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真贋の眼 〜眼の奥に潜む真実〜  作者: えもえもん
第三章 砂漠の島と力の世界

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第三十一話 届かない一撃


 合図と同時に、若者の両腕が赤く染まった。


 手の甲から前腕までを覆う、厚い鉄の籠手。その継ぎ目から、揺らめく熱気が立ち上がる。


 熱の眼を持つ若者――赤城烈(あかぎれつ)。


 烈は腰を落とし、右の籠手を砂へ叩きつけた。


「焼路!」


 地面を、細い陽炎が走った。


 光留と伊織の間へ、帯状の熱が伸びてくる。


「足元!」


 伊織が叫んだ。


 光留は左へ、伊織は右へ跳んだ。


 直前まで二人が立っていた場所で、砂が赤く焼ける。吹き上がった熱気が、足の裏を追いかけてきた。


 光留は着地すると同時に、伊織の方へ向き直った。


 離れすぎる前に戻る。


 そう考えて踏み出した先を、銀色の刃が横切った。


「どこへ行くつもりじゃ」


 老人の声。


 未来の眼、鷹見景久(たかみかげひさ)。


 腰から抜かれた刀が、光留の進路を塞いでいた。


 光留は右眼から父の刀へ黒を通した。


 刀身が染まる。


 振り上げた黒刀と、景久の刀がぶつかった。


 鋭い金属音が響く。


 相手の刀は、眼力で作られたものではない。光留は刃を受ける角度を変え、肩へかかった力を逃がした。


 景久が一歩、横へ動く。


 その位置からなら、光留が伊織へ近づこうとするたびに斬りかかれる。


 向こうでは、烈が伊織へ迫っていた。


「爺さん、そっちは任せた!」


「お前もしくじるなよ、烈」


 光留は景久の刀を押し返し、距離を取った。


 熱の帯が二人の間で揺れている。


 それだけなら、飛び越えられる。


 だが、そのために背を向ければ、目の前の刀が届く。


「伊織!」


「こっちは俺がやる!」


 籠刀がぶつかる音が、返事に重なった。


 光留は正面へ眼を戻した。


 景久が静かに刀を構える。


「よそ見をしておる暇は、なさそうじゃのう」


     ◇


 光留は両脚へ内纏を流した。


 砂を蹴り、足を滑らせずに一歩で間合いを詰める。


 右上から、黒刀を振り下ろした。


 景久の肩が、わずかに引かれる。


 刃は衣服の前を通り、空を斬った。


 光留は手首を返し、そのまま横へ薙ぐ。


 景久はもう、刃の届かない位置へ足を置いていた。


「二式――黒爪!」


 空いた左手に、短い黒の爪を作る。


 刀を避けた先へ突き出した。


 景久が身体を傾ける。


 指先は、脇腹のすぐ横を抜けた。


 近い。


 それなのに、一度も触れない。


 景久の刀が返ってきた。


 光留は左手を引き、爪を解いた。


「一式・黒壁!」


 小さな壁が、二人の間に立ち上がる。


 景久は斬り込む手を止め、その縁へ足を運んだ。


 壁を回り込むように、切っ先の位置が変わる。


 光留は黒壁を残したまま右足を引き、父の刀を横へ倒した。


 刃と刃が擦れ合う。


 左肩へ外纏を集めるのが、わずかに遅れた。


 景久の切っ先が衣服を裂き、その下に細い傷をつけた。


 光留は砂を蹴って離れる。


 肩に、遅れて痛みが走った。


 観客席で、蓮が身を乗り出していた。


 黒爪から黒壁へ。


 その間も、光留の刀から黒は抜けていない。足の運びも止まらず、最後には斬られる場所へ外纏を移していた。


 深い傷を負わずに済んだのは、その切り替えがあったからだ。


「……さすがだな、光留」


 蓮の声は、周囲の歓声に紛れた。


 だが、その視線はすぐに景久へ移った。


 老人の息は乱れていない。


 光留が二つ、三つと動く間に、景久は必要な場所へ一歩ずつ足を置いている。


 光留も、それに気づいていた。


 刃を見てから避けているようには思えない。


 斬る向きを変えようとしたときには、すでにそこから身体が外れている。


 光留は刀を低く構えた。


 上へ振り上げると見せて、足元を狙う。


 景久の足が、先に引かれた。


 刀が砂を削る。


 その上を、老人の刃が通った。


 光留は顔を伏せた。


 頬へ冷たい感触が走り、一筋の血が落ちた。


「よく動くようになったのう」


 景久が言った。


「じゃが、わしには届かん」


 光留は頬の血を手の甲で拭った。


 相手の動きが、自分より圧倒的に速いわけではない。


 自分が動いたときには、もう避ける準備が終わっている。


 未来が見える。


 観客席で聞いた言葉の意味を、今は傷の痛みとともに理解していた。


     ◇


「燃!」


