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真贋の眼 〜眼の奥に潜む真実〜  作者: えもえもん
第三章 砂漠の島と力の世界

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第二十九話 眼力を纏う


 夜が明ける前、光留たちは町の東門を抜けた。


 昼間は肌を焼く砂漠も、太陽が昇る前は驚くほど冷えている。薄暗い空の下、風に運ばれた砂が三人の足元を細く流れていた。


 蓮が修行場所に選んだのは、町から離れた岩場だった。


 三方を高い砂丘に囲まれ、中央には人の背丈を超える岩がいくつも並んでいる。大きな音を立てても町までは届かず、街道からも見えない。


「始めるぞ」


 蓮は荷物を岩陰へ置いた。


 光留も父の刀を外そうとする。


 その瞬間、蓮の姿が眼前まで迫っていた。


「え――」


 拳が光留の顔へ飛んでくる。


 光留は反射的に左腕を上げた。


 蓮の拳が前腕へ直撃する。


 鈍い音とともに、光留の身体が砂の上を転がった。


「何するんだ!」


 伊織が叫ぶ。


「修行だ」


「始めるぞとは言ったけど、殴るとは言ってないだろ!」


「敵が殴る前に教えてくれると思うか?」


 蓮は倒れた光留へ近づいた。


「腕は折れてるか?」


 光留は痛む左腕を動かした。


「いや……痛いけど、折れてない」


「なぜだ」


「腕で防いだからだろ」


「それだけじゃない」


 蓮は自分の右腕を見せた。


 皮膚の表面を、薄い赤色の眼力が覆っている。さらに腕の内側にも眼力が流れ、筋肉の形に沿って細い線を描いていた。


「眼力は、眼の能力を使うためだけにあるわけじゃない」


 蓮が拳を握る。


 赤い眼力が指先へ集まり、周囲の砂がわずかに震えた。


「身体の内側へ流せば、筋肉、骨、関節を強くできる。力も速さも上がる。これが内纏(ないてん)だ」


 次に、眼力が腕の内側から皮膚の表面へ移動する。


「外側へ薄く纏えば、打撃や斬撃から身体を守れる。外纏(がいてん)」


「俺も使ってたのか?」


「無意識にな。殴られる瞬間、眼力を左腕へ集めた。だから骨が折れなかった」


 光留は自分の腕を見つめた。


 言われてみれば、拳が当たる直前、黒の眼とは違う力が左腕へ流れた感覚があった。


「能力を持つ者なら、誰でも多少はやっている」


 蓮は闘技場がある方角へ眼を向けた。


「未来の眼の老人も、重さを受けた瞬間に脚と腰へ眼力を集めていた。戦士の眼は、鎚が当たる場所だけ外纏を厚くした。あれほど速く正確に眼力を移動できる者は少ない」


「それを先に教えてくれれば、昨日の試合でもっと楽に勝てたんじゃないか?」


 伊織が言う。


「一日で覚えられると思ってるなら、今すぐ試してやる」


 蓮が拳を構えた。


「いや、俺はもう使えてる気がする」


 伊織が一歩下がる。


「都合のいい感覚だな」


 蓮は光留へ向き直った。


「立て。まずは内纏からだ」


     ◇


「眼力を両脚だけへ流せ」


 蓮が遠くの岩を指さした。


「あの岩まで走れ」


 光留は両脚へ眼力を集める。


 足の内側へ力が満ち、普段よりも身体が軽くなった。


 砂を蹴る。


 一歩目で、光留の身体は想像以上に前へ飛び出した。


「速い!」


 伊織の声が背後から聞こえる。


 だが、三歩目で右脚から眼力が抜けた。


「うわっ!」


 踏み込む力が突然失われ、光留は頭から砂へ突っ込んだ。


「流し込むだけじゃ駄目だ」


 蓮が歩いてくる。


「両脚へ同じ量を送り続けろ。強く踏み込む瞬間だけ増やし、足が地面から離れたら減らす」


「走りながら、そこまで考えるのか?」


「戦士の眼は武器を作り、身体を強化し、攻撃を受ける場所へ外纏を集めていた。それを同時にやっている」


 光留は口の中へ入った砂を吐き出した。


 今のままでは勝てない。


