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真贋の眼 〜眼の奥に潜む真実〜  作者: えもえもん
第三章 砂漠の島と力の世界

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第三十二話 力の差



 景久が踏み込んだ。


 光留は父の刀を引きつけ、左足を半歩退いた。


 その足元へ、黒霧を残す。


 老人の足が霧に入るのを待ち、黒刀を振り上げた。


 景久が身を引いた。


 また、半歩。


 光留は見ていた。


 霧の外に立っていたときより、明らかに大きく動いている。


 黒霧が、何かを邪魔している。


 未来を見る眼にも、この霧は届いているのかもしれない。


「三式・黒縛!」


 光留は黒刀を振り抜きながら、左手から縄を伸ばした。


 景久が退く先へ回し込む。


 同時に、霧の範囲を少しだけ広げた。


 今度は、逃がさない。


 景久の踵へ黒い縄が迫る。


 老人は刀を低く返した。


 縄が切れる。


 光留は刃が下がった隙に、間合いへ踏み込んだ。


 左手に黒爪を作る。


 前腕へ触れさえすれば、外纏を削れる。


 指先が、景久の袖へ迫った。


「なるほどのう」


 景久の身体が、光留へ近づいた。


 避けるために退くと思っていた。


 その逆だった。


 老人は黒爪の内側へ入り、刀の鍔で光留の右手を押し上げた。


 父の刀が浮く。


 柄頭が、光留の左手首へ打ち込まれた。


「っ……!」


 指先から力が抜けた。


 黒爪が崩れる。


 続いて、景久の刀身が返った。


 刃ではなく、峰が光留の脇腹を打った。


 鈍い音がした。


 息が止まる。


 黒霧を保っていた眼力が揺れ、足元の黒が薄く散った。


「霧の中では、先が少し霞む」


 景久が言った。


 光留は顔を上げた。


 やはり、そうだった。


 だが、その確信を得たときには、老人の刀がもう動いていた。


「それで、わしの刀まで鈍ると思ったかね」


 光留は黒刀で受けた。


 正面からぶつかったはずの刃が、滑る。


 景久は押し合わず、光留の刀を外へ逃がした。


 空いた肩を、再び峰が打った。


 膝が曲がる。


 光留は両脚へ内纏を流し、倒れるのをこらえた。


 次の一撃が、腹へ入った。


 刀の柄だった。


 身体の奥から、息が押し出される。


 外纏を寄せようとしたときには、打撃が終わっていた。


 景久の足元を見る余裕がなくなっていた。


     ◇


「灼!」


 伊織の刀から、白い火線が走った。


 烈が籠手を合わせる。


 前腕へ外纏が集まった。


 伊織は脇へ回り、刃を振るう。


 烈の左の籠手が、また刀を押さえた。


「同じだろうが!」


 右拳が引かれる。


 伊織は刀を引かなかった。


 脚へ内纏を集め、烈の前足を払った。


 烈の上体が傾く。


 伊織はその隙に刀を抜き、肩から押し込んだ。


 初めて、赤い籠手が後ろへ下がった。


 だが、烈は倒れなかった。


 砂を踏み直し、伊織の肩へ掌を当てる。


「熱掌!」


 熱と衝撃が、身体を押し返した。


 伊織は奥歯を噛み、着地する。


 ようやく、一つ返せた。


 まだ足りない。


 それでも、崩せない相手ではない。


 そう思った瞬間、別の場所から鈍い音が聞こえた。


 光留が、腹を押さえて膝をついていた。


 その前へ、景久が立っている。


「光留!」


 伊織は駆け出そうとした。


 赤い籠手が、進路へ突き出される。


「熱波!」


 吹きつけた熱風に、伊織は顔をかばった。


 烈が、光留との間へ立つ。


「まだ俺がいるぞ」


 伊織は刀を構え直した。


 烈の向こうで、光留が立ち上がろうとしている。


 行かなければ。


 だが、烈の拳を無視して進めば、自分も倒される。


 伊織は両脚へ眼力を流し、烈へ斬りかかった。


     ◇


 光留は刀を握り直した。


 右手が痺れている。


 右手に巻いた布の下で、火傷の痛みと、打たれた痛みが重なっていた。


