8話 ~上位魔族との闘い その3 決着、そして~
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薄暗い広間。相対するはタクミとガーゴイル。その視線は互いを滅ぼさんと睨みあう。
「ナナシ」
目を離すことなく、タクミが問う。
(なんや?)
「アイツは魔力で動いているんだな?」
(あぁ。その通りや)
「なら勝算はある」
(そうか。なら存分にやったらええ)
ぐっ、とナナシを握りこんだ。タクミの意思がどんどん流れ込む。それに反応するかのように杖が光り、反魔法の力が顕現する。
ナナシの意思が彼を捉える。お前の力を見せてみろと。
「…ヒカル。お前なら救えるんだろ」
彼を見ずにタクミが言う。ヒカルが待て。と、肩を掴んだ。
「お前一人で戦う気か!?」
タクミが振り返る。彼の目を見た時だ。思わず息を飲んだのは。肩からゆっくりと手が離れた。
駆け出すタクミをただ茫然と見送った。何故、彼一人に任せたのか自分でも分からない。だがあの目は有無を言わさなかったのだ。
「さぁ、始めようぜ。石ころ野郎」
ナナシを構え、ガーゴイルに対峙する。大きく息を吐き、心の奥底にある何かを開放する。血流の様に、身体の隅々まで巡るのが感じ取れた。同時に頭が冴えわたる。視界が広がり口の端が持ち上がった。まるで目の前の魔物と同じ笑みだ。とナナシは思う。
―テメェと同じ側の人間が来たぞ。
ガーゴイルもまた不快と警戒心を持って目の前の相手を見た。今までの人間はこのような目をしては無かった。自分を前に人間は恐怖と絶望に染まっていなければならないのだ。
「―ィ!!」
鳴き声を上げ、空に舞った。翼を羽ばたかせ、一息にタクミの下へと飛んで行く。
「おぉ!!」
彼もまた同時に駆け出す。互いがぶつかり合う。同質の者達の戦いだ。力は圧倒的にガーゴイルが上、だがそれだけで勝敗は決まらない。ならばタクミの意思とて負けてはいない。
石の爪が彼の頭上へと振り降り下ろされる。
体を右に捻り爪を躱す。爪の勢いは彼の衣服と肌を裂く。痛みが走るが彼は怯まない。捻った身体を戻す勢いでナナシを薙ぐ。爪を打ち付けるが、その音は随分と軽いものだ。だが―。
「―ァ!?」
ガーゴイルが驚いたように手を引き、その爪を凝視した。今のは一体何だ。打撃の痛痒など無いに等しい。だが打たれた瞬間確かにその腕から魔力が消え去ったのだ。
この人間は何者なのだ。その目が初めて驚愕に開かれた。
(ほう。反魔法をこう使うんか)
―反魔法。ナナシが持つ魔法を否定する力。その本質は魔法の源である魔力を霧散させる力である。そして魔力で動くこの魔物にとっては天敵ともいえる力であった。
「おおおぉ!!!」
ガーゴイルの懐に飛び込んだ。この巨体差だ。懐の方が攻撃を狭めることが出来る。降りかかる爪を紙一重で躱す。防御は出来ない。まともに受ければそれで終わりだ。しかし、すべての攻撃を躱しきることは出来ない。ならば致命にならぬ一撃は喰らってしまう。徐々にタクミは傷つくが―。
―それがどうした。
彼の凄惨な笑みがますます深くなる。痛みも疲労も感じられない。タクミの全ては眼前の敵に向けられている。反魔法の一撃をその爪に叩き込む。
―何度も。
「ックク―」
―何度も。
「ハハハ―」
―何度も。
「アハハハ!どうした、この程度かよ?」
(…フン)
タクミがまるで黒く塗りつぶされていくようではないか。それをどこかつまらなさそうに感じるナナシと、
「―…ぁ」
その顔をシアーは見ていた。あの時、―タクミが初めて戦った―と同じような笑みだ。
「…止めて…」
あんなことをしていてはいつか死ぬ。しかし彼があの表情をするのはいつだって自分が原因なのだ。いつかの時も今も。視界が滲み、目から涙が一筋流れ落ちた。
「彼は…」
ロインもまた息を飲みながらタクミを見る。
―これにはなってはいけないよ。
かつて師が修羅に対してこう言ったのだ。曰く、自身が軽いから死に平然と向かえる。死に向かえるから恐怖も、痛みも平然と感じることが無い。それは生きているのではない。死んでいないというだけなのだ。
あの少年はあの若さでなぜそれほどの境地に立てる?
