第10話「人和」
間取りは2LDK。かなり広めのリビングダイニングには、三人掛けのソファ、テーブル、大型のテレビ、そしてL字型の机が配置されていた。
「凄い……」
作業机なのだろう。三台のパソコンが並んでおり、引き出し式のキーボードの他に、楽曲制作に必要だろう鍵盤が備え付けられていた。
「本当にチカさんって何者なんですか!?」
「知りたければネットで検索でもかけてみればいいでしょ。あ、パソコンには触らないでね。作りかけの諸々があるから」
「勿論です!」
「なんでテンション上がってんの?」
「だって! なんかカッコよくて!」
「男の子だなぁ」
腕を組んだチカさんが笑声を立てる。「ソファに座れって言ったでしょ」なんて紡ぐ彼女は先程とは違う和やかな呆れ顔を浮かべていた。
「廊下を出て突き当りの部屋が私の寝室。その右手の扉がゲストルームよ」
「へぇ」
「行ってみる?」
「え」
「冗談よ。散らかってるから入らないでね」
「女の人の寝室には入りませんよ」
「そう? 男子高校生のくせにそういう欲もないのね。それとも母親みたいな女は論外?」
「い、いや! そういうわけじゃ!」
「何焦ってんの」
「焦ってませんよ!」
揶揄うような口調の彼女がキッチンへ消える。何をしてるのだろうか、と様子を伺っていれば、コーヒーカップを両手に掲げたチカさんが再び絨毯に座った。
「なんで置いてから座らないんですか!」
「うるさいなぁ」
コーヒーカップより先に腰を下ろした彼女の手元が揺れる。自然と黒い湖面が揺蕩い、淵から溢れ出しそうになった。思わず咎める俺に眉を顰める彼女。けれども俺は間違っていない。絨毯を汚して困るのはチカさんだろうに、何故俺が悪いことをしたみたいになっているのだ。納得いかない。
「いくらお金持ちだからって駄目だと思います」
「ダメ、ねぇ?」
「だってそうじゃないですか。物は大切に扱うべきですよ。チカさんの物だけど、それは物をぞんざいに扱っていい理由にはなりません」
「なんで? 私の物で、誰も見てない。隼君に何かを言われる筋合いの方がないと思うけど?」
射貫くような鋭い眼差しで、切れ味のいい言葉を研ぐ。言葉の刃は確かに俺に刺さったが、殺すことは出来なかった。
「今は俺が見てます」
「隼君の前でだけでも取り繕えって?」
「そうは言ってません。それがチカさんの習慣になればいいなと思っただけです」
「隼君の親は、そう言うの?」
「え?」
「それは親の受け売りかって訊いてるの」
「違います」
「へぇ、それじゃあご両親は隼君に何を教えてくれたの?」
どこか確信を突くような笑みに胸が痛む。これは罪悪。俺がずっと隠し続けていた蟠りだった。
「……自分がされて嫌なことは人にするな」
「立派なご両親ね。子供に一番初めに教えるべきことだわ」
「で?」そう訊かれている気がした。そうだ。俺は、それが出来なかったから悩んでいたというのに。
「隼君のご両親は、どんな人達?」
「え?」
てっきり詰問され責め立てられるものだと思っていた俺は目を見開く。先を促すような虹彩に噤んでいた口を開いた。
「いい親だと思います」
「どういう風に?」
「俺の母は十代で俺を産みました。父は高校を卒業しましたが、母は中卒です。近所の人に色々言われても笑って俺を育ててくれました。
父は、そうやって〝人としてどうあるべきか〟を説いてくれるし、母もガサツなところはあるけれど男前で、いつも笑顔で、俺はそんな二人を尊敬してるんです。両親は学生時代の友人にも恵まれていたみたいで、たまに家で呑んだりしています。俺も、そんな高校生活が送りたくて……」
「送れてる?」
「知っているくせに意地悪な人ですね」
怒りは湧かなかった。優し気に撓る双眸を眺め、諦念を浮かべる。テーブルへと伸ばした手でマグカップを取れば、どうぞと勧められた。
数回息を吹きかけ一口飲み下す。独特な苦みが口腔で広がり、管を辿っていった。




