第二十三話 砂上の闘技場
船が南の島の桟橋へ近づくにつれ、潮を含んだ風から少しずつ湿り気が消えていった。
光留たちが船を降りると、焼けた石畳から立ち上る熱が、足の裏を突き抜けてきた。頭上には雲一つない青空が広がり、白く輝く太陽が島全体を真上から照りつけている。
「暑っ……」
伊織が反射的に額を押さえた。
港の周囲には白い石で造られた建物が並んでいたが、その先に緑はほとんど見えない。町の向こうには、波のような砂丘が幾重にも連なっていた。風が吹くたびに砂の表面が薄く削られ、地面を這うように流れていく。
西島の森に満ちていた湿った土や木々の匂いは、ここにはなかった。
代わりに鼻を刺すのは、乾いた砂と熱せられた石の匂い。それに香辛料や焼いた肉の匂いが混ざり、港の奥から流れてきていた。
「立ち止まるな。余計に暑く感じるぞ」
朱堂蓮が口元を布で覆いながら歩きだした。足取りに迷いはない。
「お前、こういう場所に来たことあるのか?」
「ない。ただ、砂の上で口を開けて歩くほど間抜けじゃない」
「誰が間抜けだ」
言い返した伊織の口へ、ちょうど風に巻き上げられた砂が入り込む。
「……最悪だ」
光留は二人のやり取りを聞きながら、町の奥へ目を向けた。
通りには、砂よけの長い外套をまとった人々が行き交っている。頭から布をかぶった商人、肌を焼いた屈強な男、腰に何本もの刃を下げた戦士。日陰には水を売る露店が並び、店主たちが声を張り上げて客を呼び込んでいた。
建物の窓は小さく、屋根は平らだった。細い路地の上には色鮮やかな布が渡され、わずかな日陰を奪い合うように人が集まっている。
どこを見ても、赤茶色の壁と黄金色の砂ばかりだった。
人通りの途切れた日陰で、伊織は懐から一通の手紙を取り出した。
西島を発つ前、伊織のもとへ届いたものだった。
差出人は、南の島の騎士団。
二番隊の隊士から伊織のことを聞き、調査への協力を求めてきたのだ。手紙には、二番隊の者たちがこの島で無事にいることも記されていた。
その知らせを読んだとき、伊織は長く息を吐いていた。
だが、続く文面は、再会を喜ぶだけでは済まないものだった。
『本島では、闘技大会に出場した者の失踪が相次いでいる。
大会と闇市の関わりを疑っているが、騎士団が表立って調べるたびに記録が消され、調査が進まない。
貴殿らには、出場者として大会へ入り、失踪者の行方と、闇市につながる手掛かりを探ってもらいたい。
騎士団との関わりは伏せ、得た情報をこちらへ知らせてほしい』
光留も、船の上で何度も読んだ手紙だった。
「俺たちなら、ただの出場者として入れるってことか」
蓮が低く言った。
「ああ。騎士団の顔は知られてる。俺たちなら、まずは腕試しに来た旅人に見える」
伊織も声を抑えて答えた。
「頼まれたのは、調べるところまでだ。相手も分からないうちに突っ込むなよ」
蓮の言葉に、光留はうなずいた。
強い眼を持つ者が集まる大会なら、弟を救うために力を貸してくれる相手が見つかるかもしれない。
その場所で、出場者が消えている。
誰が、何のために。
光留は、手紙に書かれていた失踪という言葉を思い返した。
伊織が手紙を懐へ戻し、代わりに同封されていた町の地図を光留へ渡した。
三人は人の流れに沿って、町の中央へ進んだ。
やがて、地面を揺らすような低い音が聞こえてきた。
最初は遠くで雷が鳴っているのかと思った。だが近づくにつれ、それが何千人もの歓声だと分かる。腹の底へ響く太鼓の音と、金属同士が激しくぶつかり合う音も混ざっていた。
「近いな」
伊織が顔を上げる。
次の角を曲がった瞬間、三人は同時に足を止めた。
町の中央に、巨大な円形の建造物がそびえていた。
砂色の巨石を何段にも積み上げた外壁は、周囲の建物を押し潰すほど高い。壁面には無数の旗が掲げられ、乾いた風を受けて激しくはためいている。その下には巨大な門がいくつも口を開け、武器を持った者や観客たちを次々と呑み込んでいた。
まるで、砂漠に埋もれていた巨大な獣が、町の中心で目を覚ましたようだった。
光留は手元の地図と、目の前の建造物を見比べた。
「場所はここか」
「ああ。間違いない」
伊織が答えた直後、コロシアムの内側からひときわ大きな歓声が上がった。
三人は人混みに紛れ、巨大な門をくぐった。
外壁の内側へ入ると、強烈な日差しは遮られた。しかし、石造りの通路には大勢の人間が放つ熱気がこもり、外とは違う息苦しさがあった。
壁際には武器や防具を売る店が並び、胴元らしき男たちが金貨を積み上げている。体中に傷を負った戦士たちが行き交い、その多くがフードや眼帯で片方の眼を隠していた。
通り過ぎる者たちの視線は、顔ではなく眼に向けられていた。
光留の黒い眼。
伊織の火の眼。
そして、蓮の血の眼。
値踏みするような視線が、三人へ次々と突き刺さる。
「随分と見られてるな」
伊織が声を落とす。
「珍しい眼が三つも並んでいればな」
蓮は平然と答えたが、その手はいつでも動ける位置に置かれていた。
三人は通路の先にある光へ進んだ。
視界が開けた瞬間、地鳴りのような歓声が全身を打った。
円形に積み上がった観客席。そのすべてを埋め尽くす人々。中央には、強い日差しに照らされた広大な闘技場があった。
闘技場の砂は周囲の砂漠よりも濃く、ところどころ赤黒く染まっている。地面には折れた剣や砕けた盾の破片が残り、運び出されたばかりの戦士が残した血の跡が、砂の上を長く引きずられていた。
その光景を見た蓮が、わずかに眼を細める。
「ただの大会会場じゃなさそうだな」
光留も同じ違和感を覚えていた。
観客の歓声に紛れ、闘技場の上段から戦士たちを見下ろしている者たちがいる。豪華な布で顔を隠し、勝敗ではなく、出場者の眼だけを観察していた。
そのとき、頭上の太鼓が三度鳴った。
『次なる戦いへの参加を望む者は、東側受付へ集え!』
響き渡る声に続き、壁に掛けられた大きな布が下ろされた。
そこには太い黒文字で、こう記されていた。
――二人一組。勝者には、一眼級眼装を授ける。
光留は巨大な闘技場を見渡した。
弟を救うための力につながるものが、本当にここにあるのか。
「まずは中から調べる」
光留の言葉に、伊織と蓮が静かにうなずいた。
三人の頭上で、砂漠の太陽が赤く燃えていた。




