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真贋の眼 〜眼の奥に潜む真実〜  作者: えもえもん
第五章 幻の島と還りし者

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第六十九話 弟として





 試合会場から離れた海岸。


 山喰らいの巨大な腕が、船団へ振り下ろされた。


「岳!」


「分かってる!」


 戦士の眼の残された眼力を両手へ集める。


 船を覆うほどの巨大な盾が作り出された。


 岩と焼けた肉が混ざり合った拳が、盾へ激突する。


「ぐううううっ!」


 盾の表面に亀裂が走った。


 岳の両脚が砂浜へ沈んでいく。


「長くは持たないぞ!」


「三番隊、鎖を引け!」


 三番隊の隊員たちが、山喰らいの身体へ巻きつけた鎖を引いた。


 何十人もの足が砂を削る。


 山喰らいの巨体が、船とは反対側へ僅かに傾いた。


 だが、倒れない。


 崩れていた右脚には、白い眼力が根のように絡みついている。


 傷つくたびに眼力の根が肉と岩を繋ぎ、身体を再生させていた。


「右脚の眼力を断たない限り、倒せない!」


 御影宗十郎が叫ぶ。


 光留のもとから退いた三人も、海岸へ辿り着いていた。


 御影の綻びの眼には、山喰らいの全身を巡る眼力が見えている。


「月!」


 御影が右脚の付け根を指差した。


「白い根が一箇所に集まっている! あそこを斬れ!」


「分かった」


 月の眼は傷ついた肩を押さえながら、山喰らいへ向かって走り出した。


「星!」


「もう作っている」


 崩れた木々。


 山喰らいの背中。


 宙に浮かぶ岩。


 七つの光点が現れ、一本の軌道で結ばれた。


「星渡り!」


 星の眼が、光の線の上を駆け抜ける。


 山喰らいの巨大な眼が、その動きを追った。


 星の眼が右へ。


 左へ。


 眼獣の視線を引きつけながら、頭上へ駆け上がっていく。


「今だ、月!」


 月の眼が山喰らいの足元へ滑り込んだ。


 白い眼力の根が、迫る忍へ向かって伸びる。


 その前へ伊織が立った。


「邪魔するな!」


 白い義手から炎が噴き出す。


 眼力の根が炎に押し戻された。


 月の眼は僅かに開いた隙間へ踏み込む。


 三日月の光が、傷ついた刃を包んだ。


「断つ!」


 刃が振り抜かれる。


 右脚を繋いでいた白い根が、一斉に切断された。


 山喰らいの巨体が大きく揺れる。


 再生していた右脚が崩れ、膝から砂浜へ沈んだ。


「今だ!」


 三番隊が鎖を引く。


 山喰らいの上半身が、船とは反対側へ傾いていく。


 巨体の中央にある眼が、怒りに満ちた光を放った。


 凄まじい眼力が集まり、船団へ向けられる。


「撃たせるな!」


 星の眼が、山喰らいの頭上に最後の光点を置いた。


「鳴神!」


「ああ!」


 青白い雷が砂浜を駆け抜ける。


 鳴神宗玄は山喰らいの崩れた右脚を駆け上がり、星の眼が作った光を目印に跳躍した。


 巨大な眼が、鳴神を捉える。


 集められた眼力が放たれる。


「遅い!」


 宗玄の姿が雷へ変わった。


 山喰らいの攻撃とすれ違い、その中心へ突き進む。


 青白い雷が、巨大な眼を貫いた。


 島全体を震わせる咆哮が上がった。


 山喰らいの身体から、赤い炎が噴き出す。


「引けえええっ!」


 三番隊が残された力で鎖を引く。


 巨体は船を避け、横向きに砂浜へ倒れた。


 大地が揺れる。


 砂と海水が高く舞い上がった。


 山喰らいの眼から光が失われる。


 白い眼力の根も動きを止め、灰となって崩れていった。


「山喰らいが……」


「倒れたぞ!」


 周囲で戦っていた刃眼隊から声が上がる。


 同時に、騎士団と忍たちが残された眼獣を追い詰めていた。