 昨日感じた差が、さらに大きく見えた。


「もう一度だ」


 光留は立ち上がった。


 二度目は五歩。


 三度目は十歩。


 何度も転びながら、少しずつ眼力を流す量を調整する。


 太陽が砂丘の向こうから姿を現した頃、光留は岩まで速度を落とさず走り切った。


「次は外纏だ」


 蓮が言った。


 伊織が嬉しそうに前へ出る。


「待ってました」


「何でそんなに楽しそうなんだ」


「昨日の仕返しができるからな」


「仕返しされるようなことしたか?」


「俺より先に串肉の辛さを笑った」


「自分で選んだんだろ」


「構えろ」


 伊織の右眼が赤く光った。


「燃!」


 手のひらから、小さな火球が放たれる。


 光留は両腕を交差させ、全身へ外纏を広げた。


 火球が腕へ当たる。


 爆ぜた火が身体を包んだ。


 外纏によって炎の勢いは弱まったが、全身を守ろうとしたことで眼力が一気に減っていく。


「広げすぎだ!」


 蓮の声が飛ぶ。


「当たる場所だけへ集めろ!」


 二つ目の火球が光留の右脇腹へ向かう。


 光留は外纏を腕から脇腹へ移そうとする。


 間に合わない。


「熱っ!」


 火球が衣服を焦がし、光留は砂の上を転がって火を消した。


「遅い」


「分かってる!」


「分かっていて燃えてるなら、もっと悪いな」


 伊織が三つ目の火球を作る。


「少し休ませろ!」


「敵は休ませてくれないんだろ?」


「蓮の言葉を都合よく使うな!」


 火球が次々と飛んでくる。


 腕、脚、胸、肩。


 光留は攻撃の位置を見極め、その場所へ外纏を移動させる。


 最初は間に合わず、何度も火を受けた。


 しかし、攻撃が十を超えた頃から、眼力の移動が少しずつ速くなっていく。


 左肩へ火球。


 外纏を集中させる。


 炎が弾けても、衣服は焦げない。


 直後に右脚。


 肩から脚へ外纏を移す。


 火球が当たり、熱だけが皮膚へ伝わった。


「今度は俺だ」


 蓮が足元の小石を拾った。


 伊織の火球に混ぜ、小石を投げる。


 光留は黒の眼を開きかけた。


「黒は使うな!」


 蓮の声に、光留は眼力を額へ集めた。


 小石が直撃する。


 外纏が衝撃を受け止め、小石は横へ弾かれた。


「火は眼力で作られている。だが石は物だ。黒の眼で消せるものだけが飛んでくるとは限らない」


 蓮は二つ目の石を拾う。


「能力、忍術、内纏、外纏。全部に使う眼力は同じ器から出ている。何かへ使いすぎれば、ほかが足りなくなる」


 石が光留の腹へ飛んだ。


 光留は腹だけへ外纏を集中させ、受け止める。


「ようやく見られるようになったな」


 蓮はそう言いながら、さらに三つの石を拾った。


「まだやるのか?」


「今のは一つだっただろ」


 伊織も新しい火球を作る。


「二人とも、少し楽しんでないか?」


 答える代わりに、火球と石が同時に飛んできた。


     ◇


 太陽が頭上へ昇った頃、三人は岩陰で休んでいた。


 光留の衣服は何か所も焦げ、腕や脚には石が当たった痣が残っている。


「次は刀だ」


 蓮の言葉に、光留は父の刀を手にした。


 柄尻につけた黒い砂硝子が、日差しを受けて輝く。


「内纏と同じように、眼力を腕から刀へ流せ」


 光留は刀を抜いた。


 使い慣れた重さが手の中へ収まる。


 黒の眼を開き、刀身の表面へ黒水を広げた。


 液体のような黒い眼力が刃へまとわりつく。


 一瞬、刀身が黒く染まった。


 だが、次の瞬間には黒い力が刃から剥がれ、地面へ落ちる前に消えた。


「駄目だ」


「今までと同じだな」


 蓮が言う。


「お前は外から黒を塗っているんだ」


「刀の中へ、どうやって眼力を流すんだ」


「刀を物だと思うな。握った瞬間から、自分の腕の続きだと思え」


 蓮は光留の手首をつかんだ。


「眼から肩、肘、手首、柄。そこから刀の芯を通って切っ先まで、一本の道を作れ」


