↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真贋の眼 〜眼の奥に潜む真実〜  作者: えもえもん
第一章 幻の島と失ったもの

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/70

第四話 願いを叶える者

 二回戦を告げる太鼓が鳴った。


 その音が消えないうちに、海の方から低い鐘の音が返ってきた。


 ごおん、と一度。


 祭りの笛も、観客のざわめきも、その一音だけは覆い隠せなかった。


「今の、警鐘?」


 蓮次郎が海の方へ顔を向けた。


 光留は答えず、見物台を見上げる。


 御影宗十郎は椅子から立っていた。


 左右の一番隊長と三番隊長も、同じ方角を見ている。三人の背後に吊られた町の警鐘は動いていない。


 鳴ったのは、もっと遠くにある鐘だ。


 南の岬に建つ見張り櫓。島へ近づく船と、海から上がる眼獣を見張るための鐘だった。


 一人の隊士が人垣を押し分け、見物台の下へ駆け込んだ。


「申し上げます! 南の見張り舟が一艘、刻限を過ぎても戻りません。鐘番が沖に黒い影を見たと」


 観客の近くにいた者が息を呑んだ。


「眼獣か」


 三番隊長が尋ねる。


「分かりません。影はすぐに沈みました」


「三番隊を半数、南へ回せ。一番隊は町の門と避難路を固めろ」


 御影が見物台から命じた。


「大会はどうする」


 一番隊長の問いに、御影は試合場を囲む人々を見渡した。


 突然中止すれば、理由を知らない者まで海へ押しかける。狭い通りで混乱が起これば、眼獣が一体現れるより多くの怪我人が出る。


「鐘が一度のうちは続ける。二度鳴ったら、試合場を閉じて町民を社へ移せ」


「聞いたな。動け!」


 三番隊長の声が飛ぶ。


 柵の外にいた橘伊織が、四人の隊士とともに走り出した。


 光留の前を通り過ぎる寸前、伊織の足が止まる。


「悪いな。次は見られそうにない」


「優勝するからゆっくりでいいぞ」


「馬鹿言え」


 伊織は光留の胸を拳で軽く叩いた。


「戻ったとき、まだ名前を残しておけよ」


「そっちこそ、見物に戻る前に眼獣に食われるなよ」


「誰に言ってるだか」


 伊織は笑い、今度こそ振り返らずに人混みへ消えた。


 昔、二人で海岸を走ったときも、伊織はいつも先へ行った。


 追いつけそうで、追いつけない距離を残して。


 審判が試合場の中央へ戻った。


「警備は刃眼隊が引き受ける! 出場者は試合へ集中しろ!」


 太鼓がもう一度鳴らされる。


 止まっていた祭りの時間が、無理やり押し出されるように動き始めた。


     ◇


「二回戦第一試合、葛城蓮次郎。荒巻弦馬。前へ!」


 蓮次郎は返事をせず、試合場へ上がった。


「おい」


 光留が呼び止める。


「鼻血、本当に平気なのか」


「もう止まったよ」


「あんまり無理するなよ」


「分かってるって」


 蓮次郎は背中を向けたまま片手を振った。


 いつもと同じ軽い返事だった。


 だが、試合場へ上がる足取りは、一回戦の前より静かだった。


 何かの歩幅へ、自分の足を合わせているように見えた。


 対戦相手の荒巻弦馬は、昨年の大会で準決勝まで進んだ男だった。


 年は二十を少し越えたほど。長い髪を後ろで束ね、木刀を腰の横へ寝かせるように構えている。


「一年で八眼から六眼か。町じゅう、お前の噂でもちきりだ」


「悪い噂じゃないなら、もっと広めてよ」


「勝ったら考えてやるよ」


 弦馬の瞳に、淡い緑の筋が走った。


 風走の眼。


 足へ眼力を集め、風を踏むような速さで間合いを詰める眼だ。能力そのものは七眼だったが、弦馬は十年以上も使い続けている。


 眼級が一つ上だからといって、蓮次郎が簡単に勝てる相手ではない。


 開始の板が鳴った。


 弦馬の姿が揺れる。


 遅れて、砂が爆ぜた。


 木刀はすでに蓮次郎の喉元へ迫っている。


 蓮次郎の身体が傾いた。


 避けたのではない。


