神谷家の力 前編
目が覚めて一番最初に感じたのは、俺の頭を包み込む柔らかい感触だった。その感触が何なのか目を開けて確かめようとしたのだが、ほんの少ししか瞼が開かずその正体が何なのかわからなかった。
「あ、気が付いたんですね。死んじゃったらどうしようかなって思って心配してたんですけど、無事で良かったです」
顔はハッキリとは見えないけれど、その優しく語りかけてくれる声はジェニファーさんのモノであった。俺が怪我をしているという事もあってなのか、普段よりだいぶ優しい感じのトーンを聞くと痛みも忘れてしまうようだった。
「もう心配しなくて大丈夫ですからね。綾乃お嬢様がこのまま丸く収めてくれますから大丈夫ですよ」
ぼやけていた視界も少しずつ鮮明になっていき、閉じかけていた瞼もいつもの半分くらいまでは開くようになっていた。いつもならいい匂いのするジェニファーさんにくっついているというのに何も匂いを感じないというのは俺の鼻が詰まっているからなのか、それともまだ血の匂いが残っているからなのかわからない。ただ、俺の頭を包む柔らかい太ももの感触は気持ち良かった。他に誰もいなければ頭の位置を変えてもう少し堪能してみたいと思ってみたが、みんなが心配そうに俺を見ているのがわかっていたのでそんな事はせずにゆっくりと立ち上がった。
「少しは良くなったみたいですね。そのまま意識が戻らなかったらどうしようかと思ってました。でも、そうしてご自分の力で立っていられるのなら一安心ですね。では、将浩さんはそこでこの話の結末をご覧くださいね。無事に丸く収まりますので、最後まで安心して聞いていてくださいね」
綾乃はゆっくりと一言一言を丁寧に発してくれた。おそらく、俺が何度も殴られていた後遺症で耳も遠くなっていると思っての事だったと思うのだが、俺は視界がいつもより狭くなっている事と、匂いを全く感じなくなっているという事を除けばそこまで普段と変わらないような気もするのだ。
「天樹さんは私達のクラスにこんなに多くの方を連れてやってきて男子生徒たちに怪我を負わせているのはどういう理由があっての事でしょうか?」
「理由ね。そんなのはそいつらが一番よく知ってるんじゃないかな。そいつらと言うか、お前の家に住んでるその男とお前のメイドだけかもしれないけどな。誰が悪いとかそういうのは置いといて、俺らの世界では何かあれば連帯責任になるって事なんだよ。つまり、このクラスの男子は俺たちのストレス発散のためにボコボコにしてやって、女子たちは俺達の性欲発散のために楽しませてもらうって事だ」
「下品な方ですね。一目見た時から下品だとは思っていましたが、こうしてマジマジと見てみますと、より一層下品だという事がわかりますね」
「そうだな。俺は撮っても下品な男なんだよ。だからさ、俺はお前の事もメチャクチャにしてやるよ。なんだかんだ言ってお前もそれをわかってて俺の目の前に出てきたって事だろ。いい覚悟してると思うぜ。ただ、俺は女だろうが男だろうが最初に力でわからせてやることにしてるんだ。自分が逆らうことの出来ない強力な力に押さえられる屈辱を味わえ。その姿を俺様に見せてみろや」
天樹透は下品な笑みを浮かべながら綾乃に殴りかかろうとしていた。力の弱い天樹透とはいえ、普通の女子である綾乃は殴られれば多少は痛みを感じるのかもしれない。俺は綾乃にそんな目に遭ってほしくはないと思ってジェニファーさんから離れて綾乃と天樹透の間に割り込もうとしたのだが、思うように体に力が入らず一歩踏み出しただけでバランスを崩して前のめりに倒れそうになってしまった。
俺は何とか手をついて転倒する事だけは避けることが出来たのだが、綾乃を助けることは出来なかった。距離が少し離れていたという事もあったのだが、もう少しバランス感覚が普通だったら倒れ込む前に間に割り込めたのではないかと自分を責めていた。
「別に助けてくれなくても良かったのに。でも、ありがとうね」
俺は綾乃が天樹透に殴られるのを阻止することは出来なかったのだが、俺の耳には綾乃が助けてもらって礼を述べているのが聞こえてきた。いったい誰に対して礼を言っているのか気になって顔を上げてみると、綾乃と天樹透の間に割り込んで天樹透の顔を掴んで地面に押し倒しているフランソワーズさんの姿があった。
「お嬢様を守るのは私たちの義務ですから。ですが、この者に痛みは与えていないので安心してください」
「それは一安心ですね。では、もう一度聞きますが、このクラスにやってきた理由は何でしょうか?」
「お前には関係ないだろ。それに何が痛みを与えていないから安心だ。十分痛いわ。このデブが」
フランソワーズさんの名誉のために言っておくが、フランソワーズさんは太ってはいない。女性特有の出るところはしっかり出て引っ込んでいるところは綺麗に引っ込んでいるのだ。天樹透の言う通りでフランソワーズさんがデブだったとしたら、世の中の価値観がおかしいのではないかと思ってしまう。
「すいません。日本語がわからないのですが、この人は痛めつけて欲しいって言ってるんでしょうか?」
「さあ、どうなんでしょうね。私にもわからない言葉でしたので、いったん離してあげるといいのではないでしょうか」
全身を使って天樹透を抑え込んでいたフランソワーズさんが離れると、天樹透は急いで仲間のもとへ戻って何か話をしているようだ。おそらく、どうやって謝るかなんて決めていないと思う。その証拠に、後ろにいた男が持っていた金属バットを天樹透に差し出すと、それを受け取った天樹透はとても嬉しそうな顔でそれを振り回していた。
