第五十三話 準二眼級 眼獣
群主の中央にある眼が、ゆっくりと細くなった。
見られている。
そう感じた直後、周囲で頭を垂れていた眼獣たちが、一斉に顔を上げた。
幾つもの瞳が、光留たちへ向く。
群主は動いていない。
それなのに、坑道を満たす眼力は急激に重くなった。
天井から落ちる雫が空中で弾ける。
足元の地下水が押し退けられ、群主を中心に波紋が広がった。
「下がれ」
岳が大剣を構え、澪と伊織の前へ出る。
伊織が片膝をついた。
左腕を失ったばかりの身体は、群主の眼力へ耐えるだけでも限界に近い。
澪が支えようとするが、伊織は右手の剣を地面へ突き立て、自分で身体を支えた。
「この程度で、寝てられるかよ」
「強がってる場合じゃないよ」
「強がれるうちは平気だ」
蓮は群主から眼を離さなかった。
「三眼級じゃない」
「なら、二眼級か?」
光留が尋ねる。
「そこまでは届いていない。だが、二眼級に限りなく近い」
蓮の声が低くなる。
「準二眼級だ」
「届いてないなら、倒せるだろ」
伊織が立ち上がる。
「今の俺たち五人で勝てる、という意味じゃない」
「言い方が暗いんだよ」
群主の中央の眼が、一度脈打った。
顎の下に並んでいた小さな眼の一つが開く。
銀色の瞳。
その眼が光った瞬間、光留の左腕が前へ引かれた。
「なっ――」
修復された腕輪が、群主へ向かって強く引かれている。
腰の父の刀まで鞘の中で震え始めた。
蓮の短剣が手を離れかける。
岳の大剣も切先を群主へ向け、伊織が右手だけで握る剣も前へ引かれていた。
「眼鉄だけを引いてる!」
蓮が短剣を両手で押さえる。
群主の周囲では、地面に散らばっていた眼鉄の欠片が浮かび上がっていた。
倒れた眼獣の身体。
坑道の壁。
折れた武器。
そこから眼力を帯びた鉄だけが抜け出し、群主へ集まっていく。
「鉄引きの眼か」
岳の両眼に光が宿った。
眼力が全身を覆い、外纏が重い鎧の形へ固まる。
両脚を地面へ沈め、引かれる大剣を押さえ込んだ。
「全員、俺につかまれ!」
澪が水を伸ばした。
水の帯が光留たちの腰へ巻きつき、岳の外纏へつながる。
光留は引かれる左腕を右手で押さえた。
腕輪が骨へ食い込む。
このままでは、左腕ごと持っていかれる。
父の刀を地面へ突き立て、全身の力で耐えた。
やがて、顎の下の眼が閉じた。
引く力が消える。
光留たちは揃って後ろへよろめいた。
だが、群主へ集まった眼鉄は落ちなかった。
別の眼が開く。
右肩にある、灰色の瞳。
浮かんでいた眼鉄が、群主の身体へ一斉に貼りついた。
分厚い外殻の隙間が埋まっていく。
頭部。
胸。
前脚。
黒い巨体が、さらに重い鎧で覆われた。
「硬殻の眼……」
群主が前脚を振り下ろした。
岳が大剣で受ける。
轟音が狭い坑道を揺らした。
岳の足元が砕け、両脚が膝まで地面へ沈む。
「ぐっ……!」
群主が前脚を持ち上げる。
岳は息を整える暇もなく、地面を蹴った。
全身を覆う外纏を右腕へ集め、大剣を横へ振る。
刃が群主の前脚へ直撃した。
火花が散る。
岳の大剣が大きく跳ね返された。
眼鉄の外殻には、細い傷しか残っていない。
「硬すぎる」
光留が側面へ回り込む。
父の刀へ黒をまとわせ、傷の上へ斬りつけた。
黒が眼鉄を崩していく。
だが、刃が肉へ届く前に周囲の眼鉄が集まり、傷を塞いだ。
「黒でも崩し切れないのか」
「眼鉄を次々と補充している」
蓮が群主の身体を見上げる。
「眼食者とは違う。奪った眼を、自分の身体へ植えているわけじゃない」
周囲の眼獣たちの瞳から、細い眼力が群主へ流れていた。
「群れの眼をつなぎ、その力を自分へ集めているんだ」
「だから、こんなに眼があるのか」
「あの中央の眼が、全てをまとめている」
中央の眼が再び脈打つ。
今度は胸元の眼が開いた。
瞳の中に、幾つもの輪が浮かんでいる。
「来るぞ!」
群主の胸から、低い音が響いた。
音ではない。
空気そのものが震えている。
次の瞬間、坑道全体が激しく揺れた。
床に亀裂が走る。
支柱が折れ、天井から岩が降り注いだ。
「震動の眼だ!」
光留が落ちてきた岩を刀で砕く。
