第四十六話 団長の奢り
眼食者が倒れたあとも、ピラミッドの中では騎士たちが走り回っていた。
気を失った眼食者には、眼力を封じる鎖が幾重にも巻かれた。
砕けた眼装の欠片も、一つ残らず回収されている。
地下に残っていた者たちも捕らえられた。
だが、一人だけ姿がなかった。
雨宮風雅。
嵐の眼を持つ男だけが、崩れた通路から外へ逃げていた。
騎士団が追ったときには、ピラミッドの外を砂嵐が覆っていた。風が足跡を消し、吹き上がった砂が男の姿を隠していた。
嵐が収まったあとには、何も残っていなかった。
「逃がした……」
光留は、砂へ消えていく足跡を見つめていた。
「追うのは明日だ」
鳴神が言った。
「今のお前らが砂漠へ出ても、返り討ちに遭うだけだ」
「でも」
「倒れてる仲間を置いていくのか」
光留は振り返った。
伊織は壁へ背を預け、蓮も片膝をついている。
岳は澪を支えていた。
澪の治癒で傷は塞がっているが、失った体力と眼力までは戻っていない。
光留自身も、刀を握る右手に力が入りきらなかった。
「……分かった」
「安心しろ。港と町の門は押さえた。あいつも、そう遠くへは行けない」
鳴神はそう言ったが、眼は砂漠の先を睨んだままだった。
そこへ、月の眼の忍が歩いてきた。
「鳴神」
「なんだ」
「腹、減ってねえか」
鳴神が振り返る。
「今する話か?」
「眼食者は捕らえた。怪我人の手当ても始まっている。腹を空かせたまま話し合っても、ろくな考えは出ない」
月の眼の忍は光留たちを見回した。
「説明は、食いながらにしよう」
「どこで食うつもりだ」
「この町に、肉のうまい店がある」
月の眼の忍は、迷いなく歩き出した。
「今日は団長の奢りだ」
「勝手に決めるな」
「団長、ごちそうになります!」
伊織が真っ先に頭を下げた。
「お前も乗るな」
◇
町の通りには、まだ戦いの跡が残っていた。
崩れた露店。
砂へ落ちた大会の旗。
それでも、騎士団が町を取り戻したと知った人々は、少しずつ外へ出始めていた。
月の眼の忍が案内したのは、闘技場から離れた場所にある石造りの店だった。
騎士団が奥の広い部屋を借り切り、入口には二人の騎士が立った。
光留。
伊織。
蓮。
岳。
澪。
鳴神と月の眼の忍。
さらに、両腕へ眼封じの枷をつけた久遠智瀬が、騎士に付き添われて席へ着いた。
智瀬は卓を見回した。
「捕虜にも食事が出るのね」
「話を聞く相手を飢えさせる趣味はない」
鳴神が答えた。
「安心しろ。代金は団長持ちだ」
月の眼の忍が付け加える。
「俺が団長だ」
「知ってる」
ほどなくして、人数分の鉄皿が運ばれてきた。
卓へ置かれた途端、厚切りの肉が、ジュウウッと勢いよく音を立てた。
表面は濃い褐色に焼き上がり、細かな割れ目から透明な肉汁が次々と浮かんでいる。
上にのせられたバターが熱で崩れ、刻んだ香草と炒めた大蒜を連れて肉の側面を流れていく。
焼けた脂の甘い香りが、部屋いっぱいに広がった。
光留の腹が鳴る。
戦いのあとから忘れていた空腹が、急に身体の底から戻ってきた。
「何の説明より先に、こっちだな」
伊織が待ちきれずにナイフを握った。
厚い肉へ刃を入れる。
焦げ目のついた表面を切り抜けた瞬間、刃が驚くほど滑らかに沈んだ。
切り口は、鮮やかな桃色。
閉じ込められていた肉汁があふれ出し、溶けたバターと混ざって鉄皿の上を黄金色に染めた。
伊織は大きく切った一片を口へ放り込む。
「熱っ――うまっ!」
香ばしく焼けた表面が、歯の間でわずかに弾けた。
その内側は柔らかい。
噛んだ途端、熱い肉汁が口いっぱいに広がる。
脂の甘み。
肉の濃い旨み。
粒の粗い塩がそれを引き締め、鼻へ抜ける大蒜と炭火の香りが、さらに次の一口を欲しがらせる。
岳は伊織よりも大きな肉を切り取り、豪快に噛みしめた。
「……これは、うまいな」
「お兄ちゃん、顔が怖いままだよ」
「うまい顔だ」
「いつもと同じ」
そう言いながら、澪も小さく切った肉を口へ運ぶ。
眼を丸くしたあと、頬を押さえた。
「おいしい……」
「もっと食え」
岳が自分の鉄皿から肉を取り、澪の皿へのせようとする。
「待って。そんなに食べられないよ」
「牢に入れられて痩せただろ。元に戻せ」
「一度に戻そうとしないで」
蓮は黙って食べていた。
だが、一切れを飲み込むより早く、すでに次の肉へ刃を入れている。
