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真贋の眼 〜眼の奥に潜む真実〜  作者: えもえもん
第五章 幻の島と還りし者

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第五十七話 集結

第五十七話 集結


 船が水の島の港へ入ると、海の色が変わった。


 島を巡る水路から透明な水が流れ込み、深い青の中へ淡い白を広げている。


 幾つもの石橋が水路をまたぎ、その向こうには白い建物が並んでいた。


 島の中央に立つ塔からは、絶えず水が流れ落ちている。


 だが、普段なら穏やかなはずの港は、人と船で埋め尽くされていた。


 岸壁へ積み上げられた食料。


 束ねられた武器。


 眼鉄で補強された盾。


 騎士たちが荷を運び、船員たちが帆と縄を確かめている。


 その奥には、三本の長い旗が立っていた。


 刀の周囲に、幾つもの眼を並べた印。


 刃眼隊の旗。


 それぞれの旗には、一、二、三を示す線が刻まれている。


「一番隊……」


 光留が呟く。


 続いて、二番隊。


 三番隊。


 故郷が襲われた夜、別々の道から島を脱出した三つの隊が、一つの港へ集まっている。


 さらに、その外側を盾と翼の旗が取り囲んでいた。


 騎士団。


 これほど多くの使い手が並ぶ光景を、光留は見たことがなかった。


「見物なら、船を降りてからにしてくれ!」


 船員が怒鳴った。


 縄が岸壁へ投げられる。


 船体がゆっくりと横へ寄り、木と石が擦れる音が響いた。


「着いたよ」


 澪が船縁から港を見下ろす。


「本当に、みんないる」


「ああ」


 岳が大剣を背負い直した。


「ここから先は、六人だけの戦いじゃない」


 伊織は白い義手を開き、船縁から指を離した。


 七日間の船旅で、指の動きはかなり滑らかになっている。


 それでも、意識を逸らせば力の加減を間違える。


 伊織は右手で腰の剣を確かめてから、船を降りるための板へ足を乗せた。


「待て」


 光留が声をかける。


「何だ」


「足元を見ろ。揺れてるぞ」


「腕を失っただけで、脚まで悪くなった覚えはない」


 言い終わる前に、船が波で揺れた。


 伊織の身体が僅かに傾く。


 白い手が近くの縄をつかんだ。


 今度は強く握りすぎることもなく、身体を支える。


「ほらな」


 伊織が何事もなかったように板を渡る。


「今、転びかけただろ」


「転んでない」


「その言い方、光留と同じだね」


 澪が言った。


「一緒にするな」


 二人の声が重なった。


 蓮が先に船を降り、港へ視線を走らせる。


「迎えが来ている」


 光留も板を渡った。


 岸壁の先。


 二番隊の旗の下に、見覚えのある男が立っていた。


 腰には刀。


 腕を組み、こちらを見ている。


 一年の間、光留へ戦い方を叩き込んだ男。


 刃眼隊二番隊長。


 御影宗十郎。


 光留は足を止めた。


 御影は、以前と変わらない表情でそこに立っていた。


「遅かったな」


 御影が言った。


「呼んだのはそっちだろ」


「来いとは書いた。道草をしろとは書いていない」


「好きでしてたわけじゃない」


 光留は御影の前まで歩いた。


「でも、間に合った」


「ああ」


 御影の視線が、光留の右眼へ向く。


 続いて、腰にある父の刀。


 細かな亀裂が残る左手首の腕輪。


 最後に、光留の後ろへ並ぶ五人を見た。


「随分と増えたな」


「全員、仲間だ」


 光留は一人ずつ振り返る。


「蓮、岳、澪。それから風雅」


「俺だけ随分と雑な紹介だな」


 風雅が言った。


 胸元には、まだ布が巻かれている。


 自分の足で立っているが、長い船旅の疲れは隠せていなかった。


 御影の視線が風雅で止まる。


