第二十四話 対戦相手
東側受付へ続く通路は、闘技場へ向かう観客たちとは別の熱気に包まれていた。
壁際には武器を背負った者たちが並び、順番を待ちながら互いの身体や眼を値踏みしている。笑い声を上げる者もいれば、外套を深くかぶり、能力を隠している者もいた。
光留たちは人混みを抜け、受付の前に掲げられた大きな木札を見上げた。
一、出場は二人一組とする。
二、武器、眼術及び眼装の使用を認める。
三、降参、意識喪失、場外によって勝敗を決する。
四、故意による殺害を禁ずる。
五、年齢及び眼級による制限は設けない。
木札の隣には、優勝賞品が収められた透明な箱が置かれていた。
銀色の腕輪だった。
表面には細かな紋様が刻まれ、その中心に黒い石が埋め込まれている。箱越しでも、周囲の眼力を引き寄せるような不思議な感覚があった。
「一眼級の腕輪……」
伊織が声を落とす。
眼力を受け止める器を補強し、より大きな力を扱えるようにする眼装。今の光留たちには簡単に手に入れられない代物だった。
「これがあれば、黒水を使ったときの負担を減らせるかもしれないな」
「ああ」
光留は腕輪を見つめた。
弟を連れ戻すためには、今よりも強くならなければならない。そのために必要なものが目の前にあるのなら、手を伸ばさない理由はなかった。
しかし、隣に立っていた蓮は賞品ではなく、大会規則の最初の一文を見ていた。
「二人一組か」
伊織も気づき、三人の顔を順番に見る。
「俺たちは三人だぞ」
「光留とお前で出ろ」
蓮は迷わず答えた。
「お前はどうするんだ?」
「俺まで表に出れば、裏を見る者がいなくなる」
蓮は受付の奥へ視線を向けた。
そこには出場者用の通路がいくつもあり、試合前の控室や治療所へつながっているらしい。だが、入口には屈強な警備の男たちが立ち、出場者以外を近づけようとしていなかった。
「ここへ来た目的は、腕輪だけじゃないだろ」
蓮の言葉に、光留がうなずく。
この島では人が消えている。
大会へ出場した者の中にも、敗北したあと家族の元へ戻らなかった者がいるという。闇市と大会がつながっているのなら、観客席から試合を見ているだけでは何も分からない。
「お前たちが表で目立て。俺はその間に裏を探る」
「一人で大丈夫なのか?」
「俺を誰だと思ってる」
蓮がわずかに笑った。
「分かった。ただし、危険を感じたら戻れ」
光留が言うと、蓮は返事の代わりに肩をすくめた。
「次の者!」
受付係の声が響いた。
人の列が動き、前にいた二人組が受付台へ進む。
一人は、周囲の者より頭一つ大きな巨漢だった。むき出しになった腕には灰色の光沢があり、歩くたびに重い金属を打ちつけたような音が鳴る。
その後ろには、細身の男が立っていた。
長い指の間には、眼力で作られた細い針が挟まれている。男が指先を動かすたび、光を反射した針が一瞬だけ姿を現し、また消えた。
「鉄の眼と針の眼だ」
近くにいた出場者が囁いた。
「鉄がすべて受け止めて、針が後ろから急所を狙う。あの二人に当たった奴は、まともに歩いて帰れないらしい」
鉄の眼の男が受付台へ手を置く。
石造りの台が重みに耐えきれず、小さくひび割れた。
「壊すな」
受付係が顔をしかめる。
「まだ力は使ってねえ」
巨漢が答えると、周囲から乾いた笑いが起こった。
一方、針の眼の男は何も言わない。細めた眼で出場者たちを眺め、どこを刺せば動きを奪えるのか確かめているようだった。
「厄介そうだな」
伊織が呟く。
「二人の動きが分かれている。片方だけ見ていたら、もう片方にやられる」
光留は二人の立ち位置を観察していた。
鉄の眼が半歩前。針の眼はその真後ろ。
戦う前から、すでに攻撃と防御の役割が完成している。
二人が受付を終えると、再び列が動いた。
そのとき、後方から笑い声が聞こえた。
「おいおい。ここは老人の見世物小屋じゃねえぞ」
振り返ると、一人の老人が列に並んでいた。
腰まで届く白髪を後ろで束ね、長い杖を手にしている。深い皺が刻まれた顔から年齢は判断できないが、この場にいる誰よりも年を重ねていることだけは明らかだった。
姿勢は真っすぐだった。
細い身体にもかかわらず、立ち姿には一切の揺らぎがない。
老人の隣には、二十歳前後の若者がいた。短い髪の隙間から汗が流れているが、それは暑さによるものではない。
若者の周囲だけ、空気が陽炎のように揺れていた。
露出した腕は赤く熱を帯び、近くにいた者たちが無意識に距離を取っている。
「本当に出場されるのですか?」
受付係が老人へ尋ねた。
「そのために並んでおる」
「年齢制限はございません。しかし、この大会では大きな怪我を負う可能性があります」
老人は木札へ眼を向けた。
「年齢制限はないと、自分で書いておるではないか」
「それは、そうですが……」
「ならば問題あるまい。若者だけのものにするなら、初めからそう書いておけばよい」
老人は穏やかに笑い、差し出された出場用紙を受け取った。
