10話 ~神々の山 その1 神々の山へ~
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クレスト山脈。大陸のほぼ中央に位置する霊峰とも神の住まう場所とも呼ばれる場所だ。何時からそう呼ばれだしたのか。天を突く様に悠然とそびえ立つその姿に人は畏怖を覚えたのかも知れない。或いは神の座から降臨する神を本当に見たのか。とにかく、いつからかそう呼ばれだしたのだ。
そしてここはその呼び名が示す通り、人が居て良い場所ではない。むき出しの岩石に、万年雪。登るにつれて急変する高山特有の天気の移ろいやすさ。その全てが人の存在を拒むようではないか。
岩場の隙間を大蛇の魔物、サーペントが這いずる様に進む。平地で見かけるそれよりも大きさが一回りも二回りも違う。サーペントが獲物を見つけた。野兎だ。かま首をもたげ、一呑みにせんと野兎へと襲い掛かる。サーペントの咢が野兎を捉えかけた時、それはぶるりと震えた。みちみちと肉が持ち上がり、眼光鋭く牙が生えた。ジャイアントラビットだ。
サーペントの牙が食い込むより早く、ジャイアントラビットはその牙をサーペントへ打ち込んだ。
「―――ッィ!!」
気味の悪い悲鳴を上げ、サーペントは倒された。しばらくぶりの御馳走だとサーペントの身体にさらに牙を打ち込む。
ひたすらに肉を貪るジャイアントラビットの背中に影が差した。何者かと振り返れば空から急降下する羽の生えた蜥蜴、ワイバーンが。獲物を見つけたとギィギィと嗤う。
そしてその爪と牙で獲物を屠り、その肉を喰らいだした。
この山に住まう魔物は、例え同族とて徒党を組むことは少ない。生き物の少ないこの山では自分以外は皆、生きるための糧なのだ。
そしてそれこそが人の入らぬこの山を支配する唯一の戒律。弱肉強食なのだ。
その山を行く者が一人。頭巾で顔中まで覆い、一歩一歩踏みしめる様に歩み続ける。やがて息苦しくなったのか顔を出した。彼はタクミだ。いつもの旅服の上から防寒着を纏い、背負った荷物の間からはナナシが無造作に差し込まれている。
(なぁ、ホンマに良かったん?)
ナナシの問いに短くあぁ。とだけ答え、黙々と登り続ける。今が夏で良かった。タクミはそう思う。着込んでいる今でも肌寒く感じる気温に、周囲を見れば残雪がちらほらと。これがもう少し季節が過ぎていればおそらく一人での登攀は不可能だっただろう。
「少し、休むか」
近くの手ごろな岩場に腰を落とす。水袋から一口飲み、一息つく。随分登ったように思えるが頂上は未だ雲に覆われその姿を見ることは出来ない。あの時、去り際にツクヨミから言われた言葉を思い出す。
―神の座は、クレスト山脈の頂上にあります。―
タクミは目的地の場所を遂に知ったのだ。そうすれば後は早い。装備を整え、出発の支度を終えた。後はあの二人に気付かれないうちにあの家を出て、どうにかこの山の麓にまでたどり着いた訳だ。
(黙って出てきて、今頃あの二人心配してるんちゃうか)
「うるせ」
そんなことはタクミとて分かっている。だがこれはタクミ自身の問題なのだ。だから着いて来てくれなどとは言えなかったのだ。仮に言わずとも、あの二人の事だ。知れば黙ってでも着いてくるだろう。
ならば別れをしっかりと言っとくべきだったのだ。しかしそれも出来なかった。面と向かって別れを切り出せないほどには彼らとの生活が気に入っていたのだろう。どれも出来ない自分は結局逃げる様に去ることしか出来なかったのだ。
(けど、ツクヨミの奴も言うとったやろ)
ナナシの呆れた様な声色に、フンとそっぽを向く。彼女は確かにこうも言っていた。
―決して早まった真似はなさらない様に。―
彼女曰く、神の座へはとても人の足で行けるものでは無いと。クレスト山脈は深山幽谷。そこへ赴くのは自殺行為にも等しいと。
ならば確かめてやるとタクミは躍起になったのだ。或いは神の座を知ったことによる焦りもあったのかも知れない。
「…どっちにしろ、いつかは行くところだろ?」
なら早い方がいいだろ。と干し肉を齧った。ナナシもタクミを止めなかったのは同じ思いからか。
(まぁな。でもそんな荷物よく買えたな)
タクミはこの世界の金をほとんど持ってはいない。ならばどうやって今の装備、道具を買えたのか。
「あぁ。俺の私物を売った」
事も無げに言う。タクミの私物。それはこの世界に一緒に持ってきた教科書とか、ノートとか。確かに珍しいものだろう。だが。
(…それ、いいの?)