「彼は一体何者だ…?」
汗がロインの頬を伝った。
(…ようやりおるわ)
それをナナシが見つめ、面白くなさそうに呟いた。何故と自分でも思う。かつての戦いでは歓喜に震えていたはずだ。だが今はタクミを見ても湧き上がるものが無い。
痛痒を受け、彼が傷つく。む。と不快感が押し寄せた。これではまるで心配している様ではないか。
ありえないと否定するも、その不快感は何時までも消えなかった。
「大丈夫ですか!?」
ヒカルの剣が女人を繋いでいた鎖を切る。倒れこむ彼女を支え、手に持っていた布で彼女の傷ついた裸体を覆い隠す。身体は随分と冷たく軽かった。ぐっと歯を噛みしめ、今も戦闘を続ける彼の姿を見た。
「…タクミ」
すごい奴だと思う。誰よりも力が無いはずなのに、今もこうして戦っている。彼にとって力の有る無しは関係ないのだろう。ただ降りかかる運命に、理不尽に抗うだけなのだ。その姿にヒカルもまた何かが沸き立つのを感じた。
「少し我慢して下さい」
彼女を背負うと、ロインの下へと走り出した。
「若!?」
「ロインさん。この人をお願いします」
背負った彼女を優しく下ろし、ロインに預けた。
「若、何をするつもりか?」
ヒカルの目は迷いなく、彼を見た。拳を握りしめ、
「タクミを助けます」
ロインが止める間もなくヒカルは走り出したのだった。
ガーゴイルが打たれる度に体内から魔力が消失していく。それに比例するかのように動が鈍くなり、身体がひび割れていく。
しかしそれはタクミも同じだ。いくら痛庸を無視したとしても蓄積されたそれはいつかは限界を迎える。とうとう膝を折った。逃すまいと、ガーゴイルの左腕がタクミをナナシごと掴み上げる。これで終わりだ。と言わんばかりにその腕を振り上げた。このまま地面に叩きつけるつもりなのだ。
「ちっ!!」
(アカン。このままやとミンチや!)
「まだだ!!諦めるな!」
ヒカルの声がした。
ガーゴイルの左腕に鈍い音が響く。ヒカルが腕を斬りつけたのだ。しかし彼の剣閃を持ってしても岩の腕を斬ることは難しい。何度も斬りかかる彼に、羽虫の如き鬱陶しさを感じる。
一体この人間達は何なのだ?諦めることなく抗い続けてくる。そもそもどうしてこうなった?それは腕に掴んでいるこの人間が原因だ。コイツが向かってきてから全ては狂いだしたのだ。
―コイツが、コイツが―!!
ぎり。と握りこむ力が強まった。みしみしとタクミの身体が軋む。このまま握り潰すか、叩き潰してやろう。ガーゴイルの力が更に強まった。
「…げほっ!!くそったれ!!」
(はよ、何とかせい!)
何度も足掻くが、拘束から抜け出すことは叶わない。その表情は苦悶に歪む。少しづつ身体から力が抜けていく。意識が遠のく直前の事だ。
「タクミ!!」
声がした。はっと声の方を振り向けば、ヒカルがガーゴイルの身体を駆けあがってくるのが見えた。左腕に到着すれば、すぐさま手首に剣を振り下ろす。何度も斬りつけるうちに腕の力が僅かに緩んだ。ずるりとタクミがその手から滑り落ちた。
「手を伸ばせ!!」
ヒカルが差し伸べた手をタクミが掴む。離すまいと強く掴まれた手は彼が落ちて行くのを阻止する。
ぐいと引き上げるも、彼の顔色は優れない。
「大丈夫か!?」
「…何時まで掴んでんだよ」
バツが悪そうにヒカルの腕を離し、そっぽを向いた。その捻くれた態度が出るならまだ大丈夫そうだ。ヒカルは僅かに笑った。
(ほら、来よったで!!)
