第十四話 六つ目の術
石板に開いた穴を確かめた小夜は、修行を打ち切った。
「長のところへ戻ります」
「まだ一式も終わってない」
「今は、こちらが先です」
小夜の声には、反論を許さない硬さがあった。
光留は五枚の石板を振り返る。
赤い眼力が貫いた穴は、向こう側の壁まで一直線に続いていた。あれほど苦労して均一に広げた壁が、たった一点を撃ち込まれただけで砕けた。
威力だけではない。
あの少年は、眼力のほとんどを米粒ほどの大きさへ収めていた。
自分とは正反対の使い方だった。
◇
朔兵衛は、穴の形を写し取った紙を見た瞬間に目を細めた。
「間違いないのか」
「残った眼力も確認しました」
小夜が答える。
「赤い眼の少年が、指先から放ったそうです」
朔兵衛は紙を畳み、机の上へ置いた。
「六式――殲」
初めて聞く名だった。
「せん?」
「眼力を一点へ圧縮し、弾丸のように放つ術だ。壁、爪、縛、刃、霧。そのいずれとも違う。五式が眼力の形と広がりを操る術なら、殲は広がろうとする眼力を無理に押し固める」
「だから俺の壁を貫いたのか」
「今のお前の壁ならな」
朔兵衛の言葉に、光留は少しだけ眉を動かした。
「今の、ってことは、防げるようになるのか?」
「話を先へ進めるな」
朔兵衛は杖の先で床を一度叩いた。
「殲は強力だが、使う者への負担も大きい。圧縮に耐え切れなければ、眼力の通り道が内側から裂ける。未熟な者なら一度放つだけで、しばらく眼が使えなくなる」
光留は、少年の震えていた指先を思い出した。
「あいつは、無理をして使ったのか」
「そうだろう」
「誰なんだ?」
朔兵衛はすぐには答えなかった。
「六式を作った者の息子だ」
「作った者……」
「かつて、この里に五式すべてを修めた忍びがいた。男は、眼力を遠くへ届かせる新たな方法を考え続け、六式・殲を完成させた」
「それが、あいつの父親なのか」
「ああ」
朔兵衛が光留を見る。
「どこにいる」
「分からぬ」
「さっきまで修行場にいた」
「追うつもりか」
光留は口を閉じた。
知りたい。
赤い眼の少年が、なぜ里の者を憎むような目をしていたのか。
だが、今の自分は一式の壁さえ数秒しか保てない。
「今は、追わない」
小夜が光留を見る。
「よいのですか?」
「見つけても、逃げられる。それに、今は伊織もいない」
光留は立ち上がった。
「修行場へ戻る。あいつがまた来たとき、今度は壁を全部壊されないようにする」
朔兵衛が口元をわずかに緩める。
「ようやく、先を急ぐことと焦ることの違いが分かってきたか」
「急いではいる」
「それでよい。急ぎながら、足元を見失うな」
◇
午後から、小夜は石を一つずつ投げるのをやめた。
代わりに、壁の周囲へ八体の木人を並べる。
「前だけを見ないでください」
「壁は一枚しか作れない」
「ならば、動かしなさい」
最初の木人が右から小石を放つ。
光留は壁を右へ動かした。小石は防いだが、動かした瞬間に左側が薄くなる。そこへ別の石が飛び込み、背中へ当たった。
「止まっている間だけ均一でも、実戦では使えません」
「簡単に言うな」
「簡単なら修行場は必要ありません」
三つ、四つと石が飛ぶ。
光留は壁を動かすたび、どこかへ眼力を偏らせた。右へ寄せれば左が崩れ、上げれば下が消える。
何度も石を受け、肩と背中が赤く腫れた。
それでも黒水には頼らなかった。
壁の形を保ったまま動かそうとするから、眼力が遅れる。
なら、壁を動かすのではない。
今ある場所の眼力を薄くし、次の場所へ同じ量を生み出す。
波が寄せては引くように、面そのものを連続して作り直す。
右から来た石を防ぐ。
壁を解かず、その端を左へ流す。
背後から放たれた石が、移動した壁へぶつかった。
続く三つ目も、四つ目も弾かれる。
五つ目を受けたところで壁は砕けたが、光留は倒れなかった。
「五回」
息を切らしながら笑う。
「今度は五回保った」
「数えなくても見ています」
「小夜は褒めるのが下手だな」
「まだ褒める段階ではありませんからね」
そう言いながら、小夜は六体目の木人を止めた。
「今日はここまでです」
「まだできる」
「身体ではなく、眼力が限界です。違いを覚えなさい」
光留が不満そうに腕を下ろした、そのときだった。
「さっきよりは、ましになったじゃないか」
修行場の入口に、赤い眼の少年が立っていた。
小夜が木刀へ手をかける。
「何をしに来たんですか?」
「そいつが俺を追わなかった理由を見に来た」
少年の視線が光留へ向く。
「六つ目を知っても、五つの修行を続けるのか」
「一式も使えないまま、六式だけ欲しがっても仕方ないんだろ」
「殲なら、壁を覚えなくても敵を倒せる」
「一発で倒せなかったら?」
少年の顔から、わずかに表情が消えた。
「さっき撃ったあと、指が震えてた。一度に使える回数も多くないんだろ」
少年は黙った。
「敵を倒す力は必要だ。でも、一発を外しただけで誰も守れなくなるなら、それだけじゃ足りない」
光留は再び両手を上げた。
「もう一度撃ってみろ」
「今のお前では防げない」
「全部は無理でも、さっきより長く残してやるさ」
少年の赤い眼へ、再び眼力が集まる。
先ほどより小さい。それでも、鋭さは変わらない。
光留は眼力を面へ広げた。
中心を厚くしない。
どこへ当たっても、壁全体で受ける。
「六式――殲」
赤い光が放たれた。
壁へ小さな穴が開く。
だが、今度は壁全体がすぐには砕けなかった。
穴を中心に波紋が広がり、眼力が揺れる。それでも一瞬だけ形を保ち、赤い光の軌道をわずかに横へ逸らした。
殲は光留の頬をかすめ、背後の岩へ突き刺さる。
直後に壁が崩れた。
少年の膝も、同時に床へ落ちる。
光留が駆け寄ろうとすると、少年は片手で制した。
「来るな」
「無理して二発目を撃ったからだ」
「黙れ!!」
初めて、少年の声に年相応の苛立ちが混じった。
光留は頬の血を拭い、少し笑った。
「でも、さっきよりは防いだ」
少年は、穴の開いた壁が消えた場所を見つめる。
「殲の軌道を曲げた者は、初めて見た」
「作った父親にも見せたことがないのか?」
少年の表情が再び閉じた。
「父は、もういない」
「死んだのか」
「里の記録では、術の事故で死んだことになっている」
少年は立ち上がり、小夜を睨んだ。
「俺は信じていない」
それだけ言い残し、少年は滝の向こうへ去っていった。
小夜は追わなかった。
床には、少年の指先から落ちた小さな血の跡が残っている。
赤い雫は一つ。
だが、その色を見た小夜の顔には、六式の穴を見つけたときより深い緊張が浮かんでいた。
「小夜」
光留が尋ねる。
「六式を作ったあいつの父親は、本当に事故で死んだのか?」
小夜はしばらく答えなかった。
「その問いに答えられる者は、この里にいます」
「誰だ」
「ですが、その者たちは答えようとしないでしょう」
滝の音が、二人の間へ流れ込む。
五つの石板の奥で、殲が開けた穴だけが暗く残っていた。
誰かが六つ目の術を消した。
そして今も、その理由を隠している。




