間章2 ~風邪と見舞客~
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初夏の早朝。太陽の登りは随分と早い。鎧戸が音を立てて開かれた。シアーだ。今はいつもの旅服ではなく、質素すぎる平服を着ている。
目を瞑りすっと大きく息を吸う。早朝の清廉な空気がまるで体内を清める様。目を開けばそよ風に新緑が揺れた。
王都の端、住宅街から僅かに外れたその一角。そこにこの兄妹の家があるのだ。良い場所だと思う。もっともこの家は二人で住むには大きすぎるのだが。かつてこの場所と家を用立てたゲルトに大きすぎると固辞したこともある。だがゲルトは、
「王族たるものこれでも質素すぎるくらいですぞ」
その後、とくとくと王族とは何かを説き伏せられたこともあった。その事を思い出し小さく笑った。さて、こんなに気持ちのいい朝なのだ。
「―少しくらいいいですよね」
一人呟き朝食の支度に入る。手際よく食材が調理されていく。程なくして出来た朝食はいつもより少し豪勢だ。少しくらいこんな日があってもいいはずだ。こんなにも気持ちの良い朝なのだから―。
―そんな気持ちの良い朝も彼にとっては無関係だった。
「げほっ」と寝台の中から咳き込む音が聞こえた。タクミだ。身体が熱っぽいのか顔が仄かに赤い。
「くそっ…痛てて」
昨夜の酒が引きずっているのか、頭痛によって悪態もまともに吐けない。
(なんや風邪に二日酔いか?)
「…うるせ」
(酒飲んだことあったん?)
「…初めてだよ」
(アホちゃうか。度数の高い酒はもっと慣れてからや)
やれやれと言った様なナナシの声だ。いつもならここでタクミの反論やら何かがあるが、それが無い。どうやら本当に調子が悪いようだ。ふふん、とナナシのご機嫌そうな声が。
(全く情けないのぉ。これから神の座探すんちゃうの?)
これはあれやな。ワイを粗末に扱ってきたから神様からの罰やな。まぁワイが神様なんやけど。これに懲りたらワイをもっと丁寧に扱うんやで。
鬱憤を晴らそうというのかやけに饒舌だ。
この野郎、覚えとけよ。と、半眼で睨むもナナシの口は止まらない。
コイツは俺に恨みでもあるのか。と心当たりを思い返せば―。
―色々あった。
くっ、と悔しそうに歯噛みするがナナシの口は止まらない。そしりはしり、の嵐だ。
(こう見えても心配してるんやで)
取り繕うように言うナナシだが、とてもそうは見えない。タクミは力を振り絞りナナシを掴むと、
「…すまんな。俺は今から面会謝絶だ」
(…え?ちょ、ちょっと待って…)
窓に向かって思い切り投げ捨てた。(あ~れ~)と反響を残し外に飛んで行った。
「…これで良し」
これで煩いのはいなくなった。誰かに拾われる可能性もあるが、まぁ大丈夫だろう。多分。
「さて、寝るか」
風邪の時は寝るに限る。目を閉じ、しばらくした時だ。
「タクミ、起きてるか?」
ドアの向こうからヒカルの声が聞こえた。「おう」と一声かけると彼が入ってきた。
「シアーから風邪って聞いたけど大丈夫か?」
そう言うヒカルの表情は心配こそすれど曇ってはいない。どうやら少しは吹っ切れたみたいだな。安堵した様に息を吐く。
「って、なんで俺が安堵するんだよ」
「ど、どうしたんだ?」
「…いや、何でもない」
そうか。と少し引き気味の視線は風邪のせいか。と、一人納得している様だ。
「ところで何かいるか?」
「大丈夫だ。煩いのもいなくなったしな」
煩いの?首を傾げたが、すぐに合点がいった。そう言えば外にナナシが落ちていたな、と。文字通り触らぬ神に祟りなし。見て見ぬふりをしたが。
「それよりも思ったより元気そうで安心したよ」
「あぁ、っていうかなんでお前は二日酔いしていないんだよ?」
「ん?まぁ飲む機会が色々あったからな」
少しは慣れているさ。事も無げに言うヒカルにふと疑問が沸いた。
「そういやお前、何歳だよ?」
「俺?十七だけど」
「…年上だったのか」
ちなみにタクミは十六だ。そこにさらなる疑問が。
「ちょっと待て。お前未成年なのに飲む機会が多いってどういうことだ?」
自分の事を棚に上げて言うタクミに、ヒカルが不思議そうに首を傾げた。
「何言ってるんだ?俺たちは十五で成人だぞ」
あぁ、シアーも十五になっているから成人してるな。と呟くヒカルを呆然と見た。
どうした?とタクミの様子を不思議に思う。
「いや、何でもない」
