第三十五話 消せないもの
次の試合まで、数日の猶予があった。
光留と伊織は手当てを続け、動けるようになると、蓮とともに町外れの空き地へ通った。
光留は幾つもの忍術を同時に保ち、伊織は刀へ集めた炎を一気に放つ。互いの技がぶつからないよう、踏み込む位置と合図を繰り返し合わせた。
六式の黒が初めて岩を貫いたのは、最後の夕方だった。
そして、試合の日が来た。
◇
向かいの門から出てきたのは、一人だった。
戦士の眼を持つ男。
その後ろに、人影は続かなかった。
審判が男へ近づいた。
「相方はどうした」
「出ない。俺一人で戦う」
観客席がざわついた。
男は光留と伊織を見ていた。
「二対一になる。それでも続けるか」
「ああ」
返事に迷いはなかった。
光留は父の刀へ手をかけた。
隣で、伊織も柄を握る。
「光留」
「分かってる」
一人だからといって、勝てる相手ではない。
男の眼が光った。
右手に、幅広の剣。
左腕に、大きな盾。
続いて肩から胸へ鎧が生まれ、両腕を籠手が、脚を脛当てが覆っていく。
何も持たずに歩いてきた男が、重装の戦士へ変わった。
その剣先が、二人へ向く。
審判の腕が上がった。
「始め!」
男が、砂を蹴った。
◇
光留は父の刀へ黒を通した。
振り下ろされる剣へ、斜めに刃を当てる。
触れた場所から、相手の剣が削れた。
だが、消しきる前に押し込まれた。
重い。
腕を伝った衝撃が、まだ傷の残る肩へ抜ける。
光留は歯を食いしばり、横へ滑った。
「燃!」
伊織の火球が、男の脇へ飛んだ。
盾が回る。
炎がその表面で弾けたとき、男の右手から剣が消えた。
代わりに現れた長い槍が、盾の脇から突き出される。
「っ!」
伊織が刀を立てた。
槍の穂先を外へ弾く。
その間に、光留が男の右側へ入った。
黒刀を脇腹へ振るう。
男は槍を手放し、右の籠手で刃を押さえた。
黒が、籠手の表面を削っていく。
男の眼が強く光った。
欠けた場所へ新しい眼力が流れ込み、刀が止まる。
「伊織!」
光留が呼んだ。
男の背後で、伊織が刀を振り上げていた。
「炎!」
火をまとった斬撃。
男は光留の刀を押し返しながら、盾を背後へ回した。
炎が広がる。
その中で、男の右手に斧が生まれた。
光留は身を引いた。
刃が、胸の前を落ちる。
砂が跳ねた。
男は斧を持ち上げる勢いで身体を回し、盾の縁を伊織へ叩きつけた。
伊織が刀で受けた。
靴底が、砂を長く削る。
二人で挟んでも、男の足は止まらなかった。
武器を変えるたびに、こちらへ向く刃の長さも重さも変わる。
光留は息を吐いた。
触れれば削れる。
だが、一つを消す前に、次が来る。
男が盾を前へ出した。
光留へ、正面から迫る。
その向こうで、斧が振り上がった。
「一式・黒壁!」
黒い壁が立ち上がる。
斧がぶつかった。
壁の表面を裂きながら、斧の刃も薄くなる。
光留は壁を押し返そうとしなかった。
左手を、砂へ向けた。
「三式・黒縛!」
男の足元を、黒い縄が走った。
脛当てへ絡みつく。
男は脚へ力を入れ、縄ごと踏み進もうとした。
光留の右眼に、鋭い痛みが走る。
壁を残す。
縄も、解かない。
「伊織、離れろ!」
声と同時に、伊織が後ろへ跳んだ。
男が光留を見た。
斧を引き抜こうとする。
その背後にも、黒壁が立ち上がった。
続いて、左右。
四方を囲んだ壁の内側で、光留は左手を握った。
「五式・黒霧!」
縄の這う砂の上から、黒が噴き上がった。
◇
男が斧を振った。
黒縛が一本、切れる。
だが、縄に触れていた斧の刃は、すでに半分以上失われていた。
足元から上がった霧が、残った刃を包む。
斧が消えた。
男はすぐに剣を作った。
その切っ先が伸びる前に、黒い縄が手元へ巻きついた。
「重式――黒蝕牢!」
光留が、残る眼力を注いだ。
壁で囲み、縄でつなぎ止め、その内側へ霧を満たす。
三つの術を解かずに重ねた黒が、男の武装を覆っていた。
盾の縁が欠けた。
胸の鎧が、薄くなる。
男は眼力を送り込んだ。
一度は厚みを取り戻した盾へ、さらに黒霧がまとわりつく。
逃がさない。
光留は、震える指を握り込んだ。
吸い込んだ眼力が身体の内側へ押し寄せ、右眼の奥が熱くなる。
こめかみから、汗とは違う温かいものが伝った。
長くは保たない。
。
男は盾で前の黒壁を殴りつけた。
壁が大きく歪む。
