第七話 日常の幸せ Ⅱ
「全員、境内の奥へ下がれ!」
御影が刀を抜いた。
古い隊士の一人が、抜き打ちで審判へ斬りかかる。
御影の刀が受け止めた。
半透明の刃と本物の刃がぶつかり、白い火花が散る。
「こいつらは味方じゃない!」
今の刃眼隊が、観客と死者の間へ入る。
試合場の中央では、蓮次郎が頭を抱えたまま叫び続けていた。
「出ていけ! 俺の中から出ていけ!」
古い隊羽織の男が、その背へ腕を回す。
――私なら止められる。
「嘘だ」
――このままでは、お前の器が先に裂ける。
「俺が呼んだんじゃない!」
――お前が戸を開けた。
男の手が蓮次郎の胸へ沈む。
冷気が心臓を包んだ。
――身体を貸せ。
「嫌だ」
――では、この声とともに壊れろ。
頭の中で、死者たちの叫びがさらに大きくなる。
母の声が混じった。
父の声もした。
兄が自分を呼んでいる声まで聞こえた。
本物が一つも分からない。
「止めて」
蓮次郎は、誰に言ったのか分からなかった。
「もう、止めてくれ」
男が笑った。
古い隊羽織が、蓮次郎の身体へ重なった。
白い眼力が急に止まる。
蓮次郎の両腕が、力なく下がった。
静かになった試合場で、砂を割る音だけが続いている。
今度は、人の手ではなかった。
太い爪が板を突き破る。
牙。
角。
大小の眼に囲まれた首。
試合場の下から、死んだ眼獣が這い上がってくる。
一体ではない。
亀裂の一つにつき、一体。
白い霧が骨を作り、その上へ腐った肉を貼りつけていく。
観客の悲鳴が上がった。
「昔の隊士だけじゃないのか!」
隊士が刀で眼獣の牙を受ける。
別の眼獣が柵を踏み壊し、境内へ降りた。
逃げ遅れた少年が、崩れた見物席の下で動けなくなっている。
眼獣が口を開いた。
牙の間から白い霧が溢れる。
赤い炎が、壊れた鳥居の向こうから一直線に走った。
燃える刃が眼獣の顎を斬り上げる。
巨体が横へ倒れ、少年の指先すれすれで砂を滑った。
三番隊の羽織が、炎の後を追って試合場へ飛び込む。
「全員、伏せろ!」
橘伊織だった。
その後ろから、二人の三番隊士が続いて飛び込んでくる。
伊織は少年を片腕で抱き上げ、近くの隊士へ投げるように預けた。
「境内の外へ! 止まるな!」
倒したはずの眼獣が、背後で起き上がる。
焼けた顎を白い霧が作り直していた。
伊織は振り返りざま、刀へ火をまとわせる。
炎が死骸の輪郭をなぞると、その内側を走る白い眼力が一瞬だけ浮かび上がった。
「死んでるくせに、しつこいな」
白い流れへ刃を入れる。
眼獣は崩れたが、霧は地面から離れない。
すぐに戻る。
それでも、逃げるための時間は作れた。
伊織は試合場の中央を見た。
頭を抱える蓮次郎。
その背へ重なる古い隊羽織。
前の試合で炎越しに見えた、何十人もの眼力。
今はもう、隠れていなかった。
「蓮次郎!」
返事はない。
伊織は刀を握り直した。
御影は綻びの眼を開いた。
死者と蓮次郎を結ぶ白い流れを見る。
数が多すぎる。
一本を断っても、その後ろに十本ある。
十本の奥には、島じゅうへ伸びる太い流れがあった。
「白鷺、あの男が見えるか」
白鷺道伯の乳白色の瞳へ、三重の輪が浮かぶ。
蓮次郎の身体と、その内側へ入った男を見通す。
老人の顔から血の気が引いた。
「慰霊碑の、一番上……」
「誰だ」
「榊原玄斎だ」
白鷺の声が震える。
「刃眼隊を作った、最初の隊長だ」
蓮次郎が顔を上げた。
その口元には、弟のものではない笑みが浮かんでいた。
「ようやく、名を呼んだか」
老人の声が、少年の喉から出る。