 攻撃が来る前から、そこに木刀が通ると知っていたような動きだった。


 切っ先が首の皮一枚を掠める。


 蓮次郎は弦馬の横を抜けながら、短く息を吐いた。


「来て」


 白い霧が試合場へ渦を巻いた。


 霧の中から、一人の武者が現れる。


 一回戦で呼び出した足軽とは違う。欠けた胴丸を身につけ、片方の袖を失った老武者だった。顔には額から顎まで届く刀傷がある。


 老武者は蓮次郎を見なかった。


 弦馬だけを見据え、半透明の刀を下段へ構える。


「そいつ一人で、俺の速さについて来られるか?」


 弦馬が砂を蹴った。


 右。


 左。


 蓮次郎の周囲を緑の残像が走る。


 老武者と蓮次郎は動かない。


「後ろだ!」


 観客の声と同時に、弦馬が背後へ現れた。


 横薙ぎの木刀が迫る。


 老武者の半透明の刀が、それを受け止めた。


 弦馬の目が見開かれる。


 老武者は後ろを見ていなかった。


 それでも刀だけを背へ回し、正確に打撃を止めている。


 蓮次郎が振り向きざまに木刀を振る。


 弦馬は身を沈めてかわし、風を蹴って距離を取った。


「偶然かよ」


 再び残像が走る。


 今度は三つ。


 正面の影が木刀を上げ、左右の影が同時に踏み込んだように見えた。


 光留は眼を凝らす。


 緑の眼力は弦馬の両脚へ集まり、砂を蹴るたび足跡の上へ細く残っている。三つの残像のうち、眼力が途切れず続いているのは左だけだった。


「左だ、蓮次郎!」


 叫ぶより先に、蓮次郎は右へ身体を開いていた。


 本物の弦馬が左から突っ込んでくる。


 老武者の刀が木刀を上へ弾く。


 蓮次郎の一撃が、空いた脇腹へ入った。


「ぐっ……!」


 弦馬の足が止まる。


 蓮次郎は追わなかった。


 老武者と同じ姿勢で木刀を下段へ構え、弦馬が立て直すのを待っている。


 構えだけではない。


 呼吸の長さも、踵の上げ方も、刀を握る指の順まで同じだった。


「あいつ、いつ覚えたんだよ」


 光留の隣で、先ほどの源八が呟いた。


「あんな構え、一回戦ではしてなかっただろ」


 光留にも分からなかった。


 蓮次郎は剣術を習っていない。兄弟で毎日木刀を振ってきたが、あれほど無駄のない構えをしたことは一度もなかった。


 弟が老武者を操っているのではない。


 老武者の方が、弟の身体を動かしている。


 そんな考えが浮かび、光留はすぐに打ち消した。


「これが通用しないなら、全力でやらしてもらうぞ」


 弦馬が腰を落とした。


 両脚へ緑の眼力が膨れ上がる。


 長く使えば器へ負担がかかる量だった。


 審判が止めるより早く、弦馬が消えた。


 真っ直ぐだった。


 残像を捨て、全ての速さを一歩へ注いだ突き。


 老武者の刀が上がる。


 間に合わない。


 蓮次郎の背後で、黒い影が動いた。


 古びた隊羽織の男だった。


 大きな手が、蓮次郎の右肩を押す。


 弟の身体が半歩だけ前へ出た。


 弦馬の木刀が脇を通過する。


 蓮次郎は相手の懐へ潜り込み、老武者と同時に木刀を振り上げた。


 二つの刃が、上下から弦馬の木刀を挟む。


 木刀が宙へ飛んだ。


 蓮次郎の切っ先が、弦馬の胸へ止まる。


「そこまで! 勝者、葛城蓮次郎!」


 歓声が上がった。


 光留だけが声を出せなかった。


 老武者は白い粒になり、夏の光へ溶けていく。


 古い隊羽織の男は消えない。


 蓮次郎の背後に立ったまま、顔を光留の方へ向けた。


 影の奥で、二つの眼だけが白く濁っていた。


 光留と目が合う。


 男の口元が、僅かに持ち上がった。


「蓮次郎、後ろだ!」


 弟が振り向く。


 影は消えた。


「なんだよ?」


「今、そこに――」


「誰もいないよ」


 蓮次郎は笑おうとした。


 だが、その声は掠れていた。


 右肩を押さえた指の隙間から、冷たい白い息が漏れている。


     ◇


「次の試合へ出すべきではないぞい」


 ぞい爺は、試合場の裏にある救護所で言った。


 蓮次郎は上半身の着物を脱ぎ、敷物の上へ座っている。