ガーゴイルが右腕の爪を振り翳し、二人を狙う。左腕ごと叩き潰すつもりだ。
「荒っぽくいくぞ!」
反魔法の力を込め、ナナシを足場となっている左腕に突き下ろした。彼の反魔法と、ヒカルの攻撃でボロボロとなったその腕から残った魔力が消え去る。
「―ッ!!」
耳障りな叫び声と共に、腕が瓦礫となって崩れ落ちた。
「若!タクミ!!」
砂塵と瓦礫に巻き込まれ、姿の消えた二人にロインの声が響く。二人の下へ駆けつけたかった。しかし、ここには動くことのできないシアーと女人がいるのだ。
やがて土煙が晴れると、そこには二人の姿が。怪我こそあれど、とりあえずは無事な様だ。
「けほっ。無茶するなよ」
「うるせ。無事だったし良いだろ」
「…行き当たりばったりだな」
それよりも、二人は未だ戦意の衰えぬガーゴイルを睨みつける。ヒカルは思う。タクミが横に並ぶこの安心感は何だ、と。
ふと、彼の表情を見て小さく笑った。彼のあの笑みは何時しか消え去り、その瞳は真直ぐにガーゴイルを見据えていた。安心感の正体はきっとこれだ。さぁ、と剣を構えた。
「はっ、ケリを着けるぞ。この野郎!!」
「あぁ、覚悟しろ!!」
「―…ぅ」
女人は小さく息を吐き目を開いた。首を小さく動かし彼女は見た。ぼやけた視界であの忌まわしき魔物と戦う少年達を。
あの魔物は理不尽の権化だ。家族も大切な物も、自身の尊厳も何もかもが奪われた。だがあの二人はどうだ。傷つきながらも立ち上がり戦うその姿は、まさに理不尽への反逆だ。
―…私も。
自身を縛る鎖は断ち切られたのだ。虚ろだった瞳に光が戻った。力を振り絞るようによろめきながらも立ち上がった。
「ちっ!」
「くっ!」
ガーゴイルの猛攻にタクミとヒカルは防戦一方だ。いくら片腕だけになったとはいえ、その力は未だ二人を相手に優位に立つ。
とどめを刺さんと、天を仰ぎその口に紅蓮の炎が宿る。彼等を焼き尽くさんとする。
「ヤバイ!!」
避けようとするが、彼等の背後にはロインが、シアーがいるのだ。ならばと決死の覚悟でガーゴイルへと突撃する。
「おぉっ!!」
「はあぁっ!!」
だが、彼等の一撃が届くより早く、炎は放たれるだろう。二人の顔が歪む。その瞬間だった。
カツンと小さな音が響いた。ガーゴイルの身体に何かが当たったのだ。口の炎を消し、視線をやれば女人が小石を投げつけた様だ。
それは小さな、本当に小さな反逆。
何の痛痒にもならない、取るに足らないもの。そのようなものは無視すればよかったのだ。しかしガーゴイルは見てしまった。虚ろだった瞳に反逆の意思が宿っているのを。それはこの魔物が最も嫌う目。
そこで限界だったのか再び倒れこむのをロインが慌てて支える。
「―――ッ!!」
大気を震わせる怒りに満ちた咆哮。
上位魔族はその魔力もさることながら、その知性も脅威とされる。だが上位魔族として覚醒するも日が浅く、愚かな怒りが知性を塗りつぶした。
人間達に追い詰められ、あまつさえ捕らえていた死に損ないまでもが反逆の意思を示したのだ。
爆発した怒りはタクミ達ではなく、あろうことか女人に向いたのだ。二人に構わず女人向かいだした。ロインが彼女を庇おうとするが、それが何だと、女人に迫る。弱者がよくも―。
「どこに行くんだよ?」
もはや尽きかけた魔力では満足に飛ぶ事すら出来ないのだろう。進路の先にタクミとヒカルが回り込んでいた。
「俺が先手でタクミが決めろ」
「任せとけ」
ガーゴイルが迫るもヒカルが立ちふさがる。
「せやっ!!」
ヒカルの剣閃がガーゴイルを斬った。満身創痍の身体では満足に剣を弾くことが出来ない。しかしその足は遅くなれども止まることは無い。
「ぐわっ!?」
ヒカルを吹き飛ばし、その爪は女人を斬り裂こうとする。しかし、その先には立ちふさがる影が。タクミだ。
ありったけの力でナナシを握りしめ、否定の意思を込める。
「――オォ!!!!」
「あああぁ!!!」
互いの咆哮が激突する。そして―。
反魔法の力が、ガーゴイルを否定する意思が、ついに眉間に打ち込まれたのだ。
「――ッ!!?」
断末魔を上げ、石の身体が崩壊を始めた。身体を構成する魔力が底をついたのだ。それでもせめてと爪を女人へと伸ばすが、決して届くことは無い。彼女が見届ける中、理不尽の権化たる魔物はその身を瓦礫に変えたのだった。
「俺達の勝ちだ…」
石塊と化した残骸にタクミが吐き捨てた。