玄斎が右手を上げる。
古い隊士の霊が、一斉に刀を構えた。
「帰還だ」
その言葉と同時に、島じゅうの警鐘が鳴った。
御影は海沿いと北山、二つの方角から上がる煙を見た。
「伊織、ここを預ける」
「隊長は」
「二番隊で避難路を作る。試合場の死者を町へ出すな」
伊織は玄斎に奪われた蓮次郎を見る。
「あいつはどうするんです」
「無理に引き剥がせば、蓮次郎の器が先に裂ける。俺が戻るまで近づくな」
御影は走り出す直前、伊織へ振り返った。
「あいつに誰も殺させるな。それが、お前の役目だ」
御影は屋根へ跳び、町の人波へ向かった。
伊織は炎をまとわせた刀を、古い刃眼隊へ向けた。
「三番隊、観客を囲め! ここから一人ずつ逃すぞ!」
◇
北の山腹では、土が燃えていた。
最初は、落雷だと思われた。
杉林の中から赤い火が上がり、乾いた枝を伝って尾根へ広がっていく。
だが炎は、風上へ向かって進んでいた。
山の土を内側から押し上げながら、町の方へ下りてくる。
三番隊の主力が到着したとき、古い石塚が崩れた。
太い角が、燃える土から突き出す。
「総員、散れ!」
三番隊長の声と同時に、石塚が爆ぜた。
炎をまとった巨体が立ち上がる。
杉の木より低い。
だが、家の屋根よりは高い。
四本の脚は焼け焦げ、右半身には骨が露出している。
背中には、火のついた杉の幹が何本も突き刺さっていた。
頭の中央にある一つ眼だけが、白い霧の中で開いている。
「山喰らい……」
年長の隊士が呟いた。
「知ってるのか」
「二十年以上前、三隊がかりで討った眼獣だ。死骸を山で焼いたが、骨までは砕けなかったと聞いている」
半分焼けた死骸が、白い肉をまとって蘇っていた。
山喰らいが前脚を下ろす。
地面が沈み、火の粉が斜面を走った。
口が開く。
喉の奥には舌ではなく、縦に並んだ眼があった。
全ての眼が赤く光る。
「伏せろ!」
熱風が吐き出された。
炎ではない。
白い眼力を含んだ高熱が木々を撫で、葉が触れる前に燃え上がる。
三番隊の隊士たちは地面へ伏せた。
最後尾の一人が避けきれず、羽織の背に火がつく。
隣の隊士が燃える羽織を引き剥がし、二人で土の上へ押し倒した。
別の三人が山喰らいの前脚へ飛び込む。
三本の刀が、焼けた肉と露出した骨の隙間へ入った。
眼力を込めた刃が、白い流れごと脚を断つ。
巨体が傾く。
だが切断面から白い霧が溢れ、炎ごと新しい脚へ作り直していく。
「火が効いてない!」
「火だけじゃない! 斬っても戻るぞ!」
三番隊長が、荷車へ積まれた太い鉄鎖を指した。
「討獣鎖を出せ! 前脚と角へ掛けろ!」
六人が鎖を抱え、燃える斜面へ走る。
先端の鉤が山喰らいの角へ掛かった。
別の鎖が、作り直された前脚へ巻きつく。
隊士たちは鎖の端を杉の幹へ回し、全身で引いた。
山喰らいが吠えた。
斜面の火が、一斉に町の方へ倒れる。
このまま下ろせば、眼獣より先に火が家々へ届く。
「三番隊、ここで止めるぞ!」
「どうやって!」
「半分は巨体を縛れ! 残りは町との間に火除けを作れ!」
三番隊長が、眼力をまとわせた刀を肩へ担ぐ。
「町へ一歩も下ろすな!」
三番隊が散開した。
炎の山を背に、死んだ巨獣と迫る火の両方へ向かっていく。
◇
町では、二番隊が人の流れに逆らって走っていた。
試合場から逃げてきた者。
家から飛び出した者。
焼き場の方角から逃げてきた火守り。
道は瞬く間に人で埋まり、前へ進むことも戻ることもできなくなっている。
「押すな!」
御影が屋根の上から叫ぶ。
「南の船着き場へ向かえ! 二番隊の羽織だけを見ろ!」