 右肩には傷も痣もなかった。


 それでも触れれば、井戸水へ手を入れたように冷たい。


「え、勝ったのに?」


「勝ち負けの話をしておらんぞい」


 白鷺の乳白色の瞳へ三重の輪が浮かぶ。


 蓮次郎の眼と、肩と、胸の奥を順に見通していく。


「呼び出した霊は一体だったな」


「はい」


「では、最後におぬしを動かしたものはなんだったぞい」


 蓮次郎は答えなかった。


 光留が代わりに口を開く。


「古い隊羽織の男です。母の部屋にもいた。こいつの後ろに立って、肩へ触ってた」


 白鷺の輪が一瞬、乱れた。


「顔は見たのかぞい」


「影になっていて、よくは。ただ、眼が白く濁ってました」


「隊羽織の背には、何と書かれていたぞい」


「そこまでは――」


 光留は言葉を止めた。


「先生は、誰か分かるんですか」


「見えぬものに名を与えるのは、判定ではなく決めつけだぞい」


 老人は蓮次郎の胸へ耳を当てた。


 心臓の音を数えるように、長い間、黙っている。


「器がまた広がっておるぞい」


「強くなったってこと?」


「違うぞい」


 白鷺は顔を上げた。


「一回戦のあとより、さらに大きい。人の器は、試合を一つ終えるたびに広がるものではないぞい」


「でも、ひびはないんでしょう」


「今はな、ぞい」


 その三文字だけが、救護所へ重く落ちた。


「もう棄権しろぞい」


 蓮次郎は脱いだ着物をつかんだ。


「嫌です」


「蓮次郎」


「兄ちゃんと約束したんだ。決勝で会うって」


「約束を守るために、おぬしが壊れたら何になるぞい」


「壊れないよ」


 蓮次郎は着物へ腕を通した。


 震えている右手を、光留から隠すように帯を結ぶ。


「俺の眼なのに、どうして皆、俺より怖がるんだよ」


 外から、次の試合を告げる太鼓が鳴った。


 蓮次郎は立ち上がる。


「兄ちゃんの番だ」


「話は終わってないぞい」


「行ってきなよ」


 すれ違いざま、蓮次郎は光留の胸を拳で叩いた。


「あと二つ。負けるなよ」


 その拳は、海の底から拾い上げた石のように冷たかった。


     ◇


「二回戦第四試合、葛城光留。真壁兵馬。前へ!」


 試合場へ戻ると、観客の半分は海の方を気にしていた。


 鐘は、まだ二度目を鳴らしていない。


 伊織たちも戻っていなかった。


 見物台の中央には、御影が残っている。だが左右の席は空き、一番隊長と三番隊長はそれぞれの隊へ指示を飛ばしていた。


 光留は木刀を握り直した。


 考えることが多すぎた。


 海の黒い影。


 戻らない見張り舟。


 蓮次郎の背に立つ男。


 試合ごとに広がる弟の器。


「九眼が二回戦まで来るとはな」


 向かいから声がした。


 真壁兵馬は、光留より一回り年上の大工だった。


 日に焼けた指には細かな切り傷があり、木刀の鍔へ数本の細い木片を挟んでいる。


 昨年は二回戦で敗れたが、相手を試合場へ縫い止め、一歩も動かさなかったことで名を知られていた。


「御影隊長の稽古は、よほど効くらしい」


「試してみるか」


「同情で教わった技が、どこまで通じるか見てやる」


 兵馬の瞳へ、紫色の細い十字が浮かんだ。


 縫影の眼。六眼。


 自身の眼力を込めた木片で相手の影を地面へ縫い、肉体の動きを封じる眼だ。


 審判が二人を見比べる。


「始め!」


 兵馬の右手が動いた。


 一本目の木片が飛ぶ。


 光留は首を傾けてかわした。


 木片は身体ではなく、足元へ突き刺さる。


 右足が止まった。


 砂の下から何かにつかまれたように、踵が上がらない。


「影を避けなきゃ意味がない」


 二本目。


 光留は木刀で弾く。


 三本目が、その陰に隠れていた。


 左腕の影へ刺さる。


 肘から先が動かなくなった。


 兵馬が正面から踏み込んでくる。


 光留は動く右腕だけで木刀を構えた。


 打ち下ろされた一撃を受ける。


 片足と片腕を縫われた身体へ、衝撃が逃げずに残った。


 膝が砂へ落ちる。


