第36話「罪垢」
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「それから私は君と偶然の出逢いを演出する為に同じ地域に引っ越した。上手くいくかは運任せだったけど、神様も捨てたもんじゃないね」
これでお終い。と吐き捨てた彼女が、俺の様子を伺ってくる。何を言えばいいのか分からない俺は、ひたすら緘黙していた。
「全部聞いた感想は?」
「一夏さんが復讐したいと思っても仕方ないと思えました」
「そう。君は、まだ協力してくれるの?」
「勿論です。それで一夏さんの気が済むのなら、いくらでもココにいます」
「本当は殺そうと思ってるって言っても?」
「一夏さんは、そんなことしません」
昼食を持ってきた彼女は昨日と同じように過去を語った。全て語り終えた彼女が、やりきったように呼気を吐き出す。その様を見ていれば殺害予告も怖くはなかった。
「君に会うまでは殺してもいいかなって思ってた。でも人って関わっていくうちに情が移るんだよね。
隼君は凄く良い子だと思う。イジメを止めようとしたの偉かったよ。でもね、別の人間だと分かってても、浅沼の顔がチラつく時点で、私は無条件で君が嫌いなのよ」
嫌い、との言葉が容赦なく突き刺さってくる。悲哀に胸を痛めていれば「でもね」と言葉が続いた。
「情が移って〝嫌い〟って思う自分が嫌いになるんだよね」
「好きです」
「え?」
「俺は一夏さんが好きです!」
自分でも何を言っているのか分からなかった。目を瞠る一夏さんが諦念を浮かべる。その表情の意味が俺には理解出来なかった。
「いつから?」
「分かりません。多分、一目惚れだったと思います」
「分かってるの? 私、おばさんなんだよ?」
「一夏さんは綺麗ですよ」
彼女へ伸ばした手を引っ込める。凄惨な過去を聞いたばかりで彼女に触れられるほど、俺は図図しく在れなかった。
「触ってもいいですか?」
「隼君は優しいね。どうぞ」
そっと手を伸ばし頬に触れる。思った以上に冷たい感触に抱き寄せたい衝動に駆られた。
「冷たい」
「そう?」
「はい。でも柔らかいですね」
「変なの」
花の顔が綻ぶ。それを眺めていれば心が満たされていくような感覚を得た。
ふと疑問が生まれる。
「どうして新垣さんは大丈夫だったんですか?」
「え?」
吃驚を零す様に意味が分かってないことを理解する。
「男の人、怖くならなかったんですか? って意味です」
「伊澄は私を傷付けないって分かってたから」
「随分、信用してたんですね」
「うん。でも他の人は怖かったよ。正直、隼君に声を掛ける時も、声が裏返るかと思った」
「そうだったんですか」
驚きの事実に目を細める。全てを知り得たからだろうか。前よりも彼女を近くに感じていた。
「あ」
「ん?」
「伊澄が来た」
「え?」
耳を澄ませば足音が近づいてくる。すぐさまドアが開き、新垣さんが顔を出した。
「一夏!?」
「なに?」
「なにじゃない! ニュース見たか!?」
「知ってるよ」
「知ってるよ、じゃない! どうすんだお前!? このままじゃ捕まるぞ!?」
「どういうことですか?」
状況を把握出来ない俺を、新垣さんは苛立たし気な眼差しで射る。「クソッ」と吐き出す声音には焦燥が伺えた。
スマホで記事を開いた彼は俺に手渡す。文字列を追っていれば、俺の誘拐事件が大々的に取り上げられていた。