隊士たちが通りへ飛び降りる。
二人一組で紺色の縄を張り、人の流れを細い路地へ分けた。
倒れた屋台を持ち上げる者。
泣く子どもを背負う者。
閉じた家の戸を叩き、残っている者がいないか確かめる者。
二番隊は眼獣を倒すためではなく、全員が逃げるための道を作っていた。
路地の先で、白い霧が膨らむ。
犬ほどの眼獣が三体、石畳から這い出した。
身体の半分は骨だった。
「道を止めるな!」
御影が屋根から降りる。
一体目の頭を刀の峰で跳ね上げ、二体目の脚を払う。
三体目が横を抜け、逃げる人々へ飛びかかった。
若い隊士が身を投げ出して受け止める。
牙が肩へ食い込んだ。
「隊長、こいつ、眼を潰しても止まりません!」
「眼を見るな。流れを見ろ!」
御影の瞳に、糸がほつれたような細い線が走る。
綻びの眼。
白い霧で作られた身体の中から、形を保つ力が最も薄い場所を見つける。
「左の首筋だ!」
隊士の刀が、指示された場所へ入る。
白い流れが一度だけ途切れ、眼獣の身体が崩れた。
「倒した!」
「立つ前に人を通せ!」
死体を殺すことはできない。
御影の眼にできるのも、崩れる場所を見つけ、僅かな時間を作ることだけだった。
二番隊はその時間で十人を通した。
眼獣が再び形を得る。
次の隊士が前へ出た。
「交代! 道を空けろ!」
島じゅうから警鐘が聞こえる。
海沿い。
北の山。
試合場。
どの鐘も、眼獣の出現を告げていた。
「隊長!」
屋根の上から伝令が飛び降りる。
「一番隊、焼き場で二十体以上と交戦! 食い止めていますが、倒しても戻ります!」
「三番隊は」
「北山で大型と接触! 山火事が町へ向かっています!」
「試合場は」
伝令が言葉を詰まらせた。
「昔の隊士が……死んだ刃眼隊が、蓮次郎を守るように集まっています」
御影は目を閉じた。
一番隊を焼き場から下げれば、眼獣の群れが町へ入る。
三番隊を山から呼べば、火と山喰らいが下りてくる。
二番隊が止まれば、町民は船着き場へ着けない。
どこにも、余っている隊士はいなかった。
「二番隊は避難路を維持する」
御影が決めた。
「一番隊へ、焼き場を死守。三番隊へ、山から下ろすなと伝えろ」
「試合場はどうします」
御影は、白い霧の立ち上る社の方角を見た。
「俺が行く」
◇
光留は、坂の途中で最初の眼獣を見た。
黒い刀を背負い、試合場へ向かって走っていた。
前方の石畳が割れ、白い霧が人の形ほどに膨らむ。
現れたのは、首のない眼獣だった。
四本脚の獣に似ているが、頭があるはずの場所には古い切断面だけが残っている。
その傷口から、小さな眼がいくつも開いた。
光留は刀へ手を伸ばす。
背中には、父が残した黒い刀がある。
布を解き、鞘をつかむ。
柄へ手をかけた。
眼獣が地面を蹴る。
光留は黒い刀を振った。
牙と鞘がぶつかる。
腕へ重い衝撃が入った。
身体が後ろへ滑る。
眼獣は止まらない。
頭がないため、どこを見ているのかも分からなかった。
切断面の眼が一斉に光る。
白い眼力が首へ集まり、失われた頭の形を作り始める。
光留は眼を凝らした。
霧の中を流れる眼力が見える。
胸から首へ。
首から、作りかけの頭へ。
鞘をその流れへ押し当てた。
「黒水」
黒い眼力が、鞘の表面を走る。
白い流れが黒へ引かれた。
作りかけの頭が崩れ、眼獣の前脚が止まる。
だが吸い込んだ力は、岩蔵の硬化とは比べものにならなかった。
何人もの叫びが、眼力と一緒に腕へ入ってくる。
痛い。
寒い。
帰りたい。
「ぐっ……!」
光留は鞘を離した。