「嵐の眼か」


 その一言で、周囲の空気が変わった。


 近くにいた騎士たちが、一斉に武器へ手を伸ばす。


 刃眼隊の者たちも足を止めた。


 風雅は動かなかった。


「そうだ」


「南の島で腕輪を奪い、眼喰者と行動していた男だな」


「間違ってない」


 風雅は両手を僅かに上げた。


「斬りたいなら止めない。疑われる理由はある」


「待ってくれ」


 光留が風雅の前へ出た。


「風雅は寄生の眼に操られていた」


「操られていれば、何をしても許されるのか?」


 騎士の一人が言った。


「そうは言ってない」


 光留は相手から眼を逸らさなかった。


「こいつがしたことまで、なかったことにはできない。でも、寄生の眼はもう消えた。風雅が自分で身体から押し出したんだ」


「それを証明できる者は?」


「俺たち全員だ」


 伊織が光留の隣へ立つ。


 白い義手を見た騎士が、僅かに眼を見開いた。


「風雅の風がなければ、光留の攻撃は届かなかった。俺たちも鉱山から戻れていない」


 岳と澪も前へ出る。


 蓮は何も言わなかったが、風雅の隣から離れなかった。


「俺たちが連れてきた」


 光留が言う。


「何かあった時は、俺たちが止める」


「お前一人でか?」


 低い声が、騎士たちの後ろから響いた。


 人の列が左右へ分かれる。


 盾と翼を重ねた外套。


 腰に差した剣の柄には、雷のような模様が刻まれている。


 騎士団長。


 鳴神宗玄が歩いてきた。


 その一歩ごとに、周囲の騎士たちが姿勢を正す。


 光留は鳴神を真っすぐに見た。


「一人では無理だ」


 以前なら、考えるより先にできると答えていたかもしれない。


 だが、光留は自分の力を知っている。


「だから、全員で止める」


 鳴神の視線が、光留の後ろにいる者たちへ向いた。


 誰も退かなかった。


 やがて、御影が風雅へ近づく。


「動くな」


「何をする気だ?」


「確かめる」


 御影の眼が、風雅の胸元を捉えた。


 寄生の眼があった場所。


 布の下に残る深い傷。


 御影は眼を細めたまま、しばらく何も言わなかった。


「身体の内側に、別の眼力とつながる綻びはない」


 御影が鳴神を見る。


「寄生の眼は残っていない。身体も眼力も傷ついているが、今あるのは嵐の眼だけだ」


「御影がそう見るなら、今は信じよう」


 鳴神が風雅へ告げる。


「ただし、監視はつける。異変があれば、俺が先にお前を止める」


「雷の眼が相手なら、不足はないな」


 風雅の口元が僅かに上がる。


「馬鹿。挑発するな」


 光留が小声で言った。


「暗い顔で謝るより、俺らしいだろ」


「今はらしさを出す場面じゃない」


 鳴神は二人のやり取りを見たが、それ以上は何も言わなかった。


「話は明日聞く」


「明日?」


 光留が尋ねる。


「ああ。今夜、一番隊が呼んだ最後の援軍が到着する予定だ。ほかの部隊も、まだ全ての準備を終えていない」


「最後の援軍?」


「着けば分かる」


 鳴神が島の中央にある塔を見上げる。


「作戦会議は明日の朝。中央塔で行う。今日は身体を休めろ」


「幻の島の霧は?」


「消えてはいない」


「中の様子は?」


「明日話す」


「でも――」


「七日かけてここまで来た者が、何も知らずに一晩待つのが嫌なのは分かる」


 鳴神の声は変わらなかった。


「だが、焦って決めた作戦で人を死なせるつもりはない。今夜の援軍が持つ情報も必要だ」


 光留は口を閉じた。


 幻の島は、ここから海を一つ隔てた先にある。


 一刻でも早く向かいたい。


 弟が生きているなら、今も何かに苦しんでいるかもしれない。


 それでも、鳴神の言うことは間違っていなかった。


「分かった」


 光留が答える。


「明日の朝だな」


「ああ」


 鳴神が踵を返そうとした時、その背後に立つ人影が見えた。


