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真贋の眼 〜眼の奥に潜む真実〜  作者: えもえもん
第三章 砂漠の島と力の世界

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第四十六話 団長の奢り



 眼食者が倒れたあとも、ピラミッドの中では騎士たちが走り回っていた。


 気を失った眼食者には、眼力を封じる鎖が幾重にも巻かれた。


 砕けた眼装の欠片も、一つ残らず回収されている。


 地下に残っていた者たちも捕らえられた。


 だが、一人だけ姿がなかった。


 雨宮風雅。


 嵐の眼を持つ男だけが、崩れた通路から外へ逃げていた。


 騎士団が追ったときには、ピラミッドの外を砂嵐が覆っていた。風が足跡を消し、吹き上がった砂が男の姿を隠していた。


 嵐が収まったあとには、何も残っていなかった。


「逃がした……」


 光留は、砂へ消えていく足跡を見つめていた。


「追うのは明日だ」


 鳴神が言った。


「今のお前らが砂漠へ出ても、返り討ちに遭うだけだ」


「でも」


「倒れてる仲間を置いていくのか」


 光留は振り返った。


 伊織は壁へ背を預け、蓮も片膝をついている。


 岳は澪を支えていた。


 澪の治癒で傷は塞がっているが、失った体力と眼力までは戻っていない。


 光留自身も、刀を握る右手に力が入りきらなかった。


「……分かった」


「安心しろ。港と町の門は押さえた。あいつも、そう遠くへは行けない」


 鳴神はそう言ったが、眼は砂漠の先を睨んだままだった。


 そこへ、月の眼の忍が歩いてきた。


「鳴神」


「なんだ」


「腹、減ってねえか」


 鳴神が振り返る。


「今する話か?」


「眼食者は捕らえた。怪我人の手当ても始まっている。腹を空かせたまま話し合っても、ろくな考えは出ない」


 月の眼の忍は光留たちを見回した。


「説明は、食いながらにしよう」


「どこで食うつもりだ」


「この町に、肉のうまい店がある」


 月の眼の忍は、迷いなく歩き出した。


「今日は団長の奢りだ」


「勝手に決めるな」


「団長、ごちそうになります!」


 伊織が真っ先に頭を下げた。


「お前も乗るな」


     ◇


 町の通りには、まだ戦いの跡が残っていた。


 崩れた露店。


 砂へ落ちた大会の旗。


 それでも、騎士団が町を取り戻したと知った人々は、少しずつ外へ出始めていた。


 月の眼の忍が案内したのは、闘技場から離れた場所にある石造りの店だった。


 騎士団が奥の広い部屋を借り切り、入口には二人の騎士が立った。


 光留。


 伊織。


 蓮。


 岳。


 澪。


 鳴神と月の眼の忍。


 さらに、両腕へ眼封じの枷をつけた久遠智瀬が、騎士に付き添われて席へ着いた。


 智瀬は卓を見回した。


「捕虜にも食事が出るのね」


「話を聞く相手を飢えさせる趣味はない」


 鳴神が答えた。


「安心しろ。代金は団長持ちだ」


 月の眼の忍が付け加える。


「俺が団長だ」


「知ってる」


 ほどなくして、人数分の鉄皿が運ばれてきた。


 卓へ置かれた途端、厚切りの肉が、ジュウウッと勢いよく音を立てた。


 表面は濃い褐色に焼き上がり、細かな割れ目から透明な肉汁が次々と浮かんでいる。


 上にのせられたバターが熱で崩れ、刻んだ香草と炒めた大蒜を連れて肉の側面を流れていく。


 焼けた脂の甘い香りが、部屋いっぱいに広がった。


 光留の腹が鳴る。


 戦いのあとから忘れていた空腹が、急に身体の底から戻ってきた。


「何の説明より先に、こっちだな」


 伊織が待ちきれずにナイフを握った。


 厚い肉へ刃を入れる。


 焦げ目のついた表面を切り抜けた瞬間、刃が驚くほど滑らかに沈んだ。


 切り口は、鮮やかな桃色。


 閉じ込められていた肉汁があふれ出し、溶けたバターと混ざって鉄皿の上を黄金色に染めた。


 伊織は大きく切った一片を口へ放り込む。


「熱っ――うまっ!」


 香ばしく焼けた表面が、歯の間でわずかに弾けた。


 その内側は柔らかい。


 噛んだ途端、熱い肉汁が口いっぱいに広がる。


 脂の甘み。


 肉の濃い旨み。


 粒の粗い塩がそれを引き締め、鼻へ抜ける大蒜と炭火の香りが、さらに次の一口を欲しがらせる。


 岳は伊織よりも大きな肉を切り取り、豪快に噛みしめた。


「……これは、うまいな」


「お兄ちゃん、顔が怖いままだよ」


「うまい顔だ」


「いつもと同じ」


 そう言いながら、澪も小さく切った肉を口へ運ぶ。


 眼を丸くしたあと、頬を押さえた。


「おいしい……」


「もっと食え」


 岳が自分の鉄皿から肉を取り、澪の皿へのせようとする。