「蓮、お前も相当気に入ってるだろ」
「冷める前に食べているだけだ」
「切る速さが戦ってるときと同じだぞ」
光留も一口食べた。
肉は舌の上でほどけるほど柔らかく、それでいて噛むたびに、力強い旨みが何度もあふれてくる。
鉄皿の端に添えられた芋まで肉汁とバターを吸い、表面は香ばしく、中はほくほくと甘かった。
気づけば、もう二切れ目を切っていた。
月の眼の忍が水へ手を伸ばす。
だが、その指は器の横をわずかに通り過ぎた。
鳴神が何も言わず、水の器を手元へ押す。
月の眼の忍も何も言わず、それを持ち上げた。
光留は二人を見たが、尋ねなかった。
「そろそろ話を始めるぞ」
鳴神が卓の上へ数冊の帳簿を置いた。
「これはピラミッドの地下から見つかったものだ」
蓮が肉を食べる手を止め、帳簿の一冊を開く。
中には人の名前と出身地、眼の種類が細かく記されていた。
その横に、数字と見慣れない印が並んでいる。
「闇市の売買記録か」
「ああ」
鳴神は智瀬へ眼を向けた。
「知っていることを話せ」
智瀬は肉を小さく切りながら、帳簿を見た。
「眼食者は、この南の島を中心に動く闇市のまとめ役よ」
「闇市は、この町にあるのか?」
伊織が尋ねる。
「一つの場所にあるわけじゃないわ」
智瀬は首を横へ振った。
「幾つもの島に商人や仲買人がいる。眼を売る者。人をさらう者。偽の通行証を作る者。船を用意する者。それぞれが別々に動き、必要なときだけつながる」
「眼食者は、その上にいたのか」
「南ではね。珍しい眼を持つ人間を集め、買い手へ売る。奪った眼力や眼装を自分で使うこともあった」
光留は開かれた帳簿を見る。
名前の横に書かれていたのは、値段だった。
「大会も、そのために利用したのか」
「ええ」
智瀬は静かに答えた。
「運営の中に、闇市から金を受け取っていた者がいる。参加者の名前、出身地、眼の能力、強さ。全部、試合のあとに記録されていた」
「試合を見れば、能力を隠している奴にも本気を出させられる」
蓮が言った。
「そういうことよ。珍しい眼を持つ者には印がつけられた。大会が終わったあと、帰り道で消えた選手もいる」
伊織の手が止まる。
「じゃあ、あの大会は初めから……」
「大会そのものは、昔から行われていたわ。眼食者たちが途中から入り込んだの」
鷹見景久。
赤城烈。
ほかにも、闘技場で戦っていた者たちの顔が光留の頭に浮かんだ。
自分たちが知らないところで、全員が値踏みされていた。
「澪をさらったのも、そいつらだな」
岳の声が低くなる。
「ええ。二眼持ちの情報が、闇市の鑑定役から眼食者へ渡った」
岳がナイフを強く握る。
澪が、その手へそっと触れた。
「お兄ちゃん」
「分かってる」
答えながらも、岳の眼から怒りは消えなかった。
「この印は何だ」
蓮が別の頁を指した。
人の名前が並ぶ途中から、記録の書き方が変わっている。
黒牙種。
岩甲種。
眠り羽。
種族らしき言葉の横に、捕獲場所と頭数が記されていた。
「人間の記録じゃないな」
「獣よ」
智瀬が答えた。
「闇市が扱っているのは、眼や人間だけじゃない。珍しい獣も密輸している」
「獣まで?」
澪が帳簿をのぞき込む。
「普通の獣だけじゃないわ。眼の力を持つ獣や、眼力が暴走して眼獣になったものも含まれている」
部屋に、肉の焼ける音だけが残った。
「何のために売るんだ」
光留が尋ねる。
「生きたものは、見世物や戦闘用。屋敷を守らせる者もいれば、兵器として買う者もいる。眼獣を調べるために、生きたまま欲しがる研究者もいるわ」
智瀬は帳簿の頁をめくった。
「死んだものも売れる。牙、骨、皮、毒。眼力を帯びた素材は、武器や眼装の材料になるから」
「こいつらには、人も獣も関係ないのか」
伊織が顔をしかめる。
「金になるかどうか。それだけよ」
澪が俯く。
「眼獣は危険だけど……好きで眼獣になるわけじゃないのに」
「捕らえられるのは、子どもの獣が多い」
智瀬の声がわずかに沈んだ。
「小さいうちなら運びやすく、薬で眠らせることもできる。強い眼を持つと分かれば、わざと眼力を暴走させることもある」
岳の手の中で、ナイフの柄が軋んだ。
「それ以上握ると折れるぞ」
月の眼の忍が言った。
「折れても団長の奢りか?」
伊織が尋ねる。
「もちろん」
「違う」
