第二十七話 殺さぬ戦士
『南の島が誇る――戦士の眼!』
地上から響いた呼び声に、水の眼の少女が鉄格子を握りしめた。
「兄……」
地下牢の天井から、細かな砂が落ちてくる。
観客の歓声は分厚い石壁を通しても消えず、低い地鳴りとなって地下空間を震わせていた。
蓮は牢の前へ膝をつく。
「お前の兄は、どんな能力を持ってる」
「武器を作ります」
少女は震える声で答えた。
「剣も、槍も、斧も、盾も……兄が戦おうと思えば、どんな武器でも眼力から作れます」
「それで大会を勝ち上がらせるつもりか」
「兄は強いです。でも、本当は人を傷つけることが嫌いなんです」
少女は俯いた。
「あの人たちは、それを知っていて私を……」
再び大きな歓声が響く。
少女が顔を上げた。
「お願いです。兄を止めてください」
◇
戦士の眼を持つ男が、砂の闘技場へ姿を現した。
背は高く、鍛え上げられた身体には無数の傷が残っている。肩まで伸びた黒い髪を後ろで束ね、武器を持たずに歩いていた。
腰にも、背中にも、刀や槍はない。
男の後ろから、細身の男が続いた。
両腕へ黒い鎖を巻きつけ、口元には薄い笑みを浮かべている。
『その相方を務めるのは、敵の自由を奪う鎖の眼!』
鎖の眼は観客へ手を振りながら、戦士の隣へ並んだ。
「忘れるなよ」
歓声に紛れるほど小さな声で囁く。
鎖の眼が右手を開く。
その手のひらには、水色の小さな髪飾りが載っていた。
戦士の眼が、わずかに反応する。
「妹は、今も生きている」
「……そうか」
「お前が勝っている間はな」
戦士の眼は髪飾りから視線を外し、正面へ向き直った。
「勝てばいいんだろ」
「ただ勝つだけじゃ足りない。上の方々は、お前の眼がどこまで使えるのか見たがっている」
戦士は何も答えなかった。
選手用の観覧席では、肩へ包帯を巻いた光留と、左脚を引きずる伊織が男を見下ろしていた。
「あれが、戦士の眼か」
伊織が言う。
「武器を持ってないぞ」
「必要ないんだろ」
光留は男の両手を見ていた。
反対側の門が開く。
『対するは、獣の力をその身へ宿す獣の眼! あらゆる守りを粉砕する鎚の眼!』
一人目の男は上半身を大きく前へ倒し、獣のように四肢を地面へつけていた。眼の発動とともに腕が太くなり、指先から黒い爪が伸びる。口元から鋭い牙がのぞき、瞳は獣のように細くなっていた。
その隣に立つ鎚の眼は、両手の間へ大量の眼力を集めている。
眼力が圧縮され、巨大な鎚を形作った。
鎚の頭だけで人間の胴体ほどの大きさがある。
「爺さんの次は、武器も持ってない奴か」
鎚の眼が笑った。
「相方は後ろで見てるだけ。実質二対一だな」
獣の眼も牙をむき出しにする。
「すぐに終わらせる」
戦士の眼は二人の言葉へ反応しなかった。
ただ、静かに両手を開く。
その身体を、薄い眼力の膜が覆った。
眼力は皮膚の表面だけでなく、腕や脚の内側にも流れ込んでいる。膨れ上がった筋肉がさらに引き締まり、足元の砂が重みによって沈んだ。
「何だ、あれ」
伊織が眼を細める。
「能力を使う前に、眼力を身体へ回してる」
光留は男の足元を見ていた。
同じことを、自分たちも無意識に行っている。
攻撃を受ける瞬間に腕へ眼力を集め、踏み込む瞬間に脚へ流す。だが戦士の眼は、眼力の移動が桁違いに速い。
開始の太鼓が鳴った。
『始め!』
獣の眼が地面を蹴る。
四肢の力だけで砂を吹き飛ばし、低い姿勢のまま戦士へ迫った。
爪が首へ伸びる。
戦士の右手に、青白い光が集まった。
光は長い柄となり、その先端へ鋭い穂先を作る。
槍。
生成と同時に、戦士は槍を横へ振るった。
獣の眼は地面へ身体を沈めて槍を避け、その柄へ爪を立てる。
「遅い!」
獣の眼が槍の下を潜り抜けた。
だが、戦士の左手にはすでに別の光が集まっていた。
円形の盾が生まれる。
獣の眼の爪が盾へ激突した。
火花が散り、爪が弾かれる。
「二つ同時に作れるのか」
伊織が身を乗り出した。
「それだけじゃない」
光留は戦士の視線を追っていた。
槍と盾を持ちながらも、戦士は獣の眼だけを見ていない。
その背後で、鎚の眼が巨大な武器を振り上げていた。
