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真贋の眼 〜眼の奥に潜む真実〜  作者: えもえもん
第五章 幻の島と還りし者

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第五十九話 霧海の先


 夜明け前。


 海岸には、すでに何隻もの船が並んでいた。


 沖から押し寄せる波が船体を激しく揺らし、係留された縄が軋んでいる。


 海の先には、分厚い霧が壁のように広がっていた。


 忍たちは甲板や帆柱に立ち、騎士団は矢筒の中身を確かめる。


 刃眼隊の隊員たちは、長い槍の穂先を一つずつ点検していた。


 これほどの人数が集まっているにもかかわらず、話し声はほとんど聞こえない。


 誰もが、霧の向こうにある島を見つめていた。


「本当に、この先にあるんだな」


 兄もまた、黒刀を腰に差しながら海を見た。


 幻の島。


 失われたはずの故郷。


 そして、弟がいるかもしれない場所。


 隣では、水城蒼華が荒れる海を見つめていた。


 長い髪が、強い潮風に揺れている。


「この波でも、海を操れるのか?」


 兄が尋ねると、蒼華は海から目を離さないまま答えた。


「簡単ではありません」


 大きな波が岸壁へぶつかり、白い飛沫が二人の足元まで届く。


「でも、海がどれだけ荒れていても、水であることは変わりません」


 蒼華は自分の両手を見つめた。


「必要になれば、道を作ります」


 そのとき、騎士団長の鳴神宗玄が船の先頭へ立った。


 背後では、各隊の乗船が終わろうとしている。


「これより幻の島へ向かう!」


 宗玄の声が、波音を押し退けるように響いた。


「霧の中では、何が起きるか分からない。隊列を崩すな。仲間の姿を見失っても、勝手に動くな」


 全員の視線が宗玄へ集まる。


「総員――出航!」


 縄が外された。


 船団が次々と岸を離れていく。


     ◇


 出航して間もなく、陸地は霧の中へ消えた。


 前を進む船の影すら、かろうじて見える程度だった。


 雨は降っていない。


 それなのに甲板は波をかぶり、すでに水浸しになっている。


「右へ傾くぞ!」


 船が大きく持ち上げられた。


 次の瞬間、甲板が斜めになり、何人もの隊員が手すりへ叩きつけられる。


 兄も片膝をつき、黒刀の鞘を甲板へ突き立てた。


「まだ島も見えていないのに、なんて波だ……!」


「普通の荒れ方じゃない」


 伊織が濡れた髪をかき上げる。


「まるで、海そのものが俺たちを追い返そうとしてるみたいだ」


 船の下から、何かが船底を擦る音がした。


 ギギギギギ――。


 長く、不快な音だった。


 甲板にいた全員が動きを止める。


「何の音だ?」


 隊員の一人が、恐る恐る海面を覗き込んだ。


 濃い霧の中。


 黒い海面に、赤い光が一つ浮かび上がった。


 続いて二つ。


 三つ。


 それらが一斉に見開かれる。


「眼獣だ!」


 海面を突き破り、巨大な眼獣が飛び出した。


 魚のような胴体には、無数の眼が埋め込まれている。


 開かれた口が、船縁に立っていた隊員へ迫った。


「四式――刃!」


 帆柱の上にいた忍が腕を振り抜く。


 霧の中を走った細い刃が、眼獣の口を横から切り裂いた。


 眼獣は血を噴き出しながら海へ落ちていく。


 しかし、その水音を合図にしたかのように、周囲の海面が次々と盛り上がった。


「左舷にもいるぞ!」


「後方の船が囲まれている!」


「騎士団、弓を構えろ!」


 弓を持った騎士たちが、一斉に船縁へ並んだ。


 揺れ続ける甲板の上で足を開き、霧の奥へ弓を向ける。


「放て!」


 無数の矢が甲板から放たれた。


 矢は霧の中へ消え、直後、眼獣たちの叫び声が響く。


 矢を受けた眼獣が海へ沈む。


 だが、その死体を踏み越えるように、さらに多くの眼獣が船へ押し寄せた。


 船体に爪が突き刺さる。


 一頭の眼獣が船縁へしがみつき、甲板へ這い上がろうとした。


「槍隊、前へ!」


 刃眼隊の隊員たちが駆け出した。


 並べられた槍が、一斉に眼獣へ突き出される。


「押し戻せ!」


 何本もの槍が眼獣の身体を貫いた。


 隊員たちは足を踏ん張り、その巨体を海へ押し返す。


 別の船でも、忍術の刃が霧を切り裂いていた。


 その間を騎士団の矢が通り抜け、船へ近づいた眼獣を刃眼隊の槍が仕留める。


 三つの勢力が、まるで一つの隊であるかのように動いていた。


 それでも眼獣の数は減らない。


 島へ近づくほど、海面に浮かぶ眼の数が増えていく。


 やがて船団の周囲は、赤や黄色に光る眼で埋め尽くされた。


「前方から、さらに来るぞ!」