鳴神が即座に否定した。
わずかに緩んだ空気の中で、蓮は帳簿を読み続けていた。
「ここに、船の名前がある」
帳簿の後ろには、幾つもの港と船の名が記されている。
だが、船が通った航路の欄だけは空白だった。
「どうやって騎士団の監視を抜けた」
「風雅よ」
智瀬が答えた。
「嵐で船を隠していた。海を霧と雨で覆い、見張りの船を近づけさせない。向かい風でも、風雅がいれば予定どおり進める」
「人も獣も、あいつの嵐で運んでいたのか」
「ええ。風雅は戦うだけじゃない。闇市の密輸路を支える運び手でもあった」
光留は、砂漠へ消えた男を思い出す。
風雅は眼食者を助けるためだけに戦っていたのではない。
幾つもの島を結ぶ闇市の道を知っている。
「だから逃げた風雅を捕らえれば、ほかの闇市にもたどり着ける」
光留が言った。
「その可能性は高い」
鳴神が頷く。
「だが、行き先が分からない」
「いや」
蓮が帳簿の一頁を卓へ広げた。
「最後の三件だけ、送り先が同じだ」
指先が、一つの地名をなぞる。
鉱山地帯のある島。
眼獣、十二頭。
眼力を帯びた骨と皮。
さらに、製作者不明の眼装が三つ。
「風雅も、ここへ向かったのか?」
「分からない」
智瀬は地名を見つめた。
「でも、眼食者が使っていた眼装は、定期的にその島へ送られていた。壊れた部分を直すために」
月の眼の忍が、布へ包まれたものを卓へ置いた。
中に入っていたのは、砕けた腕輪の欠片だった。
眼食者が身につけていた、一眼級の眼装。
月の眼の忍が、その内側を指でなぞる。
「ここに印がある」
三本の短い線を、一つに束ねたような小さな刻印。
光留は眼を見開いた。
同じ印を知っている。
父の刀を抜き、鍔の近くを確かめる。
刀身の根元にも、小さく同じ印が刻まれていた。
「父さんの刀と、同じだ……」
伊織たちが刀へ眼を向ける。
「この腕輪を作ったのが、光留の父親なのか?」
「まだ分からない」
月の眼の忍が答えた。
「これは作った者の印かもしれないし、修理した者の印かもしれない。ただ、この刻印を使う職人が鉱山地帯にいる可能性は高い」
光留は刀と腕輪の欠片を見比べた。
父の行方。
風雅の逃げた先。
密輸された眼獣。
別々だったものが、一つの場所へつながり始めている。
「俺は行く」
光留は顔を上げた。
「風雅を追う。捕らえられた人も、運ばれた眼獣も助ける。それに、この印のことも確かめたい」
「俺も行くぞ」
伊織が言った。
「ここまで来て、一人で行かせるわけないだろ」
「帳簿にある密輸路も調べたい」
蓮が続く。
岳は澪を見た。
「俺たちは、一度休んでから決める」
「一緒に行くよ」
「まだ何も言ってない」
「置いていくって顔してた」
「顔で分かるわけないだろ」
「妹だから分かる」
岳はしばらく黙り、残っていた肉を口へ運んだ。
「……まずは体力を戻せ」
「うん」
「それと、俺の肉も食うか」
「それはいらない」
鳴神が帳簿を閉じた。
「騎士団は、この町と港に残る闇市の連中を捕らえる。帳簿にあるほかの島へも連絡を送る」
「鉱山地帯は?」
「先に調査隊を出す。お前たちは怪我が治るまで待て」
「どれくらいだ」
「少なくとも数日は休め」
光留は反論しかけた。
その前へ、月の眼の忍が肉を一切れ差し出す。
「話は終わりだ。今は食え」
「でも、風雅が――」
「焦って追えば、今度こそ逃げられる。追う相手より先に倒れるな」
光留は差し出された肉を見る。
話に夢中になっている間に、自分の鉄皿からは音が消えていた。
「冷めてるぞ」
月の眼の忍が言った。
「聞くときは聞け。食うときは食え。どちらも半端にするな」
「……分かった」
光留は肉を口へ運んだ。
少し冷めても、噛めば濃い旨みが広がった。
まだ動ける。
まだ進める。
父へつながるかもしれない道も、ようやく見つかった。
「店主」
月の眼の忍が入口へ声をかける。
「同じ肉を、もう一枚頼む」
「お前はまだ食うのか」
鳴神が呆れたように見る。
「戦ったあとは腹が減る」
「それは自分で払え」
「団長の奢りだ」
「だから勝手に決めるな!」
伊織が笑う。
澪も小さく笑い、岳と蓮の表情も緩んだ。
光留は父の刀を鞘へ戻した。
風雅。
闇市。
密輸された眼獣。
そして、腕輪と刀に残された同じ刻印。
次に進む場所は、決まった。