不思議な場所だった。ふわふわと浮いているようで、身体がとても軽い。視界は何処までも暗いのに恐怖を感じない。ふと前方に小さな光が見えた。その光はゆっくりと近づき、やがて人の姿へとなった。その姿は―。
―私、これで良かったのよね。
その人はただ微笑むばかり。その表情が彼女は大好きだった。もうこれからは離れることは無くずっと一緒だ。
すっ、と静かに手が差し伸べられた。彼女も微笑み返して、
―えぇ、でも少しだけ待っていて。
最期にお礼を言わないと―。
目を開けば自分が寝かされているのが分かった。身体がひどく重たい。不思議と痛みや熱は感じない。視力もほぼ無くなっているが、それでも周囲を見渡せば二人の少年がいた。自分を命懸けで助けてくれた真直ぐな目をした少年。そして自分を奮い立たせてくれた抗う少年。この二人のおかげで自分は奪われたままでは無くなったのだ。
真直ぐな目の少年は目に涙を浮かべているのか。もう一方の少年は不機嫌そうに口を結んでいる。だがその手は白くなるほどに握られている。
彼女は口の端を持ち上げ、ゆっくりと口を動かした。
―ありがとう…。
最期にそう呟いた彼女の表情はとても穏やかで、安らぐ様に笑っていた。
皆がバーチ地区から帰還したのは二週間後だった。後始末と報告。シアーの魔力切れとタクミの回復。それらに時間がかかったのだ。
その後、彼等は王都に戻り、リオ王はタクミに国へ留まる許可を出した。
これは、そんなある夜の出来事だ。
「どうした。そんな所で?」
ロインが酒瓶を片手にヒカルの自宅を訪れた。その玄関先にタクミが立っていたのだ。何をするでも無く、柵にもたれ掛かり空を見る。
「…何でもねぇよ」
いつも通りの捻くれた態度。しかしどこか弱々しいのは気のせいではないだろう。いや、或いはこれが彼の等身大ではないのか。そんな思いがロインの頭をかすめる。
「ふむ。死に立ち会ったのは初めてか?」
彼の肩が震えた。
「…情けねぇよな…」
顔を伏せ、苦しむ様に呟いた。何があきらめろ、だ。ヒカルに偉そうに言ってこのざまではないか。
「いや、私はそうは思わん」
その声色はいつもより優しく聞こえた。伏せていた顔を上げロインを見る。その瞳はまるで兄か父の様だ。
「誰かを想う。それは強くなるうえで欠かせないものだ」
そう言って持っていた酒瓶を彼に手渡した。
「飲めるなら持っていくと良い。たまには悪くないだろう」
それは私のお気に入りだ、と。
「今は二人とも沈むと良い」
そして、そこから浮かび上がるからこそ若者なのだ。
踵を返して去って行くロインと酒瓶を見比べ、
「…二人…か」
あのお人好しはどうしているのか。
屋根の上、ここはヒカルのとっておきの場所の一つだ。こんなきれいな夜空の日には、ここから星空をよく見上げるのだ。そうすれば悩み事が消えてなくなりそうだから。だがここ最近はいくら見上げても消えそうにない。思い浮かぶのはあの女人。
守りたかった。それが王族の義務であり自身の願いでもあった。だがそれはいとも容易く掌からするりと抜け落ちて行った。
自身の手を見る。初めての事だった。この手にも掴めないものはあったのだ。いや、今までが上手く行き過ぎていただけか。
「よう。一人で星見か?」
不意に背後から声がかかった。振り向かずとも声の主はわかる。そのまま彼はヒカルの横に腰を下ろし、同じように星空を見た。
「いい星空だな」
この世界には夜の明かりが少なく、双子の月と相まって星が良く見える。しばらく無言で星を見続けていたがやがて杯を投げて寄越した。
「オッサンのお気に入りらしいぜ」
酒瓶のふたを開けヒカルの杯に注ぐ。酒精の香りが辺りに漂った。
黙って酒の水面を見続けていたヒカルだったが小さく、
「…すまなかった」
震える様な声が聞こえた。
「俺のせいで皆が全滅するとこだった」
―それでも。意を決したように一気に酒を飲む。強い酒精に視界が揺れる。それは溜め込んだものを溢れさせて、
「…守りたかった。守りたかったんだ!」
両手で握りしめた杯の水面が揺れる。タクミはただ黙っていた。堰を切った言葉は止まらない。
「そうすれば父さんはいつか俺を見てくれる。そう思っていたんだ…」
「…そうか」
この真直ぐな少年にも守る理由はあったのだ。彼は太陽の様ではあっても、太陽ではないのだ。当たり前の事だったが、それが妙に納得できて隣で酔いつぶれた少年がはじめて自分と同じと思えた。
「…苦ぇ」
煽る様に飲んだ酒の味は随分と苦く、視界がやけに滲んだ。




