第四十八話 火の消えた島
翌朝。
光留たちを乗せた船は、鉱山の島の南港へ入った。
海から見えた幾つもの煙突が、朝日を受けて黒く並んでいる。
だが、どの煙突からも煙は上がっていなかった。
港にも、鉱山の島らしい活気はない。
荷を積んでいない船。
動きを止めた巨大な滑車。
空の鉱車が、錆びた線路の上へ並べられている。
港にいる人々も、船が着いたというのに近づいてこなかった。
「やっと着いた……」
伊織が船から桟橋へ下りる。
一歩目で身体が傾いた。
「地面まで揺れてるぞ」
「揺れてない」
蓮が答える。
「まだ船酔いしてるだけだ」
「昨日には治ったはずなんだけどな……」
伊織は両脚を広げ、どうにか姿勢を保った。
その横を、大量の荷物を抱えた岳が平然と通り過ぎる。
「やっぱり足腰が足りない」
「三日間ずっと平気だった奴に言われると腹が立つな」
澪が船から下りる。
岳はすぐに荷物を置き、澪へ手を差し出した。
「段差がある。気をつけろ」
「これくらい一人で下りられるよ」
「船が揺れる」
「伊織さんじゃないんだから大丈夫」
「俺を基準にするなよ」
澪は岳の手を借りず、軽く桟橋へ飛び下りた。
岳は何も言わず、再び荷物を持ち上げる。
光留も船を下り、港の奥へ眼を向けた。
海の上から見えていた黒い煙は、煙突から出ていたものではない。
島の中央にそびえる山。
その中腹に開いた幾つもの坑道から、黒煙が漏れ出している。
「工房の煙じゃなかったのか」
光留が呟く。
「違う」
船長が甲板から答えた。
「あれは山の中で燃えている火だ。鉱山を眼獣に奪われてから、ずっと消えていないらしい」
「鉱山の中が燃えてるのか?」
「石炭の層まで火が回ったんだろう。近づく船が減ったのも、そのころからだ」
船長は積み荷の中から、騎士団の印が入った書状を取り出した。
「俺たちは港に残る。町へ行くなら、これを守備隊へ見せろ」
光留が書状を受け取る。
「ありがとう」
「礼なら、全員そろって戻ってきてから聞く」
船長の眼は、黒煙を吐く山へ向けられていた。
◇
港から町へ続く道には、使われなくなった鉱車が放置されていた。
中身は空だった。
道の両側には鍛冶場が並んでいる。
大きな炉。
幾つもの金床。
壁へ掛けられた大小の金槌。
だが、どの工房からも鉄を叩く音は聞こえない。
炉の中には冷えた灰しか残っていなかった。
店先へ置かれているのも、新しい武器ではない。
刃の欠けた剣。
穂先の折れた槍。
ひびの入った盾。
それらが、修理されないまま積み上げられている。
一人の男が、建物から外した蝶番を小さな袋へ入れていた。
別の工房では、子どもたちが道へ落ちた釘を拾い集めている。
「何をしてるんだ?」
伊織が尋ねる。
釘を拾っていた少年が顔を上げた。
「武器を直すために集めてる」
「釘で?」
「溶かせば、少しは鉄になるから」
少年は伊織の腰にある刀を見た。
羨ましそうな眼だった。
「その刀、まだ使えるの?」
「ああ」
「いいな」
それだけ言って、少年は再び地面へ眼を落とした。
伊織の表情から、笑みが消える。
蓮は閉じられた工房を見回した。
「鉱山が止まって、どれくらい経つんだ」
「ひと月と少しだ」
道の先から声がした。
煤で汚れた隊服を着た男が、四人の部下を連れて立っていた。
腰には剣を差している。
だが、鞘からのぞく柄には布が幾重にも巻かれ、鍔の一部が欠けていた。
「見ない顔だな」
光留は、船長から預かった書状を差し出した。
「騎士団の鳴神からだ」
男は封を確かめ、書状へ眼を通す。
「南の島から来た五人か」
「鉱山のことを調べに来た」
「調べるだけなら、山へ近づくな」
男は書状を折り直した。
「今の鉱山は、お前たちが考えているような場所じゃない」
「眼獣がいるんだろ」
岳が言った。
「以前からいた」
男が答える。
「深い坑道には、昔から眼獣が住み着いていた。鉱夫を襲うこともあったが、群れを作ることはなかった。数が増えれば、島の討伐隊が減らしていた」
「それが、どうして鉱山全部を奪われたんだ」
「外から運び込まれた眼獣のせいだ」
光留と蓮が眼を合わせる。