 騎士のものとは違う、身体へ沿う黒い装束。


 顔の半分を布で隠している。


 その眼の奥に、三日月のような淡い光が宿っていた。


「月の眼……」


 蓮が呟く。


 月の眼を持つ忍。


 三光忍の一人。


 以前、鳴神とともに眼喰者と戦った者だった。


「お前も来たのか」


 光留が言った。


「幻の島を覆う霧は、忍の里とも無関係ではない」


 月の眼の忍が答える。


「それに、眼喰者との戦いはまだ終わっていない」


「眼喰者は死んだ」


「一人はな」


 短い言葉だった。


 光留が尋ね返す前に、月の眼の忍は鳴神の後ろへついていった。


「一人は、ってどういう意味だ?」


 伊織が聞く。


「明日話すつもりなんだろ」


 蓮が答える。


「今日は、誰に聞いても同じことを言われそうだ」


「面倒な連中だな」


「お前が言うな」


 そのとき、三番隊の方から声が上がった。


「伊織!」


 数人の隊士が、列を抜けて走ってくる。


 伊織は振り返った。


 故郷を出る前まで、同じ隊で戦っていた者たちだった。


「本当に伊織だ!」


「生きてたのか!」


「勝手に殺すな」


 伊織の周囲へ、三番隊の者たちが集まる。


 肩を叩こうとした一人の手が、途中で止まった。


 視線が、白い義手へ向いている。


 ほかの者たちも、それに気づいた。


 喜びの声が途切れる。


「その腕……」


「鉱山へ置いてきた」


 伊織が白い左手を上げる。


「代わりはつけてもらった。動くし、剣も抜ける」


「痛くないのか?」


「こっちには感覚がない」


 伊織が白い指を動かす。


 一本ずつ曲げ、最後に拳を作った。


「だから、痛くもない」


 何でもないことのように言った。


 だが、誰もすぐには言葉を返せなかった。


 白い手を見つめていた一人が、伊織の右肩を強くつかむ。


「帰ってきたんだな」


 伊織の眼が僅かに動いた。


「ああ」


 白い拳が、ゆっくりと開く。


「帰ってきた」


 三番隊の者たちが、再び伊織を囲んだ。


 剣を振れるのか。


 誰に腕を斬られたのか。


 その義手から火は出せるのか。


 幾つもの質問が一斉に飛ぶ。


「一人ずつ聞け!」


 伊織が顔をしかめる。


 それでも、その声は少しだけ嬉しそうだった。


「人気者だね」


 澪が笑う。


「今まで生きてるかどうかも分からなかったんだ。放っておいてやれ」


 岳が言った。


「でも、すぐ義手を自慢し始めるよ」


「既にしてるな」


 伊織の白い指先へ、小さな火が灯る。


 三番隊の者たちから声が上がった。


 次の瞬間。


「港で火を出すな!」


 船員の怒鳴り声が響いた。


 伊織はすぐに火を消す。


「船を降りても怒られてるな」


 光留が言った。


「船の上じゃない。ここは港だ」


「そういう問題じゃないだろ」


 御影が小さく息を吐いた。


「相変わらずのようだな」


「伊織はな」


「お前も大して変わらない」


 そう言いながら、御影は再び光留を見た。


 何かを確かめるような眼だった。


「御影」


 別の声が呼んだ。


 一番隊と三番隊の前に立っていた二人の隊長が、中央塔へ向かおうとしている。


「先に行ってくれ。こいつらを宿舎へ送る」


「作戦会議は明朝だ。遅れるな」


「分かっている」


 二人の隊長は、それぞれの隊へ指示を出してから港を離れていった。


 一番隊。


 二番隊。


 三番隊。


 離れ離れになっていた三つの隊が、本当に全て揃っている。


 光留が三本の旗を見上げていると、後ろから足音が近づいた。


「随分と立派な顔をするようになったな」


 振り返った光留は、その人物を見て眼を見開いた。


「時任……?」


 時任清十郎が立っていた。


 両腕には、手首から肘まで厚い布が巻かれている。


