12話 ~神々の山 その3 友~
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「おぉっ!!」ヒカルの剣閃がグリズリーの胸を斬り裂く。グリズリーはそれに構うことなく、その太い腕を振り上げた。ヒカルめがけその腕を振り下ろす。
小さな舌打ち一つ、ヒカルは素早く後退する。腕がヒカルのいた場所を叩きつけた。勢いに乗った一撃は足元の岩を難なく砕く。腕を上げれば、砕けた岩がぱらぱらと落ちていく。
ヒカルは油断なく構えながらグリズリーを睨む。厄介な相手だ。肉が固く斬撃が上手く入らない。刺突しようにもあの腕による一撃が危険だ。しかしあまり時間を掛けられない。背後にいるタクミを、ちらと見やる。
満身創痍。顔色も悪く、息が荒い。立っているのもやっとの状態の彼を一刻も早く治療しないといけない。
「――!!」
グリズリーは咆哮を上げ、ヒカルに向かって突進する。しかしその目はヒカルを見てはいない。その背後、タクミを狙っているのだ。
「いけない!?」
巨体に任せた突進はヒカルには止めることが出来ない。タクミに駆け寄り、彼を抱きしめ横に飛ぶ。間一髪、巨体が通り過ぎた。
二人が縺れる様に転がり、ヒカルがタクミの上に乗りかかる形で止まった。機敏な動作で立ち上がり、身体を見る。岩場を転がったにしては痛みが少ない。はっ、としてタクミを見た。傷だらけの身体はさらにボロボロになっている。
「タクミ!?」
急いで彼を介抱しようとした、その動作が止まった。彼の目を見たからだ。その目が語っていた。来るな、と。
「…その熊はお前にやるよ」
緩慢な動作で上半身を起こし、ヒカルに拳を突き付けた。任せた、と。
「…分かった」
ぐっと剣を握りこみ、タクミを隠すようにグリズリーに対峙する。タクミの下に行かせるものか。
烈火の如き気迫でグリズリーに立ち向かう。その様子を遠目に見ながら、
「へっ、あれなら大丈夫か」
(随分ヒカルに肩入れするな。友達言われて惚れたか)
くっくっ、と喉を鳴らしながらナナシが言う。タクミは半眼で睨みながら、
「うるせ」
(で、この山に打ちのめされた感想は?)
「…今は撤退する」
大きく息を吐くと、未だ見えない山の頂上を睨みつける。
―だけど。
「次は吠え面かかせてやる」
その減らず口を聞き、ナナシは大きく笑った。なんという少年だ。瀕死に近い体であって、なおその目には諦めは宿らない。或いは彼なら本当に神の座に届くかもしれない。この少年を選んだことは間違いでは無かったのだ。
「なぁ、ナナシ?」
(なんや?)
「お前は良いのか。ここまで来て引き下がることになるんだぜ」
(別にかまへん。神の座は逃げへんしな)
そこでふと昔の自分ならどうするか考えてみた。おそらく何が何でも連れて行こうとしただろう。例えそこでこの少年が力尽きたとしても。
随分変わったと思う。少しこの少年とその周りに毒されたのかと。しかし悪い気分では無かった。
「…そうか」
それからヒカルが勝利を収めるのは間も無くのことだった。
「…いらっしゃい」
麓の寒村の道具屋。ドアが開く音を聞き、店主がそちらを振り返るでもなく気の抜けた挨拶をする。遅れてようやく振り返ればそこには誰も居ない。
気のせいか。と首を傾げ奥に下がろうとしたその時、声がした。
「ふふ。少し尋ねたいのだけど?」
驚いて振り向けば、仕切り席の向こう、妙なローブを纏った男とも女ともつかない者が立っていた。
「あ、あぁ。なんだい?」
店主は平静を務め様としているが、声は上擦り震えている。おかしいと思う。自分とて、ならず者の客を相手にしたことは一度や二度ではない。それなりに肝も座っている自信がある。だがこの目の前の人物だけは異常だ。にこやかに見つめられている。ただそれだけなのにどうしてこうも鼓動が速くなるのか。何故汗が止まらないのか。彼、彼女?は仕切り席に肘をつくと、ゆっくり体を預けた。