 伊織の手から、火球が放たれた。


 烈は避けなかった。


 左の籠手を前へ出し、そのまま炎へ踏み込む。


 火が弾け、顔と肩を包んだ。


 伊織は次の火球を作りながら、一歩下がろうとした。


 炎の中から、右拳が突き出された。


「灼拳!」


 赤熱した籠手が、胸へ迫る。


 伊織は刀の腹を当て、横へ流した。


 重い。


 受け止めた腕ごと押され、踵が砂へ沈む。


 烈の顔には、火傷らしい傷がなかった。袖の端だけが焦げ、動くたびに黒い欠片が落ちている。


 左拳が続いた。


 伊織は頭を引き、刃を立てて斬り返す。


 烈の右の籠手が、刀の側面へぶつかった。


 刃筋を外される。


 開いた左手が、間を置かずに飛び込んできた。


「熱掌!」


 掌底が、刀を握る伊織の手元を打った。


 鍔に守られていても、衝撃は腕へ抜けた。


 同時に、籠手から伝わった熱が刀を走る。


「熱っ……!」


 伊織は握りを緩めかけ、指へ外纏を集めた。


 手は離さない。


 肘を引き、相手の胸へ刀を向ける。


「炎!」


 斬撃とともに、炎が広がった。


 今度は烈の身体を正面から包み込む。


 観客席から歓声が上がる。


 だが、伊織の表情は変わらなかった。


 炎の向こうで、足音が止まらない。


 赤い籠手が火を割った。


 烈が、そのまま歩み出てくる。


「どうした」


 口元が笑っていた。


「火力が足りないぞ」


 左拳が、伊織の顔へ飛ぶ。


 伊織は身を沈め、右へ抜けようとした。


 烈の左腕が戻らない。


 振り抜いた位置から掌が開き、伊織の逃げる側へ向く。


「熱波!」


 空気が、大きく歪んだ。


 吹きつけた熱風を、伊織は腕の外纏で受けた。


 目を細めた一瞬に、烈が踏み込む。


「灼連!」


 右、左、右。


 拳が止まらない。


 伊織が刀で一つを弾く間に、次の籠手が別の場所へ迫る。


 顔を守れば腹。


 腹へ刃を下げれば肩。


 足を止めた瞬間に、体重を乗せた一撃が飛んできた。


 伊織は衝撃を逃がしながら下がった。


 踏み込んで斬る間がない。


 炎を出しても、相手が止まらない。


 拳を避けた先には掌底があり、離れようとすれば熱波が来る。


 烈は次の技を使うたびに、さらに近くへ入ってきた。


 伊織が横へ逃れた瞬間、烈は左の籠手を地面へ打ちつけた。


「焼路!」


 熱の帯が、伊織の背後へ斜めに走る。


 そちらへ下がろうとしていた足を、伊織は止めた。


「受けてばかりじゃ、何も変わらないぞ」


 赤い籠手が、伊織の視界を埋めた。


     ◇


 光留の足元から、黒い縄が伸びた。


「三式・黒縛!」


 低く走らせた縄を、景久の足首へ向ける。


 同時に、光留自身も踏み込んだ。


 下がれば縄。


 前へ出れば黒刀。


 景久は、どちらも選ばなかった。


 斜め前へ、一歩。


 輪が閉じる前の隙間を抜け、光留の刀を外側から押さえた。


 刀身を伝わる力が、光留の手首を傾ける。


 そのままでは、父の刀を落とす。


 光留は右腕へ内纏を集め、握りを保った。


 景久の刃が離れる。


 今度は、脇腹へ向かっていた。


「四式・黒刃!」


 左手から長い刃を伸ばした。


 景久の刀を迎え撃つ。


 だが、交わるはずだった二本は、触れなかった。


 老人は刃の生まれる位置を避けるように刀を引き、すぐに足を入れ替えていた。


 光留は黒刃を横へ払う。


 届かない。


 長く伸ばしても、その分だけ間合いを外される。


 景久の刀が、短く光った。


 光留は脇腹へ外纏を寄せた。


 刃先が布を切る。


 皮膚に痛みが走ったが、深くは入らなかった。


「五式・黒霧!」


 光留を中心に、黒が広がった。


 景久の姿を包もうとする。


 老人は霧が満ちる前に、その外へ抜け出していた。


 光留が追って刀を振るう。


 黒い霧の縁で、銀色の刃に受け流された。


 また、空を斬った。


 光留は追撃をやめた。


 霧の中で、短く息を吸う。


 黒刀、爪、刃。


 どれでも作れる。


 だが、触れなければ眼力を吸えない。


 黒の力を使うところまで、持ち込ませてもらえなかった。


 黒殲は撃てない。


 今ここで成功するはずだと、賭けるつもりもない。


 光留は霧を薄くし、残す範囲を狭めた。


 右眼の消耗を抑えながら、景久を見る。


「手数は多いのう」


 老人は刀を下げなかった。


「じゃが、いくつ出しても同じじゃ」


 景久が進む。


 光留は刀を構え直した。


 見える未来の長さは、まだ分からない。


 何を見ているのかも、分からない。


 それでも、老人の足がどこへ動くかだけは、見失わないようにした。


     ◇


