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16話 ~死霊の騎士 その4 光の先~

お待たせしました。

いつも閲覧ありがとうございます。





 「よし、行くぞ!!」


 タクミが神殿から駆け出そうとする。最早一刻の猶予も無い。そこに「待って下さい」とツクヨミの声が。


 「…何だよ」


 出鼻を挫かれたタクミがツクヨミを半眼で睨む。それを意に介さず彼女はタクミに近寄り、胸元に手をあてがった。


 「その傷で向かうつもりですか?」


 彼女がその手に力を込めると、僅かに掌が光る。それは回復魔法だ。それもシアーとは比較にならないほどの。見る間にタクミの傷が消えていく。ツクヨミが目を瞑りさらに力を込めると今度は衣服に濡れた血までもが消えていくではないか。


 「…これは」


 「私もまだこれくらいなら出来るのですよ」


 そう言って微笑むとタクミからそっと離れた。タクミは身体を僅かに動かし調子を確かめる。痛みも無く、体力までもが戻っていた。


 「これなら!!」


 二人は頷き合うと今度こそ駆け出して行った。



 ノヴァは二人を睨みつける。その表情からは何時もの侮蔑に歪んだ笑みは無い。タクミが来るのは良い。これは私の獲物だから。だがその横にいる者は―。


 「お久しぶりですね。ノヴァ」


 いつもの調子でゆっくりと前に出た。まるで旧友にでも会う様な口ぶりだが、その目は油断なくノヴァを睨みつけていた。


 「…えぇ。お久しぶりね」


 ノヴァが珍しく舌打ちをする。まったく忌々しい女神め。どこまでも邪魔をしてくれる。


 「私が来た以上、好きにはさせませんよ」


 「あら、あなたに何が出来て?」


 「少なくとも、あなたを止める事は出来ますよ」


 二人の視線がぶつかり合う。その傍をタクミが通り過ぎた。その表情に色は無い。


 「タクミ様!?」


 慌ててツクヨミが彼を呼び止めるが、その足は止まらない。ノヴァに近寄るも、


 「あら、私と遊びたいの?」


 くすくす、と笑うが、タクミはまるで目に入らない様にその横を通り過ぎた。彼の行く先は骨騎士の傍にいるシアーとカイトの下だ。

 歩みを止めること無くナナシを手に持った。力を込めるとタクミの肩辺りまで、いつもの長さにまで伸びた。

 そしてタクミは骨騎士と相対した。ノヴァからの命令が無いためか、骨騎士は動く様子は無い。ただひたすら、


 「―ユルサナイ」


 と誰にともなく怨嗟の声を上げ続けるだけだ。タクミは両手でナナシを持つ。そして大きく振りかぶり、骨騎士の側頭部を思い切り打ちぬいた。

 その衝撃に骨騎士は吹き飛ぶように転がる。すぐさま立ち上がろうとする骨騎士だが、今度は口腔内に衝撃が入った。残っていた歯が数本折れ、飛んでいく。タクミが蹴りを叩き込んだのだ。


 ふん。と詰まらなさそうに鼻を鳴らすと、シアーの下へと歩み寄り、膝を突いた。


 「―ぁ。タクミさん…」


 タクミの姿に安心したのか、ひび割れ、砕けかけた障壁魔法が消えていく。


 「大丈夫…じゃないよな」


 シアーの様子を見てタクミの表情が苦々しく歪んだ。顔色が青白く、息も荒いのは魔力切れが近づいていた、だけではないのだろう。衣服が血に汚れているのも自分のそれだけが原因ではない。裂けた衣服から見えるのは彼女の肌。いつもは白い肌も今は切り刻まれ、醜く腫れあがっている。一体どれほどの目に合ったのか。


 「…大丈夫…ですよ」


 「…全然そう見えないけどな」


 相変わらずの捻くれた物言いにシアーは小さく苦笑する。また助けてもらった。それに罪悪感を抱く反面、嬉しいと思う自分もいる。

 まったく、現金なものだ。そんな自分の感情に苦笑した。


 「ガキ。お前がカイトか?」


 タクミに声を掛けられ、カイトの肩がビクリと震えた。慌ててシアーの影に隠れようとする。


 「マルタのオバサンがお前を探していたぜ」


 「…先生が…」


 どうしてと思う。自分はいつも隅っこにいるだけなのだ。いてもいなくても変わらない。でもそんな自分をちゃんと先生は見ていてくれたのだ。目に浮かぶ涙には先ほどとは違う感情が混じっていた。


