第三十九話 砂漠の戦士
三人が踏み出した瞬間、風雅が片手を払った。
横殴りの風が、部屋を走る。
光留は黒壁を立て、伊織は刀を砂へ突き立てた。岳は盾を前へ出し、二人の前に踏みとどまる。
それでも、足が床を滑った。
「散れ」
風が、三つに裂けた。
光留の黒壁へ正面からぶつかる風。
伊織を右の通路へ押し込む風。
そして、岳の足元へ吹き下ろす風。
床を覆っていた砂が噴き上がった。
岳の視界が、黄褐色に染まる。
砂の中から、太い腕が伸びた。
「ぐっ……!」
拳が盾へぶつかる。
岳の身体が廊下まで押し戻された。
巻き上がった砂が一か所へ集まり、人の形を作っていく。
現れたのは、日に焼けた肌の大男だった。剃り上げた頭から肩へ、砂が絶えず流れ落ちている。
「真砂豪志」
男は両腕を広げた。
「砂の眼だ。ここから先へ行きたければ、俺を斬ってみろ」
反対側の通路には、女が立っていた。
腰まで届く艶のある黒髪。白い衣の上からでも分かる、すらりとした姿。整った顔には、敵を前にしているとは思えないほど穏やかな微笑みが浮かんでいる。
「久遠智瀬。冷の眼よ」
智瀬は伊織の傷ついた肩を見て、眉を下げた。
「無理をしないで。あなた、まだ傷が治っていないでしょう?」
「だったら、そこを通してくれ」
「それはできないの。ごめんなさいね」
優しい声とともに、廊下から熱が消えた。
伊織の刀にともっていた炎が、音もなく小さくなる。
「少しだけ、おとなしくしていて」
◇
岳は大剣を振り下ろした。
豪志の肩から脇腹まで、刃が深く走る。
手応えはなかった。
裂けた身体が砂となって崩れ、大剣の左右へ流れる。
刃が通り過ぎると、砂はすぐに戻った。
肩も、胸も、傷一つ残っていない。
「なんだと……」
「斬ってみろと言っただろう」
豪志の右腕が大きく膨らんだ。
砂を固めた拳が、岳の腹へ突き込まれる。
岳は外纏を集めた。
重い衝撃が、その上から身体を揺らす。
後ろへ下がった足が、床へ沈んだ。
いつの間にか、廊下の石床が厚い砂に覆われている。
足首。
脛。
もがくほど、身体が深く沈んだ。
岳は大剣を消し、長い槍を作った。
豪志の胸へ突き出す。
穂先は背中まで抜けた。
だが、開いた穴はまた砂で埋まる。
「剣でも槍でも同じだ」
豪志が笑った。
「刃物で砂は殺せない」
砂が岳の槍へ巻きつく。
重さが一気に増した。
柄を握っていられず、岳は槍を消した。
その隙に、砂の腕が首へ絡みついた。
◇
「炎!」
伊織が刀を振った。
赤い炎が廊下を走る。
智瀬は避けなかった。
長い髪を揺らし、片手を炎へ向ける。
火の色が薄くなった。
赤から橙へ。
橙から、消えかけた青へ。
智瀬へ届く前に、炎は小さな火の粉となって落ちた。
伊織の指先から、感覚が失われていく。
吐く息は白い。
刀の鍔には、薄い霜がついていた。
「冷気を出してるんじゃない」
伊織は震える指へ内纏を流した。
「熱を奪ってるのか」
「ええ。だから、もう火は使わない方がいいわ」
智瀬がゆっくり近づく。
「身体まで冷えてしまうもの」
伊織は刀を構え直した。
斬り込もうとした脚が、思うように動かない。
智瀬はそんな伊織を見ても、攻め急がなかった。
「降参して。これ以上、傷つけたくないの」
「それは、こっちの台詞だ」
伊織は刃の根元へ、残った熱を集めた。
◇
「三式・黒縛!」
黒い縄が、風雅の足元へ走った。
届く直前、風が床を這う。
縄は横へ流され、壁へぶつかった。
風雅の手には、奪った眼装が握られている。
「返せ!」
光留が踏み込んだ。
父の刀へ黒を通し、風の壁へ斬りつける。
触れた場所から風が消えた。
だが、開いた穴へ周囲の空気が流れ込む。
押し返され、刃は風雅まで届かない。
右眼が痛んだ。
眼装がないだけで、黒を保つために必要な力が違う。
腕が重い。
風雅はそれを見逃さなかった。
「その眼装は、お前にはまだ早い」
指先が、光留へ向く。
「風槍」
圧縮された空気が飛んだ。
光留は身体をひねった。
透明な槍が脇腹をかすめ、背後の壁へ穴を開ける。
続けて二本。
「一式・黒壁!」
黒い壁が一つ目を消した。
二つ目が壁の縁を抜け、光留の肩へ迫る。
そのとき、横の石壁が弾けた。
白い雷が、風の槍を貫く。
「間に合ったようだな」
崩れた壁の向こうに、鳴神宗玄が立っていた。
その後ろから、盾を構えた騎士たちが雪崩れ込んでくる。