眼獣の形が崩れ、白い霧となって石畳へ落ちる。
右腕が痺れて動かない。
一度でこれだった。
通りの向こうには、同じ白い霧がいくつも立っている。
「一人で何をしている!」
二番隊の隊士が駆けてくる。
崩れた眼獣を見て足を止めた。
「お前が倒したのか」
「倒してない、」
「立てるか」
「弟が試合場にいる」
「分かっている。だが今は、こっちを手伝え!」
隊士の背後では、逃げる人々が路地へ詰まっていた。
倒れた荷車が道を半分塞いでいる。
老人が転び、その上へ人が重なりかけていた。
試合場からは、白い霧と悲鳴が上がっている。
光留の足は、弟のいる方へ向いた。
そのとき、小さな女の子が人波から押し出された。
以前、海の向こうにも町があるのかと母親へ尋ねていた子だった。
泣きながら、倒れた母親の手を引いている。
「お母さんが立たないの!」
光留は試合場を見た。
もう一度、女の子を見る。
黒い刀を背へ戻した。
「荷車を退けるぞ」
二番隊士と並び、車輪の下へ肩を入れる。
右腕はまだ痺れていた。
左腕と背中で押す。
荷車が石畳を擦り、僅かに動いた。
「もう一度!」
二人で押す。
道が人一人分開いた。
光留は倒れた母親を背負い、女の子の手をつかむ。
「紺の羽織から離れるな」
「お兄ちゃんは?」
「あとから行く」
「本当に?」
答えるまでに、一呼吸かかった。
「絶対に行く」
二番隊の作った道へ、親子を送り出す。
その先で御影が光留に気づいた。
背負った黒い刀を見る。
「見つけたか」
「はい」
「蓮次郎が――」
「分かっている!」
御影の声に、光留は言葉を止めた。
いつも冷静な男の額から、血が流れている。
「試合場から出た死者は、全てあいつへつながっている。今、無理に助けようとすれば蓮次郎の器が裂けるだろう」
「じゃあ、どうするんですか」
「その答えを探すために俺が行く」
御影は二番隊士へ振り返った。
「光留を船着き場まで連れていけ」
「嫌です」
「命令だ」
「まだ隊士じゃない」
「屁理屈まで父親に似てきたな」
御影は光留の胸を指で押した。
「お前が弟だけを見て、この道を塞げば、ここにいる全員が死ぬ」
路地には、逃げる者が途切れず続いている。
団子屋の老婆もいた。
試合で戦った岩蔵が、負傷者を二人抱えて歩いている。
時任の家族らしい女と子どもも、互いの手を握っていた。
光留は痺れた右手を握り直して。
「道を空けたら、戻ります」
「好きにしろ」
御影はそれだけ言い、試合場へ向かって走り出した。
◇
海沿いの焼き場では、一番隊の列が三度崩されていた。
灰の中から現れる眼獣は増え続けている。
斬っても戻る。
崩しても、別の焼却穴から形を得る。
隊士たちの刀は刃こぼれし、腕は上がらなくなっていた。
「交代できる者は!」
返事は三人だけだった。
一番隊長は焼き場の背後を見た。
坂を越えれば、避難中の町民がいる。
ここを離れることはできない。
「火を全部つけろ」
「効きません!」
「倒すためじゃない。霧を見えるようにする!」
油壺が焼却穴へ投げ込まれる。
赤い炎が一斉に立ち上がった。
炎の中で、眼獣を作る白い霧が黒い影となって浮かび上がる。
「白い流れを斬れ!」
一番隊が再び前へ出る。
火の壁の向こうから、六本脚の眼獣が飛び出した。
隊長を押し倒し、その牙を開く。
二本の刀が横から入り、首を挟んだ。
若い隊士たちが叫びながら押し返す。
一番隊長は立ち上がり、白い流れへ刀を振り下ろした。
眼獣の身体が炎の中へ崩れる。
三呼吸。