 「まぁ、ちゃんと連れ帰ってやるよ」


 まさか本当にいるとは思わなかった。あのオバサンの勘はすごいな。或いは本当に心配しているからこそ成せる業か。

 ガシャリと鎧がこすれる音がした。そちらを振り向けば骨騎士が立ち上がり、歯のかけらが口からぱらぱらと落ちる。さらにタクミに打たれた側頭部は頭蓋が砕け散り、ぽっかりと大きな穴を開けていた。しかしそれすら痛痒にならないのか、何ら変わった様子は無く、再び剣を構えたのだ。


 「タクミ様!」


 あのアンデッドは危険だ。なにしろノヴァが従えているのだから。ツクヨミがタクミの下へ駆け寄ろうとするが、


 「あら、どこへ行くのかしら?」


 「くっ…ノヴァ、あなた…」


 ノヴァが笑みを浮かべながら彼女の行く手を遮る。ツクヨミは苦々しげに歯噛みする。ノヴァを振りきることはおそらく可能だ。だがそれをすればノヴァが何をしでかすか分かったものでは無い。


 「うふふ。神は無暗に動くものではなくてよ?」


 「…あなたがそれを言うのですか」


 ツクヨミは不安な表情でタクミを見た。彼に相対するように骨騎士が近づこうとしていた。


 (兄さん。なんか手はあるんかいな?)


 タクミの手に握られたナナシが問う。とてもではないが、無策では先ほどの二の舞になるのは目に見えている。


 「とにかく今は反魔法で動きを鈍らせる」


 (…それから?)


 「…後で考える」


 アカン。今日で終わりや。そんな考えがナナシの頭を支配するが、そこにタクミの声が。


 「でも、負ける気はしないけどな」


 さも当然とばかりにタクミが言う。相手がアンデッドだか、神様だか知らないが何時までも好き勝手やらせるかよ。きょとんとした様子のナナシだったが、


 (…ックク。言うやないか)


 笑いがこみ上げてきた。それも歓喜の笑いだ。策は無い。奥の手も無い。ついでに勝算も無いこの状況だ。だがこの少年は確かに言ったのだ。負ける気は無いと。ならば敗北などありえない。

 本当にこの少年と出会ってから面白いことばかりだ。昔の自分が今を見たらどう思うのか。愚かと笑い捨てるのか。或いはまた繰り返すのかと呆れるのか。だがそれでもいいと思えた。この少年とならばきっとあの時とは違う結果を出せる筈だから。ならば決めた。どこまでも共に行くだけだ。


 (ようし。なら行こうや。相(・)棒(・))


 「あぁ」タクミの口の端がつりあがる。ちらとシアーを見た。傷だらけでボロボロの姿。

 それを見るだけで悲しく、怒りがこみ上げてくる。だが自分は怒りに任せて突っ込むことは無い。なぜなら自分は捻くれ者。そんな事は熱血漢の主人公がやればいいのだ。

 そして彼女の後ろのカイトの姿を見た。汚れこそあれ傷らしい傷は見当たらない。おそらくはシアーが文字通り身体を張って守りきったのだろう。


 ―まったく。あのお人好しめ。


 ふ。と呆れた様に息を吐く。だがその目はどこか優しかった。彼女に対してそう思えることが無性に嬉しかったのだ。


 「さぁ、やるぞ!」


 ナナシを構え否定の意思を込める。迫る骨騎士に向かって駆け出した。

 「おぉ!!」ナナシを骨騎士に向かって叩きつける。先程と同じ手だ。回避されることを念頭に次の手を考える。だが、骨騎士は回避するでもなく、剣でナナシを受けた。瞬間身体中の魔力が奪われ骨騎士は片膝を突いた。


 「…コイツは何も考えないのか?」


 タクミが不審そうに骨騎士を見下ろす。全く同じ失敗を骨騎士は二度続けたのだ。首を傾げていると、


 (当然や。アンデッドに思考能力は無いで)


 「何だよそりゃ?」


 (アンデッドは魔力を動力に、生前に果たされなかった願望を果たすだけの躯や。そして生者を襲う)


 まぁ、アイツは少し違うみたいやけどな。とナナシが呆れた様に呟く。


 「つまりノヴァの野郎が何かしたってことか?」


 (せやろな。あの阿呆はそういうのが大好きやし)