足元の亀裂が広がり、地下水が吸い込まれていった。
伊織の身体が傾く。
「伊織!」
澪の水が伊織の腰へ巻きついた。
亀裂へ落ちる寸前で引き戻す。
岳が二人を覆うように立ち、降ってくる岩を大剣で受けた。
蓮は揺れる床を走り、群主の胸元へ短剣を投げる。
だが、刃は眼鉄の外殻へ弾かれた。
震動が止まる。
群主の胸元にある眼が閉じた。
「能力を使う直前、必ず中央の眼が光る」
蓮が転がった短剣を拾う。
「あれが、ほかの眼へ命令を送っている」
「分かったところで、近づけないぞ」
伊織が剣を抜いた。
右眼へ赤い光が集まる。
「なら、近づかなくていい」
「伊織、待って」
澪が止めるより早く、伊織が剣を振った。
炎が群主の顔へ走る。
中央の眼へ届く直前、群主の左脇腹にある眼が開いた。
橙色の瞳。
迫っていた炎が細く引き伸ばされた。
全ての火が瞳へ吸い込まれていく。
伊織の剣に残っていた炎まで消えた。
坑道が闇に沈む。
「火を喰った……?」
澪が水を集める。
群主の脇腹だけが、吸い込んだ炎によって赤く光っていた。
「灯喰いの眼か」
蓮が暗闇の中で眼を細める。
「伊織。もう一度、火を出せるか」
「出せるけど、また喰われるぞ」
「それでいい」
橙色の眼の縁に、細い亀裂が走っていた。
吸い込んだ炎が、瞳の奥で暴れている。
「あの眼にも限界がある」
伊織の口元が上がる。
「だったら、食い切れないだけ食わせればいい」
「駄目だよ」
澪が伊織の右腕をつかんだ。
「血を失いすぎてる。それ以上眼力を使ったら、本当に倒れる」
「一発だ」
「でも――」
「このままじゃ、誰の攻撃も通らない」
伊織は群主を見た。
失われた左腕へ視線を向けようとはしなかった。
「腕まで置いてきたんだ。火まで取られてたまるかよ」
剣を右手だけで構える。
足元が揺れた。
岳が伊織の背中へ手を添える。
「倒れたら支える」
「倒れる前提かよ」
「今のお前を見れば分かる」
「なら、少しくらい信じろ」
「火の強さは信じている。身体は信じていないがな」
伊織が短く笑った。
右眼の赤が強くなる。
広がろうとする炎を、剣の先へ集めていく。
坑道を照らす火ではない。
一点を貫くためだけに絞られた炎。
群主の中央の眼が脈打つ。
灯喰いの眼が大きく開いた。
「食えるなら、食ってみろ!」
伊織が剣を突き出した。
赤い炎が一直線に走る。
灯喰いの眼が吸い込み始めた。
炎は群主へ届かない。
だが、伊織は止めなかった。
右腕が震える。
顔から血の気が失われていく。
「まだだ……!」
灯喰いの眼が膨らんだ。
瞳の中で、吸い込まれた炎が渦を巻いている。
眼の縁に走った亀裂が広がる。
「伊織、もういい!」
光留が叫ぶ。
「もう少しだ!」
最後の炎が剣から放たれた。
灯喰いの眼が全てを吸い込む。
一瞬、坑道が完全な闇に沈んだ。
続いて、橙色の眼が内側から破裂した。
蓄えられていた炎が、一気に噴き出す。
「澪!」
「分かってる!」
水の壁が五人の前へ立ち上がった。
炎が水へぶつかる。
大量の蒸気が坑道を満たした。
伊織の身体から力が抜ける。
岳が倒れる寸前で支えた。
「ほらな」
「まだ……倒れてない」
「俺に寄りかかって言うな」
群主が苦しげな咆哮を上げた。
噴き出した炎に焼かれ、黒い外殻が赤く変わっている。
澪がそれを見た。
「光留、離れて!」
水の壁が形を変える。
大量の冷水が、熱せられた外殻へ叩きつけられた。
白い蒸気が上がる。
急激に冷やされた眼鉄へ、幾つもの亀裂が走った。
「岳!」
「任せろ!」
岳が伊織を澪へ預ける。
全身を覆う外纏を大剣へ集め、群主へ踏み込んだ。
亀裂へ向け、刃を振り下ろす。
轟音。
眼鉄の外殻が大きく砕けた。
分厚い破片が床へ落ちる。
外殻の下から、群主の黒い肉と、埋め込まれた幾つもの眼が現れた。
硬殻の眼が開く。
周囲の眼鉄を集め、砕けた場所を塞ごうとする。
同時に、顎の下の鉄引きの眼も開いた。
「同じ手は通じない」
蓮が短剣を二本投げた。
鉄引きの眼が、その刃を引き寄せる。
速度を増した短剣が、銀色の瞳へ突き刺さった。
