【番外編】~真幌~ 飯2
夏休みの1ページ。
読まなくとも本編には差し支えありません(多分)
真夏の太陽もようやく和らぎを見せる時刻。
斜陽はオレンジ色の光線を、こじんまりとした喫茶店の、レンガ造りの壁に投げかけている。熱されてあえぐようなレンガに、何気なく掛かるプレートを飾る『風花』の文字。
それを横目に、真幌はそっと店の扉を押した。
カカリラン♪……と軽やかにカウベルが鳴り、店内から湧き出した冷風とコーヒーの香りが、夏休み、連日行われる稽古に疲れた体と、鼻腔を甘くくすぐる。
「こんちは」……と言い掛けて止める。
店内に人の気配はなく、確かジャズだったと思う、この店に似つかわしい歌声とメロディーだけが迎えてくれた。
スツールがひとつ、店の入り口、真幌が立つ方向に倒れている。
どうやらここに座っていた人物は、大慌てでスツールから飛び降りしたらしい。
スツールの足元にはビーズで出来た……アクセサリーと思しきものが落ちている。普段、店主をつとめる蓬なら、見過ごしようもないことだが……今はその彼女の姿も見当たらない。
小さな店内に置かれたソファには、ここしばらくのうちにすっかり見慣れた、学校指定の通学鞄が無造作に置かれていた。口が開いているのは、何かを取り出そうとしていたからのようだ。
「ああ……そういや、今日は登校日だっけ」
いつもの調子で道場に行ったが、どうりで誰もいないはずだ……ようやくそれに気づいたことは忘れたことにして、真幌は肩にかけていた刀袋をソファの背に預け、自身もソファに身をゆだねた。
「……もらい」
誰に言うでもなく、テーブルに置かれていたレモネードに手を伸ばす。
飲み干したグラスで、角の取れていない氷が音を立てた。夕日が限りなく優しく照らす店内を見渡すと、埃がまだ静まっていない。
騒ぎが起きたのはつい、数分前のことのようだ。
一息ついたところで、真幌は頭をめぐらせた。
先刻から気になるものが、カウンターの上に鎮座している。
夕日を受けてきらめく、背の高い、複雑な曲線からなるグラス。
そのグラスにはどっさりとアイスクリームと生クリーム伸び上がり、色とりどりのフルーツが飾られ、きちんとウエハースが添えられている……いわゆるひとつの、『フルーツパフェ』だ。
『THE フルーツパフェ』と定冠詞をつけてもいいぐらいの、堂々たるものだった。
ただひとつだけ、おそらく頭頂部にあるべきであろう、チェリーが足りない。
カウンターの向こうに視線をめぐらせた。
シンクの脇には、同じくパフェやサンデーの盛り付けに使われたのだろう、各種のグラスが数多く、手際よく洗われ、きらきらと輝きながら洗いカゴに行儀よく並んでいる。
今日はアイス系が良く出たのだろう。
「……最後のひとつだな」
ぼそりとそう言うと、真幌はおもむろに立ち上がった。
ビーズを拾いつつ、倒れていたスツールを起こすと、グラス脇に身を横たえているスプーンに手を伸ばし、腰掛けながらパフェに手を伸ばす。
「…………あ」
最初の一口を含んだその時、扉が開き、店主が姿を見せた。
どこまで行って来たのか、長い前髪がほつれ、うっすらと汗をかいた額に張り付いている。
カウベルが音を立て、静やかに扉が閉まる。
ちょっと困った顔で、蓬は笑っていた。
「真幌、それ……」
「……今日、最後のパフェなんだろ」
もぐもぐと口を動かしつつ、真幌が答える。
「うん、それで……」
「……チェリーが無いって、妙子と涼が買出しに行ったんだろ」
話しながらも、一向に止まらないスプーン。
「そう、それでさ……」
「……チェリーぐらいまだ買い置きがあんのに、話も聞かずに飛び出しちゃったんだろ」
ウエハースは瞬時に消え去る。
「そう、つまり……」
「……先に戻ってきた方がパフェを独り占めって訳だ」
メロンが皮ごと消え、音も立てずに飲み下されていく。
蓬は整った指先を額に当てると、諦めたようにため息をついた。
「……ぃぃいいいいっちばぁぁぁぁぁーーーーーんっ!!!!!」
カウベルが、何かの法則を無視したような音を立てた。
扉は、葦がなびくようにその身をたわませつつ、ありえない破砕音を響かせる。
「……残念、おれが一番でした」
まったく悪びれず、真幌は最後のひとかけを口に放り込んだ。
チェリー缶を片手に、満面の笑みを浮かべた妙子の表情が、見る間に凍り付いていく。
「…………ぁぁぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
小さな唇から呪詛にも似た悲鳴が漏れ出すのも構わず、真幌は席を立った。
「くっそう! 負けたーーーっ!!……あれ? 真幌さん?」
後から駆け込んできた涼の顔を眺めながら、真幌はやたらに神妙な顔をしてみせた。
「子曰く、チェリーにこだわる者はパフェを失くす……」
神妙な顔を作りつつ、さりげなく刀袋を背負う。
「……あれ? パフェ? あれ? おれのレモネード……?」
「……ついでにレモネードも失くす」
にやりと笑って、扉に立ち尽くす後輩の背をぽんと叩く。
カウベルが軽やかな音を立て、真幌の後ろ髪が扉の向こう側に消えていく。
「……ま゛ーほーろ゛ーーーっ!!!!!…………て、あれ?」
限りない呪詛の声を上げようとした妙子の頭に、何かが乗っていた。
「ビーズのブレス……? あ、ここにあったんだ! よかった~……真幌、見つけてくれてたんだね……」
取り上げたそれ、お手製のお気に入りを見つめながら、思わず笑みが漏れる。
「…………って、それとこれとは無関係だーーーっ!!!!」
喫茶「風花」の扉がもう一度、悲壮な声を上げる。
妙子が猛然と駆け出していくその頭上には、夕風をともなって宵の明星が光を放ち始めていた。
「…………えーと、食い逃げ?」
呆然とつぶやく涼の傍らで、蓬がもうひとつため息をついた。