 立ち上がるだけで、脇腹が軋む。


 景久は、その動きを待っていた。


 光留の息は、まだ整っていなかった。


 光留が刀を持ち上げた瞬間、老人の切っ先が動いた。


 肩へ来る。


 そう思って外纏を集めた。


 だが、斬撃は途中で向きを変えた。


 太腿が切られる。


 光留は足を引いた。


 そこへ景久が入り、刀の峰を腕へ落とした。


 黒刀が下がる。


 柄頭が頬を打った。


 視界が横へ揺れた。


 口の中に、血の味が広がる。


 光留は転びながら左手を地面についた。


「一式――黒壁!」


 黒い筋の通った壁が立ち上がる。


 景久が迫る。


 光留は壁へ眼力を回した。


 その分、脚の内纏が薄くなる。


 立ち直そうとした膝が、身体を支えきれなかった。


 景久の刀が、壁の端を斬った。


 亀裂が走る。


 光留はさらに力を注ごうとした。


 右眼が痛んだ。


 足元の霧、目の前の壁、握った刀。身体を守る力まで、どれも保とうとしていた。


 流れを一つ整える間に、ほかが乱れる。


 景久の二撃目が、亀裂へ重なった。


 壁が砕けた。


 黒い粒の向こうから、刀の柄が伸びてくる。


 光留は腕を上げた。


 腕ごと胸へ押し込まれた。


「がっ……!」


 身体が砂の上を転がった。


 熱い地面に傷が擦れる。


 起きなければ。


 そう思って肘をついた。


 だが、身体が持ち上がらない。


 景久の足音が近づいていた。


 黒霧は、もう残っていなかった。


 弱点に気づいた。


 それでも、攻撃は一つも届かない。


 頬から汗と血が落ち、砂へ小さな跡を作った。


 刀を握る指が、痺れていた。


 光留は切っ先を砂へ突き立て、柄に体重を預けた。


 腕だけでは起き上がれない。


 残った眼力を脚へ送り、片膝を立てる。


 少し離れた場所で、伊織が自分の名を呼んでいた。


 返事をしようとした。


 喉から出たのは、短い息だけだった。


 景久が、間合いへ入る。


 光留は刀を抜こうとした。


 右手に、力が入らない。


 左腕を上げる。


 景久の刀が、その腕を外へ払った。


 次に見えたのは、すぐ目の前の柄頭だった。


 耳の下へ、硬いものが打ち込まれた。


 音が、頭の中で鳴った。


 視界が傾く。


 砂へ刺した刀の柄から、指がほどけた。


 倒れる。


 そう思ったところで、何も分からなくなった。


 歓声が消える。


 痛みも、熱も遠のく。


 暗闇の中に、扉があった。


 光留は、その前に立っていた。


 なぜここにいるのか、分からない。


 けれど、その扉は知っている。


 以前も、見た。


 向こう側に、誰かがいる。


 声がした。


 低く、途切れずに続いている。


 誰かが何かを話しているのだと、それだけは分かった。


 言葉の切れ目らしいものも、聞こえた。


 だが、意味がつながらない。


「何を……言ってるんだ」


 光留は扉へ近づこうとした。


 声が、少しだけ大きくなる。


 それでも聞き取れなかった。


 一つの言葉も拾えない。


 自分へ話しかけているのかさえ、分からない。


 光留は手を伸ばした。


 扉は、閉じたままだった。


 指先が触れる前に、暗闇が遠ざかった。


     ◇


「光留!」


 伊織の声だった。


 砂の熱が戻ってきた。


 口の中の血の味も。


 光留は息を吸おうとして、咳き込んだ。


 身体のあちこちが、一度に痛み始めた。


 目の前に、砂へ刺さった父の刀があった。


 刀身の黒は消えていた。


 握っていたはずの右手が、柄から離れている。


 光留は指を伸ばした。


 柄尻の黒い砂硝子が、視界の端で揺れる。


 触れた。


 どうにか、握り直した。


 審判が近づいてくる。


 景久は、光留の前に立っていた。


 刀を構えたまま、こちらを見ている。


 長い時間、扉の前にいた気がした。


 だが、景久の足の位置は、さっきとほとんど変わっていなかった。


「光留、続けられるか」