「刀の芯……」


「この刀を作ったのは、お前の父親だろ」


「ああ」


「なら、眼力が通らないような刀を、お前へ残すと思うか?」


 光留は刀を見つめた。


 父がこの刀を打ったとき、自分がどのような眼を持つのか知っていたのか。それとも、いつか眼力を刀へ流す日が来ると信じていたのか。


 答えは分からない。


 それでも、刀を握ると父の手の温かさが残っているように感じた。


 光留は眼を閉じる。


 黒の眼から流れ出そうとする力を、すぐには刀へ送らない。


 まず肩へ。


 次に肘、手首、指先。


 黒い眼力が腕の内側を通り、柄へ入る。


 刀が小さく震えた。


 力を表面へ広げず、刀身の中央を通す。


 柄から鍔。


 鍔から刃元。


 切っ先へ向けて、細い黒の線が少しずつ伸びていく。


 半分まで進んだところで、黒い線が歪んだ。


「ぐっ……!」


 行き場を失った眼力が腕へ逆流する。


 光留の右眼から血が流れた。


「止めろ!」


 蓮が刀をつかみ、黒の流れを切った。


 光留は右腕を押さえて膝をつく。指先まで鋭い痺れが走っていた。


「流しすぎだ」


「でも、半分までは通った」


「一度失敗するたびに眼を潰すつもりか?」


「残り二日しかない」


「だから焦って失敗していい理由にはならない」


 蓮の声は厳しかった。


 だが、その手は光留の眼から流れた血を拭っていた。


「もう一度やる」


 光留は立ち上がった。


 二度目。


 黒い線は刀身の三分の二で途切れた。


 三度目。


 切っ先へ届く直前で力が漏れた。


 四度目には、刀身全体が黒く染まったものの、一呼吸も維持できず消えた。


 太陽が西へ傾き始める。


 光留は何度失敗しても刀を置かなかった。


 五度目。


 肩から手首へ流す量を減らす。


 刀へ入ったあとも、無理に押し込まない。


 細い水が溝を流れるように、父の刀が持つ道へ黒の眼を委ねる。


 柄尻の黒い砂硝子が光った。


 刀の中心を、一本の黒い筋が走る。


 刃元から切っ先まで到達しても、今度は崩れない。


 黒い筋から薄い闇が広がり、銀色だった刀身を染めていく。


 光留が眼を開いた。


「できた……」


 父の刀が、光を吸い込むような黒色へ変わっていた。


「伊織」


 蓮が呼ぶ。


「試せ」


「いきなりか?」


「実際に眼力を吸えなければ、黒く塗っただけだ」


 伊織は立ち上がり、刀を抜いた。


「手加減は?」


「いらない」


 答えたのは光留だった。


「じゃあ、遠慮なく――炎!」


 伊織が刀を横へ振るう。


 刃から大きな炎の斬撃が放たれ、光留へ迫る。


 光留は黒く染まった父の刀を振り抜いた。


 黒刀と炎が交わる。


 炎の斬撃へ、中央から黒い亀裂が走った。


 火を形作っていた眼力が刀へ吸い込まれ、炎が左右へ崩れていく。


「消えた!」


 伊織が声を上げる。


 しかし、眼力を失った炎が残した熱までは消えていない。


 熱風が光留の身体へ襲いかかる。


「外纏!」


 光留は眼力を両腕と顔へ集めた。


 熱を完全には防げない。


 袖が焦げ、刀を握る右手へ火傷の痛みが走る。それでも黒刀の形は崩さなかった。


 次の瞬間、蓮が小刀を投げた。


 黒刀なら消せる。


 そう考えかけた光留は、すぐに思い直す。


 飛んでくるのは眼力ではない。


 実物の鉄だ。


 光留は刀身を返し、小刀を正面から受けた。


 甲高い金属音が響く。


 小刀は吸収されず、黒刀へ弾かれて砂へ落ちた。


「黒は眼力しか喰わない」


 蓮が言う。


「炎を消しても熱は残る。眼力で作られた刀を消しても、振り下ろした腕の勢いまでは消えない」


 光留は黒刀を見つめた。


 強い。


 だが、何でも消せるわけではない。


 使い方を間違えれば、力を過信した瞬間に殺される。


「黒刀」


 伊織が呟く。