 そういえば。と彼はノヴァを見た。ツクヨミと相対しつつもこちらに油断なく視線を向けている。そこでタクミは気付いた。骨騎士が動き出す前はノヴァが命じていたことに。


 「…つまりアイツの命令が無いと、そこまで動けないのか」


 (おそらく。これはチャンスやで。畳みかけるんや)


 頷くと、タクミは骨騎士の足を打った。反魔法が魔力を奪うだけでなく、その衝撃が鎧を通して内部の骨にまで届く。何度か打てば乾いた手応えがあった。古びた鎧では守り切れないのか、足の骨を砕いたのだ。


 「これでコイツはもう動けないな」


 見下ろすタクミを黒い眼窩が見やる。まるで吸い込まれそうな闇の空洞だ。


 「―ユルサナイ」


 未だその口から出る怨嗟の声は止むことは無い。


 「あら、私の玩具が」


 ノヴァが骨騎士に手を翳す。だがツクヨミが間に入り込んでノヴァの行動を阻止する。


 「何をしようというのです、ノヴァ?」


 「…あなた」


 「神は無暗に動くものではありませんよ?」


 その言葉にノヴァが忌々しく彼女を見やる。ノヴァは骨騎士に力を与える時、自分の命令のみに従う様にした。そうしなければ自分の力に骨騎士が耐えられないからだ。その為自分の命令が無くば、骨騎士は動きは普通のアンデッドと変わらない。

 ノヴァはツクヨミから離れようとするが、まるで隙が無く、降りかかる重圧も凄まじい。ノヴァの頬に一筋汗が流れ落ちた。まったく何が慈愛の神だ。これだけの力を隠し持っているくせに。

 ツクヨミと事を構えれば自分も無事では済まないと思ったのか、降参とばかりに両手を上げ首を振った。


 「止めたわ」


 その言葉にツクヨミは訝しげな視線を送る。だがノヴァはそれをまるで気にすることなく、いつもの飄々とした態度に戻った。


 「今回は引き下がった方がよさそうね」


 ちら、と骨騎士の方を見ればそこにタクミはいない。ふふ。と笑えばタクミの姿が頭上にあった。ノヴァを討とうと飛び掛かったのだ。振り下ろされるナナシをノヴァが受け止めた。それだけでナナシがぴくりとも動かない。タクミが舌打ちをし、ノヴァを睨む。だがノヴァの飄々とした態度は覆らない。


 「ふふ。怖い」


 ナナシを投げ棄てると、タクミも一緒に飛ばされる。それを満足したように見やると、ふわりとその場から浮かび上がった。数舜ツクヨミは唖然としていたが、直ぐに気を取り直し、慌てて追おうとする。


 「くっ、待ちなさい!!」


 「嫌よ。貴方とは争いたくないもの」


 だけど。空に上がり続けるノヴァは続ける。


 「せめてお土産は置いて行くから受け取って頂戴」


 くるりと向きを変え、ノヴァの掌が骨騎士へ向けられた。瞬間骨騎士の身体が蒼く輝いた。


 「何をしたのです。ノヴァ!?」


 「さぁ、何かしらね?」


 ごきげんよう。と嘲笑う様に言い残し空へ消えていった。ツクヨミとタクミはノヴァが消えた空を何時までも睨みつけていたが、


 「―ユユユルルサササナナイィィ!!!」


 壊れた時計の様な叫びに二人はそちらを振り向いた。骨騎士が天を仰ぎ立ち上がろうとしているではないか。


 「なんで動けるんだよ!?」


 (これは…神気!)


 タクミが再び反魔法を込め、骨騎士を打とうと走り出す。だがナナシの鋭い声がそれを制止する。


 (止めぇ!!あれに近づいたらアカン!)


 「どうしてだ!?」


 (あれはもう魔力で動いとらん。アイツは―)


 ナナシが言い終える前に骨騎士の姿が消えた。タクミが目を見開き、骨騎士の姿を探そうと周囲を見た。その刹那、背中に鋭い痛みと焼ける様な熱さが。


 「ぐあぁ!?」


 「タクミ様!?」


 タクミの背中が斬られたのだ。痛みを堪え急いで振り向くも何もいない。次は脇腹に同じ痛みが走った。


 「ぐっ!」


 急いで辺りを見回すもやはり何もいない。いや、その場所に僅かな土煙が立っていた。つまり―。


 (アイツ、高速で動いとるんや!)