「一回戦は相手が勝手に力を使い果たしただけだ」


 兵馬が木刀を押し込む。


「能力もない九眼が、二度も勝てると思うな」


 光留は奥歯を噛んだ。


 力で押し返そうとしても、左腕が動かない。


 右足も砂へ縫いつけられたままだ。


 御影なら、どこを見る。


 光留は眼の奥へ意識を沈めた。


 黒い瞳が、さらに深く染まる。


 兵馬の左眼から紫の眼力が流れ、肩で二つに分かれている。一つは木刀を握る腕へ。もう一つは木片を投げた右手へ。


 さらに細い流れが、地面へ刺さった二本の木片まで続いていた。


 木片が影を縫っているのではない。


 兵馬が眼力を送り続けることで、縫い止めている。


「一つ聞いていいか」


「降参なら聞いてやる」


「何本まで使えるだよそれ」


「知ってどうする」


「あとで数えるのが面倒だからな」


 光留は右肩の力を抜いた。


 押し込まれていた木刀が下がる。


 兵馬の身体も前へ流れた。


 頭突きが鼻へ入る。


「ぐあっ!」


 兵馬が仰け反った。


 光留はその隙に木刀を横へ振り、右足の影へ刺さった木片を叩き折った。


 足は動かない。


「無駄だ。折っても、影に刺さった眼力は消えない」


 兵馬が鼻血を拭い、鍔から新しい木片を二本抜いた。


 光留は折れた木片を見た。


 紫の流れは、確かに地面へ残っている。


 だが、色が薄い。


 右足を包んでいた眼力が揺れ、一筋ずつ色を失っている。


 一回戦と同じだった。


 弥吉の灰色の眼力も、光留へ近づくほど色を失った。


 木片を折ったからか。頭突きで兵馬の集中が乱れたからか。


 理由は分からない。


 考えるのはあとだ。今は、弱まった縛りを破る。


 光留は息を吸った。


 足先へ眼力を巡らせる。


 右足を引く。


 薄くなった紫の縛りが伸び、糸の切れるような音を立てた。


 踵が地面から離れる。


「何だと……」


 兵馬の手が止まった。


「一つ」


 光留は動くようになった右足で砂を蹴った。


 飛んできた木片を木刀で弾く。


 兵馬はもう一本を、左腕の影へ重ねて打ち込んだ。


 紫の縛りが太くなり、肩まで動かなくなる。


「なら、もう一度縫うだけだ!」


 兵馬が左側へ回り込む。


 動かない腕を狙った打撃。


 光留は避けなかった。


 右腕一本で受ける。


 一撃。


 二撃。


 三撃。


 木刀がぶつかるたび、手の皮が裂けた。


 腕の骨まで震える。


 それでも光留は、足から腰、腰から背へ眼力を巡らせ続けた。


 衝撃を一か所へ溜めない。


「何で倒れない!」


「九回倒されても立った日の方が、きつかったよ」


 御影が見物台で、僅かに眉を上げた。


 兵馬の攻撃が荒くなる。


 焦るほど眼力の流れは太くなり、木片へ注がれる量が増えた。


 だが、光留の左腕を縫う紫の眼力は、注がれた量に反して薄くなっていく。


 兵馬の瞳から色が薄れた。


 呼吸が乱れる。


 四撃目が来る。


 光留は左手を開いた。


 指が動いた。


「二つ」


 兵馬の木刀を、両手で受け止める。


 次の瞬間、光留は木刀を滑らせた。


 相手の鍔へ噛ませ、下から跳ね上げる。


 兵馬の手から木刀が離れた。


 光留は踏み込み、肩を胸へぶつける。


 兵馬が砂の上を転がった。


 柵の手前で止まり、すぐに起き上がろうとする。


 その喉元へ、光留の木刀が突きつけられた。


「まだやるか」


 兵馬は空になった右手と、光留の黒い眼を交互に見た。


「……降参だ」


「そこまで! 勝者、葛城光留!」


 歓声は一回戦より大きかった。


 だが、その中には戸惑いも混じっていた。


「九眼が六眼に勝ったぞ」


「また相手の眼力が切れた」


「黒の眼は、本当に何もできないんじゃないのか?」


 光留は木刀を下ろした。


 左腕にも右足にも、紫の縛りは残っていない。


 代わりに、胸の奥が少しだけ熱かった。


 御影の稽古で眼力を巡らせたときとは違う。