蓮が鞄から帳簿の写しを取り出した。
「十二頭か」
男の顔色が変わった。
「どうして、その数を知っている」
「闇市の帳簿に残っていた」
「闇市……」
「その十二頭が、この島へ送られている」
男はしばらく帳簿を見つめていた。
「島へ運び込まれたのは確かだ。鉱石から眼装を作る研究に使うと聞かされていた。だが、十二頭の中に異常な個体が混じっていた」
「異常な個体?」
「ほかの眼獣を従える」
山の方角から、低い音が響いた。
獣の唸り声にも、岩が崩れる音にも聞こえる。
男の部下たちが、一斉に山を振り返った。
「俺たちは、そいつを群主と呼んでいる」
男の声が低くなる。
「群主が檻を破った夜、鉱山にいた眼獣が一斉に動き始めた。それまで争っていた眼獣まで、同じ獲物を追うようになった」
「討伐隊は?」
「三度送った」
男が腰の剣へ触れる。
「最初の討伐隊は、半数も戻らなかった。二度目は、最初に入った者たちを捜すために向かった」
「見つかったのか」
「見つけた」
男の指が震える。
「眼獣になっていた」
澪が息を呑んだ。
「人間が……?」
「強い眼力を持つ者が死んだあと、遺体を長く放置すると眼獣になることがある。どこでも起こるものじゃない。だが、あの鉱山では違う」
男は黒煙の流れる坑道を睨んだ。
「鉱石が死体に残った眼力を留める。それに、群主の声が眼力を無理やり目覚めさせているらしい」
「死んだ人たちまで、群れに加えてるのか」
光留が尋ねる。
「ああ。倒しに行くたびに、向こうの数が増える」
町から武器を作るための鉱石が消えた。
それだけではない。
鉱山を取り戻そうとした者まで、次の敵になっている。
「三度目の討伐隊は?」
蓮が尋ねる。
「俺たちだ」
男の後ろにいる四人が、眼を伏せた。
「四十人で入った。戻ったのは五人だけだ」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
◇
「腕輪を直したいなら、一人だけ可能性がある」
守備隊の男が言った。
光留たちは町の奥へ案内された。
並んでいる工房の中で、そこだけがほかよりも大きかった。
両開きの扉。
人の背丈を超える巨大な炉。
壁へ掛けられた何十本もの金槌。
以前は大勢の職人が働いていたのだろう。
今は一人しかいない。
工房の中央に、ガタイのいい老人が座っていた。
腰を下ろしていても、身体の大きさが分かる。
分厚い胸板。
丸太のように太い腕。
短く切られた白髪。
顎を覆う髭の先まで煤で黒く汚れている。
両腕には、古い火傷の跡が幾つも残っていた。
老人は刃の欠けた鉈を持ち、砥石でゆっくりと研いでいる。
「源蔵」
守備隊の男が呼んだ。
老人は顔を上げなかった。
「修理なら置いていけ」
「直せるのか?」
「直せん」
「だったら、どうして置いていけと」
「炉に火が戻ったら直す」
老人は鉈を研ぎ続ける。
「いつになるかは知らんがな」
黒金源蔵。
この島で最も腕の立つ鍛冶職人だという。
「南の島から来た連中だ」
守備隊の男が説明する。
「壊れた眼装を持っている」
「眼装だろうが包丁だろうが同じだ。鉄も石炭もない」
光留は鞄から、小さな金属箱を取り出した。
封印札を外し、卓の上へ置く。
箱の中に入っているのは、砕けた腕輪の一部。
一眼級の眼装。
五つもの眼力を受け止めた末に壊れた欠片だった。
「これを見てほしい」
「見たところで――」
源蔵の手が止まった。
ゆっくりと顔を上げる。
太い指で腕輪の欠片を持ち上げ、明かりへ透かした。
欠けた表面。
内部へ刻まれた細い溝。
五つの眼力が流れていた道。
源蔵の表情が変わる。
「こいつを使っていた奴は、幾つ眼を持っていた」
「五つだ」
「馬鹿が」
源蔵は吐き捨てた。
「一つの器へ、無理やり五本も道を通してやがる。壊れて当然だ」
「直せるのか?」
伊織が尋ねる。
「誰に聞いてやがる」
源蔵は腕輪の欠片を卓へ戻した。
「素材さえあれば直せる」
「本当か?」
「ただし、町に残っている屑鉄じゃ駄目だ。眼力を受け止める眼鉄鉱。それを溶かせるだけの石炭。どちらも必要になる」
「どこにある」