「大丈夫だろ。…多分」
そんな事よりも先を急ぐ方が重要だ。とタクミは立ち上がり上空を見た。灰色の空はさらに色を濃く、今にも落ちてきそうだ。
「…拙いな。天気が変わりそうだ」
タクミの予想は程無く的中した。
冷たい雨がポツリポツリと降りだし、地面を黒く濡らす。やがて雨は勢いを強め、殴りつける様に吹き荒ぶ。打ち付ける雨は容赦なくタクミの体温を奪う。ガレ場に足を取られそうになりながらもその彼は走り続ける。
空からは数体のワイバーンが彼を襲う。一体が爪を翳し、また違う一体は炎を吐く。そのどれもがタクミを一撃で致死に追いやるものだ。
紅蓮の炎が背負った荷物を舐めた。雨にもかかわらず燃え移った炎は荷物を飲み込み、またタクミをも喰らわんとする。
くそ。悪態を吐き、燃え盛る荷物をワイバーンへと投げつける。しかしそれを爪で払い除け、怯むことなくタクミを追いつめる。
「この蜥蜴野郎が!!」
覚悟を決め、ナナシを手に戦闘態勢に入る。だが、
(逃げんかい!!今のお前じゃアイツ等に勝てんわ!!)
ナナシの怒号が飛ぶ。魔物についてはナナシの方が詳しいのだ。ぐっと歯噛みし、踵を返し再び走り出した時だ。
とうとうガレ場の石に足を取られた。上半身が傾き、転ばぬようにと体勢を何とか維持しようとする。それは大きな隙となり、それをワイバーンは逃さない。その爪がタクミを捕らえた。握りこまれた爪がタクミの身体へと食い込む。
「がはっ!」強烈な握力がタクミの身体を締め上げ、ミシミシと骨が軋む。ブツリと嫌な音がした。爪が彼の腕に差し込まれ、そこからどんどんと血が溢れ出してくる。
何とか逃れようと必死にもがくが、抑え込まれた身体は動かすことが出来ない。
(ちぃ!だから言うたやろ!)
タクミを背後から押さえつけるワイバーンへナナシの先端を合わす。そして顔面へと勢いよくナナシを伸ばした。
「―!?」弾丸の如くナナシが襲い掛かる。だが狙いが僅かに逸れたのかワイバーンの肩を掠めるにとどめた。
別の一体がタクミからナナシを強引に奪い取る。
「くそ!返しやがれ!!」
ギィギィと嗤うとその場へと放り棄てた。からんと音を立ててナナシが転がる。ワイバーンの爪が緩んだ。力を振り絞り、身を捩る。爪の拘束から抜け出し、ワイバーンへと振り返った。奴らは下劣な笑みを浮かべていた。タクミの足掻きを嗤うかのようだ。
ちっ。と舌打ちし、ナナシへと駆け出す。その手がナナシを掴みかけた。が、
「ぐあ!?」背中に衝撃が走り、タクミは転がった。ガレ場の岩がタクミを容赦なく傷つける。振り向けばまた別の一体が彼を蹴り飛ばした様だ。立ち上がろうとすればまた地面を転がされる。容赦なく、何度も。まるで蹴鞠の様に。ガレ場の岩に頭をぶつけたのか、とうとうタクミの意識が飛んだ。
(兄さん。しっかりせぇ!!)