 「ノヴァの野郎の仕業か!?」


 くそ、どうする。タクミが焦燥感に駆られた。何しろ相手が見えないのだ。「ちっ!」今度は肩を掠めた。


 (後ろや!!)


 ぞくりと背中に冷たいものが走った。転がる様に前に飛ぶ。瞬間タクミの首があった場所に剣閃が煌めいた。間一髪だった。首筋に薄っすらと血が滲む。ナナシの声が無ければ今頃首が無くなっていたかも知れない。


 「―ユルサナイ。ユルサナイ。ユルサナイィ!!」


 骨騎士が低く呻く。その周囲はまるで殺気によって歪んでいる様ではないか。明らかに異様な雰囲気を醸し出す骨騎士を中心に旋風が巻き起こる。その風をタクミが受けた。その瞬間頭の中にシアーの姿が浮かび上がった。傷ついたその姿が抑え込んでいたものを噴出させる。心がふつふつと燃え上がる。顔を上げたその目には先程まで無かった怒りが宿っていた。上等だ。と、タクミまでもが異様な空気を纏いだしたではないか。


 「テメェをぶっ倒す!!」


 (ぐっ、相棒。アカンで!!)


 「いけない!タクミ様!?」


 ツクヨミが声を荒げる。今の骨騎士はノヴァの神気により力と怨念が暴走している状態なのだ。そしてその神気にタクミも呑まれたかの様に、その目に黒い殺意が宿る。


 「―ユルサナイイイィ!!!」


 「おおぉぉああぁぁっ!!!」


 互いがまるで喰らい合う様に咆哮を上げ、再び武器をぶつけ合う。


 ―許さない?それはこっちの台詞だ。よくも俺のも(・)の(・)を傷つけやがって。テメェもノヴァも俺が潰してやる。


 鍔競り合いでは骨騎士が有利の筈だが、今度は互いの力が拮抗し動かない。骨騎士の黒い眼窩はタクミを睨む様に見やり、タクミもまたその眼窩へ憎悪の視線を叩き込む。

 一度互いが距離を取った。だがすぐに二度、三度と打ち合いを始める。もはやそこに剣術、棒術の技は無い。ただ憎悪を込め力任せに打ち込むだけだ。

 タクミの腕が剣で叩きつけられた。今までの様な鋭い斬撃では無い。どちらかと言えば打撃だ。何かが折れる音がした。痛みで力が抜けるが、すかさず逆の腕でナナシを持ち替え、骨騎士の顔面めがけ横に薙ぐ。頬骨が砕けた。骨騎士が構うこと無く口を開く。タクミの肩に噛み付いた。残った歯がタクミの肉を噛み千切らんとする。しかしそれでは顎の力に耐えきれない。歯が折れ顎は滑る様に空を噛む。

 もはやこれは戦いではない。ただの力のぶつけ合いだ。獣と同じ弱ければ負ける。後は勝者の餌となるだけだ。


 (くっ、相棒。止めんか!!)


 ナナシの声も届かないほどに今のタクミは周りが見えていない。目に映るのは屠るべき敵、骨騎士の姿だけだ。 


 「…タクミ、さん…?」


 まるで野獣の如きタクミをシアーは呆然と見る。一体なぜ?あれはいつものタクミでは無い。その時後ろから裾が引っ張られた。


 「…お姉ちゃん…」


 カイトが怯えた表情でシアーの服を掴んでいた。身体は小刻みに震え、タクミの咆哮に、ひっ。と首を竦める。


 「なんだかあのお兄ちゃん、怖いよ…」


 その一言にシアーの目に涙が溜まる。ぎゅっとカイトを抱きしめた。あの戦いをこれ以上見せない様に。あれは違う。タクミでは無い。そう必死に自分の心に言い聞かせた。そうしないと自分の心が保てない気がしたから。だが―。


 「でも…お兄ちゃんもお化けも…泣いているみたい」


 ―泣いている。その言葉にはっとしてタクミを見た。タクミは未だ憎悪のままに骨騎士と戦っている。だが今度は視線を逸らすことなく彼を見続けた。憎悪の中にあるもの。まるで子供が何かを盗られ怒っている様な姿。何故そうなったのか。神気に呑まれたから?違う。それはきっかけに過ぎない。では何故?それはきっと―。