 以前より僅かに痩せていたが、足取りはしっかりしていた。


 振動の眼を使い、大量の霊を崩した代償。


 両腕が壊れたと聞いていた。


「生きてたのか」


「会って最初に言う言葉がそれか?」


「両腕が動かないって聞いた」


「動かない時期もあった」


 時任が右手を上げる。


 指がゆっくりと曲がった。


「今は、この程度なら動く」


「戦えるのか?」


「前のようには無理だ」


 時任は隠そうとしなかった。


「強い振動を続ければ、また腕が壊れる。それでも、船を守るくらいはできる」


「船?」


「幻の島へ入った後、帰る道が残っているとは限らない」


 時任が港へ並ぶ船を見る。


「海中の眼獣を探り、近づくものを振動で止める。負傷者を運ぶ船と、退路は俺が守る」


「前には出ないのか?」


「誰かが後ろに残らなければ、全員が帰れなくなる」


 光留は時任を見た。


 以前の時任なら、動く腕が一本でもあれば前へ出ようとしたかもしれない。


 だが、今は自分の傷と役目を受け入れている。


「そっちも変わったな」


 光留が言った。


「お前に言われるとは思わなかった」


 時任の口元が僅かに緩む。


「詳しい話は明日だ。今日は休め。特に、そこの白い腕の奴とな」


「俺はもう治ってる」


 離れた場所から伊織が答えた。


「耳だけは昔より良くなったらしい」


 時任はそれだけ言い残し、騎士団の船が並ぶ方へ歩いていった。


     ◇


 光留たちに与えられた宿舎は、中央塔から少し離れた石造りの建物だった。


 すぐ前を水路が流れている。


 窓を開けると、冷たい水の匂いと港の音が入ってきた。


 岳は荷物を置くと、すぐに横になった。


 風雅も壁へ背を預け、胸元の布を押さえている。


 澪は二人の傷を確かめ始めた。


「せっかく島へ着いたのに、また治療か」


 風雅が言った。


「治ってないからでしょ」


「船で七日も休んだぞ」


「七日寝れば、身体に穴が開いてても治ると思ってるの?」


「少しくらいは」


「少ししか治ってないよ」


 澪が布を外す。


 寄生の眼があった場所には、まだ黒ずんだ傷が残っている。


「明日の作戦会議には出られる。でも、戦える状態じゃない」


「会議までに治してくれ」


「治癒の眼でも、そんな無茶はできないよ」


「なら、戦うまでに」


「もっと無理」


 風雅が光留を見る。


「厳しくなったな」


「諦めろ。何を言っても無駄だ」


「お前も随分と澪の扱いに慣れたな」


「扱いって言わないで」


 澪が風雅の傷へ手を当てる。


 淡い緑の光が広がった。


 風雅の顔が僅かに歪む。


「痛い」


「さっき治ったって言ってなかったか?」


「今、また悪くなった」


「嘘だな」


 岳が眼を閉じたまま言った。


 蓮は窓辺に立ち、港の向こうを見ている。


「まだ船が来る」


 遠い水平線に、一つの帆影が見えた。


 ほかの船より大きい。


 だが、風が弱いのか、ほとんど位置が変わっていない。


「鳴神が言ってた援軍か?」


 光留が尋ねる。


「多分な。この速さなら、着くのは日が沈んだ後だ」


「何者なんだろう」


「一番隊が呼んだと言っていた」


 蓮が答える。


「一番隊が幻の島を出た後、どこへ流れ着いたか。俺たちは聞いていない」


「それと関係があるのか」


「着けば分かる」


「お前まで鳴神みたいなこと言うなよ」


 光留は腰の刀へ触れた。


 一晩。


 たったそれだけ待てばいい。


 だが、幻の島へ近づいたことで、胸の奥にあった焦りが強くなっている。


「光留」


 蓮が言った。


「今、一人で港へ戻ろうとしただろ」


「してない」


「顔に出てる」


「出てない」


「伊織と同じことを言うようになったな」


「一緒にするな」


 宿舎の扉が開いた。


