシアーに謝らないとな」
そういうところは妙に律儀で頑固なんだな。ヒカルは笑う。もっともこんなタクミだからこそ、信じられるのだが。
「そんなことで許されるかよ、俺は…―」
「人は必ず間違うさ」
タクミはヒカルを見た。太陽を背にした彼はやけに眩しい。
「だけど、その時は周りの誰かが止めてくれるものだろ」
それはタクミが教えてくれたものだ。自分とて何度も間違えたことがある。そしてタクミも。その度にお互いがそれに気付かせてくれたのだ。例え意図せずとも。
「だって俺達は、仲間。いや―」
―友だからな。ニコリとヒカルは笑う。その笑顔が眩しいのは太陽だけが原因ではない筈だ。
まったく。なんて眩しい奴だ。眩し過ぎて涙が出そうになる。だから、彼はいつもの調子に戻ってこう言うのだ。
「友とは随分馴れ馴れしい奴め」
「え…?」
「…でもまぁ、前向きに検討しといてやる」
そっぽを向くタクミの頬は僅かに紅潮している。それに気付いたのかヒカルにしては珍しくその目を悪戯っぽく輝かせるのだ。
「へぇ~。クレスト山脈で俺と友達になったんじゃないのか?」
「…そんな事は言ってない」
「今だってまるで友達の俺に縋るみたいだったぞ」
「うるせ!友達を強調するな」
あまりにも騒ぐので、何事かと出て来た職員に二人して、静かに。と怒られるのだった。
その後ヒカルと別れ、タクミは再びシアーの部屋へと戻る途中の事だった。建物の中が随分と騒がしい気がするのだ。何かあったのかと思うが、その原因はすぐにわかった。
シアーの部屋の階。そこにいる筈の無い一人の人物がいたからだ。
「…リオ」
タクミが渇いた声で呟く。その姿はまさしくこの国の王にして、二人の父親であるリオその人であった。いつもの荘厳な衣装では無く、質素な外出着を纏っている。リオもタクミに気付いた様だが、その足は止まることは無い。そしてシアーの部屋をそのまま通り過ぎた。
「…おい待てよ」
タクミの声にリオは足を止めた。タクミを見るその目は汚れつつも、まるで射抜くような視線だ。
「…なんだ」
その声は何処までも酷薄で、タクミにまるで興味が無い様だ。だがそれで怯むタクミでもない。
「見舞いなら、その部屋だぜ」
タクミが指した部屋を一瞥し、不愉快そうに鼻を鳴らすと歩を進め、タクミの横を通り抜けようとした。
「…入らないのかよ?」
「何故私がそのよう事をしなければならないのだ?」
「そのために来たんじゃないのか?」
共を連れずたった一人。とても一国の王がすることとは思えないが。だからこそ或いはと思ったのだ。
「ここに来たのはただの視察よ」
この院は腕の良い魔法士が多く、貴族でさえ通うものがいるほどだ。なればこそここの日常を視察したくなり、忍んできたのだ。そしてそこに娘を案ずる言葉は一つも無かった。
「…そんなに自分の子供が怖いのかよ」
リオの足が止まった。タクミを睨みつける瞳に初めて感情が宿った。
「…お前に何が分かる」
互いに睨みあうが、やがていつもの表情に戻った。タクミを意に介すことなく、今度こそ去って行った。ただ去り際の一瞬、部屋に視線を送った。
「あら、どうかしました?」
リオが去ってしばらくの後、部屋のドアが開いた。マルタがタクミを見ながら首を傾げる。
「…いや、別に」
そう、何も無かったのだ。
マルタと交代するようにタクミが寝台の傍に腰かける。彼女は園の事があるため、一度戻るということらしい。穏やかな彼女の寝顔はどんな夢を見ているのか。
「…早く目覚めろよ」
或いはこのまま目覚めないのではないか。そんな不安に駆られる。何を馬鹿な。と首を振った。彼女は決して弱くないのだ。ともすれば自分よりも強いかもしれないというのに。
「…ん」小さな呼吸の様な声が聞こえた。声の先を見ればシアーの瞼が僅かに震えた。薄く目を開き、涙が一筋流れ落ちた。
シアーは夢を見る。それは在りし日の記憶だ。幼い彼女は泣きながら帰宅した。ドアを開ければ、そこにはいつもと変わらず母がいるのだ。
「どうしたの、シアー?」
母の優しい声だ。それだけで安心できる。母に抱き着いた。母は小さく笑うとシアーの頭を撫でた。
「…どうして父様はいないの?」
よくある話だ。父がいないことをからかわれたのだろう。母は少し悲しい顔をしたが、そっとシアーの目線に合わせる様に膝を突いた。
「シアー。あなたの父様はね、あそこにいるのよ」
母の指さす先、それは王城だ。シアーは涙を拭き取り、不思議そうに母を見た。
「父様はね、皆の為に王として働いているのよ」
そう言って僅かに目を細めた。それは悲しみか。ただ母は語ることなく、口はこう動いた。
―約束だから。
「―ぁ。ここは?」
彼女はすっと目を開いた。まだ意識はぼんやりとし、世界がやけに白んで見える。一体何があったのか思い出せない。目の前の少年の輪郭がはっきりとしてきた。いつも捻くれた目は今は心配そうにしている。そうだ。彼の名は。
「タクミ、さん?」
「…やっと目ぇ覚めたのかよ」
いつも通りの捻くれた態度にシアーは安心した様に、くすり。と笑った。
「…ところで私は一体?」
「説明は後だ。少し待ってろ」
何か言う前に、さっさと部屋を去るタクミを見送るしかなかった。だがその足取りがいつもより軽い気がするのは気のせいだったろうか。
「シアー様お目覚めになりましたか」
「シアー、大丈夫か!?」
「何かして欲しいことは無い?」
「お嬢様、良かったです」
(嬢ちゃん。相棒のおもろい話聞かせたろか?)