 ―私のせ(・)い(・)でそうなったんですね。


 ならば自分がすべきことは一つだ。


 「シアー様!ご無事ですか」


 「ツクヨミ様…カイト君をお願いできますか?」


 「え?」


 「カイト君。少しここにいてくれますか?」


 「お姉ちゃん…?」


 意を決して立ち上がった。心配そうに見やるカイトに微笑みかけツクヨミに頭を下げた。タクミは自分を助けるために傷つき、憎悪に捕らわれたのだ。ならば―。


 ―今度は私の番です。



 タクミはひたすらに骨騎士を打ち続ける。骨騎士も負けじと同じように反撃をする。


 「おああぁぁあ!!」


 叫び骨騎士に一撃を叩き込む。濁った金属音と共に刀身が半ばから折れ、中空に舞う。だがそれで終わりではない。まだ骨騎士は動いているのだ。奴を砕き、微塵とするまでは終われるものか。ナナシを振りかぶった。壊してやる。潰してやる。その存在を消してやる。

 その時だ。タクミの背中に包み込まれるような暖かなものを感じた。はっとして振り返れば、シアーだ。彼女がタクミの背中を抱きしめていた。


 「タクミさん。もういいです」


 優しく、ただ優しく抱き留める。彼は「離せ!」ともがき暴れるだけだ。何故邪魔をする。コイツだけは許せるものか。その拍子にタクミの腕が彼女の頬を傷つけた。「うぁ…っ!」痛みに思わず眉を顰めるもののその腕を離すことは無い。急に暴れる力が無くなった。彼を見ればタクミの表情から険が消えていた。


 「…あ?俺は…」


 俺は一体何をした?憑き物が落ちた様に力が抜ける。からん。とナナシがその手から滑り落ちた。しばらくは呆然としていたが、自分が何をしたのか思い出した様だ。慌ててシアーへと振り返る。

 彼女の頬にある傷を見た。これは誰でもない、自分が傷つけたものだ。彼の目に後悔が宿る。

 しかし彼女はその傷を気にも留めず、タクミに微笑むのみだ。


 「タクミさんが元に戻って良かったです」


 ニコリと笑うと今度は骨騎士の下へと歩みだした。骨騎士は変わらず怨嗟の声を上げるのみだ。


 「―ユルサナイ。ユルサナィ!!」


 叫びと共に黒い旋風が巻き起こる。その風にシアーが当たれば、彼女の顔色は悪く、息が荒くなってくる。それでもその足は止まることは無い。ふらつきながらもゆっくりと、だが確かに骨騎士へと近づく。とうとう彼女は骨騎士と相対した。そして骨騎士をなんと抱きしめたのだ。


 「あなたも、もう止めましょう」


 戦いを止める様に優しく語りかける。しかしそれで骨騎士は止まる訳も無い。彼女を振りほどくべく、黒い風を巻き起こすのみだ。


 「シアー様!?」


 ツクヨミが悲鳴に近い叫びをあげた。何という無茶を。あの神気に当てられれば、傷ついた彼女の体力など持つ筈も無い。

 その証拠に彼女の顔色がどんどん悪くなり、息も荒くなっていく。それでも彼女はその手を離さないのだ。


 「…っ。もう、よしましょう…」


 息も絶え絶えに彼女は骨騎士へと語りかける。だが黒い風は留まることなく彼女を飲み込んでいく。やがてシアーの意識は闇の中へと飲み込まれていった。



 ―ここは?


 気が付いて辺りを見回せば一面の闇。何処まで行っても先が無く、立ち止まったところで休まる訳も無い。まさしく孤独という形容が似合う場所だ。

 そんな世界に聞こえる筈の無いものが聞こえた。子供の泣き声だ。その声に導かれる様にシアーは歩き出す。一体どれほどの刻限を歩いたのか。或いは一瞬だったかもしれない。とにかくそこには一人の子供がいたのだ。

 あちこちに擦り傷を作り、膝を抱え一人泣き続ける。膝に埋められた顔は一体どのようなものか。


 「…どうしました?」


 シアーは子供の前に膝を突き、視線を合わせる。子供が顔を上げた。泣き腫らした目は真っ赤になっていた。


 「…皆が、僕を、苛めてくるの…」


 しゃくりを上げ、たどたどしく語る。そう。とシアーは頷くと子供の横に腰を下ろした。何を言うでもなくただ二人、同じように闇の彼方を見続ける。シアーには何を言えばよいのか分からなかった。ただ無責任に頑張れなどと言える筈も無い。だから何も言わず横にいるのだ。せめて一人では無いと伝えるために。