 三番隊から戻ってきた伊織が立っている。


「外まで聞こえてるぞ」


「ちょうどよかった。光留が一人で偵察へ行こうとしてる」


 蓮が言う。


「行ってない」


「行くなら俺も行く」


「お前まで乗るな」


「なら行くな」


 伊織は白い義手で扉を閉めた。


 以前より力の加減ができるようになり、今度は大きな音を立てなかった。


「明日、全部聞けばいいだろ」


 光留は伊織を見た。


「お前に待てって言われるとは思わなかった」


「俺だって、待つくらいはできる」


「船では毎日、着くまで待てないって言ってたぞ」


「着いたから、もう言う必要がない」


「都合のいい奴だな」


 それでも光留は、刀から手を離した。


「少し歩いてくる」


「今、一人で行かないって話をしたばかりだろ」


「島の中を歩くだけだ」


「なら俺も――」


 伊織が立ち上がろうとする。


「三番隊に戻ってろ。せっかく再会したんだろ」


「追い出すなよ」


「すぐ戻る」


 光留は宿舎を出た。


     ◇


 日が沈み始めていた。


 島を巡る水路が赤い空を映し、白い建物の壁を淡く染めている。


 港では、まだ準備が続いていた。


 刃を研ぐ音。


 荷を運ぶ足音。


 船体を補強する槌の音。


 誰もが、幻の島へ向かうために動いている。


 光留は水路沿いの道を歩き、海を見渡せる高台へ上がった。


 港の先に、無数の船が浮かんでいる。


 三本の刃眼隊の旗。


 騎士団の旗。


 水の島に集まった幾つもの力。


 さらに遠く。


 海と空の境に、灰色の塊が見えた。


 雲ではない。


 幻の島を覆う霧だった。


 あの向こうに故郷がある。


 家があった場所。


 父と別れた場所。


 弟を置いてきた場所。


「一人で見るような景色か?」


 後ろから声がした。


 光留は振り返らなかった。


「みんな同じ宿舎にいる」


「屁理屈まで覚えたか」


 御影が隣へ立った。


 二人はしばらく、霧の向こうを見ていた。


「怖いか?」


 御影が尋ねる。


「分からない」


「分からない?」


「早く戻りたいとは思ってる。でも、戻った先に何が残っているのかは見たくない」


 光留は正直に答えた。


「弟が生きてるかもしれない。父さんの手掛かりもあるかもしれない。でも、全部なくなってるかもしれない」


「ああ」


「怖くないって言えば、嘘になる」


 御影は光留の横顔を見た。


「成長したな」


 光留が振り返る。


「急に何だよ」


「以前のお前なら、怖くないと言った」


「言ってない」


「言った」


「覚えてない」


「都合の悪いことは忘れるところは変わっていないな」


 御影の視線が、光留の刀へ向く。


「六つ目の型を使ったそうだな」


「誰から聞いた?」


「伊織だ。三番隊の連中に自分の義手を見せながら、お前が岩山を貫いたと話していた」


「寄生の眼を倒した方じゃないのか?」


「最初に外した方を楽しそうに話していた」


「あいつ……」


 光留は額へ手を当てた。


「外したのは一度だけだ」


「二度撃ったとも聞いた」


「必要だった」


「腕輪に残った亀裂を見れば、無茶をしたことくらい分かる」


 御影が光留の左手首を見る。


「それで、倒したのか?」


「ああ」


「お前が?」


 光留は答えようとして、口を止めた。


「俺たちで倒した」


 岳が攻撃を引きつけた。


 澪が水で風を見せた。


 伊織の火が流れを照らした。


 蓮が最後の風を分けた。


 風雅が寄生の眼を身体から押し出し、殲の軌道を風穿で固定した。


「俺一人じゃ、届かなかった」


「そうか」


 御影の口元が、僅かに緩んだ。


「何だよ」


「一年前のお前なら、自分が倒したと言っていた」


「そこまで馬鹿じゃない」


「馬鹿だったとは言っていない。自分一人で何とかしなければならないと思っていた」


