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真贋の眼 〜眼の奥に潜む真実〜  作者: えもえもん
第五章 幻の島と還りし者

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第六十四話 還る先


「試してみろよ」


 星の眼を中心に、七つの光点が強く輝いた。


 その姿が消える。


 直後、玄斎の右側に浮かんだ星が瞬いた。


 星の眼が光の中から現れ、玄斎の脇腹へ蹴りを放つ。


 玄斎が腕を振り下ろした。


 黒い眼力が刃となり、星の眼へ迫る。


 だが、刃が届くより早く、星の眼は別の光へ移っていた。


「遅い」


 頭上。


 背後。


 左側。


 七つの星を結ぶ線の上を、星の眼が次々と駆け抜ける。


 玄斎の周囲に、無数の光の軌跡が描かれていく。


「月!」


「分かっている!」


 月の眼が地面を蹴った。


 玄斎の意識が星へ向いた、その一瞬。


 三日月を描く斬撃が、玄斎の胸を横切った。


 星の眼も最後の光点から飛び出し、背中へ蹴りを叩き込む。


 二つの攻撃が、同時に玄斎を捉えた。


 玄斎の身体が中央から裂ける。


「やったか?」


 黒い霧が舞い上がった。


 血は流れない。


 骨が砕ける音もしない。


 切り裂かれた玄斎の身体は、黒い霧となって左右へ崩れた。


 星の眼は着地すると、僅かに眉を寄せた。


「何だ、今の感触は……」


 人間を蹴った感触ではなかった。


 空気の塊を蹴り抜いたような、何も残らない感触。


「最初から実体ではなかったのか」


 月の眼も刃を構えたまま、霧を睨む。


 散った黒い霧が、再び中央へ集まっていく。


 古い隊羽織。


 白い髪。


 青白い顔。


 傷一つない玄斎が、先ほどと同じ姿で立っていた。


「ようやく気づいたか」


 玄斎の口元が吊り上がる。


 御影宗十郎が綻びの眼を凝らした。


 玄斎の身体に、人間が持つはずの綻びが見えない。


 骨も。


 血も。


 肉もない。


 その姿を作っているのは、幾重にも重なった眼力だけだった。


「こいつには……身体がない」


 御影がさらに奥を見る。


 死体眼獣から集められた膨大な眼力は、玄斎の霊体で止まっていなかった。


 黒い流れは中央舞台の下へ潜り込み、試合会場の奥へ伸びている。


 その先で、別の眼力と重なっていた。


 御影の表情が変わる。


「まさか……」


「何が見えた?」


 光留が尋ねる。


「玄斎へ集まった眼力が、さらに奥へ流れている」


 御影は崩れた会場の奥を指さした。


「この霊体は、眼力を送り込むための中継点にすぎない」


「なら、本体は別の場所にいるのか?」


「違う」


 御影の声が僅かに震えた。


「玄斎自身の肉体は、どこにもない」


 玄斎が低く笑う。


「その通りだ」


 古い隊羽織の隙間から、黒い霧が漏れ出した。


「私の肉体など、とうに朽ちている」


「だったら、今まで俺たちが戦っていたものは何だ」


 伊織が白い義手を構える。


「残滓だ」


 玄斎が答えた。


「別の器から映し出した、私の影にすぎん」


「別の……器?」


 光留の胸が強く脈打った。


 御影の眼には、黒い流れの奥にある眼力が見えている。


 冷たく、深く、無数の魂が渦巻くような力。


 それでも、その中心にある気配を御影は知っていた。


「この眼力は……蓮次郎のものだ」


 光留が息を呑む。


「蓮次郎……?」


 玄斎の笑みが深くなった。


「お前の弟は、実に素晴らしい器だ」


 その言葉と同時に、光留の両腕を黒い鱗が覆った。


「蓮次郎に何をした!」


「何をした、か」


 玄斎の輪郭が、ゆっくりと崩れ始める。


「私は、あの者の内に還っただけだ」


 死体眼獣から集められた眼力が、地面へ流れ込んでいく。


 玄斎の足が霧へ変わる。


 続いて、胴体。


 両腕。


「この力が還るべき器は――この先にある」


 残された顔が、光留を見つめた。


「次にお前が刃を向けるのは、この亡霊ではない」


 玄斎の声が、会場全体から響く。


「お前自身の弟だ」


「ふざけるな!」


 光留が黒刀を振り抜く。


 黒い斬撃が中央舞台を切り裂いた。


 しかし、そのときには玄斎の姿は消えていた。


 斬撃は霧を散らし、崩れた壁へ激突する。