眼が潰れる。
鉄を引く力が消え、集まりかけていた眼鉄が床へ落ちた。
もう一本の短剣が、外殻の割れ目を通り抜ける。
硬殻の眼へ深く刺さった。
群主の全身から、眼鉄が剥がれ落ちていく。
「残るのは震動と、中央の眼だ!」
群主が巨大な前脚を持ち上げた。
胸元の震動の眼が開く。
中央の眼が脈打った。
地面が揺れる直前、光留の右眼から黒があふれ出した。
「黒霧!」
黒い霧が群主を包む。
中央の眼。
胸元の眼。
周囲にいる眼獣たち。
つながっていた全ての視界が、黒に遮られた。
群主の動きが止まる。
開いていた震動の眼が、焦点を失ったように揺れた。
「やっぱりだ」
蓮が言った。
「こいつは中央の眼で群れの視界を集め、ほかの眼へ命令している」
「なら、あれを潰せば終わる」
光留は群主へ走った。
黒霧の中で、群主が前脚を振り回す。
見えていない。
巨大な爪が光留の背後を通り、坑道の壁を抉った。
震動の眼が無理やり光る。
床が揺れ始める。
岳が群主の前脚へ大剣を叩きつけた。
「行け、光留!」
群主の巨体が傾く。
澪の水が床を走り、光留の足元を押した。
身体が前へ加速する。
中央の眼が黒霧の中で光った。
視界を取り戻そうと、瞼が大きく開く。
光留の姿を捉えた。
眼力の圧力が、正面から身体を押し潰す。
足が止まりかける。
左手首の腕輪が強く震えた。
父の刀へ、黒が流れ込む。
「お前が、全部をつないでるなら――」
光留は刀を両手で握った。
「ここで切る!」
黒をまとった刃を、中央の眼へ突き立てた。
群主の眼力と、刀の黒がぶつかる。
刃が止まる。
腕の骨が軋んだ。
中央の眼の周囲で、無数の小さな眼が開く。
全てが光留を見る。
頭の中へ、獣たちの叫びが流れ込んできた。
怒り。
恐怖。
痛み。
群れを縛っていた眼力が、光留の右眼を押し返そうとする。
「離せ……!」
光留の右眼から、さらに黒があふれた。
「そいつらは、お前の身体じゃない!」
刀が中央の眼へ沈む。
黒が瞳の奥へ流れ込んだ。
群主の中央の眼に亀裂が走る。
一つ。
二つ。
亀裂が瞳全体へ広がった。
中央の眼が砕けた。
群主の身体から、力が消えた。
周囲の眼獣たちが、糸を切られたように倒れていく。
胸元の震動の眼が閉じる。
残っていた小さな眼も、一つずつ光を失った。
光留が刀を引き抜く。
群主の巨体が横へ傾いた。
「光留、戻れ!」
岳の声が響く。
光留が地面を蹴る。
直後、群主の身体が轟音とともに倒れた。
坑道全体が揺れる。
黒い外殻が砕け、眼鉄の欠片が地下水へ散らばった。
しばらく、誰も動かなかった。
聞こえるのは、天井から落ちる水の音だけだった。
「倒した……のか?」
伊織が澪に支えられたまま尋ねる。
蓮が群主の中央の眼を確かめる。
「眼力が消えている」
岳が大剣を下ろした。
「準二眼級を、本当に五人で倒したか」
「四人半だな」
伊織が言った。
「誰が半分だ」
「俺以外にいるか?」
「自分で言うなよ」
光留は答えながらも、父の刀を下ろさなかった。
群主の背後から、風が流れてきている。
地上から届いたものではない。
湿った坑道の奥で生まれた風。
倒れた群主の巨体が、ゆっくりと崩れ始めた。
その向こうに、広い空間が現れる。
昔の大採掘場。
折れた支柱と錆びた採掘道具が、暗闇の中に残されている。
その中央に、一人の男が立っていた。
雨宮風雅。
頬から首筋へ、黒い亀裂が広がっている。
呼吸は浅い。
立っているだけでも苦しそうだった。
それでも、その口元には笑みが浮かんでいた。
風雅の視線が、伊織の失われた左腕へ向く。
「切り離したか」
風雅の声ではなかった。
「もう少しで、その身体を使えたものを」
伊織が右手の剣を構える。
「次は腕じゃ済まさない。眼ごと焼いてやる」
風雅の周囲で風が渦を巻く。
地面の眼鉄が浮き上がり、黒い亀裂の周囲を回り始めた。
光留は父の刀を風雅へ向けた。
「風雅から出てこい」
風雅の顔に浮かんだ笑みが、さらに深くなる。
「ここまで来い、光留」
寄生の眼が、風雅の中から笑った。