 光留は言い返せなかった。


「弟を助けるのも、自分」


 御影が続ける。


「強くなるのも、自分。敵を倒すのも、自分。誰かが隣にいても、お前は一人で先へ進もうとしていた」


「ほかに方法がなかった」


「あの時はな」


 御影は宿舎がある方角を見る。


 窓の向こうに、仲間たちの影が見える。


 伊織が何かを言い、澪が怒っている。


 岳は横になったまま動かない。


 風雅は治療から逃げようとして、蓮に止められていた。


「五人を連れて戻ってきた」


「連れてきたんじゃない。一緒に来たんだ」


「それが分かるようになったから、成長したと言っている」


 光留はもう一度、幻の島を覆う霧へ眼を向けた。


「俺は準三眼級らしい」


「誰に言われた?」


「蓮だ。眼力の総量も、安定して出せる量も」


「それで?」


「少しだけ、足りないと思った」


 島の向こうには、準二眼級の群主より強い敵がいるかもしれない。


 弟を操っている何か。


 幻の島を覆い続ける力。


 今の自分では、届かない可能性がある。


「なら、強くなれ」


 御影は簡単に言った。


「それだけかよ」


「準三眼級であることを慰めてほしいのか?」


「違う」


「なら、強くなるしかない」


 光留は小さく息を吐いた。


「相変わらずだな」


「ただし」


 御影の声が僅かに低くなる。


「強くなることと、一人で戦うことを間違えるな」


 光留は御影を見る。


「お前の殲がどれほど強くても、当たらなければ意味がない。お前が立てなくなれば、次は撃てない」


「ああ」


「なら、当てる者が必要だ。撃った後に支える者もな」


 御影が港へ並ぶ旗を見た。


「そのために、これだけの者が集まった」


 一番隊。


 二番隊。


 三番隊。


 騎士団。


 月の眼の忍。


 時任清十郎。


 そして、光留とともに旅をしてきた仲間たち。


「明日の作戦会議で、幻の島へ入る道を決める」


 御影が言った。


「中へ入れば、何が起きるか分からない。全員で帰れる保証もない」


「分かってる」


「本当に分かっているか?」


 光留はすぐには答えなかった。


 全員で帰る。


 そう言うことは簡単だった。


 だが、これから向かうのは、故郷を一夜で壊した場所だ。


 誰も失わずに終えられるとは限らない。


「保証がないことは分かってる」


 光留は答えた。


「それでも、一人でも多く連れて帰る。そのために戦う」


「弟だけではなく?」


「ああ」


 光留は宿舎の方を見る。


「今は、弟だけじゃない」


 御影は何も言わなかった。


 ただ一度、光留の肩へ手を置く。


「やはり、成長したな」


「二度も言うな」


「一度では認めなかっただろ」


「今も認めてない」


「なら、明日までに認めておけ」


 御影が高台を下りていく。


「朝の鐘が鳴る前に中央塔へ来い。遅れたら置いていく」


「誰を置いていく気だよ」


「今のお前なら、追いついてくるだろ」


 御影は振り返らなかった。


 光留は一人で海を見た。


 幻の島を覆う霧は、夕暮れの中で黒く沈んでいる。


 以前は、あの霧の向こうから逃げることしかできなかった。


 今度は違う。


「光留!」


 下の道から伊織の声がした。


「すぐ戻るって言っただろ!」


「まだ大して経ってない!」


「飯がなくなるぞ!」


「それを先に言え!」


 光留が高台を下りかけた、そのとき。


 港の鐘が鳴った。


 一度。


 二度。


 三度。


 昼間に聞いたものとは違う、長く強い音だった。


 港にいた者たちが、一斉に沖へ顔を向ける。


 光留も足を止めた。


 最後の夕日が海へ沈み、空には夜の青が広がっている。


 その暗い海の上を、幾つもの松明を掲げた船が進んでいた。