 どれほどの時をそうしていたのだろうか。子供が語り始めたのだ。


 「僕、強くなりたいんだ。そうすれば誰も僕を苛めなくなるから―」


 ―でも、おかしいんだよ。


 不意に子供の口調が大人びた。いや声もだ。驚き子供へと向けばそこには一人の青年の姿が。


 「強くなるほど敗北に怯え、そんな私が許せなくなるんだよ」


 強さとは正義。そう思い続けて強くなった。だがその結果どうだ。強くなったところで弱さから、恐怖から逃れることは出来なかった。

 苦悶の表情で語り続ける青年の姿にシアーの瞳が揺れる。何故彼はこれほどまでに苦しまなければならないのか。これではまるで弱さが罪だと言わんばかりではないか。

 彼がずっと口に出していた「―ユルサナイ」の意味がようやく分かった。あれは他の誰にでもない、自分自身に向けていた言葉なのだ。

 シアーは一歩前に出た。そして振り返ると青年へと手を伸ばす。彼は僅かに訝しんだ眼をしたが、


 「―私は、弱さを抱えてもいいと思います」


 自分とて強い訳では無いのだ。何時だって兄やあの捻くれ者に守られてばかりだ。彼らが自分の代わりに傷つく。決して許せるものではない。どれほど胸が苦しんだことか。

 強くなりたいとシアーとて思う。だがタクミのあの目が浮かんだ。あれはおそらく命を棄てた者が出来る目だ。そこには弱さなど一片も無いのだろう。


 「強いだけだなんて、きっと寂しいだけです」


 それは目前の彼が望むものだ。しかしあのような強さは最期には燃え尽きる様に消え、何も残らない。だからこそシアーはタクミにあのような目をしてほしくないのだ。

 弱さを受け入れた強さ。それこそが本当に強い、ということではないのか。そしてそれは優しさ、許すと言う事だ。だから―。


 「自分を許してあげて下さい」


 彼は見た。闇の中、太陽の如き彼女の瞳を。ぴしり。と闇の世界に亀裂が走った。亀裂の隙間からは光が漏れだす。


 「…あ、あぁ…」


 青年はいつの間にか少年に戻り、口から嗚咽が漏れだす。知らず目に涙が溢れた。


 「僕を許していいの?」


 はい。と頷く彼女は穏やかな笑顔だ。シアーは思う。一体彼に何の罪があろうというのか。少年の涙は頬を伝い止まらない。

 世界がどんどん明るくなる。少年は彼女の手を取った。そしてついに闇の世界が弾けた。



 先ほどとは違い一面の光溢れる世界にシアーはいた。その横には彼女の手を握る少年の姿も。


 「眩しいね」


 目を顰めながらも嬉しそうに語る少年にシアーは微笑む。


 「僕、もう行くね」


 彼女の手を離し駆け出す少年に、あ。と僅かに寂しそうに眉尻を下げた。少年は少し立ち止まり、振り向くと満面の笑顔を見せた。


 「お姉ちゃん。ありがとう!!」


 あぁ。これで良かったんだ。少年の笑みにまた彼女も陽だまりの様な笑顔を返すのだった。



 骨騎士から光が溢れた。世界を染める輝きに皆が目を伏せる。だがその光はどこか暖かく、決して不快なものでは無かった。

 やがて光が収まれば、シアーは骨騎士から手を離し数歩離れた。するとどうだ。骨騎士が風化するかの様に、その身体が大気へと溶けだした。後に残った古ぼけた鎧と剣が音を立てて地面に落ちた。


 「シアー、お前…!!」


 ふらつき倒れかけた彼女をタクミは寸前のところで抱き留めた。彼女の息は荒く、視線もどこか虚ろだ。


 「…ぁ…タク、ミさん…」


 息が苦しい。身体は熱く、しかし冷たくもあった。それでも視線はぼんやりとしたタクミの輪郭を写した。


 「…無事で、良かった…」


 その言葉を最後にシアーの意識は遠のいていく。抱き留められている暖かさがどこか心地よかった。


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