 霧の奥で、巨大な影が動いた。


 これまでの眼獣とは比べものにならない。


 海中を進むだけで波が生まれ、何隻もの船が同時に持ち上げられる。


 甲板から隊員が投げ出された。


「掴まれ!」


 兄は咄嗟に腕を伸ばした。


 その両腕を、黒い鱗が覆っていく。


 黒く変化した腕で手すりを掴み、もう片方の手で落ちかけた隊員の腕を掴んだ。


「くっ……!」


 兄の身体が船の外へ引かれる。


 鱗に覆われた指が手すりへ食い込み、辛うじて踏みとどまった。


 伊織が隊員の服を掴み、二人を甲板へ引き戻す。


「早速、役に立ったな。その腕」


「ああ。だが、喜んでる場合じゃなさそうだ」


 船団の正面に、壁のような大波が立ち上がっていた。


 その波の中には、数え切れないほどの眼獣が蠢いている。


 このまま進めば、先頭の船からまとめて呑み込まれる。


「船を止めろ!」


「無理だ! 後ろからも波が来ている!」


 逃げ道はなかった。


 そのとき、水城蒼華が一人で船首へ向かった。


「蒼華!」


 呼び止める声にも振り返らない。


 蒼華は船の最も前に立つと、足を肩幅に開いた。


 そして、両手を真っすぐ前へ突き出した。


 蒼華の瞳が、水色の光を放つ。


「この海は――私が動かします」


 巨大な波が、船団へ迫る。


 蒼華の両腕が震え始めた。


 それでも手を下ろさない。


 開いた指をゆっくりと左右へ動かしていく。


 直後、海全体が鳴いた。


 ゴゴゴゴゴゴ――。


 船団の正面にあった大波が、中央から二つに割れた。


「海が……!」


 左右へ押し退けられた海水が、高い壁となってそびえ立つ。


 その間には、島へ向かって真っすぐ延びる一本の水路が現れた。


 水の壁の中では、巻き込まれた眼獣たちが身動きを取れずに暴れている。


「今です!」


 蒼華が叫ぶ。


「私が海を押さえている間に進んでください!」


「全船、前進!」


 船団が一斉に水路へ入った。


 左右の水の壁から、眼獣が飛び出そうとする。


「忍は左右を狙え!」


「四式――刃!」


 無数の刃が水の壁へ撃ち込まれる。


「騎士団、続け!」


 弓弦の音が重なり、矢の雨が眼獣たちを貫いた。


 それでも抜け出した眼獣には、刃眼隊の槍が待ち受けている。


「一頭も船へ近づけるな!」


 刃。


 矢。


 槍。


 三方向からの攻撃が、次々と眼獣を仕留めていく。


 蒼華の額から汗が流れ落ちた。


 両腕は震え、指先から血が滲み始めている。


 それでも、海の道は閉じない。


「見えたぞ!」


 先頭の船から声が上がった。


 濃い霧の向こうに、黒い陸地が現れる。


 幻の島だった。


     ◇


 船底が砂浜へ乗り上げた。


「上陸しろ!」


 隊員たちが次々と船から飛び降りる。


 最後の船が岸へ到着すると、蒼華はようやく両腕を下ろした。


 左右に分かれていた海が、轟音とともに元へ戻る。


 追ってきた眼獣たちは激流に呑まれ、沖へ押し流された。


 蒼華の身体がふらつく。


 近くにいた隊員が、倒れかけた彼女を支えた。


「大丈夫です……」


 息を切らしながらも、蒼華は島の奥を見た。


「ここから先は、皆さんに任せます」


 上陸した一行は、すぐに隊列を組み直した。


 島の中も深い霧に覆われている。


 草木は伸び放題で、人が暮らしている気配はない。


 鳥の声も、虫の音さえ聞こえなかった。


「進むぞ」


 御影宗十郎を先頭に、一行は島の奥へ足を踏み入れた。


 兄は無言で周囲を見回す。


 崩れた石垣。


 土に埋もれた道。


 幹の途中から折れた大木。


 どれも長い間、誰にも触れられていないように見える。


 しかし、歩を進めるほど、胸の奥がざわついていった。


「この道……」


 兄が足を止めた。


「知っているのか?」


 伊織が尋ねる。


 兄は答えず、霧の先へ目を凝らした。


 地面に残された石段。


 半分崩れた柱。


 苔に覆われた古い門。


 かつて何度も通った場所だった。


「間違いない」


 兄の声が僅かに震えた。


「ここは、俺たちが暮らしていた島だ」


 その瞬間、島を覆っていた霧が風に流された。


 巨大な建物の影が、ゆっくりと姿を現す。


 円形に並ぶ観客席。


 崩れかけた外壁。


 そして、その中央に残された広い舞台。


 兄の足が止まった。


 伊織も、血の眼も、言葉を失う。


「おい……嘘だろ」


 そこにあったのは、兄と弟が戦い、すべての始まりとなった――あの試合会場だった。


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