 光留は顔を上げようとした。


 声が出ない。


 刀を支えに、身体を起こそうとする。


 膝が、震えた。


 景久が口を開いた。


「ここまでじゃ」


 光留は老人を見た。


 景久は刀を下ろした。


 ゆっくりと、鞘へ納める。


「わしは降参する」


 光留の指が止まった。


 審判も、すぐには動かなかった。


「……何だと?」


 離れた場所で、烈の声が上がった。


 赤熱した籠手が、伊織の刀を押さえたまま止まっている。


「爺さん、何を言ってる。まだやれるだろ」


「知っておる」


 景久が答えた。


「烈。お前も、ここで降りてくれんか」


 烈は景久を見た。


 次に、砂の上の光留へ眼を向ける。


 伊織が刀を引いた。


 烈は追わなかった。


「……勝手なこと言いやがって」


 籠手の赤が、少しずつ薄れていく。


 烈は両腕を下ろし、審判へ顔を向けた。


「俺も降参だ」


 闘技場の中が、わずかに静まった。


 審判が二人を見比べる。


「両名、降参で間違いないな」


「うむ」


「ああ」


 審判の腕が上がった。


「二回戦、勝者、光留・伊織組!」


 歓声は、すぐには起こらなかった。


 代わりに、観客席の一角から声が飛んだ。


「ふざけるな!」


 別の席からも、怒鳴り声が重なる。


「まだ戦えるだろ!」

「最後までやれよ!」

「何が降参だ!」


 石の壁に反響した声が、闘技場へ降り注いだ。


 光留は顔を上げた。


 勝者。


 自分たちが、そう呼ばれた。


 指先には、まだ刀の柄の感触がある。


 だが、それを持ち上げる力は残っていなかった。


 伊織が駆け寄ってきた。


「光留!」


 肩へ手が添えられる。


 光留は息を吸った。


「……どうして」


 景久へ向けた言葉だった。


 老人は、騒ぐ観客席を見なかった。


 光留の黒い眼を、しばらく見つめている。


 光留には、その表情の意味が分からなかった。


 倒せなかった。


 一度も、刃を届かせられなかった。


 それなのに、相手が降りた。


 景久は口元を緩めた。


「お前さんたちを、もう少し先へ進ませてみたくなった」


 光留は、何も答えられなかった。


 ブーイングが、さらに大きくなる。


 景久は笑った。


「この先、面白くなりそうじゃ」


 その言葉だけが、妙にはっきり聞こえた。


 何が、面白くなるのか。


 何を、見たのか。


 聞き返そうとしても、喉から出たのはかすれた息だけだった。


「行くぞ、爺さん」


 烈が呼んだ。


 景久は軽く手を上げ、背を向けた。


 烈も、その隣へ並んだ。


 二人とも、自分の足で歩いていた。


 光留は、その背中を見送った。


 立ち上がろうとして、また膝が折れた。


「動くな。肩を貸す」


 伊織が腰を落とした。


 光留の腕を、自分の肩へ回す。


 身体が持ち上がった途端、脇腹に鋭い痛みが走った。


 光留は声を飲み込んだ。


 観客席を離れていた蓮が、入口から駆けてきた。


 光留の顔を見て、それから伊織へ眼を向ける。


「支えていろ。手当てを受けさせる」


 蓮は父の刀を砂から抜き、光留の腰の鞘へ戻した。


 それから反対側へ回り、身体を支えた。


 二人に支えられ、光留はようやく足を動かした。


 観客席では、まだ不満の声が続いていた。


 蓮が何かを尋ねる。


 伊織も、何かを答えている。


 光留はうなずくのが精いっぱいだった。


 扉の前で聞いた声を、思い出そうとした。


 誰かが話していた。


 確かに、声はあった。


 けれど、一言も分からなかった。


 身体の痛みだけが、今ここにある。


 出口の影へ入る直前、もう一度、自分たちの名が呼ばれた。


 二回戦の勝者として。


 光留は顔を上げられなかった。


 伊織の肩へ預けた身体を、自分の力で支え直すこともできなかった。


あったら面白そうな眼の能力があれば気軽にコメントしてください!!

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