岳が尋ねる。
源蔵は顎で山を示した。
「鉱山の中だ」
「結局、そこへ入るしかないってことか」
「嫌なら帰れ」
源蔵は腕輪を箱へ戻す。
「俺は素材のない場所から、鉄を作り出すことまではできん」
光留は箱を受け取ろうとした。
源蔵の眼が、光留の腰へ向く。
「待て」
太い手が、光留の刀を指す。
「その刀を見せろ」
光留は父の刀を鞘ごと外した。
源蔵へ手渡す。
老人は片手で受け取った。
刀をわずかに抜く。
冷たい光が、工房の中へ伸びた。
刀身の根元にある三本線の刻印が姿を現す。
源蔵の眼が細くなった。
親指で刃の腹をなぞる。
何度も打たれた鉄。
眼力が流れるための、僅かな厚みの違い。
源蔵は刀を最後まで抜き、その重さを確かめるように一度だけ振った。
空気が低く鳴る。
「どこで手に入れた」
「父さんが作った刀だ」
源蔵が光留を見る。
「お前、あいつの息子か」
光留の胸が強く鳴った。
「父さんを知ってるのか?」
「知ってるも何も、昔はここで一緒に鉄を打っていた」
源蔵は刀と腕輪の欠片を見比べた。
「この三本線は、あいつが仕事を終えた品へ残していた印だ」
「じゃあ、この腕輪も父さんが作ったのか」
「作ったわけじゃない」
源蔵は首を横へ振った。
「刻印が内側にある。これは製作者の印じゃなく、修理した者の印だ。こいつは一度、あいつの手で直されている」
光留は砕けた腕輪を見る。
父が、この眼装へ触れていた。
眼食者の腕へ渡るよりも前に。
「どうして父さんが、こんなものを……」
「依頼人は仲買人を通していた。あいつも、誰が使うかまでは知らなかったはずだ」
「父さんは、どんな職人だったんだ」
源蔵はすぐには答えなかった。
父の刀を、もう一度見る。
「面倒な男だった」
「面倒?」
「鉄の厚みが髪一本分違うだけで、最初から作り直す。使う奴の眼力を何日も調べて、癖が分かるまで仕事を始めん」
源蔵の口元が、ほんの僅かに緩んだ。
「だが、あいつが作った武器は持ち主を裏切らなかった」
源蔵は刀を鞘へ戻す。
「眼力が強すぎる者には、力を逃がす道を作った。弱い者には、僅かな眼力でも刃へ届くようにした。どんな眼を持つ奴でも、あいつの武器なら戦えた」
「ずいぶん頼りにしてたんだな」
伊織が言った。
「していた」
源蔵は否定しなかった。
「俺が鉄を打ち、あいつが眼力の道を通す。二人なら、直せない眼装はなかった」
冷えた炉へ、源蔵の視線が移る。
「今の鉱山に、あいつがいたら……」
太い拳が握られる。
「群主を倒すための武器も、討伐隊全員の分まで作れた。こんなふうに、壊れた武器を積んで待つ必要もなかった」
「父さんは、この島を出たのか?」
「ああ。何年も前にな」
源蔵の声が低くなる。
「別の島で鍛冶を続けると言っていた。しばらくは手紙も届いていた。新しい刀を作っているだの、息子が重い刀を振りたがるだの、どうでもいいことばかり書いてきやがった」
光留は父の刀を強く握った。
「でも、ある日から手紙が来なくなった」
「そのころ、父さんも俺たちの前からいなくなった」
「何も言わずにか」
「ああ」
源蔵は眼を伏せる。
「あいつらしくない」
「父さんを捜してる」
「わしも居場所は知らん」
源蔵は、まっすぐ光留を見た。
「だが、何かを放り出して逃げるような男じゃない。どこかへ行ったのなら、行かなきゃならん理由があったはずだ」
光留は頷いた。
父が眼装を修理していた事実。
この島で頼られていた過去。
新しい手がかりは見つかった。
だが、父がどこへ消えたのかは、まだ分からない。
◇
源蔵が、古い鉱山の地図を卓へ広げた。
何本もの坑道が、木の根のように山の中へ伸びている。
「鉱山全体を一度に取り戻すのは無理だ」
太い指が、入口に近い区画を叩く。
「まずは第一炭坑だ。ここには、掘り出した石炭がまだ残っている」
指が、隣の細い坑道へ移る。
「その先に、眼鉄鉱の保管庫がある。採掘した分を町へ運び出す前に、鉱山が奪われた」
「石炭と眼鉄鉱を持ち帰れば、腕輪を直せるんだな」
「量が足りればな」
「町の武器も?」
源蔵は、工房の隅へ積まれた武器を見る。