それだけで、再び眼が開いた。
「十分だ」
一番隊長が刀を構える。
「今は何度でも切るしかないんだ!」
隊士たちが吠えるように応えた。
その背後で、海の色が白く濁り始めていた。
◇
北山では、炎が尾根を越えた。
山喰らいは三番隊の包囲を破り、町へ向かって斜面を下り始めている。
右前脚は三度斬った。
三度とも戻った。
角へ掛けた鉄鎖は二本とも切れ、杉へ結んだ三本目だけが軋みながら巨体を引いている。
「前脚を狙うな! 作り直されるだけだ!」
三番隊長が斜面を駆け上がる。
山喰らいの腹の下へ滑り込み、焼けた肋骨の間へ刀を突き立てた。
刃をひねる。
骨の奥を通る白い流れが切れ、巨体の右半身が崩れた。
山喰らいが斜面へ倒れる。
山が揺れる。
岩と燃えた木が町へ向かって転がっていく。
「落石を止めろ!」
三番隊の半数が斜面へ並び、眼力を込めた刀を地面へ突き立てる。
丸太を横へ渡し、落ちてくる岩を受けた。
残る半数が、新しい鎖を山喰らいの胴へ回す。
一本を岩へ。
一本を太い杉へ。
最後の一本を、斜面へ打ち込んだ鉄杭へ結ぶ。
「隊長、伝令を出します!」
「こいつは倒せないと伝えろ! だが、日が沈むまでは山から下ろさない!」
「日没まで持つのか!」
「全員で持たせる!」
山喰らいの一つ眼が三番隊長へ向く。
喉の眼が赤く光った。
三番隊長は、斜面に残っていた焼けた杉へ刀を入れた。
幹が折れる。
巨大な杉が山喰らいの前へ倒れ、町へ下る道を塞いだ。
直後、吐き出された熱風が杉を包む。
炎が壁となって立ち上がった。
「鎖を離すな!」
隊士たちは焼けた手で鉄鎖を握り続ける。
白い霧が山喰らいの右半身を作り直し、三本の鎖が一斉に張った。
三番隊長は炎の向こうへ刀を構える。
「倒せなくていい。町へ着かせなければ、俺たちの勝ちだ」
山喰らいと三番隊が、燃える山の中で引き合った。
◇
試合場は、死者の陣へ変わっていた。
古い刃眼隊が、玄斎を中心に円を作っている。
その外側を、死んだ眼獣が歩き回る。
今の隊士たちは観客を逃がしながら、少しずつ境内の端へ追い込まれていた。
橘伊織が、境内の出口へ炎の線を引く。
死んだ眼獣が火を踏み越えるたび、その身体を作る白い流れが赤く浮かび上がった。
伊織は浮かんだ流れへ刀を入れ、眼獣を一時だけ崩す。
その間に、三番隊士が観客を一人ずつ外へ運んでいた。
時任は耳から流れた血を肩で拭い、痺れた右手で木刀を拾う。
最も近い古い隊士の刀を受け、その揺れを読む。
「共鳴崩し」
木刀から振動が流れ、一体が白い霧へ崩れる。
だが、その背後から三体が現れた。
「きりがないな」
時任は木刀を握り直した。
審判を背へかばい、霊の刀を受ける。
「まだ戦えるか」
御影が試合場へ上がってきた。
「試合は中止されたはずですが」
「なら、今からは刃眼隊の仕事だ」
「俺は隊士じゃないですよ、、」
御影が時任の横へ立つ。
「一体ずつなら崩せるか」
「右腕が動く間は」
「十分だ。俺が綻びを見つける。そこへ振動を通せ」
二人が同時に眼を開く。
御影の瞳に、糸がほつれたような細い線が走る。
時任の銀色の虹彩へ、幾重もの波紋が浮かぶ。
「右から二体目。胸の穴だ」
時任の木刀が、古い隊士の刃へ触れた。
「震打!」
振動が刃から腕へ走り、胸の綻びへ届く。
古い隊士が崩れた。
「次、眼獣の左後脚!」
伊織の炎が眼獣の進路を曲げる。
時任が横から木刀を当て、御影の示した一点へ振動を流し込んだ。
白い流れが乱れ、眼獣が砂へ沈む。
御影ができるのは、最も崩れやすい場所を見つけること。
