第三十七話 三日後
伊織は、勝者宣言のあとで倒れた。
今度は、蓮が受け止めた。
光留が覚えているのは、そこまでだった。
◇
次に眼を開けたとき、窓の外は夕暮れに染まっていた。
見慣れた宿の天井だった。
右手には包帯が巻かれ、胸にも布が当てられている。少し動くだけで、身体の奥が鈍く痛んだ。
父の刀は、枕元に戻っていた。
「起きたか」
蓮が椅子から立った。
「手当ては済んだ。しばらく動くなと言われてる」
光留は隣へ眼を向けた。
伊織も寝台に横たわっていた。
顔の片側が腫れ、腹の包帯は衣服の下まで続いている。
その眼が、こちらを向いた。
「……お前も、ひどい顔だな」
「伊織もな」
伊織が少し笑い、すぐに腹を押さえた。
「笑わせるな。痛い」
光留も、口元だけを緩めた。
蓮が二人の間へ水を置いた。
「話せるなら、知らせがある」
机から、一枚の紙を取る。
大会の印が押されていた。
「表彰式は三日後だ。場所はコロシアム上階の大広間。眼装も、その場で渡される」
「三日後……」
光留は紙を見た。
優勝者の欄に、自分と伊織の名が並んでいる。
その下には、準優勝者の出席も求められていた。
紙を受け取ろうとして、指がうまく曲がらなかった。
蓮が寝台の横へ置いた。
「今は、読むだけにしておけ」
◇
控えめなノックがした。
蓮が扉を開ける。
立っていたのは、戦士の眼を持つ男だった。
同じ宿の別室で手当てを受けていたのだと、蓮が言った。
肩には厚く包帯が巻かれ、額の傷も布で覆われている。扉の枠をつかむ手が、わずかに震えていた。
「座れ。立って話すことはない」
蓮が椅子を寄せた。
男はゆっくり腰を下ろすと、光留と伊織を見た。
「……荒垣岳。俺の名前だ」
荒垣岳。
光留は、初めてその名を口の中で繰り返した。
岳の視線が、伊織の腹で止まった。
「刺したことを、謝りに来た」
頭が下がる。
「すまなかった」
伊織は、しばらく岳を見ていた。
包帯の上へ置いていた手を、少しだけ動かす。
「顔を上げてくれ」
岳は、すぐには動かなかった。
「妹を助けたかった。それでも、お前にしたことが消えるわけじゃない」
「分かってる」
伊織が答えた。
「痛いし、正直、もう二度とくらいたくない」
岳の肩が沈んだ。
伊織は、その顔をのぞき込むように続けた。
「だから、次は俺たちの側で戦ってくれ」
岳が顔を上げた。
光留も、男を見ていた。
「あんたの妹を、助けたい」
「……どうして、俺の妹まで」
光留は岳を見た。
「地下にいる人たちを助けるために、俺たちは調べてた。あんたの妹も、その中にいる」
岳は、蓮へ眼を向けた。
蓮がうなずく。
「騎士団と二番隊も動いている。お前が知っていることを、聞かせてほしい」
岳は包帯の巻かれた手を見た。
指を握り、開く。
「俺は、勝てば返すと言われていた。だから、あの場所で勝つことしか考えてなかった」
声が低くなった。
「でも、勝てなかった」
光留は、岳がもう一度顔を上げるのを待った。
「お前も、弟を迎えに行くんだな」
「ああ」
闘技場で叫んだ言葉を、岳は覚えていた。
「俺を、仲間にしてくれ」
今度は、頭を下げなかった。
光留の眼を、まっすぐ見ていた。
「妹を連れ出したら、俺もお前の弟を助けに行く。力を貸したい」
光留は、うなずいた。
「一緒に行こう、岳」
伊織も口元を緩めた。
「よろしくな」
岳は二人を見た。
何か言いかけ、息をつく。
「……ああ。よろしく頼む」
蓮が、水の入った器をもう一つ置いた。
「よろしくな、岳」
岳が器へ手を伸ばした。
大きな手だった。
光留を何度も殴った、その手が、今は器の縁を静かにつかんでいた。
◇
灯りをともした頃、御影と宗玄が来た。
二人とも普段の外套を着ていた。騎士団の紋章は、表へ出していない。
御影は岳の顔を見ると、蓮へ眼を向けた。
「話せたか」
「ああ。これから一緒に動く」
御影は短くうなずいた。
宗玄が机へ紙を広げる。
騎士団団長、鳴神宗玄。
その手には、光留たちへ届いたものと同じ表彰式の案内があった。
「三日後の式について、確かめられたことがある」