「炉へ火を戻せば、修理はできる。新しい武器も少しずつ作れるようになる」
「それなら、最初にここを取り戻す」
光留が第一炭坑を指した。
源蔵は五人を順番に見た。
「入口に近いからといって、安全だと思うな。第一炭坑にも眼獣が入っている」
「どれくらいいる」
蓮が尋ねる。
「分からん。以前は三頭だった。今は、討伐隊だった奴らもいる」
守備隊の男が眼を伏せる。
「知っている顔が出てくるかもしれない」
「それでも倒す」
岳が答えた。
「倒したあともだ」
源蔵の声が強くなる。
「仲間が死んでも、絶対に置いてくるな。身体を残せば、群主に使われる」
誰も軽く返事をしなかった。
澪が自分の両手を見る。
傷を治す力。
だが、死んだ者まで戻すことはできない。
「全員で戻る」
光留が言った。
「誰も、鉱山へ残さない」
伊織が頷く。
「素材も、持てるだけ持って帰ろう」
「石炭を運ぶなら荷車が必要だ」
蓮が地図の線を確認する。
「入口に残っていた鉱車を使えるかもしれない」
「俺が押す」
岳が言った。
「お兄ちゃん、一人で全部やろうとしないで」
「荷車を押すだけだ」
「三つ分くらい押そうとしてるでしょ」
「運べるなら多い方がいい」
「ほら、やっぱり」
伊織が笑う。
張り詰めていた工房の空気が、少しだけ緩んだ。
源蔵は鼻を鳴らした。
「遠足に行くんじゃねえぞ」
「分かってる」
光留は地図を受け取った。
源蔵が、父の刀を光留へ差し出す。
「刃はまだ生きている。だが、随分無茶な使い方をしてやがる」
「分かるのか」
「誰に聞いてやがる」
光留は刀を腰へ戻した。
「素材を持ち帰ったら、この刀も見てくれるか」
「必要ない」
源蔵が答える。
「あいつの刀は、その程度じゃ壊れん」
光留は刀の柄へ触れた。
「父さんがいたら、鉱山を何とかできたと思うか」
源蔵は冷えた炉を見た。
「あいつ一人で全部どうにかできたとは言わん」
しばらくして、低い声で続ける。
「だが、あいつがいれば、諦める奴はいなかった」
光留は、その言葉を胸へ刻んだ。
「だったら、今度は俺たちが何とかする」
源蔵が光留を見る。
父の刀。
その前へ立つ、父より若い息子。
「口だけなら、あいつより立派だな」
「父さんも、そんなに話さなかったのか」
「必要なことすら言わん男だった」
源蔵は立ち上がった。
光留よりも、岳よりも太い身体が、冷えた炉の前に立つ。
「石炭を持ってこい」
源蔵は巨大な炉を拳で叩いた。
「お前たちが鉱山から火を取り戻したら、俺がこの島の武器を全部直してやる」
◇
町の奥には、鉱山へ続く巨大な鉄門があった。
太い鎖。
眼封じの札。
門の前には折れた槍や盾が積まれ、幾重もの柵が築かれている。
その向こうから、熱を帯びた風が流れてきた。
光留。
伊織。
蓮。
岳。
澪。
五人が鉄門の前へ並ぶ。
守備隊の男が、鎖を外すための鍵を手にした。
「一度開ければ、向こうにも気づかれる」
「どれくらいで閉め直せる」
蓮が尋ねる。
「全員が入ったあと、すぐに閉じる。戻ったときは、この鐘を鳴らせ」
男が鉄門の横にある小さな鐘を示す。
「三回だ。それ以外の音では開けない」
「分かった」
光留は父の刀へ手をかけた。
門の向こうに、石炭と鉱石がある。
眼装を直すための素材。
町の武器を蘇らせるための火。
そして、群主に従う眼獣たち。
男が鍵を差し込もうとした、そのとき。
鉄門の向こうから、何かが近づいてきた。
石を引きずる音。
重い呼吸。
続いて、人間の声が聞こえた。
「開けてくれ……」
守備隊の男の手が止まる。
「誰かいるのか?」
澪が鉄門へ近づこうとする。
岳が、その肩をつかんだ。
門の向こうから、もう一度声が響く。
「頼む……俺だ……開けてくれ……」
守備隊の男の顔から血の気が引いていく。
「知ってる声なのか」
光留が尋ねる。
「ああ」
男は震える手で剣を抜いた。
「三度目の討伐で、鉱山に残してきた仲間だ」
鉄門の隙間。
暗闇の中で、一つの眼が開いた。
続けて、二つ。
三つ。
無数の眼が、五人を見つめる。
「やっと、開けてくれるのか」
声の奥から、獣の笑い声が聞こえた。