 伊織の背後で、熱気が立ち上がった。


 烈が地面へ通した熱が、背後の砂まで届いていた。


 退こうとすれば、靴底から熱が伝わってくる。


 伊織は横へ足を運んだ。


 そこへ、烈の両腕が振り上がる。


「双鎚!」


 二つの籠手が、頭上から叩き下ろされた。


 伊織は正面から受けなかった。


 身体を斜めに滑らせる。


 籠手がすぐ横の砂へめり込み、足元が跳ねた。


 熱い砂が頬を打つ。


 伊織は顔を背けず、刀の切っ先を烈へ向けた。


 今だ。


 相手の両手が、下がっている。


「灼!」


 白い火線が、刀から走った。


 烈が腕を上げる。


 籠手にぶつかった白い光が、正面で弾けた。


 烈の眉が動いた。


 前腕の外纏が厚くなる。


 砂を踏む足が、一瞬だけ止まった。


 伊織は、その間を使って脇へ回った。


 炎を切り、実物の刀で斬り込む。


 烈の右腕が下がった。


 刃が、籠手の縁にぶつかる。


 甲高い音がした。


「今のは、さっきよりましだ」


 烈が言った。


 伊織は刀を引こうとした。


 その前に、左の籠手が刀の腹を押さえた。


「だが、止めきれてない」


 烈が肩ごと前へ出る。


 押し込まれた刀が、伊織自身の胸へ近づいた。


 伊織は踏ん張らず、後ろへ力を逃がした。


 刃が籠手から外れる。


 自由になった烈の右拳が、腹へ突き込まれた。


「灼拳!」


 伊織は外纏を腹へ集めた。


 間に合った。


 それでも、息が押し出された。


「ぐっ……!」


 身体が浮き、砂の上へ投げ出される。


 背中から落ちる前に、伊織は片手をついた。


 脚を振り、転がるように立ち上がる。


 烈はもう、追ってきていた。


 休む間はない。


 伊織は刀を構え、短く息を吐いた。


 火がまったく効かないわけではない。


 灼を受けたとき、烈は腕へ眼力を集めた。


 だが、そのわずかな間に斬り込んでも、籠手で止められた。


 炎の威力。


 踏み込む速さ。


 刀を入れる位置。


 どれも、烈を崩すには足りなかった。


「光留、こっちはまだかかる!」


 伊織は声を張った。


 返ってきたのは、刀のぶつかる音だった。


 その直後に、光留の声が聞こえる。


「分かった! こっちもだ!」


 伊織は唇の端を拭った。


 隣へ行けないのは、自分だけではない。


 なら、今は目の前をどうにかする。


 赤い籠手が迫った。


 伊織は半歩ずらし、刀を振った。


     ◇


 景久の切っ先が、光留の胸へ伸びた。


 光留は黒刀で外へ流し、左足を引いた。


 足元には、薄い黒霧が残っていた。


 広くは出さない。


 景久を追いかけて霧を広げるたびに、届く前に逃げられる。


 なら、自分が下がる場所へ残しておく。


 光留は刀を引きつけ、わずかに身を沈めた。


 景久が間合いを詰める。


 老人の足首を、黒い霧が包んだ。


 その瞬間。


 景久の眼の奥に映っていた、一瞬先の景色が滲んだ。


 光留の肩が動く。


 次に来る刀の軌道も、見えている。


 だが、その輪郭が薄い。


 霧の外にいたときのようには、はっきりと結ばない。


(……この霧の中では、先の景色がわずかに霞む)


 景久は足を引いた。


 光留の黒刀が、目の前を通る。


 避けた。


 刃は、衣服にすら触れていない。


 それでも、光留は眼を見開いた。


 今の一歩は、大きかった。


 それまでなら、肩を引くか、足先をずらすだけで足りていたはずだ。


 景久は半歩余分に下がり、そこから刀を返してきた。


 光留は慌てて黒刀を戻した。


 二本の刃が重なる。


 押し返そうとしたところで、老人の刀が滑った。


 左の前腕を、切っ先がかすめる。


 新しい痛みが走った。


 光留は腕を引き、外纏を集め直した。


 気を取られれば、すぐに斬られる。


 何も、逆転したわけではない。


 景久は黒霧の縁に立ち、静かに刀を構えていた。


「考え事かね」


 光留は答えず、呼吸を整えた。


 景久の足元を見る。


 先ほどまで霧に入っていた足が、今は外にある。


 間合いを変えたから、大きく避けたのか。


 それとも、この黒霧か。


 確信は、まだない。


 離れた場所では、烈の籠手が伊織の刀を打ち、火花を散らしている。


 伊織は下がりながらも、倒れてはいなかった。


 光留は父の刀を握り直した。


 景久が、ゆっくりと足を進める。


 足元の黒霧が、薄く流れた。


 まだ、一度も当たっていない。


 それでも光留は、老人が余分に退いた半歩を、見逃さなかった。


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