◇
岳の首を締めていた砂の腕へ、雷が落ちた。
白い光が廊下を埋める。
熱を帯びた砂が、一瞬だけ赤く輝いた。
次の瞬間、岳の首元で硬い音がした。
砂の一部が、黒い硝子のように固まっている。
岳は腕を振りほどいた。
豪志が初めて表情を変えた。
「砂が……固まった?」
宗玄が右眼へ雷を集める。
「流れるなら、流れなくすればいい」
豪志が両手を床へついた。
砂の波が、騎士たちへ押し寄せる。
「盾列!」
騎士たちが盾を重ねた。
砂の波を正面から受け止める。
押し戻せない。
それでも、退かない。
岳は足を抜き、豪志を見た。
雷を受けた右肩だけ、砂へ戻らず固まっている。
刃が効かないなら、斬らなければいい。
右手の大剣を消す。
代わりに、柄の短い巨大な戦鎚を作った。
「今度は、こいつだ」
岳が砂を蹴った。
豪志は左腕を盾のように広げる。
宗玄の雷が、その腕を先に貫いた。
砂が固まる。
岳は戦鎚を横へ振り抜いた。
鈍い音。
固まった腕が砕け、その奥の身体まで衝撃が抜けた。
豪志の巨体が壁へ叩きつけられる。
砂へ戻ろうとした身体へ、騎士たちの盾が重なった。
「押さえろ!」
豪志は砂を動かそうとした。
だが、雷で固められた部分が動きを止める。
岳は戦鎚を肩へ担ぎ、荒い息を吐いた。
「刃物じゃなくても、戦士は戦える」
◇
伊織の背後で、鉄扉が倒れた。
黒い隊服の男たちが、地下から駆け上がってくる。
先頭にいた御影が、智瀬の足元を見た。
「右後ろだ」
蓮の指先から、赤い血の線が伸びる。
智瀬は一歩ずれた。
血の線を避けた先へ、伊織が踏み込む。
冷え切った脚へ、残る眼力を流した。
刀を振るう。
智瀬の長い髪が、刃の風に揺れた。
切っ先は首の手前で止まる。
智瀬も、伊織の胸へ向けていた手を止めていた。
周囲を、刃眼隊の隊士たちが囲む。
智瀬はゆっくり息を吐いた。
「ここまでね」
抵抗せず、両手を下ろす。
「よかった。あなたを凍えさせずに済んで」
「最後まで俺の心配かよ……」
伊織は白い息を吐き、刀を下げた。
蓮がその肩を支える。
「無茶するな。唇まで青いぞ」
「ありがとう、助かった」
◇
風雅は、騎士団と刃眼隊を見渡した。
笑みは戻っていた。
「三方向から来たか。少し遅かったな」
風が渦を巻く。
光留が黒縛を放とうとしたとき、御影の声が飛んだ。
「左上。渦が閉じる前に、わずかな綻びができる」
光留は風雅ではなく、風を見た。
回る空気の中に、一瞬だけ動きの弱い場所がある。
「五式・黒霧!」
黒い霧を、細く絞った。
御影が示した場所へ通す。
黒が風の内側へ入り込み、渦の一部を消した。
風雅の衣が揺れる。
光留が踏み込む。
黒刀が、眼装を握る手へ迫った。
風雅はその手を引いた。
刃が袖を裂く。
あと少し。
だが、風雅は床へ掌を向けていた。
「嵐門」
足元で風が爆発した。
光留は黒壁を作る。
騎士たちも盾を上げた。
砂と石片が、部屋中へ吹き荒れる。
風が収まったとき、奥の壁に大きな穴が開いていた。
風雅が、その中へ飛び込む。
「待て!」
光留が追った。
穴の向こうには、暗い石段が続いていた。
風雅の姿は、もうない。
ただ、遠くから風の音だけが聞こえる。
光留は父の刀を握りしめた。
眼装を取り返せなかった。
それでも、すぐ後ろには仲間たちがいる。
「光留」
蓮が呼んだ。
「地下にいた人たちは、二番隊が外へ運んでる」
その横で、岳が顔を上げた。
「妹は」
「水の眼を持つ女の子も見つけた。生きてる」
岳の肩から、力が抜けた。
戦鎚が消える。
「……そうか」
短い言葉のあと、岳は眼を閉じた。
だが、すぐに暗い石段へ向き直る。
捕らえられた智瀬が、その背中へ声をかけた。
「その道は、町の外まで続いているわ」
光留が振り返る。
「どこへ繋がってる」
智瀬は少し迷ってから、静かに答えた。
「砂漠のピラミッド」
部屋の空気が、止まった。
「風雅は、眼装をそこへ運ぶつもりよ。あの方のもとへ」
あの方。
眼を奪い、売り、喰らう者。
長い石段の奥から、乾いた風が吹き上がってくる。
光留は黒の薄れた父の刀を構え直した。
伊織が隣に立つ。
岳も、その反対側へ並んだ。
地下から刃眼隊が。
崩れた壁の向こうから騎士団が集まる。
砂の眼との戦いは終わった。
だが、本当の敵へ続く道が、今ようやく開いた。




