第二十話 父
「だが、今度こそ全て話す」
朔兵衛の言葉を聞いても、蓮は血刃を下ろさなかった。
刃先が喉元に触れ、細い血が一筋流れる。
「また嘘をついたら、その場で殺す」
「構わぬ」
朔兵衛は短刀を拾わず、背を向けた。
演武場に残った三人の上級忍は、駆けつけた治療班へ引き渡された。全員重傷ではあったが、命に別状はない。
小夜は蓮の肩へ布を巻こうとしたが、蓮はその手を払った。
「必要ない」
「歩いている間に失血で倒れられる方が迷惑です」
小夜は構わず傷を縛る。
伊織が横から蓮を見る。
「三人を倒した割には、素直に治療されるんだな」
「次はお前から血を借りるからな」
「やってみろよ」
「二人とも、今はやめろ」
光留が間へ入り、朔兵衛の後を追った。
◇
長の屋敷へ戻る頃には、東の空が白み始めていた。
朔兵衛は執務室の奥にある棚を動かした。
壁の中から、地下へ続く石段が現れる。
「こんな場所があったのか」
「長と記録役だけが入ることを許された封印書庫だ」
「宗玄も知っていたんだな」
蓮の声に、朔兵衛は頷いた。
石段の下には、窓のない小さな部屋があった。
棚には古い巻物や術式の記録が並び、その一番奥に鉄の箱が置かれている。
朔兵衛は首から下げていた鍵で箱を開いた。
中には、焼け焦げた一冊の記録と、折り畳まれた数枚の紙が入っていた。
「これが、六式に関する本来の記録だ」
蓮が紙を奪うように手に取る。
最初のページには、一人の名が記されていた。
『六式考案者 朱堂要』
蓮の指が止まった。
「朱堂……要」
声に出した瞬間、その名が狭い書庫の中へ広がった。
消されたはずの父の名。
蓮は何度も紙の文字をなぞった。
「父の字だ」
「間違いない」
朔兵衛が答える。
「要は、五式すべてを修めた忍びだった。だが、六式を作った理由は、遠くの敵を倒すためではない」
朔兵衛は焼け焦げた記録を開いた。
そこには、人の眼の奥へ黒い虫のようなものが潜む絵が残されていた。
「要は、里の者が自分の意思に反して動く事件を調べていた。その末に寄生の眼の存在へ辿り着いた」
「父は、あいつを知っていたのか」
「ああ。寄生された者を助ける方法も探していた」
朔兵衛が次の紙を蓮へ渡す。
中央に、要の筆で一文だけが書かれていた。
『殲は、人を殺すための術ではない。人の内に潜む眼だけを撃ち抜くための術だ』
蓮は黙ったまま、その文を見つめた。
紙の端には、黒ずんだ血の跡が残っていた。
蓮が指で触れると、赤い眼の奥へ微かな眼力が伝わってくる。
怒りでも、憎しみでもない。
誰かを救うために術を完成させようとした、静かな意志だけが残っていた。
その下には、さらに小さな字が続いている。
『この術を継ぐ者へ。寄生された者を敵と思うな。撃つべきは、その者の中で笑う眼だ』
六式は、父を殺した者を撃つために残されたのではなかった。
寄生された者を、殺さずに救うための術だった。
「要は、寄生の眼力が集まる一点だけを撃ち抜くため、眼力を極限まで圧縮する術を作った。それが殲だ」
「なら、寄生の眼は自分を殺せる術が完成したから、父を消したのか」
「そうだ」
朔兵衛は、記録の最後に挟まれていた名簿を開く。
「こいつはわしの身体を奪い、三人の上級忍へ要の殺害を命じた」
名簿には、百地宗玄の名と、その下に四人の名が並んでいた。
『戸隠玄道』
『鞍馬兵馬』
『八雲鉄心』
『霧生朔兵衛』
宗玄の名を見た瞬間、蓮の指が僅かに止まった。
朔兵衛は戸隠玄道の名を指した。
「演武場で寄生の眼に操られていた巡回忍だ。かつては上級忍だったが、数年前に第一線を退いていた」
「父を襲った一人……」
「寄生の眼は、自分の存在を知る者を消し始めている。玄道を殺し、死体を利用してお前の身体を奪おうとした」
小夜が名簿を見る。
「宗玄へ使われていた薬も、寄生の眼が用意したのでしょうか」
蓮の表情が僅かに動いた。
「宗玄を殺したのは俺だ」
光留が蓮を見る。
「やっぱり、お前だったのか」
「俺が書庫へ入ったとき、宗玄はすでに薬を打たれていた。身体を動かせず、椅子に座っていた」
「薬を打ったのはお前じゃないのか?」
「俺じゃない。だが、あいつの血を引き出して殺したのは俺だ」
蓮は言い逃れようとしなかった。
「寄生の眼がお膳立てしたとしても、俺が殺したことは変わらない」
朔兵衛と蓮の視線が重なる。
二人とも、誰かに心を利用された。
そして二人とも、それを自分の罪から逃げる理由にはしなかった。
「この記録を、いつ見つけたのですか」
小夜が尋ねる。
「要の死から数年後にな」
朔兵衛は、箱の底から別の紙を取り出した。
「光留の父は、滝の奥に隠されていた六式の写しを見つけ、わしへ預けた」
紙の端には、光留が何度も見た父の字が残されている。
『術を封じるとしても、作った者の名まで消してはならない』
光留は紙を強く握った。
「父さんは、寄生の眼のことも知っていたのか」
「全てではない。だが、この里で何者かが真実を消していると気づいていた」
「それなのに、長はまた隠した」
「ああ」
朔兵衛は言い返さなかった。
「記録を残すことだけで、罪を償ったつもりになっていた。名を表へ戻す勇気はなかった」
蓮が父の記録を静かに箱へ戻した。
「父の名前は、俺が戻す」
掌に小さな血刃が生まれる。
朔兵衛は動かなかった。
だが、蓮はその刃を喉へ向けなかった。
「許したわけじゃない」
「分かっている」
「お前を殺すかどうかは、寄生の眼を倒してから決める」
血刃が形を失い、蓮の掌へ戻る。
「それまでは、俺がお前を見張る」
「お前も見張られる立場だ」
伊織が言った。
「宗玄を殺したことまで消えたわけじゃない」
「分かっている」
蓮は伊織から眼を逸らさなかった。
朔兵衛が残る二人の名を指す。
「鞍馬兵馬は、鐘が鳴った夜から姿を消している。八雲鉄心は一月前、商船に乗って南へ向かった」
「南……」
伊織が懐から、刃眼隊から届いた手紙を取り出す。
「第二隊の足取りと同じだ。東岸から商船へ乗り、その船は南へ向かった」
光留は、名簿と手紙を並べた。
寄生の眼。
父の六式。
消えた元上級忍と、行方不明の刃眼隊第二隊。
別々だった道が、南で一つにつながろうとしている。
蓮は『朱堂要』と書かれた紙を、もう一度開いた。
「父の術で、父を殺した奴を終わらせる」
光留がその隣に立つ。
「人を殺すための術じゃないんだろ」
蓮はしばらく黙ったあと、紙を折り畳んだ。
「ああ、寄生の眼だけを撃ち抜く」




