第四十四話 終相
白と青の光が、ゆっくりと薄れていった。
遅れて、砕けた石が床へ降り注ぐ。
広間の中央には、大きな穴が開いていた。
その底で、眼食者が片膝をついている。
額の眼は縦に裂け、首筋の眼は黒く焼けていた。長衣の下から血が流れ、左腕にはめられた銀の眼装にも、細いひびが入っている。
光留は息を呑んだ。
これまで、何を重ねても倒れなかった男が、初めて膝をついていた。
「……届いた」
伊織が、掠れた声を漏らす。
眼食者はゆっくりと顔を上げた。
裂けた額から血を流しながら、月の眼の忍を見る。
「これが、三光忍か」
胸元の眼が開いた。
淡い光が、額と首筋へ流れ始める。
裂けた瞳が寄り、焼けた眼の表面が剝がれ落ちていく。
「再生が始まった」
蓮が言った。
「眼装まで直る前に叩くぞ!」
鳴神が刀を構え直す。
雷神天臨は、まだ解けていない。
だが、全身を覆っていた青白い雷は先ほどより細い。胸の奥で鳴る雷鳴も、わずかに間隔が乱れていた。
月の眼の忍が、背後の満月へ片手を向ける。
「四相・下弦――虧」
満月の右側から、銀の光が欠け始めた。
半分を失った月が、眼食者を照らす。
胸元から流れていた再生の光が、一度、大きく揺らいだ。
額の傷は半ばまで塞がっている。
だが、そこから先が遅い。
首筋の眼も、開ききらない。
眼食者が胸元へ視線を落とした。
「私の眼へ、何をした」
「満ち続ける月はない」
月の眼の忍は静かに答えた。
「お前の眼は、使うたびに欠けていく」
◇
眼食者の左前腕が光った。
圧が、月の眼の忍へ集中する。
石床が沈むより早く、青い雷がその前へ割り込んだ。
鳴神が刀で圧を受ける。
雷が噛みつき、押し寄せる力を左右へ散らした。
それでも、すべては消せない。
鳴神の身体が床を滑り、刀を握る両腕から血が散った。
「鳴神!」
澪が右手を上げた。
床の水が帯となり、鳴神の背中を受け止める。
続いて左眼に、淡い緑の光が宿った。
水が鳴神の胸へまとわりつく。
乱れていた呼吸が、わずかに戻った。
「一人だけなら、まだ治せる」
「俺より先に――」
「今、一番危ないのはあなた」
澪は譲らなかった。
鳴神は一瞬だけ眼を見開き、すぐに笑った。
「なら、少し借りる」
刀を床へ突き、立ち上がる。
黒い短髪の間を、再び雷が走った。
「動ける者は立て!」
広間に、若い団長の声が響く。
「ここからは、全員で叩くぞ!」
光留は父の刀を握り直した。
伊織と蓮が左右へ並ぶ。
岳は澪の前へ出て、砕けた鎧を作り直した。
眼食者が左腕を持ち上げる。
もう一度、圧の眼が光った。
最初の一撃ほどではない。
足は重い。
だが、立てる。
下弦の月が、確かに五つの眼を削っていた。
◇
御影の眼が光った。
五つの眼から伸びる流れが、銀の腕輪へ集まっている。
その中で、一か所だけ光が滞っていた。
「左腕の眼装だ!」
御影が叫ぶ。
「ひびの周りだけ、五つの流れが遅れている!」
「光留、聞こえたな!」
「ああ!」
光留は左手を床へ向けた。
「三式・黒縛!」
黒い縄が、眼食者の両脚へ走る。
一本は左手首へ巻きつき、銀の眼装を覆った。
黒が、ひびの隙間へ染み込んでいく。
眼食者は腕を引こうとした。
その正面へ、岳が飛び込む。
「俺を忘れるな!」
大盾を突き出し、身体ごとぶつかった。
眼食者の右手が盾へ触れる。
手の甲の眼から衝撃が放たれた。
大盾に亀裂が走る。
岳の足元が沈む。
それでも盾は消えなかった。
「さっきより、軽い!」
岳が押し返す。
眼食者の身体が、半歩下がった。
その左右から、炎と血の刃が迫る。
「灼!」
伊織の刀から白い火線が走った。
裂けた長衣の隙間へ入り、胸元の眼を焼く。
眼食者の再生が止まった。
「血刃!」
蓮の放った三本の刃が、額、首筋、右手の甲へ分かれる。
首筋の眼が、反発を放った。
空気が膨らむ。
三本の血刃が押し返される。
だが、途中で勢いが弱まった。
一本が眼食者の頬を裂く。
もう一本が、右手の甲をかすめた。
「今だ、光留!」
黒縛をたどり、光留が懐へ入る。
父の刀には、黒が流れていた。
狙うのは身体ではない。
左腕の銀の輪。
刀が、眼装のひびへ触れた。
黒が一気に広がる。
銀色の光が細い筋となって、刀へ吸い込まれていく。
眼装のひびが、わずかに長くなった。
乾いた音がした。
銀の欠片が一つ、床へ落ちる。
眼食者の表情から、初めて余裕が消えた。
「離れろ!」
月の眼の忍の声が飛ぶ。
眼食者の五つの眼が、無理やり見開かれた。
◇
圧と反発と衝撃が、一度に弾けた。
光留の身体が宙へ投げ出される。
澪が右手を向けた。
水の帯が腰へ巻きつき、床へ叩きつけられる直前に引き戻す。
伊織と蓮も石床を転がった。
岳の大盾は砕け、鎧の半分が消えていた。
眼食者は立っている。
額も、首筋も、胸元も傷ついたまま。
五つの眼から血を流しながら、それでもすべてを開いていた。
左腕の眼装が震える。
ひびが、腕輪の半分まで伸びていく。
石柱の陰から、風雅が身を乗り出した。
「これ以上は眼装が保ちません!」
「構わん」
眼食者は月の眼の忍だけを見ていた。
「新しい器は、目の前にある」
左前腕の眼が、濁った光を放つ。
月の眼の忍の身体が、前へ引かれた。
靴底が石床を削る。
薄い銀の外纏が圧を逃がそうと揺れたが、五つの眼を無理やり重ねた力までは流しきれない。
鳴神が踏み込む。
青い雷が一度、強く光った。
次の瞬間、雷が途切れる。
胸の奥で鳴っていた雷鳴が、不規則に跳ねた。
鳴神が片膝をつく。
「まだだ……!」
澪の治癒の光が強くなる。
だが、雷神天臨の反動までは止められない。
光留は立ち上がろうとした。
身体へかかる圧が増し、膝が床へ戻される。
眼食者が、月の眼の忍へ一歩ずつ近づいていく。
「まず、その月をもらう」
伸ばされた右手が、銀色の眼へ迫る。
月の眼の忍は眼食者を見たまま、静かに口を開いた。
「鳴神。次の相へ入る」
鳴神が顔を上げた。
「……本気か」
「次の相に入れば、味方の眼も使えなくなる」
光留の黒も。
伊織の炎も。
蓮の血刃も、岳の武装も、澪の水と治癒も。
そして、鳴神の雷さえも。
「私の眼も含め、この場にあるすべての眼を封じる」
眼食者の指先が、あとわずかに迫る。
月の眼の忍の背後で、下弦の月が暗く沈み始めた。
「八つ、呼吸を数える」
銀色の光が、細い輪だけを残して消えていく。
「それまでに仕留めろ」
鳴神は刀を握り直した。
光留も、父の刀を支えに立ち上がる。
眼食者が右手を伸ばした。
「終相――皆既月蝕」




