第十九話 寄生
第十六話 寄生の眼
「その身体を、俺に寄越せ」
死体の眼から伸びた黒い眼力が、朱堂蓮の顔へ迫った。
蓮は左手を上げる。
血を壁へ変えようとしたが、指先が僅かに動いただけだった。三重城壁を貫いた反動で、眼力がほとんど残っていない。
黒い線の先端が、蓮の赤い眼へ触れようとする。
「一式――壁!」
蓮の前に、黒い眼力の壁が現れた。
寄生の眼力が壁へ突き刺さり、中心に細い亀裂を作る。
「光留……」
崩れた入口から、葛城光留が飛び込んできた。
その横を橘伊織が駆け抜ける。
「火の眼――炎走!」
伊織の刀から放たれた炎が、壁へ食い込んだ黒い線を焼き切った。
死体が後ろへ跳ぶ。
遅れて入ってきた小夜は、倒れている三人の上級忍へ駆け寄った。
「全員、生きています。ですが、しばらくは動けません」
光留は壁を維持したまま蓮を見る。
「派手にやったな」
「助けを頼んだ覚えはない」
光留の視線が死体へ移る。
「あれは何だ」
「自分で寄生の眼と名乗った」
小夜が息を呑んだ。
「寄生の眼……。傷口や眼から眼力を侵入させ、他人の身体を奪う眼です」
「知っているのか」
「記録で読んだだけです。持ち主は何十年も前に死んだとされていました」
死体の口が大きく歪んだ。
「身体が滅びれば、眼まで死ぬと思ったか」
黒い線が死体の首から頬へ這い上がる。
「恐怖、怒り、嫉妬。人の心に開いた隙間さえあれば、俺は何度でも中へ入れる」
死体が床を蹴った。
光留が壁を厚くする。
黒い指がぶつかり、壁全体に波紋が広がった。中心だけを厚くせず、端まで均一にした壁が衝撃を受け止める。
「また壁か」
「今度は、簡単にはやらせない」
死体の腕が幾本もの黒い糸にほどけた。
糸が壁の上下へ分かれ、光留の死角から蓮を狙う。
伊織が刀を床へ突き立てた。
「炎壁!」
蓮の周囲を炎が円形に囲む。
黒い糸は火へ触れるたびに縮み、死体の腕へ戻っていった。
「火は嫌いらしいな」
「燃やせるのは、外へ出ている眼力だけです。本体がどこにいるか分かりません」
小夜が木刀を構えた。
「今動いている身体も、すでに死んでいます。操り人形に過ぎません」
「なら、燃やしてしまえばいい」
伊織が炎を強めようとした、そのときだった。
「待て」
演武場の外から、杖の音が響いた。
霧生朔兵衛が、一人で中へ入ってくる。
死体の黒い眼が、嬉しそうに細くなった。
「懐かしいな、朔兵衛」
朔兵衛の足が止まる。
「その声を、もう一度聞く日が来るとはな」
蓮が朔兵衛を見る。
「知っているのか」
「知っているとも」
死体が答えた。
「その老人は、俺の器だった」
演武場から音が消えた。
蓮の赤い眼が見開かれる。
「どういう意味だ」
朔兵衛は死体ではなく、蓮を見ていた。
「お前の父が死んだ夜、わしは寄生の眼に身体を奪われていた」
蓮の周囲に残っていた血が揺れる。
「乗っ取られていたのか?」
死体が喉を鳴らして笑った。
「当時、お前の父は六式を完成させ、次の長に推されようとしていた。朔兵衛は恐れた。自分が長の座から降ろされることをな」
「黙れ」
「違うとは言えまい」
朔兵衛は否定しなかった。
「任務で負った傷から、こいつの眼力が入った。わしの中にあった恐れを餌にして、少しずつ身体を奪われたのだ」
杖を握る手に力が入る。
「そして、わしの口を使い、当時の上級忍三人へお前の父を殺すよう命じた。宗玄には、六式の事故として記録させた」
