第二十話「普通の結婚」
私、樫子マリは子供の頃から、頭の回転は早いが使い所を間違う、天然だった。
今思えば軽度の発達障害というやつか。
いや、名前が悪い。
配慮して「発達特性」とも言われるが、これも的を射た表現とは言い難い。
極端に平たく言えば「遺伝子レベルで決定づけられた個性」である。
なぜそんな個性があるかと言えば、人間社会において、コミュニティにおいて、一定数そういう人間が必要だからである。
極端な例を出せば、エジソンなんかが当てはまる。
私の場合は、興味を持ったものに突き進んで周りが見えなくなる、興味ないことはとことん杜撰という感じだった。
そして興味を持った分野に突き進み、将来それを生業にしたかった。
しかし、その組み合わせが最悪だった。
「医者になりたい」
そういうと皆困惑した。
小学生の時は大人たちは引き攣った笑いを浮かべながら心がこもらない励ましをした。
高校の進路指導の教師は鼻で笑って「現実を見ろ」と言ってきた。
この教師が言うことは無情だが真理だった。
医大の入学難易度は、学力と学費の反比例で、結局狭き門である。
入試難易度の低いところは、開業医を親に持つ子供が通うことが多く学費が高い。
私の学力で何とかなっても、学費が無理。
逆に、お金がかからない手段が2つある。
1つは自衛隊の医師になる道。
自衛隊とか絶対無理。
2つ目は自治医大。
医師になった後は命令されたところに行かされ一定期間ほぼボランティア。
どちらにせよ学力的に厳しいし、どちらも「やっぱやめる」と言った瞬間に費用を精算する義務がある。
両親に普通の大学を受けるというと、「お金なら何とかする」と言い出した。
曰く「夢を諦めるな」と。
そうではない、自分の脳みその限界を悟ったのだ…とは言い出せず、結局一浪して医大に入学した。
父親は和良沼町で漁師をしている。
和良沼は海に面しているが、ほとんどが砂浜海岸で、一部がリアス式海岸、1つだけ小さな漁港がある。
はっきり言って主要産業は農業である。
そんな街の漁師の収入など推して知るべし、母親は専業主婦から朝から晩までスーパーのレジ打ちのパートをするようになり、父親は親戚中から借金をした。
これ以上負担をかけられないと思い、一人暮らしはせず実家から電車で1時間以上かけて通学し、バイトも始めた。
当然講義の復習などできるわけもなく、元々の勉強嫌いも重なり、半年で精神的にボロボロになっていた。
「顔色が悪いから帰れ、しばらくシフトから外す」とバイト先で気を遣われ、いつもより早い電車に乗った。
普段は夕方のラッシュなど過ぎ去った終電間際で座れるが、今日はラッシュの真っ最中。
大学病院勤務の医師はハード過ぎて立ったまま寝るスキルを身につけると聞いたが、まさにそのスキルが今欲しい。
と思ったら、目の前の座席のサラリーマンが立ち上がり、席を譲ってくれた。
「体調悪そうだから、座りなよ。」
渡りに船だった。
倒れ込むように椅子に座った。
その後の意識がない。
気がつくと、完全に上半身が横になっていた。
(…あれ?電車の中だったはずなのに…?)
だんだん覚醒してくると同時に、自分の状況がとんでもないことになっていると気づく。
完全に上半身が倒れて隣の誰かの膝の上に頭を載せていた。
しかも、その誰かの膝は、私の涎でベチャベチャになっていた。
いや、寝ながら泣いていたらしい、涙と鼻水も加わっていた。
(!!!)
飛び上がるように起きると、さっき席を譲ってくれた人だった。
「…すみません!本当にすみません!」
ただ謝ることしかできない。
しかしそのサラリーマンは怒るどころか、寝ながら泣いていた私を心配してくれた。
「何か辛いことがあったんですか?」
正直、辛い。
だがこの人に今の私の状況を話しても、この人だって迷惑だろう。
黙っているとサラリーマンは続ける。
「いつも終電近くに乗ってますよね。僕、和良沼で降りるんですけど、お姉さんも和良沼でしょ?駅でたまに見かけるから…。結構遠いところまで通っていつも夜遅くて、大変そうだと思ってたんですよ。僕でよければ、話し相手くらいにはなりますよ。」
……一気に理性が吹っ飛んだ。
気がつくと途中駅で下車して駅前のファミレスにいた。
洗いざらい、子供の時から今に至る経緯と、自分自身が限界だということを話していた。
「…例えば、だけど。」
サラリーマン…いや、さっき結城紬と名乗ったか…が提案する。
「通学時間が3分の1になればだいぶ楽じゃないかな?」
少し打ち解けて、お互いの年齢もさほど離れていなかったのでタメ口になっていた。
「でも一人暮らしするほどのお金は…。」
「実は、僕も通勤が限界で、そろそろ一人暮らししようと思ってたんだ。だから、ルームシェアとかにしちゃえばいいんじゃない?」
…さらっと凄いことを提案してきた。
流石にそれは無いわ。
とは言え魅力的な提案ではある。
この人にはまったく下心とか無さそうだし…いやそれは隠しているだけかもしれないが。
「あ、変な意味はないよ?まぁ、帰りがキツい時に、ネカフェ代わりに使うとかでもいいし。これ、Win-Winの関係だと思うんだけどなぁ。」
「…本当にいいんですか?」
理性より先に本能が現在の限界状態を何とかすべきと割り込んで口を開かせていた。
結局色々と身の上話をしていたら終電を逃し、二人仲良く和良沼駅までタクシーで帰ることになった。
※ファミレスの食事代とタクシー代は出してもらった
これが今の夫である。




