第15話「好悪」
真っ暗な部屋にチカさんの気配が遠のく。何をしているのか、との質問を投げかける前に閃光が走り抜けた。数回の明滅後、室内が照らし出される。目の前に広がったのは壁一面の本棚。左手にベッドが鎮座しているものの、それ以外の壁は天井まで本で埋まっていた。
「なんですかこの部屋……」
「私の宝物」
「本が?」
「うん。凄いでしょ? 隼君も暇潰しになるんじゃない?」
「これを俺に?」
「読書は嫌い?」
正直、読書は好きでも嫌いでもない。読書感想文の為に読むくらいしかしたことがなかった。
「『読書の時間を大切にしなさい。一冊の本との出会いがあなたの生き方を変えてくれることだってあります』」
教師のような言葉運びに違和感を覚える。何も言わずにいれば彼女は再び口を開いた。
「これはジョセフ・マーフィーの言葉」
「誰ですかそれ」
「アイルランドの宗教者、牧師さんよ」
「へぇ」
「『できるだけたくさんの本を読み、美しいものに触れ、思いやりを持って人に接する。当たり前のことを言っていると思うでしょうが、そういうことの積み重ねが、本当に人を美しくするんです。九十年も世の中を観察してきた僕が言うんだから、間違いない』
これは斎藤茂太」
「その人達の本、ここにあるんですか?」
「ないよ」
「ないんですか!?」
当たり前、とでも言いたげに彼女が首肯する。
「『良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい』」
「つまり本を読めってことですか?」
「そういうことね」
教師さながらに彼女は笑う。チカさんの生徒になった日にはスパルタ授業だろうな、と俺は苦笑を浮かべた。
「『本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ』
これは、どちらもソクラテスの言葉」
「あ、授業で聞いたことのある名前です」
「でしょ? 先人の知恵や残っている言葉。時代を超えて歴史を刻むって凄いことなんだよ。
なにもしなければ人は忘れられてしまう。だから何かをして後世に残すの。勿論、いい形でね」
「悪い形なんてあるんですか?」
「犯罪」
揶揄するように問い掛ければ、意外な言葉が返ってきた。直接、脳味噌を揺さぶられたような気味悪さに吐き気を催す。
「歴史に名を刻んだ犯罪者達が、いい例かな。私達には縁のない話だけど。
でも〝イジメ〟は犯罪よ。傍観者だって例外じゃない。学校を休む間、よく考えてみて」
「……チカさんは、どうしてここまでしてくれるんですか」
「言ったでしょ? 私は君を知ってるって」
それは正答になり得ない。欲しい応えじゃないことは彼女だって認知している。
「それに、これは隼君の為じゃない。虐められてる子の為。隼君がヒーローになれば彼女が救われるでしょ?
じゃあ頑張ってね。せいぜい腰抜けで終わらないように」
嫌な置き土産と共に扉が軋んだ。外の世界と断絶された俺がベッドに倒れ込む。心地良い筈なのに、彼女の言葉が纏わりついて離れてはくれなかった。
「チカさん……皆が皆強くはないんですよ……俺は……」
——チカさんみたいにはなれない。