ナナシの叫びが響くもタクミには届かない。ワイバーン達が醜悪な笑みのままタクミを掴んだ。そして翼をはためかせ、そのまま彼を連れたまま空へと消えていった。
(くそぉ!くそぉぉおっ!!)
あとに残されたナナシの叫びがむなしく響くだけだった。
それは数日前の出来事だ。ヒカルが焦る様に家の周囲を駆けずり回る。何かを探すように。家の中へ戻ればシアーが、立ち尽くしていた。
「シアー!タクミはいたか?」
「兄さん。これがタクミさんの部屋に…」
シアーの震える手が差し出したものは紙きれ。
それは彼女が今朝、珍しく起きてこないタクミを起こそうと彼の部屋へ訪れた時の事だ。
「タクミさん。朝ですよ?」
しばらく待つも返事が無い。それどころか人のいる気配が感じられない。不思議に思い、入りますね。とドアを開ければ彼女の目に飛び込んできたもの―。
そこは綺麗に片付けられた部屋だ。まるで最初から誰も居なかった様に。そんな。と手を口に当て、息を呑む。そして部屋の中央の卓には一枚の紙きれが。
これには覚えがある。タクミが持っていたものだ。それにはたどたどしい文字でこう書かれていた。
―世話になった。
紙を握りしめ、大急ぎでヒカルへと知らせに行くシアーだった。
ヒカルは街中を駆け回りタクミを探す。一体どこへ行ったのかと。タクミがいそうな場所へ探し回るも彼の姿を見つけることは無い。
思えば彼は一心教の神殿に行った後から様子がおかしかった。表面上はいつもと変わらなかったが、どこか心ここにあらずと言った調子だったのだ。ならばと神殿へと向かった。彼の手がかりを掴めることを祈って。
「タクミ様が居なくなったのですか!?」
一心教の神殿にある小部屋にツクヨミの驚いた声が響く。その横のユーリは声こそ出さなかったがその目は驚愕に見開かれていた。
「はい。それでここに来てはいないかと思いまして」
「それは…」
ツクヨミが言い淀む。何かを知っていそうな態度だ。
「何か知っているのなら教えてください」
ヒカルの真直ぐな瞳が彼女を映しだす。ツクヨミは数舜思案したかと思うと、
「…分かりました。これは私が原因でもありますから」
「ツクヨミ様…」
心配そうに見やるユーリに眉尻を下げた笑みで心配するなと頷く。
「私があの方に神の座の場所をお教えしました」
「それって…」
「はい。あの時はタクミ様以外の方には知る必要が無いと思い、欺いておりました」
申し訳ありません。とツクヨミが頭を下げる。ヒカルの握りこんだ手が動き、どうして。と、彼女の肩を掴みかからんとしたその時だ。その手がそっと包み込まれた。少し冷やりとした懐かしい感触、ユーリの手だ。隣を見れば彼女が首を振った。分かってあげてと言わんばかりに。
「そしてその場所はクレスト山脈の頂上にあります。」
「なっ…!?」
「はい。あそこは霊峰とは呼ばれるものの、その実、人を寄せ付けない気候と強力な魔物達に支配された場所でもあります」
「じゃあ、タクミはそこに向かって…」
「おそらくは。全ては私の失態です…」
今一度頭を下げるツクヨミを尻目に、すぐに追いかけようとするヒカルを待って。と止める声が。ユーリだ。
「あなたまで行っては駄目よ」
「どうして!?」
「あそこはあなたでも生きて帰れる保証はない。それに何かあったとき
―」
彼女は何か決意するように息を吸った。
「シアーはどうするの?」
その言葉にヒカルが止まった。この世でたった二人きりの兄妹。それを悲しませることは出来ない。
それが分かっていながらユーリはそんなことを言ったのだ。私はなんて嫌な女だ。どちらも選べない事を知ってなお天秤に掛けるなんて。しかし動かないヒカルに安堵している自分もいるのだ。本当に自分が嫌になる。