時任ができるのは、一度に一つへ振動を合わせること。
伊織の火も、死体を焼き尽くすことはできない。
どの眼も、一つだけでは死者の群れを止められなかった。
それでも三つを重ねれば、人が逃げるための数呼吸を作れた。
「境内、残り十二人!」
隊士の報告が飛ぶ。
「先に行かせろ!」
御影と時任が、伊織の炎を越えて死者の群れへ踏み込んだ。
玄斎は動かなかった。
蓮次郎の身体で、二人の戦いを眺めている。
「弱い眼を、よく使う」
その声に、御影の顔が上がる。
「宗十郎。お前は昔から、強い眼を欲しがらなかった」
「俺を知った口を利くな」
「知っているとも。」
玄斎が笑う。
御影の刀が止まりかけた。
その一瞬を、古い隊士の槍が狙う。
時任の木刀が横から弾いた。
「話を聞くのは、逃がしてからにしてください」
「命令するな」
「隊士じゃないので」
御影は鼻で笑い、再び刀を構えた。
最後の町民が境内を出る。
二番隊が作った紺の縄の道へ入った。
「境内、避難完了!」
報告を聞き、御影が後ろへ跳ぶ。
「全員、試合場を放棄! 南へ下がれ!」
現在の刃眼隊が、一斉に距離を取る。
伊織は最後まで炎の線を残し、逃げ遅れた隊士を肩へ担いで鳥居を越えた。
振り返った先で、蓮次郎の白い眼と一瞬だけ目が合う。
その奥にいるのが弟自身なのか、玄斎なのかは分からなかった。
玄斎は追わせなかった。
古い隊士と眼獣を従え、壊れた試合場の中央に立っている。
「何が目的だ」
御影が尋ねた。
「帰ることだ」
「死者が、どこへ帰る」
「この島へ」
玄斎は蓮次郎の胸へ手を当てた。
地面の下から、何かを叩く音がした。
試合場だけではない。
町の家々。
海沿いの焼き場。
燃える北山。
島のあらゆる場所から、同じ音が重なる。
「やめろ!」
蓮次郎の左手が、自分の胸をつかんだ。
僅かな間だけ、弟自身の声が戻る。
「島を、壊すな」
右手が左手首をつかみ、引き離す。
玄斎の声が答えた。
「壊すのではない」
白く濁った眼が、さらに大きく開く。
「失われたものを、元へ戻すだけだ」
◇
二番隊の避難路は、南の船着き場までつながった。
最後の一団が坂を下りていく。
光留は列の後ろに立ち、何度も試合場を振り返っていた。
白い霧の上に、古い隊旗が浮かんでいる。
刃眼。
今の紺色ではない。
血と煤で黒ずんだ旗だった。
黒い刀が、背中で脈を打つ。
鞘の中から、何かが呼んでいる。
弟の声ではない。
父の声でもない。
もっと古く、もっと深い場所から届く鼓動だった。
「光留!」
団子屋の老婆が坂の下から呼ぶ。
「あんたも早くおいで!」
「先に行って!」
光留は返事をし、背を向けた。
船着き場ではなく、試合場へ。
光留が走り出す。
その足元で、石畳が震えた。
町の屋根の向こうで、白い霧が次々と立ち上がる。
一つ。
十。
百。
島じゅうから、死んだ眼獣が姿を現す。
海沿いでは、一番隊が炎の中で群れを押し返している。
北山では、燃える巨獣と三番隊がぶつかっている。
町中では、二番隊が道をつないでいる。
そして試合場からは、昔の刃眼隊が歩き出していた。
死んだ者たちが、死んだ獣を率いて町へ出る。
全ての白い流れが、葛城蓮次郎の眼へ集まっている。
光留は黒い刀の柄を握った。
「待ってろ、蓮次郎」
遠くで、弟の叫びが聞こえた気がした。
だが次の瞬間、島中の警鐘がその声を呑み込んだ。
大会の決勝を告げる太鼓は、二度と鳴らなかった。
あったら面白そうな眼の能力があれば気軽にコメントしてください!!