 玄斎を形作っていた黒い眼力が、全て試合会場の奥へ流れ始めた。


 地面が大きく揺れる。


 舞台の後方にあった壁が崩れ、その奥から古い石造りの門が姿を現した。


「あそこだ!」


 光留が走り出そうとする。


「待て!」


 御影が腕を掴んだ。


 次の瞬間、門の前で黒い眼力が噴き上がった。


 腐った泥と霧を巻き込み、巨大な壁となって道を塞ぐ。


 壁の表面に、無数の眼が開いた。


 死体眼獣から抜き取られた眼。


 赤。


 黄。


 白。


 濁った瞳が一斉に光留たちを見つめる。


 黒い壁から何本もの腕が伸び、地面を抉った。


「まだ動かせるのか!」


 刃眼隊が槍を構える。


「眼獣ではない!」


 御影が叫んだ。


「これは玄斎の眼力そのものだ!」


 月の眼が前へ出る。


 三日月の斬撃を放ち、伸びてきた腕を切り落とした。


 だが、切断された場所から黒い霧が溢れ、すぐに新しい腕が作られる。


「きりがないな」


「なら、根元を狙う」


 星の眼の周囲で七つの光が動き出した。


 星々が黒い壁を囲み、細い線で結ばれていく。


 星の眼が最初の光へ飛び込んだ。


 星から星へ。


 黒い腕の間をすり抜けながら、壁の周囲を駆け抜ける。


 光の軌跡が、黒い眼力を何度も切り裂いた。


 しかし、七つの星の一つが不自然に揺れた。


 光が細く引き伸ばされ、黒い壁へ吸い込まれていく。


「俺の星まで食うのかよ……!」


 一つ目の星が消えた。


 続いて、二つ目の光も弱くなる。


「万屍冥還は、まだ続いている」


 御影が黒い流れを見つめる。


「周囲の眼力を奪いながら、蓮次郎の身体へ集めているんだ」


「全部の力が還ったら、どうなる?」


 伊織が尋ねた。


「今より強くなる」


 御影は答えた。


「俺たち全員でも止められないほどに」


「なら、ここで立ち止まっている時間はないな」


 鳴神宗玄が一歩前へ出た。


 身体から青白い雷が弾ける。


「御影! あの壁の綻びを探せ!」


「もう見ている!」


 御影の瞳が細くなる。


 幾重にも重なった黒い眼力。


 全てが絶え間なく動き、切断された場所を修復している。


 完全な壁に見えた。


 だが、眼力が蓮次郎のもとへ流れる瞬間だけ、僅かに薄くなる場所がある。


「中央から少し右!」


 御影が指を向けた。


「あの眼力だけ、流れが遅れている!」


「全員、聞いたな!」


 宗玄が腕を上げた。


「勝つための戦いではない!」


 雷が腕へ集まっていく。


「光留たちを通すための戦いだ!」


 刃眼隊が一斉に前へ出た。


「槍を並べろ!」


 何十本もの槍が、御影の示した一点へ突き刺さる。


 黒い壁から伸びた腕が槍を掴み、へし折ろうとする。


「放すな!」


「ここを通すまで耐えろ!」


 隊員たちは槍の柄へ全体重をかけた。


 騎士団も残された矢をつがえる。


「全員、同じ場所を狙え!」


 弦の音が重なった。


 放たれた矢が、槍の隙間を縫って黒い壁へ突き刺さる。


 忍たちの刃も空を走った。


「四式――刃!」


 無数の刃が、遅れて流れる眼力だけを削り取っていく。


 黒い壁に、細い亀裂が生まれた。


「月!」


 星の眼が叫ぶ。


 残された五つの星が一直線に並ぶ。


 黒い壁の亀裂から、石門の奥へ。


 一本の光の道が作り出された。


「長くは持たないぞ!」


「それだけあれば十分だ」


 月の眼が刃を両手で握った。


 肩の傷から血が流れる。


 開眼の反動が残る身体に、さらに力を込める。


「まだ倒れるなよ」


 星の眼が言った。


「誰に言っている」


 月の眼は一歩踏み出した。


 刃の先に、細い月光が集まる。


「道を開ける」


 三日月の斬撃が放たれた。


 星の眼が作り出した光の線に沿って、月光が黒い壁を駆け抜ける。


 亀裂が大きく広がった。


「鳴神!」


「ああ!」


 宗玄が両腕を突き出す。


「雷界!」


 青白い雷が、開いた亀裂へ撃ち込まれた。


 轟音。


 黒い壁の中央が弾け飛ぶ。


 石門の奥へ続く道が現れた。


「光留!」


 宗玄の声が響く。


「御影、伊織、戦士の眼を連れて行け!」


「団長たちは?」


「この道を閉じさせない」


 黒い壁はすでに再生を始めている。


 刃眼隊の槍が折れ、騎士団の矢が黒い霧に呑み込まれていく。


「早く行け!」


 一番隊長が叫ぶ。