だが、その腕へ巻きついた黒縛が、盾を霧の外へ出さなかった。
男が吠えた。
盾の中央に穴が開く。
穴は瞬く間に広がった。
盾が、消えた。
続いて、剣。
肩を守っていた鎧が剝がれ、胸当てが崩れる。
籠手も、脛当ても、形を失った。
砂へ落ちる金属音は、一つもしなかった。
眼力で作られた武装は、すべて黒の中へ消えていた。
残ったのは、衣服と、その下の身体だけだった。
それでも男は、前へ出ようとした。
縄を引きずり、歪んだ黒壁へ肩をぶつける。
光留の膝が、わずかに沈んだ。
「……今だ」
光留は壁と縄を解いた。
霧を切る。
黒が晴れるより早く、父の刀を左手へ持ち替えた。
右腕を上げる。
人差し指の先へ、小さな黒が集まる。
男の右肩を狙った。
「六式――黒殲!」
一本の黒が、空気を貫いた。
男が身をひねった。
肩の外側を、黒い線が突き抜ける。
血が散った。
男の身体が傾く。
光留の右腕が落ちた。
指先から肩まで、感覚が薄い。
それでも、脚は動いた。
「伊織!」
横へ飛び退く。
その背後で、伊織の刀が赤く輝いていた。
刃へ寄せた炎が、さらに厚くなる。
熱に揺れる切っ先を、伊織は男へ向けた。
黒霧は、もう残っていない。
光留も、射線から外れている。
「轟炎!」
伊織が刀を振り抜いた。
大きな炎の渦が、剣先から放たれた。
男が両腕を上げる。
鎧を作り直す間はなかった。
炎が、その身体へ叩きつけられた。
闘技場の砂が巻き上がる。
重い爆音とともに、火が男の姿を呑み込んだ。
熱風が、光留の頬を打った。
伊織も腕で顔をかばいながら、一歩下がった。
◇
砂が、降ってきた。
炎のあった場所から、黒い煙が立ち上っている。
伊織は刀を下ろさなかった。
肩が、大きく上下していた。
光留は右手の指を動かした。
かろうじて曲がる。
左手に預けていた父の刀を受け取り、柄を握り込む。
腕の奥に、痛みが戻った。
煙の向こうで、何かが動いた。
足音。
一歩。
続けて、もう一歩。
伊織が腰を落とした。
煙を割って、男が出てきた。
額から流れた血が、片側の顔を覆っている。
焼けた衣服は裂け、胸にも腕にも血がにじんでいた。
黒殲に貫かれた肩からは、今も血が落ちている。
鎧はなかった。
盾も、剣もない。
男は、空の左手を握った。
次の瞬間、砂が跳ねた。
「まだ――!」
伊織の声が途切れた。
男の左拳が、顔へ迫っていた。
伊織は刀の腹を当てた。
拳がぶつかる。
両腕ごと押し込まれ、背中から砂へ倒された。
「伊織!」
光留が踏み込んだ。
男は、もうこちらを向いていた。
血を流す右肩が動く。
振り抜かれた拳を、光留は黒壁で受けた。
薄い壁が砕けた。
その向こうから、拳が届く。
光留は左腕へ外纏を集め、顔をかばった。
骨の奥まで、衝撃が響いた。
足が浮きかける。
男の拳からは、血が飛んだ。
それでも、次の一撃が来た。
光留は父の刀を引きつけ、刃を外へ向けて拳を受け流した。
黒が触れても、男の腕は消えない。
剣も鎧も失った身体が、そのまま押し寄せてくる。
「俺は……!」
男が、もう一歩踏み込んだ。
光留は肩を引いた。
拳が頬をかすめる。
「負けられないんだ!」
声が、すぐ目の前で弾けた。
男の眼が、光留を捉えていた。
血が流れ込んでも、まばたきすらしない。
「待ってるんだ。俺が、迎えに行くって言ったんだ!」
妹。
地下で、兄を待っている少女。
光留は歯を食いしばった。
倒れた伊織が、砂へ刀をついて身体を起こす。
男は一瞬そちらを見たが、足は止めなかった。
拳を握り直し、光留へ迫る。
「俺もだ!」
光留は叫んだ。
父の刀を持つ腕が、震えていた。
六式を撃った指先は、まだ痺れている。
男の拳を受けた左腕にも、力が入りにくい。
それでも、刀を下ろさなかった。
「俺も、弟を助けに行くんだ!」
蓮次郎を連れて帰る。
そのために、ここまで来た。
男が、血の混じった息を吐いた。
「……譲れない」
左拳が上がった。
傷ついた右腕も、その横へ戻る。
「俺は、絶対に負けられないんだ!」
光留は両脚へ内纏を流した。
「俺たちだって、負けられない!」
伊織が、隣へ並んだ。
口元の血を拭い、刀を構える。
「ああ。まだ、終わってないぞ」
男が踏み込んだ。
光留も前へ出た。
伊織がその横から、もう一度、刃に火をともした。