蓮の歯が鳴った。
「なら、父を殺したのは寄生の眼なのか」
「命令を出したとき、身体を操っていたのはこいつだ」
朔兵衛は一度言葉を切った。
「だが、お前の父への恐れはわし自身のものだった。こいつは、何もない場所に感情を作ったのではない。わしの弱さを利用しただけだ」
「それでも、乗っ取られていたんだろ」
「翌朝、身体を取り戻した。真実を話し、記録を正すこともできた」
朔兵衛の眼が、倒れた巡回忍びへ向く。
「わしはそれをしなかった。里が割れることを恐れ、長の命令が敵に操られていたと知られることを恐れた。結局、わしは再び自分の地位と里の秩序を選んだ」
朔兵衛は蓮へ向き直る。
「乗っ取られていたなど、言い訳に過ぎぬ」
蓮の足元から、血の棘が伸びた。
「なら――」
その怒りを待っていたかのように、死体の胸が裂けた。
黒い眼力が床を走り、蓮の肩の傷へ突き刺さる。
「蓮!」
光留が手を伸ばしたときには、黒い線が蓮の首まで達していた。
蓮の身体が大きく反り返る。
赤い眼の周囲へ、虫のような黒い模様が広がっていく。
『怒れ。憎め。身体を渡せば、俺がお前の父を殺した者を全員消してやる』
声が蓮の頭の中で響く。
蓮の右腕が、本人の意思に逆らって持ち上がった。
指先が朔兵衛へ向く。
赤と黒の眼力が集まり始める。
「六式を撃つつもりです!」
小夜が叫ぶ。
光留は蓮と朔兵衛の間へ立った。
「どけ……」
蓮の口から、二つの声が同時に漏れる。
「どかない」
「お前も、殺すぞ」
「それはお前の言葉じゃない」
光留は黒い模様に覆われていく眼を見つめた。
「朱堂蓮!」
蓮の指先が震える。
「お前は言っただろ。父親みたいに、自分まで名のない者にさせないって!」
『名前など捨てろ。お前は血の眼だ』
「違う!」
光留の声が、寄生の声を打ち消す。
「お前は血の眼だけじゃない。朱堂蓮だ!」
蓮の赤い瞳が、一瞬だけ黒い模様を押し返した。
「俺の……名前を……」
指先に集まっていた眼力が消える。
蓮は左手で肩の傷を掴んだ。
全身の血が、心臓へ向かって一度だけ強く流れる。
黒い眼力が血の流れに逆らい、蓮の中へ潜ろうとする。
「俺の血の中で――」
蓮の赤い眼が強く光った。
「俺以外が動けると思うな!」
肩の傷から血が噴き出す。
その中に混じっていた黒い眼力が、細長い虫のような形となって床へ落ちた。
「伊織!」
「分かってる!」
伊織の炎が黒い虫を包む。
甲高い声が響き、黒い塊が幾つもの細い糸に分裂した。
大半は炎の中で消えたが、一本だけが床板の隙間へ潜り込む。
光留が壁で塞ぐより早く、気配は地中深くへ消えていった。
「逃げられた……」
死体が再び床へ崩れ落ちる。
蓮も片膝をついたが、倒れなかった。
小夜が三人の上級忍を治療する間、朔兵衛は蓮の前へ歩み出た。
蓮の掌から、短い血刃が伸びる。
刃先が朔兵衛の喉元へ向けられた。
光留も伊織も動かなかった。
「乗っ取られていたとしても、父を殺す命令がお前の口から出たことは変わらない」
「その通りだ」
「真実を隠したのは、お前の意思だ」
「それも、その通りだ」
朔兵衛は腰の短刀を抜いた。
蓮が身構える。
だが、朔兵衛は短刀を床へ置き、杖から手を離した。
「許しを乞うつもりはない」
朔兵衛は、血刃を向けられたまま頭を下げる。
「だが、今度こそ全て話す」