「潰れろ!」
鎚が頭上から落ちる。
戦士は槍を消した。
青白い光の欠片となって崩れた槍が、砂の上へ落ちる前に消えていく。
空いた右手で盾の縁をつかみ、頭上へ構えた。
巨大な鎚が盾へ直撃する。
闘技場全体へ轟音が響いた。
戦士の足元が陥没し、砂が円状に吹き飛ぶ。
盾へ大きな亀裂が走った。
「受け止めた!」
観客席から歓声が上がる。
だが、鎚の眼はさらに両腕へ力を込めた。
「砕けろ!」
盾が割れる。
青白い破片が飛び散り、戦士の右肩へ鎚が落ちた。
強烈な一撃だった。
普通の人間なら、肩から腰まで骨を砕かれている。
戦士は片膝をついた。
右肩を覆っていた眼力の膜が大きく揺らぐ。
それでも、骨は折れていなかった。
「身体そのものも硬いのか?」
「違う」
光留が答える。
「鎚が当たる瞬間だけ、肩へ眼力を集中させた」
全身を同じ強さで守ったのではない。
攻撃が当たる場所を見極め、そこだけへ防御を集めた。
戦士の眼は鎚の下から右手を伸ばす。
手首から指先までを、眼力で作られた籠手が包んだ。
巨大な鎚の柄をつかむ。
「なっ……!」
鎚の眼が引き抜こうとする。
だが、動かない。
戦士の腕へ流れ込んだ眼力が筋肉を膨らませ、鎚を握る両腕の力を上回っていた。
「離せ!」
獣の眼が背後から飛びかかる。
戦士は振り返らない。
左手へ新たな光が集まり、一本の剣が生まれた。
剣を逆手に持ち、背後へ突き出す。
切っ先が獣の眼の喉元で止まった。
「……っ!」
獣の眼は空中で身体をひねり、辛うじて剣を避ける。
そのまま戦士の背後へ着地した。
「今だ、縛れ!」
鎖の眼が両腕を広げる。
巻きついていた黒い鎖が生き物のように伸び、獣の眼の両脚へ絡みついた。
「しまっ――」
獣の眼が転倒する。
「首を落とせ!」
鎖の眼が叫んだ。
戦士は動かなかった。
「何をしている! 今なら殺せる!」
「もう戦えない」
戦士は剣の腹を、倒れた獣の眼の胸へ叩きつけた。
重い衝撃によって砂が沈む。
獣の眼の口から空気が漏れ、その意識が途切れた。
「殺せと言ったはずだ」
「勝てばいいんだろ」
戦士は鎖の眼を見ずに答えた。
その隙を鎚の眼は逃さなかった。
籠手でつかまれていた鎚を一度消し、両手へ新たな眼力を集める。
先ほどよりも大きな鎚が作り出された。
「俺を無視するな!」
鎚の眼が全身の眼力を武器へ注ぎ込む。
「鎚の眼――落城!」
巨大な鎚が、横から戦士へ迫った。
戦士は籠手と剣を同時に消す。
空になった両手を身体の前で合わせた。
青白い眼力が渦を巻き、長い柄と分厚い刃を形作る。
大斧。
戦士は両手で斧を握り、迫る鎚へ振り下ろした。
二つの武器が衝突する。
空気が震え、観客席まで砂塵が吹き上がる。
鎚と斧が拮抗した。
鎚の眼は歯を食いしばり、武器へさらに眼力を流す。
「一つの武器なら、俺の鎚の方が上だ!」
戦士の大斧へ亀裂が入る。
青白い欠片が次々と落ちていく。
「なら、一つにこだわる必要はない」
戦士は大斧を自ら消した。
抵抗を失った鎚が前へ流れる。
鎚の眼の身体が大きく傾いた。
戦士の右手に剣、左腕に盾が生まれる。
盾で鎚の柄を押し上げ、剣を鎚の眼の首へ振るった。
切っ先が皮膚へ触れる直前で止まる。
鎚の眼の頬を、一筋の血が流れた。
「降参しろ」
「ふざけるな!」
鎚の眼が武器を捨て、戦士へ殴りかかった。
戦士は剣を消した。
代わりに右腕へ籠手を作り、相手の拳を正面から受け止める。
骨と籠手がぶつかる鈍い音が響く。
戦士は拳を握ったまま、鎚の眼の身体を引き寄せた。
左の盾も消える。
空いた左手にも籠手を作り、腹部へ拳を打ち込んだ。
一撃。
鎚の眼の身体が浮く。
二撃目は胸。
三撃目は顎。
最後まで急所を外し、確実に意識だけを奪う拳だった。
鎚の眼が砂の上へ倒れた。
開始から、わずか数分。
獣の眼と鎚の眼の二人は、どちらも意識を失っている。
しかし、生きていた。
『しょ、勝者――戦士の眼、鎖の眼!』
試合終了の太鼓が鳴る。
観客席から大歓声が降り注いだ。
戦士の眼は両腕の籠手を消した。