 矢が翼を貫く。


 槍が地上の眼獣を押さえる。


 忍の刃が、最後の一体を切り裂いた。


 咆哮が途切れる。


 長く響いていた戦いの音が、島から消えた。


「終わった……」


 戦士の眼が盾を消し、砂浜へ膝をつく。


 そのとき、狼の眼が試合会場の方角を振り返った。


「どうした?」


 伊織が尋ねる。


 狼の眼は鼻を動かす。


 その表情が強張った。


「死者の臭いが消えた」


「玄斎を倒したのか?」


「ああ。だが……」


 狼の眼が森へ向かって走り出す。


「生きている方の臭いも消えかけている!」


 伊織の顔色が変わった。


「蓮次郎か!」


「星、道を作れるか!」


 鳴神が叫ぶ。


 星の眼は荒い呼吸を繰り返しながら、森へ腕を向けた。


「一度だけならな」


 木々の間に光点が現れる。


 試合会場まで続く、最後の星の道。


「行くぞ!」


 戦える者たちが、一斉に森へ駆け込んだ。


     ◇


「できるわけないだろ……」


 光留は、蓮次郎の胸へ置かれた手を引いた。


「俺がお前を死なせるなんて、できるわけない!」


 蓮次郎の身体は、少しずつ人の形を失っていた。


 右肩に開いた眼が動く。


 長く伸びた指先が、地面を掻いた。


 頬を走る亀裂からも、淡い眼力が溢れ続けている。


「この眼力を吸えば戻せる」


 光留は弟の身体を抱き締めた。


「全部吸って、人間に戻す。そうすれば――」


「器は戻らない」


「やってみないと分からない!」


「俺の身体だから分かるんだ」


 蓮次郎が静かに答えた。


「もう、身体の中が空っぽなんだ」


 玄斎に支配されていた間、何度も限界を超える眼力を使わされた。


 壊れた器は、二度と元へ戻らない。


 今は溢れた眼力が身体を変化させ、無理やり命を繋いでいるだけだった。


 眼力を残せば、眼獣になる。


 吸収すれば、人間へ戻れる。


 だが、壊れた器に命を留めるものも失われる。


「兄さんがやらないなら、俺は眼獣になる」


 肩に開いた眼から、黒い涙が流れた。


「そうなったら、また誰かを傷つける」


「俺が止める!」


「俺じゃなくなった後で止められても、意味がないんだ」


 蓮次郎は、自分の胸を掴んだ。


「玄斎に身体を使われている間、ずっと暗かった」


 自分の手で誰かを傷つける。


 自分の口から、知らない男の声が出る。


 全てが見えているのに、何一つ止められない。


「もう二度と、あそこへ戻りたくない」


 蓮次郎が兄を見つめる。


「最後くらい、俺に決めさせて」


「助けるって約束したんだ……」


 光留の声が震える。


「あの地蔵の前で、今度こそお前を連れて帰るって……!」


「助けてもらったよ」


 蓮次郎が僅かに笑った。


「玄斎を倒して、俺を俺に戻してくれた」


「でも、お前が死んだら……」


「兄さんが来てくれなかったら、俺は玄斎のままだった」


 蓮次郎は、眼獣へ変わり始めた右腕を見つめる。


「最後にもう一度、兄さんと話すこともできなかった」


 遠くから、何人もの足音が聞こえてきた。


「光留!」


 伊織の声だった。


 崩れた門を越え、仲間たちが試合会場へ入ってくる。


 伊織。


 御影。


 狼の眼。


 鳴神宗玄。


 月と星。


 刃眼隊の隊長たち。


 山喰らいと残された眼獣を倒した者たちが、傷ついた身体を引きずりながら駆けつけてきた。


「蓮次郎……?」


 伊織が足を止める。


 光留の腕の中で、蓮次郎の身体が変わり続けている。


「御影!」


 光留が叫ぶ。


「綻びの眼なら分かるだろ! こいつを助ける方法を探してくれ!」


 御影宗十郎が、残された眼力で綻びの眼を開いた。


 蓮次郎の身体を見つめる。


 眼力の流れ。


 器に走った亀裂。


