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新生日本帝国  作者: 霧
19/23

そこまで経過します!?

お待たせしました。今回一気に時代が飛びます。注意されたし!

1900年


総統室

おぉ~皆さん久しぶり。現在絶賛仕事中の龍剣だ。あれから約290年経ち、日本は列強の一員になっているぞ。さて…なぜこんなにも時代が飛んだのか…作者曰く、

(世界史習ってないからあまり深く書けない…なぜ関ケ原の戦いの時代にタイムスリップさせたのだろう)とこちらも絶賛後悔中だ。

まぁ~作者の反省は無視しといてこの空白の300年には様々なことが起きた。今回年表にしたので見てくれ。



1611年~1900年 日本の出来事(地域名・地方名は理解しやすいようにするため2015年のを使用)


1611年 シベリア領有化計画始動


1613年 モンゴル地方侵攻


1616年 モンゴル・内モンゴル地区占領→併合

 明で内戦勃発

 第二次日明戦争(1616年~1618年)


1618年 明滅亡→併合


1620年 シベリア方面遠征軍ヤクーツク・イルクーツクを建設


1624年 日蘭戦争(1624年~1625年)

1625年 那覇条約


1628年 カロリン諸島・マーシャル諸島・ラタク列島・ラリク列島併合

1629年 海防総隊・方面艦隊創設 世界初戦車(詳しく言うと突撃砲)完成

1630年 第一次日露戦争(1630年~1635年)

1631年 戦車投入


1635年 釜山条約 オビ川・イルトゥイシ川より東側を併合


1650年 チベット・ウイグル地域占領→併合


1660年 日西戦争(1660年~1662年)


1662年 福岡条約 フィリピン併合


1670年 大阪会議




1700年 フィリピン独立


1702年 中央アジア侵攻

1703年 第二次日露戦争(1703年~1706年)


1706年 第二次釜山条約 現在でいうとトルクメニスタン・タジキスタン・キルギス・ウズベキスタン・カザフスタンを併合


1710年 人口3億人突破


1712年 戦争休日時代突入(1712年~1800年)




1760年 イングランド産業革命



1770年 世界初完全装甲艦登場



1780年 人口4億人突破

1781年 開国

1782年 第一次軍事特需(1781年~1815年)



1801年第三次日露戦争(1801年~1820年)



1820年 ロシア滅亡→併合


1822年 日欧戦争(1822年~1832年)


1832年 ロンドン条約 バルト三国・ベラルーシ・ウクライナ・モルトバ・ルーマニアを併合


1839年 アヘン戦争(1839年~1842年)


1842年 パリ条約


1850年 第二次軍事特需(1850年~1860年)


1860年 廃県置省 地方自治開始


1870年 人口8億人突破



1890年 日独同盟

1891年 第三次軍事特需(1891年~)





いや~中々でしょう?特に露助とは三試合もしているよ。ここでいくつか補足しよう。


1624年の日蘭戦争は、台湾をめぐる戦争だった。もちろん我々が大勝利を収め、翌年の那覇条約で多額の賠償金を請求した。

1629年は防衛網が増えたので連合艦隊とは別に防衛を専門とする海防総隊や地域に合わせた方面艦隊を創設して海防を強化した。またこの年、世界で初めての戦車が我が国で作られたが、見た目・スペックはイギリスの初の戦車であるマーク1である。

1660年の日西戦争は、フィリピンをめぐる戦いであった。この戦争も勝利し、フィリピンを併合したが、この戦争の時に起きた海戦で1等戦列艦・2等戦列艦の被害が多かったため、この年から1等戦列艦・2等戦列艦の製造が中止される。

1670年の大阪会議は、フィリピンの独立などを決める会議だった。

1712年から1800年は一切戦争せず国内開発に力を注いだ。そのためその期間を戦争休日時代と後の日本史で語られるようになった。

イングランドで産業革命が起きたので全て鋼で出来た装甲艦の開発を推し進めた。それにより1770年、世界初の完全装甲艦が誕生した。また、この装甲艦の登場したことにより木造軍艦が不要になってきたので、開国し兵器輸出を行った。これが日本の好景気につながった。

ロシアを滅ぼしたため、欧州では警戒心が強くなり、1831年に開戦した。構図は日本VS英・仏・墺・オスマン帝国連合軍である。しかしこの戦争でも我が国は勝利し、事実上ソビエト連邦と同じ面積を併合した。

アヘン戦争は名前の通りアヘンによる戦争である。史実では清と英国の戦争だが、この世界は明が滅び我が国に併合しているため、清は存在しない。そのためアヘンの輸出先が我が国になっていた。この戦争に負けたイギリスは多額の賠償金や植民地の反乱の対応のため軍備に力を注ぐのが難しくなったそうだ。

そして1860年は、日本で大規模な改革だった。今までは俺や俺の家臣で国内開発や法律を決めていたが、領土が拡大したため統治の限界が来ていた。そこで学力が向上しているので、自分たちの地域は自分たちえ決めてもらうことにした。現在でいう地方自治である。そのため、県を廃止し、いくつもの県を合併させ権限を県より強くした省を設置した。これにより都道府県から都道府省と呼ばれるようになった。

1890年我が国はイギリスではなくドイツと同盟を結んだ。多くの人が何故ドイツと?と思っているかもしれないが、理由がある。何故ドイツと同盟を結んだのか…一番の理由は、第一次世界大戦をドイツに勝たせ軍縮条約を作らないためだ。転生する前の世界で、平和だったころ俺は小説を読んでいたが、ほとんどの小説は、日本は必ずイギリスと同盟を結んでおり、戦争に勝つと軍縮条約を結んでいる。確かに、軍縮条約で自分の保有数を制限する代わりに相手も制限させるのもよいが、少し視点を変えて見ないか?もし、軍縮条約をしなかったらどうなるだろうか…確実に戦艦が多くなるが、巡洋艦や駆逐艦・空母や新兵器はどうなるだろうか?これはあくまで俺の意見だが、確実に史実より遅れていたと思う。特に空母は、大東亜戦争の始まりである真珠湾攻撃やマレー沖海戦で戦艦が航空機に沈められるまでサブ的な存在だった。つまりこれが起きるまでは、世界は戦艦が勝利への切り札と思い戦艦をたくさん建造していたのだ。もし、軍縮条約がなく戦艦の保有数に制限がなかったらどうなるだろう。特に敗戦国はどうなるのか…絶対戦艦を建造するだろう。しかも勝つために戦争する前の倍以上に保有するに違いない。以上のことから俺はドイツと同盟を結び、数々の軍事兵器を輸出している。

そして今年世界の海軍関係者に衝撃や革命を与える軍艦が、就役する。その軍艦の名は、

道後どうご』…後の歴史で海軍の革命児と言わしめたド級戦艦である。


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