「少し前に見慣れない子が何か売りに来てなくて?」
笑顔のまま閉じられた瞳が薄く開いた。それだけで店主は息を飲んだ。まるで蛇に睨まれた蛙だ。
「あ、あぁ。確かに来たよ」
目の前の人物に嘘や誤魔化しは効かない。いや、そんな事をすればたちまちに命が無くなっているだろう。なぜだか分からないが、そんな確信だけがあった。
「見せて欲しいのだけど?」
「す、少し待ちな」
背後の棚から目的の物を探す。程なくして見つけたそれを仕切り席の上に乱雑にぶちまけた。
「あのガキ、こんな物売りやがって」
忌々しげにそれを見て、店主は愚痴をこぼす。こんな状態になると分かっていたら買うことなど決してしなかった。店主が広げたそれをその人物は手に取った。
「へぇ。見事にボロボロね」
それら全てが数年間、野に晒された様に朽ち果てていた。
「ちっ。あのガキが去って数刻も経たないうちにこれさ。金を返してもらいね」
「あら、どこかへ行ったの?」
「何でもクレストに登るんだとさ」
せめてそこでくたばりゃ、溜飲も下がるんだがね。と吐き捨てる店主を尻目に、朽ちた品々の中にある一つの物を手に取った。
「あん?それが欲しいのかい。だったら持っていきな」
「あらいいの?」
「あぁ、どうせゴミだ。それに無くなりゃガキの面を思い出さずに済む」
そう。と頷くとその人物は懐にそれを仕舞った。そして店を出る前に店主へと振り返り―。
「あなたは賢明ね。私の機嫌を損ねなかったもの。だから―」
―あなたは死ななかった。にこやかにそう言い残し去って行った。パタンと扉が閉まると同時、店主は腰が砕けた様にその場へ座り込むのだった。
村の中をその人物は歩く。懐から朽ちた名札を愛おしそうに撫でながら。その仕草に横を通り過ぎる村人はやはり気にしない。いや気付かないのか。
「そう。あなたタクミって言うのね」
満足そうに呟くと、名札を握りつぶした。手を開くと風に乗り砕けた残骸が風に乗って消えていく。そしてやはりと言うべきか、その人物は影に入るとまるで飲み込まれる様に消えていった。
「タクミ…」
ヒカルは剣を鞘に仕舞うとタクミの下へ近づく。タクミはむぅ。と唸る。黙って居なくなったことをどう説明すべきか。先ほどまでは戦闘中だったこともあり、そこまで考えなくて済んだのだが。
一歩ずつ近づくたびに居心地が悪くなる様。しかし考えが纏まらないうちにヒカルはタクミの下へとやって来た。
「…あのよ」
「大丈夫か?」
何か言うより早く、ヒカルから声が掛けられた。あぁ。と頷くと。ヒカルは良かった。と笑顔になり、
「じゃあ少しくらい我慢できるよな?」
何が?と言う間も無くタクミの頬が殴られた。その衝撃で起こしていた上半身が再び倒れた。口の中に鉄の味が広がる。遅れてじんじんと頬が熱く、痛んだ。
「何しやがる!?」
無理やり上半身を起こし、口の中の血を吐く。ヒカルを睨みつければ、彼もまたそれ以上に睨み返す。
「俺達はそんなに信用できないか?」
声色低く問うヒカルにタクミは口を噤んだ。
「俺達は、世界が違うから、信じられないのか」
「…そんな事は…」
「だったら何故、何も言わずに居なくなった!!」
タクミの両肩を掴み、真直ぐな目で彼の目を睨む。タクミは目を伏せた。そんな目で俺を見るな。俺は―。
彼の肩がわなわなと震えだし、ヒカルの腕を掴んだ。
「…うるせ」
「何!?」
「うるせぇって言ったんだ!!」
ヒカルの目にとうとう彼の感情も爆発したのだ。
「何なんだよお前は!!そんな目で人を見てきやがって!!」