 昼間、水平線に見えていた船だった。


 騎士団のものでもない。


 刃眼隊のものでもない。


 黒い船体の側面には、眼鉄の板ではなく、巨大な獣の骨が組み込まれている。


 帆に描かれていたのは、牙と翼を重ねた印。


「あれが、最後の援軍か」


 伊織が高台の下から尋ねる。


 澪たちも宿舎を出てきていた。


 岳は右肩を押さえ、風雅は澪に腕をつかまれている。


「横になってろって言ったでしょ」


「援軍が来たなら、見ないわけにはいかないだろ」


「だからって走らないで」


「走ってない。早く歩いただけだ」


「同じだよ」


 蓮が目を細め、近づいてくる船を見る。


「人間だけじゃない」


「何が見える?」


「獣の耳。尾。それに、羽を持つ者もいる」


「獣族か」


 岳が言った。


 船が港へ近づく。


 松明の光が甲板を照らし、そこに立つ者たちの姿が見え始めた。


 人によく似た姿。


 だが、髪の間から獣の耳が伸びている者。


 腕や頬を毛で覆われた者。


 肩から羽毛を生やした者。


 その眼には、人のものとは異なる鋭い光が宿っていた。


 船首には、灰色の獣毛を持つ大柄な獣族が立っている。


 闇の中で、両眼が淡い銀色に光っていた。


「狼の眼……」


 蓮が呟いた。


 帆柱の上には、もう一人。


 長い羽を髪へ編み込んだ細身の獣族が立っている。


 夜の海だけでなく、はるか先にある幻の島の霧まで見通そうとするように眼を細めていた。


 金色の瞳。


 鷹の眼。


 そのほかにも、甲板には獣の力を宿した幾つもの眼が並んでいる。


「一番隊、接岸を手伝え!」


 港から声が上がった。


 一番隊の者たちが、ほかの部隊より先に岸壁へ集まっていく。


 その顔には、警戒ではなく喜びがあった。


「本当に来てくれた!」


「縄を投げろ!」


「こっちだ!」


 船から太い縄が投げられる。


 一番隊の者たちが受け取り、岸壁の杭へ巻きつけた。


 船がゆっくりと港へ寄る。


 先ほど中央塔へ向かった一番隊長も戻ってきていた。


 船首に立つ狼の眼の獣族と向き合う。


「来てくれたか」


 一番隊長が言った。


「約束した」


 狼の眼の獣族が答える。


「海を越える時は、俺たちも呼べとな」


 板が岸壁へ渡された。


 狼の眼の獣族が最初に降りる。


 続いて、鷹の眼を持つ者が帆柱から飛び降りた。


 羽ばたいたわけではない。


 それでも高い場所から音もなく着地し、夜空へ視線を向けたまま一番隊長の隣へ立つ。


 一番隊の者たちが、次々と獣族を迎えた。


 肩を抱く者。


 頭を下げる者。


 運び込まれた荷を受け取る者。


 以前から共に戦っていたような姿だった。


「どういう関係なんだ?」


 光留が御影へ尋ねる。


 高台を下りかけていた御影も、港へ戻ってきていた。


「幻の島が襲われた夜、一番隊は北の港から脱出した」


 御影が答える。


「だが、眼獣の群れに追われ、船は沖で大破した。その直後に嵐へ巻き込まれた」


「それで、どうなった?」


「何日も海を漂った末に、獣族が暮らす島へ流れ着いた」


 御影の視線が、獣族を迎える一番隊へ向く。


「傷を治し、水と食料を与え、船まで直してもらったそうだ。あの者たちがいなければ、一番隊はここにいない」


「助けてもらった相手に、また助けを求めたのか?」


 伊織が言った。


「一番隊は断ったらしい」


「なら、どうして来た?」


 その問いが聞こえたのか。


 狼の眼の獣族が、光留たちへ顔を向けた。


 かなり離れている。


 それでも、伊織の声を聞き取っていた。


「一度拾った命が、また死地へ向かうと聞いた」


 低い声が、夜の港へ届く。


「黙って見送れるほど、俺たちは薄情じゃない」


 一番隊長が小さく息を吐いた。


「危険だとは伝えた」


「それも聞いた」