責苦に耐える様な表情のヒカルは動き出せなかった。
帰路の道をヒカルは力なく歩く。胸中にあるものは、黙っていなくなった彼に対する疑問だ。
―何故だ。タクミ…。
自分は彼の事を仲間だと思っていた。だからこそ何か抱えているのならそれを教えて欲しかった。あの捻くれ者はいつだって自分の事を語らない。それを寂しく思うし、いつか自分から語ってくれるのを待っていた。だがその結果がこれなのだ。
―いや、違う。
仲間だと思うなら何故自分からもっと近寄ろうとしなかったのか。遠慮した。彼の態度に拒絶を感じた。理由など後からいくらでも出てくる。だがそれでは駄目なのだ。ましてやタクミはこの世界で独りぼっちなのに。
思えば彼には世話になりっぱなしだった。だからだろうか、いつからか彼を眩しく感じるようになったのは。
どんな時でも諦めず、すべてを振り絞って目の前の障害を乗り越える。そんなタクミの姿に羨望を覚えたのだ。
―だから俺も。
その目に宿った光は覚悟を表わすものか。
自宅へ戻ったヒカルをシアーは黙って迎え入れた。椅子に腰かけ、話がある。とシアーを呼ぼうとした時だ。
「本当は行きたいんですよね。兄さん」
隣に座ったシアーがお見通しとばかりに微笑んだ。何故?驚いたようにシアーを見つめるも、
「兄さんは分かりやすいですから」
ふふ。と口に手をあて静かに笑う。たった二人の兄妹なのだ。彼の覚悟が分からぬ彼女ではない。だからシアーはこう言うのだ。
―行ってあげて下さい。
でも。真剣な表情になりヒカルを見つめた。
「必ず二人で帰ってきて下さい」
あのままお別れなんて私も嫌です。そう言う彼女に任せろと深く頷いた。
「すみません。後の事はお願いします」
あれから一時の間も置かずに支度を整えたヒカルが、シアーの隣にいるロインへと頭を下げる。後の事と言うのは勿論、留守の間やシアーの事もあるが。それ以上に帰らない時の事もある。
「分かっております。出立等諸々の手続きも終えております。何も心配はいりません」
ただ。ロインらしからぬ少しおどけた口調で、
「私も忙しい身。故に長い留守は困ります」
ヒカルは初めきょとんとしていたが、やがて二人が示し合わせた様に笑い出した。
「ははは。ロインさん、タクミみたいですよ」
「ええ。私も彼に毒された様だ」
ひとしきり笑い合った後、彼等は真剣な表情で、
「では、行ってきます」
「お気をつけて」
ヒカルの姿が見えなくなるまで二人はその場を動くことなく見送り続けた。やがてロインも去り、彼女一人になった時だ。糸が切れた様にその場へと座り込んだ。
涙がとめどなく溢れ出てくる。本当は兄を止めたかった。二度と会えぬかもしれないのだ。だがタクミを連れ戻してほしい気持ちもあり、着いて行きたかった気持ちもある。様々な感情が渦巻いて、結局自身の無力さに打ちひしがれるのだ。
声を押し殺して泣く彼女の肩にそっと手が置かれた。振り向くとそこにはユーリの姿があった。それで限界だった。ユーリに縋る様に抱き着き、姉さま。と、わんわん泣きだした。
「ね、姉さま。私…私…!!」
幼子の様に泣くシアーをただ黙って包み込む様に抱きしめる。そして背中をあやすように撫で続けた。あなたは強い子だ。涙を見せること無く、送り出したのだから。その想いをしっかりと込めて。
ユーリは空を見た。その向こう、さらに先、彼方へ。見えない霊峰へ向かって祈る様に目を閉じた。二人の無事を祈願して。
―必ず帰ってきなさい。
ご閲覧ありがとうございました。
次はなるべく早く更新しま…出来たらいいなぁ(ぇ