溢れた感情は留まることを知らない。ヒカルの胸倉を掴み、
「俺はお前が羨ましかった。どんな時でも真直ぐなお前が眩しかったんだよ!!」
自分の様に捻くれず、真直ぐな目で人の心を盗む。そんなヒカルの姿こそ自分が冷笑しながらもそうなりたいと思う姿だったのだ。
「…タクミ」
「だけど俺はお前じゃない!どう足掻いたってお前にはなれないんだ!!」
結局のところ自分は自分以外にはなれない。それはタクミもよく理解していた。だからこそヒカルを見る度に心の中に羨望と嫉妬が渦巻くのだ。
「そんな俺が一緒に来てくれなんて言える訳ないだろ!!」
ヒカルを突き飛ばし、項垂れる様にはぁはぁ。と肩で息をする。
「言いたいことはそれだけか」
声色はとても冷たかった。ヒカルは立ち上がり目を伏せたまま、ずかずかとタクミ下へ来た。そして今度は彼がタクミの胸倉を掴み上げた。
「ふざけるな!俺だってお前が眩しかったんだ!!」
「…な?」
「お前は何時だって立ち続けていた!そんなお前の姿に憧れていたんだよ!」
タクミには力は無い。ロインに少しは鍛えられたが、自分の様な剣術も持たなければ、シアーの様に魔法も使えない。唯一持つのは反魔法の力だが、それとて絶対無敵という訳では無い。
だが彼はその無力をものともせずに、相手が何であろうとも全力で立ち向かう。そして倒れることなくどんなに傷ついても立ち続けるのだ。その姿に自分も諦めないと何度心が奮い立ったことか。何時かの女人もそうだったのだろう。
「だから俺はお前の友達になろうと決めた!!そんなお前を助けたかったんだ!!」
「うるせぇ!!それはお前の買い被りだ!!俺はあの時、シアーを助けず逃げようとした!!」
「それでもお前は助けてくれたじゃないか!!」
「攫われた奴等を諦めろってお前に言った!!」
「だけどお前は諦めなかった!その姿にあの人も救われていた筈だ!!」
「俺はお前の思うような奴じゃない!!」
「そんなことあるもんか!!」
言い争いはしばらく続き、やがてヒカルも疲れた様に座り込んだ。息を整え、その目はタクミを真直ぐに捉える。その瞳を見てタクミは、うっ。と言葉に詰まった。
「俺はお前を信じる。そう決めたんだ」
「…ったく、どこまでもお人好しめ」
はぁ。と息を吐き、頭を掻きむしる。あまりにも真直ぐで、あまりにも純粋で。太陽の如きその姿にタクミもとうとう白旗を振るのだった。
本当コイツには敵わない。
「そうだよ。これが俺の性分だ」
笑いながらそう言って立ち上がると、タクミに近づき手を差し伸べる。その姿が太陽の輝きを受けてまさしく名前が示す様ではないか。タクミは目を細めた。何処までも眩しい奴だ。いや、それでは駄目なのだ。友になるということは対等ということだ。
今度こそタクミの目はしっかりとヒカルを見据え、その手を確かに掴んだ。その手は随分と暖かかった。
「なぁヒカル。一ついいか?」
ヒカルに助けられ共に山を下りる中、不意にタクミが口を開いた。
「どうした?」
「なんで俺と友人になりたいんだよ?」
ヒカルは、はは。と笑い、照れくさそうに鼻を掻いた。
思えば自分はタクミに助けられてばかりだ。だがそれでは駄目なのだ。友とは横に並び立つものだから。助けられるだけではなく、タクミを助けたい。きっとその思いが始まりだ。
「さぁ…。どうしてかな?」
ただ、それを言うのは憚られるので言葉を濁した。横目でタクミを見れば半眼で睨んでいた。肩に置いた腕を首に回し、
「テメエ、良い度胸じゃねぇか」首を締め上げた。
「ちょっ…!苦しい!!止めろ」
それでも二人の顔は笑っていた。はしゃぐその姿は正に年相応の友人の様ではないか。やがて腕の力を抜くと、
「ほら、俺は病人なんだ。さっさと運べ」