「帰れなくなるかもしれないとも言った」


「だから来た」


 狼の眼が細くなる。


「帰る道が分からなくなった者を見つけるのは、狼の役目だ」


 帆柱から降りた鷹の眼の獣族が、幻の島を覆う霧へ顔を向ける。


 金色の瞳が強く光った。


「霧の流れが変わっている」


 その一言で、鳴神や月の眼の忍まで視線を向けた。


「何が見える?」


 鳴神が尋ねる。


「海面近くは厚い。だが、上はところどころ薄くなっている」


 鷹の眼が、遠くの霧を追う。


「一定ではない。開いては閉じる。夜明け前に、また流れが変わる」


「海から入れる道は?」


「今は見えない」


 鷹の眼の獣族は迷わず答えた。


「だが、明日の朝まで見続ければ、霧の癖は読める」


 狼の眼の獣族が鼻先を上げる。


 海風の中に混じる匂いを探るように、ゆっくりと息を吸った。


「霧の中で姿が見えなくなっても、生きている者なら追える。眼力の匂いまでは、霧でも消せない」


「心強いな」


 鳴神が言った。


「作戦会議は明朝、中央塔で行う。お前たちにも出てもらう」


「そのために来た」


 狼の眼の獣族が答える。


「守られるためではない。俺たちも戦う」


 その背後で、船に乗っていた獣族たちが武器を掲げた。


 爪のように湾曲した短刀。


 獣の骨と眼鉄を組み合わせた槍。


 遠くを射抜くための長弓。


 短い雄叫びが重なり、港の空気を震わせた。


 光留は、その光景を見つめた。


「お前が光留か」


 不意に、狼の眼の獣族が言った。


「俺を知ってるのか?」


「一番隊から聞いた。故郷に弟を残し、一人で敵へ突っ込んでいく馬鹿がいるとな」


 光留は一番隊の者たちを見る。


 何人かが気まずそうに眼を逸らした。


「それは昔の話だ」


「少し前まで、一人で港へ行こうとしてたけどな」


 伊織が言った。


「行こうとしてない」


「顔に出てた」


 蓮まで続ける。


「出てない」


「同じことしか言ってないよ」


 澪が笑った。


 狼の眼の獣族が、光留の後ろに並ぶ五人を見る。


「一人には見えないが」


「ああ」


 光留は答えた。


「今は、一人じゃない」


 御影が隣で僅かに頷く。


「それなら、聞いていた話よりは成長したらしい」


「今日、それを何回言われるんだよ」


「認めないからだろ」


 御影が言った。


「お前まで乗るな」


 狼の眼の獣族は小さく笑い、一番隊長とともに鳴神のもとへ向かった。


 ほかの獣族たちも、船から荷を降ろし始める。


 最後の一人が岸壁へ降りた後、牙と翼を描いた旗が船から外された。


 一番隊の者が受け取り、三本の刃眼隊の旗の隣へ立てる。


 刃眼隊。


 騎士団。


 忍。


 そして、海の向こうから来た獣族。


 夜の港に、新たな旗が加わった。


「これで全員か」


 岳が言った。


「ああ」


 御影が中央塔を見上げる。


「集まるべき者は、全て集まった」


 光留は再び、海の向こうへ眼を向けた。


 幻の島を覆う霧は、夜の闇と重なり、もう形さえ見えなくなっている。


 それでも、あの先に故郷がある。


 一年前。


 光留たちは、あの島から逃げた。


 それぞれ別の船に乗り、別の場所へ流れ着いた。


 離れ離れになり、多くのものを失った。


 それでも生き残った者たちは、もう一度ここへ集まった。


 今度は、逃げるためではない。


 帰るために海を渡る。


「光留」


 伊織が呼んだ。


「今度こそ飯がなくなるぞ」


「分かったよ」


 光留は仲間たちのもとへ歩き出す。


 夜の海風を受け、港に並んだ幾つもの旗が同じ方角へなびいていた。


 作戦会議は明日。


 幻の島を取り戻すための戦いが、始まろうとしていた。


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