「待って。そんなに食べられないよ」


「牢に入れられて痩せただろ。元に戻せ」


「一度に戻そうとしないで」


 蓮は黙って食べていた。


 だが、一切れを飲み込むより早く、すでに次の肉へ刃を入れている。


「蓮、お前も相当気に入ってるだろ」


「冷める前に食べているだけだ」


「切る速さが戦ってるときと同じだぞ」


 光留も一口食べた。


 肉は舌の上でほどけるほど柔らかく、それでいて噛むたびに、力強い旨みが何度もあふれてくる。


 鉄皿の端に添えられた芋まで肉汁とバターを吸い、表面は香ばしく、中はほくほくと甘かった。


 気づけば、もう二切れ目を切っていた。


 月の眼の忍が水へ手を伸ばす。


 だが、その指は器の横をわずかに通り過ぎた。


 鳴神が何も言わず、水の器を手元へ押す。


 月の眼の忍も何も言わず、それを持ち上げた。


 光留は二人を見たが、尋ねなかった。


「そろそろ話を始めるぞ」


 鳴神が卓の上へ数冊の帳簿を置いた。


「これはピラミッドの地下から見つかったものだ」


 蓮が肉を食べる手を止め、帳簿の一冊を開く。


 中には人の名前と出身地、眼の種類が細かく記されていた。


 その横に、数字と見慣れない印が並んでいる。


「闇市の売買記録か」


「ああ」


 鳴神は智瀬へ眼を向けた。


「知っていることを話せ」


 智瀬は肉を小さく切りながら、帳簿を見た。


「眼食者は、この南の島を中心に動く闇市のまとめ役よ」


「闇市は、この町にあるのか?」


 伊織が尋ねる。


「一つの場所にあるわけじゃないわ」


 智瀬は首を横へ振った。


「幾つもの島に商人や仲買人がいる。眼を売る者。人をさらう者。偽の通行証を作る者。船を用意する者。それぞれが別々に動き、必要なときだけつながる」


「眼食者は、その上にいたのか」


「南ではね。珍しい眼を持つ人間を集め、買い手へ売る。奪った眼力や眼装を自分で使うこともあった」


 光留は開かれた帳簿を見る。


 名前の横に書かれていたのは、値段だった。


「大会も、そのために利用したのか」


「ええ」


 智瀬は静かに答えた。


「運営の中に、闇市から金を受け取っていた者がいる。参加者の名前、出身地、眼の能力、強さ。全部、試合のあとに記録されていた」


「試合を見れば、能力を隠している奴にも本気を出させられる」


 蓮が言った。


「そういうことよ。珍しい眼を持つ者には印がつけられた。大会が終わったあと、帰り道で消えた選手もいる」


 伊織の手が止まる。


「じゃあ、あの大会は初めから……」


「大会そのものは、昔から行われていたわ。眼食者たちが途中から入り込んだの」


 鷹見景久。


 赤城烈。


 ほかにも、闘技場で戦っていた者たちの顔が光留の頭に浮かんだ。


 自分たちが知らないところで、全員が値踏みされていた。


「澪をさらったのも、そいつらだな」


 岳の声が低くなる。


「ええ。二眼持ちの情報が、闇市の鑑定役から眼食者へ渡った」


 岳がナイフを強く握る。


 澪が、その手へそっと触れた。


「お兄ちゃん」


「分かってる」


 答えながらも、岳の眼から怒りは消えなかった。


「この印は何だ」


 蓮が別の頁を指した。


 人の名前が並ぶ途中から、記録の書き方が変わっている。


 黒牙種。


 岩甲種。


 眠り羽。


 種族らしき言葉の横に、捕獲場所と頭数が記されていた。


「人間の記録じゃないな」


「獣よ」


 智瀬が答えた。


「闇市が扱っているのは、眼や人間だけじゃない。珍しい獣も密輸している」


「獣まで?」


 澪が帳簿をのぞき込む。


「普通の獣だけじゃないわ。眼の力を持つ獣や、眼力が暴走して眼獣になったものも含まれている」


 部屋に、肉の焼ける音だけが残った。


「何のために売るんだ」


 光留が尋ねる。


「生きたものは、見世物や戦闘用。屋敷を守らせる者もいれば、兵器として買う者もいる。眼獣を調べるために、生きたまま欲しがる研究者もいるわ」


 智瀬は帳簿の頁をめくった。


「死んだものも売れる。牙、骨、皮、毒。眼力を帯びた素材は、武器や眼装の材料になるから」


「こいつらには、人も獣も関係ないのか」


 伊織が顔をしかめる。


「金になるかどうか。それだけよ」


 澪が俯く。


「眼獣は危険だけど……好きで眼獣になるわけじゃないのに」


「捕らえられるのは、子どもの獣が多い」


 智瀬の声がわずかに沈んだ。


「小さいうちなら運びやすく、薬で眠らせることもできる。強い眼を持つと分かれば、わざと眼力を暴走させることもある」


 岳の手の中で、ナイフの柄が軋んだ。


「それ以上握ると折れるぞ」


 月の眼の忍が言った。


「折れても団長の奢りか?」


 伊織が尋ねる。


「もちろん」


「違う」