「そんな元気があれば大丈夫だろ…」
まったく。しょうがない奴だ。と溜息を吐けば、タクミの頭が動いた。彼は何とも言えない表情で見えぬ頂上を見据えていた。
「…どうした?」
「…いや、何でもねぇ」
その目が少し寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。タクミは全てを投げ打つ覚悟でここまで来たのだ。それが達成できなかった今、彼の胸中には何が宿るのか。ヒカルの眉尻が下がった。タクミはそれを知ってか知らずか、小さく笑うと何事も無かった様にヒカルに体重を預けた。
ヒカルが重いと抗議の声を上げるが、タクミは気にせずどんどん体重をかけていく。そんなやり取りをしながら二人は下っていった。
山のどこか。去って行く二人の姿を遠くから見る姿があった。白銀の鎧を纏う彼の目にはおよそ感情というものがない。
「あら、追わないの?」
すぐ背後から声が掛かった。驚くことなく振り向けば、そこには何時からいたのだろうか。男とも女ともつかない人物が。
「―貴様か」
すっと腰の剣に手をやる。金属の鳴る音がした。それに動じることなく大仰に肩をすくめ、
「あら、怖い。私たちの争いは御法度よ」
くすくす、と笑いながら騎士と同じ方を見た。タクミとヒカルは遥か彼方だ。普通ならその姿を見る事など出来る訳が無い。だが彼、或いは彼女はまるで見えるかのように笑みを深めた。
「面白いわ、あの子。私も少し動こうかしら?」
ね、どう?と騎士を見ればそこに姿は無い。名残の様に小さな旋風が残るのみだ。
「ふふ、せっかちね」
再び二人の方を見やる。何が可笑しいのか、笑い声は少しずつ大きくなり、やがて狂笑の如くに変わっていくのだ。
「せいぜい死なないでね。アハハハ!!」
山の天気は移ろう様に再び暗雲が立ち込め始めたのだった。
さて、下山できたがそれからが大変だった。タクミの怪我もそうだが、それよりも体調が芳しくない。ずっと無理をしていたようだ。これではとてもではないが王都に戻ることは出来ない。そのため麓の寒村に逗留することになった。それが吉となったか、幸いにも数日で歩けるくらいには回復はしたが。
タクミが出歩けるようになり一度道具屋の店主を見かけた。彼はタクミを見るや否や怯えた様に逃げ去って行く。タクミはそれに首を傾げるのみだった。
馬車に揺られ、ゆっくりとかの山は遠ざかっていく。二人はそれを見続けた。クレスト山脈、神々の住まう山と言われる場所だ。
雲がかかってなお悠然とそびえ立つその姿は、神々しさも感じられ、禍々しくもある。まるで全ての者を拒むかの様だ。
ふん。とタクミは鼻を鳴らした。次に来た時は覚えておけよ、と心に誓う。借りは返さねば気が済まないのだ。
(遠ざかっていくなぁ)
ナナシがぼんやりと呟く。そういえば、ふと気づいた。クレスト山脈でも彼の忘れられた記憶は戻らなかった。神の座に近づいて、或いはとも思ったのだが。
「どうした、ナナシ?」
考え込む気配を察したのか、タクミが声を掛けた。
(いや、ワイの記憶は戻らんかったな。って)
「そういえばそうだな」
(まぁ、別にいいんやけどな)
なんだそりゃ。と顔と杖を突き合わせて同時に笑う。そこにタクミ。と呼ぶ声があった。ヒカルだ。どうしたと振り返れば、
「帰ったら、覚悟しとくんだぞ」
「何の事だ?」
「シアーがきっとお前を叱るって思ってさ」
あぁ見えてアイツは怒ると怖いんだぞ。少しばかり意地悪い表情と口調にタクミはクスリと笑う。
「そうだな。帰ったら目一杯叱られるさ」
そう。帰ったら―。
馬車は帰路に向けて進み続けるのだった。
次の話は早めに投稿します。出来たら週一くらいで…(´・ω・`)