周囲では、まだ何人かの男が笑っていた。
「爺さん、悪いことは言わねえ。観客席に行きな」
一人の男が老人の肩をつかもうと手を伸ばす。
しかし、男が動き始めるより先に、老人は左へ半歩ずれていた。
伸ばした手は空を切る。
勢いを止められなかった男が受付台へぶつかり、身体をよろめかせた。
「何しやがる!」
男が拳を振り上げる。
「二歩下がれ」
老人が静かに言った。
隣にいた若者が、迷うことなく二歩下がった。
次の瞬間、別の場所で起きていた揉め事から一本の短剣が飛んできた。短剣は若者が立っていた場所を横切り、拳を上げていた男の足元へ突き刺さる。
周囲の笑い声が消えた。
老人は最初から短剣が飛んでくることを知っていたように、驚きもしなかった。
「歳を取ると、見てから動いたのでは間に合わんのでな」
そう言って、老人は出場用紙の能力欄へ筆を走らせた。
――未来の眼。
受付係の表情が変わった。
続いて、隣の若者が筆を取る。
若者が受付台へ腕を置いた瞬間、石の表面から白い煙が上がった。慌てて腕を離すと、そこには黒く焦げた手形が残っている。
「悪い。少し熱が漏れた」
能力欄に書かれた文字は、熱の眼。
未来の眼を持つ白髪の老人と、熱の眼を持つ若者。
老人が戦いの先を読み、若者がその未来を現実にする。
二人が並んでいるだけで、周囲の空気が変わっていた。
「爺さん、本番前に余計なことさせるなよ」
「おぬしが二歩下がれば済む話じゃった」
「だから下がっただろ」
「ならば文句を言うでない」
若者は不満そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
荒っぽい雰囲気とは反対に、老人の指示へ逆らうつもりはないらしい。
「完全に先が見えるなら、反則みたいな能力だな」
伊織が小声で言った。
「いや」
光留は老人を見つめた。
「すべてが見えるなら、大会へ出て確かめる必要もない。見える範囲か、時間に限界があるはずだ」
「正解じゃ」
老人が突然答えた。
光留たちへ背を向けたままだった。
老人はゆっくりと振り返り、その細い眼を光留へ向ける。
「先が少し見えるだけで、未来のすべてが分かるわけではない。未来とは、老人よりも気まぐれなものじゃ」
穏やかな声だった。
しかし、その眼に見つめられた瞬間、光留は自分の動きを先に読まれているような感覚に襲われた。
隣にいた熱の眼の若者が、光留の黒い眼を見て口元を上げる。
「爺さん。あいつが言ってた黒い眼か?」
「声が大きい」
「どうせ聞こえてる」
老人は答えず、再び前を向いた。
「次の者!」
受付係に呼ばれ、光留と伊織が台の前へ進む。
二人が出場用紙へ名前と能力を書き込むと、それぞれに一枚の金属札が渡された。
札には二十七の数字が刻まれていた。
「二十七番、葛城光留、橘伊織。初戦は本日五試合目だ」
受付係が対戦表へ二人の札をはめ込む。
その向かい側に置かれた札を見て、伊織の表情が変わった。
――鉄の眼・針の眼。
「いきなり、あの二人か」
伊織が後ろを振り返る。
鉄の眼の巨漢が腕を組み、光留たちを見ていた。その背後では、針の眼の男が細い針を指の間で回している。
針の先が、真っすぐ光留の眼へ向けられた。
「ちょうどいい」
光留は札を握った。
「ここで勝てないなら、腕輪まで届かない」
その声を聞いた伊織が笑う。
「そう言うと思ったよ」
二人が受付を離れようとすると、未来の眼の老人とすれ違った。
老人は足を止めず、小さな声だけを残した。
「鉄ばかりを見ておると、針は見えんぞ」
光留が振り返ったときには、老人はすでに熱の眼の若者と通路の先へ進んでいた。
「忠告か?」
「さあな」
光留は老人の白髪を見つめた。
「ただ、俺たちが鉄の眼と戦うことは、受付を見る前から知っていたのかもしれない」
その頃、蓮は受付から離れた通路に立っていた。
少し前、一人の女性が警備の男へ詰め寄っていた。
「兄は昨日の試合で負けただけです! 大きな怪我はしていませんでした。それなのに、どうして帰ってこないんですか!」
「治療所で休んでいる。家へ戻れ」
「なら会わせてください!」
「関係者以外は入れない」
警備の男は女性を通路の外へ追い出した。
その直後、治療所とは反対側の扉が開く。
黒い布をかけられた担架が、二人の係員によって運び出された。布の隙間から、力なく垂れ下がった腕が見える。
指先から落ちた一滴の血が、石の床を赤く濡らした。
担架は治療所へ向かわなかった。
関係者以外立入禁止と書かれた扉を通り、地下へ続く階段へ運ばれていく。
「なるほどな」
蓮は床に残った血へ指先を触れた。
まだ温かい。
しかも、担架の人物は生きている。
蓮は遠ざかっていく係員の足音を聞きながら、口元に薄い笑みを浮かべた。
「表は任せたぞ、光留」
地下への扉が閉じる直前、蓮の姿がその隙間へ滑り込んだ。
直後、コロシアム全体を揺らす太鼓が鳴った。
砂上の戦いが、間もなく始まろうとしていた。