「いい名前じゃないか」


「まだ一度成功しただけだ」


 蓮はそう言いながらも、黒く染まった刀から眼を離さなかった。


     ◇


 最後の修行は、一式・壁だった。


 日はすでに傾き、岩場には長い影が伸びている。


「完成した壁へ黒を流すな」


 蓮が言う。


「壁を作る最初から、中心に黒を通す道を残せ」


 光留は両手を前へ出す。


「忍術――一式・壁!」


 半透明の壁が立ち上がる。


 その中心へ黒の眼を流した瞬間、壁全体が濁り、崩れ落ちた。


「今のは壁を作ってから流した」


「同時にやるのが難しいんだよ」


「敵は待ってくれない」


「今日、それ何回言うんだ」


 二度目。


 今度は最初から黒を流したが、黒の力が強すぎて壁の形にならない。


 三度目は壁だけが完成し、黒い筋が途中で途切れた。


 四度目には、黒の眼から血が流れた。


 それでも光留は両手を下ろさなかった。


「もう一度」


 透明な壁を作る眼力。


 その中心へ流す黒の眼。


 二つを混ぜるのではない。


 壁の形を作りながら、その中に一本だけ別の道を通す。


「一式――黒壁!」


 光留の前へ、新たな壁が立ち上がった。


 半透明の壁の中央を、太い黒の筋が縦に走っている。


 先ほどまでとは違い、二つの眼力が互いを壊していない。


「伊織」


「待ってました」


 伊織の右眼が燃える。


「灼!」


 刀を伝った白い火線が、黒壁へ一直線に放たれた。


 同時に、蓮が大きな石を投げる。


 眼力の火線と、実物の石。


 二つが同時に迫る。


 白い火線が黒壁へ触れた。


 中央の黒い筋が広がり、火線を吸い込んでいく。


 白い光が黒へ呑まれ、壁の手前で消えた。


 直後、石が壁へ激突する。


 黒の力は反応しない。


 通常の壁として衝撃を受け、表面へ亀裂が走った。


「耐えろ!」


 光留は壁を作る眼力を増やす。


 吸収した火の眼力が黒の眼へ流れ込み、右眼の奥で暴れ始める。そこへ石の衝撃が加わり、壁全体が大きく揺れた。


 すべての眼力を壁へ回せば、自分の身体を守る外纏が消える。


 光留は壁を支えながら、残った眼力を両腕へ流した。


 吸収し切れなかった熱が壁を抜ける。


 熱風が身体を襲う。


 両腕の外纏が熱を受け止めた。


 壁の亀裂が広がる。


 黒い筋も膨らみ、形を崩そうとする。


「まだだ……!」


 光留は歯を食いしばった。


 壁、黒の眼、そして自分の身体。


 三つへ流す眼力を、一つずつ調整する。


 石が砂へ落ちた。


 白い火線も完全に消える。


 黒壁は亀裂だらけになりながらも、最後まで残っていた。


 光留が両手を下ろす。


 壁が黒い粒となって消えた。


 同時に力が抜け、光留はその場へ膝をついた。


「できた……」


 伊織が駆け寄る。


「本当に一日でやったな」


 蓮は光留の前へ立った。


 褒めるでもなく、笑うでもなく、消えた黒壁の跡を見つめている。


「ようやく入口だ」


 蓮が言った。


「明日は二式・黒爪、三式・黒縛、四式・黒刃、五式・黒霧。残りすべてへ黒を通す」


「六式は?」


 光留が顔を上げる。


 蓮の表情が変わった。


「六式・殲は、ほかの術とは違う」


 蓮は岩場の向こうに連なる砂丘を見た。


「あれは防御を壊す技じゃない。奥にいる者を貫くための必殺だ」


「黒を乗せたら、どうなる」


「俺にも分からない」


 蓮は光留の黒い眼を見つめた。


「だから明日は、必ず俺の指示に従え。射線の先に誰もいないことを確認するまで、絶対に放つな」


 太陽が砂丘の向こうへ沈んでいく。


 修行に残された時間は、あと一日。


 光留は火傷した右手で、父の刀を握り直した。


 黒い砂硝子が夕日の最後の光を受け、静かに揺れていた。


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