もう一枚、文字の並んだ紙を重ねた。
「囚われた者たちの移送も、その夜だ」
光留が顔を上げた。
「大会が終わる夜って……」
「試合が終わる今日ではない。表彰式を終えたあとだ。荷車の手配と、運び出す時刻を確認した」
宗玄は二枚の紙を並べた。
「同じ使いが、表彰式の準備と移送の指示を運んでいた。大会の裏で命令を出している者も、その日に会場へ来る」
岳が、椅子の縁をつかんだ。
「妹は」
「まだ地下にいる。うちの者が姿を確かめた」
岳の口が、わずかに開いた。
息を吐くまでに、時間がかかった。
「……そうか」
うつむいた顔を、包帯の巻かれた手が覆った。
誰も、その間に話さなかった。
やがて岳が手を下ろした。
「俺は、一度だけ会わせてもらった。連れていかれた道なら覚えてる」
御影が、折り畳んでいた図面を開いた。
「教えてくれ」
岳は図面を見た。
指が、コロシアムの東側で止まった。
「ここから下りた。階段の途中に、鉄の扉があった」
御影が印をつける。
「その先は」
「右へ二度曲がった。水の音がした。最後の通路は狭い。二人並んで歩けるほどもなかった」
蓮が別の紙へ書き込んだ。
古い水路を描いた線のそばに、新しい印が増えた。
◇
「表彰式の間、地下の見張りの一部は上へ回される」
宗玄が言った。
「来賓の警護と、受賞者の案内のためだ」
御影が、図面の上を指でなぞった。
「そこに合わせる。蓮は俺たちと古い水路から入り、囚われた者を外へ出す」
「分かった」
蓮が答えた。
「騎士団は会場の周りを押さえる。地下からの合図を受けて、命令を出している者を確保する」
宗玄の指が、上階の大広間へ移った。
光留は、そこを見つめた。
賞品を受け取る場所。
その下に、まだ助けを待つ人がいる。
「俺たちは、式へ出る」
光留が言った。
宗玄はすぐには答えず、二人の包帯へ眼を向けた。
「三日で傷が消えるわけではないぞ」
「分かってます」
「役目は、受賞者として席に着くことだ。無理に戦うことではない。周りは我々が固める。異変があれば、まず身を守れ」
伊織も、小さくうなずいた。
「分かった。勝者として、堂々と入ればいいんだな」
「そうだ。合図までは騎士団との関わりを伏せてくれ。式の前に、連絡の取り方も決めておこう」
光留は机の案内を見た。
準優勝者の欄にも、岳の名前があった。
「俺も呼ばれてる」
岳が言った。
「妹を返す約束をした奴は、式のあとに指示を出すと言っていた」
「なら、いつもどおり従うふりをしてくれ」
宗玄が答える。
「こちらとつながったことは、まだ知られない方がいい」
岳は図面へ眼を落とした。
地下の通路をたどった指が、途中で止まる。
「三日、待つんだな」
「その間も見張りは続ける」
御影が言い切った。
「別の場所へ移そうとすれば、すぐ知らせが来る。放っておくわけじゃない」
岳は、ゆっくりとうなずいた。
椅子をつかんでいた手が、ようやく緩んだ。
伊織が、寝台の上で少し身をずらした。
顔をしかめ、腹へ手を添える。
「だったら、俺たちはそれまでに、座って話せるくらいには戻さないとな」
「まず眠れ。医者にも言われただろ」
蓮が言った。
「分かってるよ」
伊織は息を吐き、枕へ頭を戻した。
宗玄が紙をそろえる。
「決行は三日後。表彰式の最中だ」
光留は、伊織を見た。
蓮を見た。
そして、岳へ眼を向けた。
岳も、こちらを見ていた。
「妹を、連れて帰ろう」
光留が言った。
岳は、深くうなずいた。
「ああ」
◇
御影たちが帰ったあと、蓮は机へ三人分の薬を並べた。
岳も、まだ椅子に座っていた。
伊織が、その肩の包帯を見た。
「お前も寝とけよ。今度は、倒れたら俺が引っ張ることになるんだからな」
「……重いぞ」
「知ってる。殴られて分かった」
岳の口元が、わずかに動いた。
光留も笑いかけて、胸の痛みに顔をしかめた。
蓮が三人を見渡した。
「全員、休め」
今度は、誰も言い返さなかった。
机の上には、表彰式の案内が残っていた。
光留と伊織。
その下に、荒垣岳。
三日後は、同じ側で立つ。