 辛うじて残されている人間の輪郭。


 御影の表情が歪んだ。


「どうなんだ!」


「これは傷じゃない」


 御影は拳を握り締めた。


「器そのものが、完全に砕けている」


「だったら繋げれば!」


「できない」


 御影が首を振る。


「治癒の眼でも治せない。溢れた眼力を止めれば、眼獣化は防げる。だが……」


 その先を口にすることはできなかった。


「分かっただろ、兄さん」


 蓮次郎が静かに言った。


「これが、俺の最後のお願いだ」


 誰も言葉を発しなかった。


 伊織が唇を噛む。


 狼の眼は顔を伏せた。


 鳴神も、月も、星も、その場から動かなかった。


 戦いを終えた誰もが、兄弟を見守っている。


「本当に……それでいいのか」


 光留が尋ねる。


 蓮次郎は頷いた。


「うん」


 身体の変化が、さらに進む。


 右腕の皮膚が裂け、幾つもの小さな眼が開いた。


 背中が大きく盛り上がる。


 蓮次郎の口から、獣のものに近い呼吸音が漏れた。


「早く……」


 それでも、瞳だけは弟のままだった。


「俺が俺でいられるうちに」


 光留は眼を閉じた。


 弟と過ごした日々が浮かぶ。


 二人で地蔵へ手を合わせた。


 決勝で会おうと約束した。


 同じ場所を目指していた。


 そして、離れ離れになった。


 ようやく会えた弟を、自分の手で失おうとしている。


「ごめんな……」


 光留の右腕を、黒い鱗が覆っていく。


 全身ではない。


 肩から先だけ。


 暴走していた眼力を抑え、自分の意思で吸収する場所を選ぶ。


 黒い掌を、蓮次郎の胸へ置いた。


「謝らないでよ」


 蓮次郎が笑う。


「俺が頼んだんだから」


 光留は、吸収を始めた。


 蓮次郎から溢れていた眼力が、黒い掌へ流れ込む。


 肩に開いていた眼が閉じる。


 長く伸びていた指が、元の形へ戻っていく。


 背中の膨らみも小さくなった。


 眼獣へ変わろうとしていた身体が、少しずつ人間へ戻っていく。


 同時に、蓮次郎の呼吸も弱くなった。


「やっぱり……兄さんの眼はすごいな」


「喋るな」


「こんなに静かなの、久しぶりだ」


「やめろ……」


「もう、誰の声も聞こえない」


 蓮次郎は安心したように眼を閉じる。


「ちゃんと俺の身体だ」


「蓮次郎、眼を開けろ!」


「兄さん」


 蓮次郎が、もう一度だけ瞼を開いた。


「俺……帰ってこられたかな」


 光留の眼から涙が落ちた。


「ああ」


 声が震える。


「帰ってきた」


 蓮次郎の頬を伝う黒い亀裂が消えていく。


「ちゃんと、俺の弟として帰ってきた」


「そっか……」


 蓮次郎が小さく息を吐いた。


 試合会場の入口にあった、壊れた地蔵。


 幼い頃、兄弟で何度も手を合わせた場所。


 その姿を思い浮かべるように、遠くを見る。


「兄さん……」


「ここにいる」


「ただいま」


 光留は弟の身体を強く抱き締めた。


「ああ……」


 涙が、蓮次郎の頬へ落ちる。


「おかえり、蓮次郎」


 最後に残っていた余分な眼力が、光留の掌へ吸い込まれた。


 蓮次郎の身体から、眼獣の痕跡が全て消える。


 肩の眼も。


 黒く硬化していた皮膚も。


 長く伸びていた指も。


 そこに残ったのは、一人の人間だった。


 蓮次郎の眼が、ゆっくりと閉じられる。


 呼吸が止まる。


 それでも、その顔は穏やかだった。


 誰も声を上げなかった。


 戦いの終わった試合会場で、光留は弟を抱き締め続けていた。


 蓮次郎は最後まで眼獣になることなく。


 葛城光留の弟――葛城蓮次郎として。


 兄の腕の中で、静かに眠りについた。


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