寝台から上半身を起こすシアーを前に、皆が思い思いにその丈を打ち明ける。それだけで皆がシアーを心配していたのが分かる。分かるのだが…
そのあまりの勢いに彼女は「…アハハ」と苦笑するしか無いのだ。ちなみにタクミは皆の後ろでその光景を眺めていた。目を細め口角を僅かに持ち上げて。ただその手はナナシをへし折ろうと力を込めていたが。
(痛い、痛い!!ギブ。ギブやって!!!)
余計なことを言わんとするナナシを存分に締めていると、ドアが開いた。マルタだ。彼女は部屋の中を見回すと呆れた様に溜息を吐いた。
「まぁ、皆さん。何をしているんですか?」
ずかずかとシアーの前に来ると、腰に手を当て、
「…巫女様。神殿の方はよろしいのですか?」
と、ユーリとツクヨミを半眼で睨む。うっ。と言葉に詰まった二人は互いに顔を見合わせた。
「…戻りましょうか?」
「そ、そうですね。シアー様、私達はこれで失礼します」
去って行く二人の背中を、まったく。と見送る。さて、次は。
「ロイン様。仕事は終わったのですか?」
「…これは手厳しい」
自分がここにいればこれ以上は迷惑になると悟ったのか、シアーに一礼すると彼も静かに去って行った。
「ヒカル様?」
「あ、いや…。そうだ。ロインさんに用事があったんだ」
一人、うんうん。と頷くと、ロインの後を追い部屋を後にした。
「まったく皆して…」
心配だったのは分かるがもう少し気を使って欲しいものだ。せっかく二人きりにしようとしているのに。ちらりとドアを見やるとマルタは盛大な溜息を吐いた。
「で、あなたは何処に行こうというのですか?」
そろりと部屋を出ようとするタクミが驚いた様に肩を震わせた。
「いや…便所?」
「…あなたはここにいなさい」
まだ何か言おうとするタクミだが、それを遮りマルタはまた少し外します。とさっさと部屋を出て行ってしまった。後に残るのは、どことなく居心地の悪くなったタクミと、未だ引き攣った様な笑顔を見せるシアーだけだった。
「あの…」
しばらく互いが沈黙していたが、それに耐えきれなくなったのかシアーが口を開いた。
「一つ尋ねたいのですが?」
「カイトの事か?アイツなら無事に帰れたよ」
「そうですか。良かったです」
タクミの言葉にシアーの心は軽くなった。微笑んでタクミを見れば、彼にしては珍しく何か言おうと逡巡している様ではないか。目線が泳ぎ、頭を意味も無く掻き毟る。はて。と小首を傾げれば、やがて何かを決意したのかタクミがシアーに向き直った。やけに真剣な目だ。心臓が高鳴った。
「あのよ…」
「は、はい!?」
思わず声が裏返った。タクミの方もそれに気付く余裕すらない様だ。言い淀む様に何度も息を吐く。しばらくして意を決したのか、
「俺は、その…」
「な、何でしょうか?」
「怪我をさせて、すまなかった」
タクミが頭を下げた。あ。と思わず頬をさする。そこにはもう傷跡は無く、指がするりと滑った。
「それは、俺のせいだ…」
後悔するかの様に唇を噛んだ。なんという事をしたのだ。あの時、自分の邪魔をしたと言うだけで、力ずくで排除しようとしたのだ。神気に呑まれていたから?そんな事は言い訳にもならない。肩が震えているのは、後悔故か。
「あの、頭を上げて下さい」
その言葉につられる様にタクミが頭を上げた。その目はいつもより怯えている子供に見えた。
「私は気にしていませんよ」
無論そのようなことを言われたところでこの気持ちが収まる訳でもない。彼女の頬を見た。白い肌は或いはあれが夢か幻だったのではないか、そう思わせる。だがあの時の感触をタクミは今も覚えているのだ。
「私は、大丈夫ですから」
すっと彼女の手が伸び、タクミの頭を撫でた。驚いたように、恥ずかしそうに手を除けようとするが、
「ふふ。こうしているとタクミさんは子供みたいです」
「…うるせ」
どれくらいそうしていただろうか。タクミさん。と呼んだ。
「一人で何でも抱え込まないで下さいね」
一人この世界に連れてこられたからだろうか。彼は一人で背負いこみすぎる。あなたは孤独ではないと、傍に私達がいると伝えたかった。
あの時、彼は信じられるか?そう言った。それに対してシアーの答えは信じる、だ。だからタクミさんも私の事を、周りの仲間を信じて欲しい。その願いを込めこう言うのだ。
「あなたの傍には私が、皆がいます。タクミさんは一人じゃありませんよ」
「…あぁ。そうだな」
まったくこの世界の人間はお人好しばかりだ。それがたまらなく嬉しかった。タクミは笑った。普段見せる事の無い年相応の素直な笑みだ。くすりとシアーも笑う。
「タクミさん。そんな顔も出来るんですね」
その方が良いですよ。と二人で笑い合った。開いた窓からは雲が流れる。直に秋が来ようとしていた。