 自分のものではない熱が、一滴だけ混ざったような感覚だった。


 気のせいだと思うことにした。


 見物台の御影は、光留ではなく自分の右手を見ていた。


 綻びの眼を使った瞳には、光留へ流れ込んだ紫の眼力の最後の一筋が見えていた。


 入ったはずの力に、出口がない。


「黒、か」


 御影の呟きは、歓声に消えた。


     ◇


 対戦表に、二本目の赤い印がつけられた。


 葛城光留。


 葛城蓮次郎。


 兄弟の名から伸びる線は、あと一度ずつ勝てば、決勝の枠で重なる。


「あと二つだね」


 蓮次郎が言った。


 救護所での口論などなかったように、いつもの笑顔へ戻っている。


「その前に、白鷺先生の話を――」


「兄ちゃん」


 蓮次郎が対戦表の一点を指した。


「準決勝、兄ちゃんが先だ」


 光留の線の先には、次の相手の名が記されている。


「勝ったら、俺の試合まで少し空くね」


「話を逸らすな」


「木刀じゃなくて、本物の刀があれば、兄ちゃんはもっと強いのにな」


「本物で試合に出たら失格だ」


「試合のあとだよ。刃眼隊へ入ったら、必要になるだろ」


 父は鍛冶屋だった。


 家の裏にある鍛冶場は、父が島を出てから閉じたままになっている。


 光留は幼い頃、父が一本だけ、誰にも触れさせなかった刀を思い出した。


 鞘も柄もない、黒い布に巻かれた刀身。


 ――これは、いつかお前に渡す。


 父はそう言って、いた。


 だが、父がいなくなったあと、何度探しても見つからなかった。


「父さんの刀、まだどこかにあるのかな」


 蓮次郎が小さく言った。


「急に何だよ」


「何となく、思い出しただけ」


 そのとき、海の方から風が吹いた。


 祭りの旗が一斉に陸側へ倒れる。


 対戦表の紙がばたばたと鳴り、兄弟の名を結ぶ決勝の線へ影が落ちた。


 ごおん。


 南の鐘が、二度目を鳴らした。


 見物台の御影が立ち上がる。


 町の警鐘へ、隊士が飛びついた。


 だが、鳴らす直前、一番隊長がその腕を止める。


「待て! 南から合図だ!」


 屋根の上を、一人の隊士が走ってくる。


 三番隊の羽織。


 伊織ではない。


 隊士は試合場へ飛び降りると、膝をついた。


「見張り舟を発見! 乗員は全員、命に別状はありません!」


 張りつめていた空気が、僅かに緩んだ。


「ただし、全員が意識を失っています。呼びかけにも反応しません」


「では、なぜ二度鳴らした」


 御影の問いに、隊士は顔を上げた。


「舟は、沖から戻ったのではありません」


 息を整え、青ざめた唇を動かす。


「浜へ打ち上げられていました。島の内側から」


 誰も意味を理解できなかった。


 海に出た舟が、海とは反対の山側から見つかった。


「伊織は」


「跡を追っています。地面に、引きずった跡が続いていて……」


 隊士が言葉を詰まらせた。


「何の跡だ」


「舟より大きな、裸足の跡です」


 御影の顔から表情が消えた。


「大会を中断する。門を閉じろ」


 今度は誰も異を唱えなかった。


 町の警鐘が鳴り響く。


 観客が立ち上がり、刃眼隊が避難路を開く。祭りの笛が止まり、屋台の火が次々と消されていく。


 混乱の中で、蓮次郎だけが動かなかった。


 対戦表の前に立ち、決勝へ続く二本の線を見つめている。


 その背後へ、古い隊羽織の男が現れた。


 今度は光留には見えなかった。


 男は蓮次郎の耳元へ顔を寄せる。


 白く濁った眼が、弟の瞳と重なった。


 ――やっとか。


 蓮次郎の肩が震える。


「だれ、?」


 周囲の喧騒の中、その声を聞いた者はいなかった。


 男の手が、冷えた右肩を包む。


 ――お前の願いを、叶える者だ。


 蓮次郎は決勝の枠へ指を置いた。


 その爪の下で、紙が黒く濡れたように変色していった。

あったら面白そうな眼の能力があれば気軽にコメントしてください!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。