「御影! ここは俺たちに任せろ!」


 三番隊長も槍を壁へ突き刺した。


「今度は、俺たちが道を守る番だ!」


 御影は二人を見つめた。


 短く頷く。


「死ぬなよ」


「誰に言ってやがる!」


 伊織が白い義手へ炎を灯した。


「光留、行くぞ!」


 戦士の眼も巨大な盾を構え、開かれた道へ向かう。


「後ろは俺が守る!」


 光留は仲間たちを振り返った。


 月。


 星。


 刃眼隊。


 騎士団。


 忍たち。


 傷つきながらも、全員が黒い壁を押さえている。


「必ず蓮次郎を連れて帰る!」


「当然だ」


 月の眼が答えた。


「そのために、ここまで来た」


 星の眼が最後の光を維持しながら笑う。


「ここまで道を作らせて、手ぶらで戻ってくるなよ!」


「ああ!」


 光留たち四人が走り出した。


 星の光が示す道を駆け、黒い壁の中へ飛び込む。


 周囲から無数の腕が伸びてきた。


「右だ!」


 御影の指示に、四人が進路を変える。


 伊織の炎が左から迫る腕を焼き払う。


 戦士の眼が盾を振り回し、正面の黒い塊を弾き飛ばした。


 光留は黒刀を振り抜く。


「黒刃!」


 最後に残った眼力を切り裂き、四人は石門の向こうへ抜けた。


 直後、背後で黒い壁が閉じる。


 仲間たちの姿が見えなくなった。


 激しい戦闘音だけが、壁の向こうから聞こえてくる。


 光留は振り返らなかった。


 振り返れば、託された時間を無駄にする。


「進むぞ」


 四人は暗い道を走り続けた。


     ◇


 石門の先には、島の奥へ続く細い道があった。


 木々が空を覆い、蒼い雨はほとんど届かない。


 太い根が地面から飛び出し、黒く濁った水が足元を流れている。


 黒い眼力は、何本もの血管のように地面を這っていた。


 全てが同じ場所へ向かっている。


「こっちだ」


 御影が眼力の流れを追う。


 島の奥へ進むほど、空気が重くなっていく。


 光留には分かった。


 玄斎の眼力に覆われていても、その奥には確かに蓮次郎の気配がある。


 幼い頃から何度も感じてきた、弟の眼力。


「待ってろ……」


 光留は黒刀を握り締めた。


「今、行くからな」


 やがて四人は、木々に囲まれた古い石段へ辿り着いた。


 地下へ向かって伸びる階段。


 その一段一段を、黒い眼力が流れ落ちている。


 四人は慎重に階段を下りた。


 最下部には、広い石造りの空間があった。


 壁一面を太い根が覆っている。


 天井から落ちた水滴が、黒い水溜まりを叩いていた。


 ぽつり。


 ぽつり。


 その中央に、一人の少年が跪いていた。


 俯いた顔。


 濡れた髪。


 細い肩。


 見間違えるはずがない。


「蓮次郎……」


 光留の声が、石室に響いた。


 試合会場から流れてきた膨大な眼力が、少年の背中へ次々と吸い込まれていく。


 指先が僅かに動いた。


 黒い眼力が両腕を伝い、全身を包む。


「近づくな」


 御影が光留の前へ腕を出した。


「玄斎の眼力が、完全にあいつの身体と重なっている」


 最後の黒い流れが、蓮次郎の中へ入った。


 少年の背後に、榊原玄斎の霊体が浮かび上がる。


 古びた隊羽織。


 長い白髪。


 落ち窪んだ眼。


 玄斎は光留を見つめ、ゆっくりと蓮次郎の身体へ重なっていく。


 顔。


 胸。


 両腕。


 亡霊の全てが、弟の中へ消えた。


 蓮次郎が立ち上がる。


 その動きは、光留の知る弟のものではなかった。


 背筋を真っすぐに伸ばし、片腕を後ろへ回す。


 それは、古い時代の刃眼隊が用いた構えだった。


「本当に……蓮次郎の身体を……」


 伊織が息を呑む。


 蓮次郎がゆっくりと顔を上げた。


 その顔は弟のまま。


 しかし瞳の奥では、蓮次郎の眼力と玄斎の眼力が濁り合っている。


 口元に、玄斎と同じ歪んだ笑みが浮かんだ。


「ザ……ザザッ……」


 少年の喉から、乱れた音が漏れる。


 蓮次郎の声。


 玄斎の声。


 二つの声が不気味に重なった。


「よく……来たな」


 光留は黒刀を構えた。


 目の前にいるのは、救うべき弟。


 そして、倒さなければならない敵。


 万屍冥還によって全ての力が還った先。


 そこに立っていたのは、葛城蓮次郎の身体を得た榊原玄斎だった。

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