 鳴神が即座に否定した。


 わずかに緩んだ空気の中で、蓮は帳簿を読み続けていた。


「ここに、船の名前がある」


 帳簿の後ろには、幾つもの港と船の名が記されている。


 だが、船が通った航路の欄だけは空白だった。


「どうやって騎士団の監視を抜けた」


「風雅よ」


 智瀬が答えた。


「嵐で船を隠していた。海を霧と雨で覆い、見張りの船を近づけさせない。向かい風でも、風雅がいれば予定どおり進める」


「人も獣も、あいつの嵐で運んでいたのか」


「ええ。風雅は戦うだけじゃない。闇市の密輸路を支える運び手でもあった」


 光留は、砂漠へ消えた男を思い出す。


 風雅は眼食者を助けるためだけに戦っていたのではない。


 幾つもの島を結ぶ闇市の道を知っている。


「だから逃げた風雅を捕らえれば、ほかの闇市にもたどり着ける」


 光留が言った。


「その可能性は高い」


 鳴神が頷く。


「だが、行き先が分からない」


「いや」


 蓮が帳簿の一頁を卓へ広げた。


「最後の三件だけ、送り先が同じだ」


 指先が、一つの地名をなぞる。


 鉱山地帯のある島。


 眼獣、十二頭。


 眼力を帯びた骨と皮。


 さらに、製作者不明の眼装が三つ。


「風雅も、ここへ向かったのか?」


「分からない」


 智瀬は地名を見つめた。


「でも、眼食者が使っていた眼装は、定期的にその島へ送られていた。壊れた部分を直すために」


 月の眼の忍が、布へ包まれたものを卓へ置いた。


 中に入っていたのは、砕けた腕輪の欠片だった。


 眼食者が身につけていた、一眼級の眼装。


 月の眼の忍が、その内側を指でなぞる。


「ここに印がある」


 三本の短い線を、一つに束ねたような小さな刻印。


 光留は眼を見開いた。


 同じ印を知っている。


 父の刀を抜き、鍔の近くを確かめる。


 刀身の根元にも、小さく同じ印が刻まれていた。


「父さんの刀と、同じだ……」


 伊織たちが刀へ眼を向ける。


「この腕輪を作ったのが、光留の父親なのか?」


「まだ分からない」


 月の眼の忍が答えた。


「これは作った者の印かもしれないし、修理した者の印かもしれない。ただ、この刻印を使う職人が鉱山地帯にいる可能性は高い」


 光留は刀と腕輪の欠片を見比べた。


 父の行方。


 風雅の逃げた先。


 密輸された眼獣。


 別々だったものが、一つの場所へつながり始めている。


「俺は行く」


 光留は顔を上げた。


「風雅を追う。捕らえられた人も、運ばれた眼獣も助ける。それに、この印のことも確かめたい」


「俺も行くぞ」


 伊織が言った。


「ここまで来て、一人で行かせるわけないだろ」


「帳簿にある密輸路も調べたい」


 蓮が続く。


 岳は澪を見た。


「俺たちは、一度休んでから決める」


「一緒に行くよ」


「まだ何も言ってない」


「置いていくって顔してた」


「顔で分かるわけないだろ」


「妹だから分かる」


 岳はしばらく黙り、残っていた肉を口へ運んだ。


「……まずは体力を戻せ」


「うん」


「それと、俺の肉も食うか」


「それはいらない」


 鳴神が帳簿を閉じた。


「騎士団は、この町と港に残る闇市の連中を捕らえる。帳簿にあるほかの島へも連絡を送る」


「鉱山地帯は?」


「先に調査隊を出す。お前たちは怪我が治るまで待て」


「どれくらいだ」


「少なくとも数日は休め」


 光留は反論しかけた。


 その前へ、月の眼の忍が肉を一切れ差し出す。


「話は終わりだ。今は食え」


「でも、風雅が――」


「焦って追えば、今度こそ逃げられる。追う相手より先に倒れるな」


 光留は差し出された肉を見る。


 話に夢中になっている間に、自分の鉄皿からは音が消えていた。


「冷めてるぞ」


 月の眼の忍が言った。


「聞くときは聞け。食うときは食え。どちらも半端にするな」


「……分かった」


 光留は肉を口へ運んだ。


 少し冷めても、噛めば濃い旨みが広がった。


 まだ動ける。


 まだ進める。


 父へつながるかもしれない道も、ようやく見つかった。


「店主」


 月の眼の忍が入口へ声をかける。


「同じ肉を、もう一枚頼む」


「お前はまだ食うのか」


 鳴神が呆れたように見る。


「戦ったあとは腹が減る」


「それは自分で払え」


「団長の奢りだ」


「だから勝手に決めるな!」


 伊織が笑う。


 澪も小さく笑い、岳と蓮の表情も緩んだ。


 光留は父の刀を鞘へ戻した。


 風雅。


 闇市。


 密輸された眼獣。


 そして、腕輪と刀に残された同じ刻印。


 次に進む場所は、決まった。


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