青白い光の欠片が風に流され、砂へ溶けていく。
男は歓声へ応えなかった。
倒れた二人の呼吸を確認すると、静かに出口へ向かう。
「待て」
鎖の眼が追いつき、肩をつかもうとする。
戦士は振り返らなかった。
「勝った」
「手加減したな」
「二人とも動けない。それ以上、何が必要だ」
「上の方々は、お前が人間をどこまで壊せるか見たがっている」
鎖の眼が水色の髪飾りを見せる。
「次も命令に逆らえば、妹が代わりに痛みを受けることになる」
戦士の足が止まった。
握られた拳へ眼力が集まり、青白い籠手が形を作りかける。
鎖の眼は笑った。
「俺を殺せば、妹の居場所は永遠に分からない」
戦士は眼を閉じた。
指先から力が抜け、作りかけた籠手が消える。
「……次も勝つ」
「それでいい」
二人は並ぶことなく、離れたまま闘技場を出ていった。
光留と伊織は、しばらく何も言えなかった。
戦士の眼が作った武器は、すべて眼力でできている。
黒の眼なら吸収できる。
だが、今の光留が黒の力を使えるのは、自分の拳と黒水だけだ。
槍を吸収している間に斧へ持ち替えられる。盾を消して籠手を作られれば、次の攻撃へ間に合わない。
黒の眼を父の刀や忍術へ乗せられなければ、あの武器の変化には対応できない。
伊織も同じことを考えていた。
「俺の火を盾へ残しても、あいつは盾ごと消せる」
「ああ」
「身体を焼こうとしても、その前に別の武器で止められる。しかも、武器を全部消しても、あの拳が残る」
伊織は悔しそうに奥歯を噛んだ。
「勝てないな」
光留はすぐには答えなかった。
慰めるような言葉を口にしても意味はない。
戦士の眼の強さを見たうえで、今の自分たちが勝てると言うのは、勇気ではなく思い上がりだった。
「今の俺たちでは、勝てない」
光留は認めた。
「未来の眼と熱の眼にも、戦士の眼にも届いてない」
「じゃあ、どうする」
「届くところまで強くなるしかない」
光留は腰に差した刀へ手を置いた。
父から受け継いだ刀。
この刀へ黒の眼を流すことができれば、戦士の武器を斬りながら吸収できる。
忍術へ黒を乗せられれば、攻撃、防御、拘束のすべてで対抗できる。
だが、方法が分からない。
前の試合では、三式・縛へ黒の力を流した瞬間に術が崩れた。
「次の試合まで、三日だ」
伊織が対戦表の横に書かれた予定を見た。
「三日で、あそこまで行けると思うか?」
「分からない」
光留は戦士が消えた通路を見つめた。
「でも、やるしかない」
「相変わらずだな」
背後から声がした。
二人が振り返る。
地下から戻った蓮が、通路の壁へ寄りかかっていた。衣服には砂と血が付着していた。
「蓮!」
「大声を出すな。ここは敵の中だ」
蓮は周囲へ視線を走らせてから、声を落とした。
「地下に牢があった。大会の敗者や、価値のある眼を持つ人間が閉じ込められている」
「鉄の眼と針の眼もか?」
「ああ。それだけじゃない」
蓮は闘技場の出口を見た。
「水の眼を持つ少女がいた。今戦っていた男の妹だ」
光留と伊織の表情が変わる。
「戦士の眼は、妹を人質に取られている。勝たなければ妹を殺すと脅されているらしい」
「それで、あんな戦い方を……」
伊織が拳を握る。
「助けられないのか?」
「牢には特殊な錠と見張りがある。俺一人で動けば、少女を先に殺される可能性が高い」
「なら三人で行く」
「今は駄目だ」
蓮が即座に止めた。
「地下の通路は、砂漠の奥まで続いていた。どこに誰がいるのか、まだ分からない。正面から踏み込めば、捕まっている全員を別の場所へ移される」
光留は悔しさを抑え、うなずいた。
ここで感情のまま動けば、救える者まで失う。
「まず外へ出るぞ」
蓮が言った。
「ここでは話せないことが多すぎる」
三人は人混みに紛れ、コロシアムの出口へ向かった。
外では、砂漠の太陽が少しずつ西へ傾いていた。
赤い光を受けた町の向こうに、終わりの見えない砂丘が広がっている。
光留は歩きながら、父の刀の柄を握った。
戦士の眼へ勝つため。
地下に囚われた者たちを救うため。
残された時間は三日。
今のままでは、何も守れない。