そうだ、ここは異世界。勝手が違って当たり前。ましてや自分の国の法律など当てはめる事など出来ないのだ。だから大丈夫だ。何が大丈夫か分からないがとにかく大丈夫なのだ。
うん。と一人強引に納得しているタクミを引き攣った笑顔で見た。何故か分からないがあまり突っ込まない方がよさそうだ。
「ま、まぁ。今日はゆっくりするといいさ」
色々と勝手が違うから疲労がたまったのかもな。ここで元の世界と言わないのがヒカルたる所以か。
―あぁ、これは人望が集まる訳だ。
げほっと再び咳き込みヒカルが「大丈夫か」と近づいた時だ。足がもつれ寝台に倒れこんだ。それはタクミの上に乗りかかる形になり、
「痛ぇ!!何すんだ。離れろよ!」
「す、すまない!!」
更にそこに柔らかい声が響いた。
「タクミさん。どうしました、大丈夫ですか?」
「何でもない!開けるな!!」
だが時すでに遅く「え?」と言う声と共にドアが開いた。
彼女の目に映ったもの。それは兄が捻くれ者を押し倒している姿だ。
「えぇと…その…」
理解が追いつかないのか言葉が出てこない。ヒカルとタクミも何か言おうとするが「うぉ」「ぬぁ」とやはり言葉が出ない。時が止まったかのようだ。
やがて状況を飲み込んだのか彼女の顔が見る見る真っ赤に染まり、
「ご、ごごごめんなさい!!」
踵を返しその場から走り去っていった。
「待て、誤解だ!!っていうかお前も早く降りろ!!」
「す、すまん!!シアーの誤解は俺が解く!!」
シアーの後を追い走り去るヒカルの後姿を見つつ、
「なんだこの状況は…」
一気に疲労感に襲われ、パタリと倒れこむのだった。
「う、うん…?」
微睡んでいた意識が浮かびがった。どうやらいつの間にか寝てしまっていたようだ。額には冷やりとした感触が。氷嚢が載せられていた。
「あ、目が覚めましたか?」
寝台の傍にはシアーが腰かけていた。
「あぁ。これはシアーが?」
「はい。それと…さっきはごめんなさい」
恥ずかし気に目を逸らしながら謝る。先ほどの騒動の事か。
「いや、もういいさ」
身体の調子はまだ本調子とはいかないまでも、寝たおかげか先ほどまでの苦しさは薄らでいる。どうせなら魔法で治してくれればいいのに。聞いてみるか。
「ところで風邪を治す魔法なんてないのか?」
「…ありませんよ。そんなの」
半眼で呆れたように呟いた。それに。と、人差し指をピンと立て、
「何でも魔法に頼るのはよくありませんよ」
嗜める様な表情と声だ。
「そうなのか?」
「そうですよ」
クスリと笑うと、タクミにどうぞ。と杯を差し出した。見れば中にはやけにどろどろとした緑色の液体が。
「…何だこれ」
「薬湯ですよ」
母様直伝でよく効くんです。思わず受け取ったがとても飲む気になれない色だ。
「というか臭うんだが」
「薬湯ですから」
「いや、遠慮…」
「飲んで下さい」
「これはちょっと…」
「飲んで下さい」
…というかコイツこんなに押しが強かったか。と思いつつ改めて薬湯を見るがやはり飲む気にならない。そうだ、こんな理不尽に俺は抗うんだ。
決意を込めてシアーを見た。いつもと変わらない柔らかい笑顔だ。だがその背後には有無を言わせない何かがあった。
「くっ…」
もろくも抵抗の意思は砕かれた。苦い顔をしたまま覚悟を決めた。ぐっと目を瞑り一気に飲み干す。口の中に何とも言えない苦みが走る。吐き出したい思いを堪え、何とか飲み干した。
「ど、どうだ!!」
その顔は汗にまみれながらも、使命をやり遂げた男の顔だった。空になった杯をシアーに手渡す。
「はい、ご苦労様です」
少しおどけた感じでシアーは言うと立ち上がり、
「病人さんはまた寝ておいて下さい」
タクミの寝台を整え直した。自分でやると言おうとしたが、まぁいいか。と任せることにした。
「では私は行きます。何かあれば呼んで下さいね」
では。と部屋を出るのを見送ると再び寝台に転がった。
「…ったく。散々な日だ」
風邪から始まり、煩く、誤解され、妙な物を飲まされる。
―だけど。
騒がしいくらい誰かが傍にいてくれる。それも悪くない。そんな考えに思わず苦笑が出る。
「さ、寝るか」
何か忘れているような気がするが、思い出せないなら気のせいだろう。程なくタクミの意識は沈んでいくのだった。
夜も更け、辺りは闇と静寂だけだ。そんな場所にナナシは転がっていた。
(…ワイの事忘れてへん?)
ナナシの傍にいたミミズクが呆れた様にホーホーと鳴くのだった。
活動報告の使い方を覚えました。
ひゃっほぅ。