距離的にフランソワーズさんには当たらない場所で何度も何度もバットを振り回していたのだが、それを見た何人かの女子がまた悲鳴をあげて泣きそうになっていた。
「お前ら全員一回ボコボコにして反省させてやるわ。もう謝ったって遅いからな」
天樹透は無造作にバットをブンブンと振りながらフランソワーズさんに近付いていった。フランソワーズさんはバットに当たらないように距離を一定に保っていたのだが、ニヤニヤとしている男に逃げ道を塞がれてとうとう壁際にまで追い詰められてしまっていた。
「お前みたいに危険な奴から先に大人しくさせとかないとマズいからな。お前の噂は聞いてるんだぜ。バカみたいに強いってな。だが、この状況はどうやっても切り抜けることが出来ないぜ。残念だったなブス」
天樹透は女性に対する悪口がデブとブスしかないのだろうか。あまりにも下品な笑い方でバットを振り回している天樹透に品性などないのだろうが、高校生であればもう少し語彙力があってもいいのではないかと思えてしまった。
そんな事を考えていてもしょうがないのだが、フランソワーズさんは近くにあった机を手に持ってバットの攻撃を防ごうとしたようなのだが、その机は天樹透が連れてきた男たちがガッチリと押さえてしまっていたので持つことが出来なかった。同様に椅子も使うことは出来なかったのだ。
「この状況で机や椅子を使わせるわけないだろ。大人しくバットの餌食となれ、この外人が」
外人というのは受け手によっては悪口になってしまうと思うのだが、その語彙力のなさは逆に認めてもいいのではないかと思えてしまった。
やはりそんな事を考えてはいけないと思うのだ。天樹透が振っている金属バットは今にもフランソワーズさんの頭に当たりそうになっているのだ。あの速さで振っている金属バットが頭に直撃しては大変なことになってしまうと思って目を背けようとしたのだが、フランソワーズさんをめがけて振りぬかれたバットは空を切り、低い体勢でタックルを繰り出したフランソワーズさんはそのまま天樹透の足を掴んでその場に引き倒した。
バットを振りぬいたタイミングで足を引かれた天樹透は無様な格好で後ろに倒れ込んだのだが、持っていたバットがすぐ近くにあった机に当たって物凄い音を立てていた。
「机も椅子も使えないんだったら普通に避けますよね。わざと食らうとでも思ったんですか。このチビが」
対抗してなのかわからないが、フランソワーズさんも語彙力のない煽りをしていた。天樹透はチビではないと思うのだが、制服のズボンに出来ている染みがチビと呼ばれる原因なのかもしれないと思ってしまった。
「もうめんどくせえ、どうなってもいい。お前ら、このクラスにいる女子どもを好きにしろ。全員反抗できなくなるくらいまで痛めつけてやれ」
自分の力ではフランソワーズさんに対してどうすることも出来ないと知った天樹透は自分が連れてきた男たちにそう命令すると、教室の外で見ていた連中も我先にと言った感じで教室の中へと入ってきた。
港の倉庫でこれと同じような状況を見ていたのだが、あの時は今よりもフランソワーズさんが相手をする人数も少なかったと思うし、あの時とは違って俺以外にも守らなくてはいけない人が多すぎる。フランソワーズさんが強いからと言ってもこの状況では分が悪すぎると思うのだが、俺が見ている限りフランソワーズさんの表情が曇ることは無かった。
「皆さんは邪魔にならないように教室の端の方へ行きましょう。将浩さんも飛鳥さんもこちらへどうぞ」
「大丈夫。俺も戦える。フランソワーズさんに鍛えてもらったのはこの時のためなんだ」
「ダメですよ。まだ戦える状態ではないですから」
「これくらいの怪我は何ともないです。俺は元魔王なんですから、こんな時に役に立たなきゃいつ役に立てるって言うんですか」
「そうではなくて、飛鳥さんの強さじゃフランソワーズたちの邪魔になるって意味なんですよ。みんなそれぞれ戦い方を熟知した者達なんです。その中に変な動きをする人が混ざってしまったらフランソワーズたちの迷惑でしかないんですよ。ですから、飛鳥さんも今はこちらで終わるのを大人しく待ちましょうね」
「でも、俺だって戦え」
「同じことはもう言いませんよ。こちらで大人しく観戦しましょう」
フランソワーズさんの戦いを見ていた俺は綾乃が飛鳥君に対してこうまで強く言う理由は分かっている。あの速さで動いている綾乃にとって普通の動きしか出来ない人が近くにいるのは自分の早さに制限をかけることになってしまうだろう。飛鳥君には悪いのだが、普通の人ではあの速さと一緒に行動するなんて無理な話だ。
壁際に固まっている俺達を囲むように天樹透の連れてきた男たちはジリジリと近付いてきているのだが、その間を縫ってラフな格好の男が俺達の前までやってきたのだ。
「すまんすまん、ちょっと人が多くてたどり着くのが遅れてしまったわ。まだ始まってないよね?」
「遅いですよ。ですが、これからってところなんで良しとしますか。みなさん、あとはたのみますよ」
人混みをかき分けて綾乃の前にやってきた男は首の龍の刺青が入っていた。倉庫で見た龍とは違う刺青で、前に見た人がこの人だったという事を目の前で見て思い出すことが出来た。
「さあ、どっからでもかかってこいや。久々に人を殴っても良いって聞いて燃えてるんだわ。死にたい奴から前に出てこいや」
話の流れを読むと、この刺青の男が劉鵬なのだろう。劉鵬とフランソワーズさんが正面に立ちはだかって向かってくる男たちを撃退し、その二人を避けて襲い掛かってくる男たちをジェニファーさんとエイリアスさんと昌晃君と愛華さんが抑え込んでいた。なんで昌晃君と愛華さんも加わっているのか謎なのだが、昌晃君と愛華さんも他の人に負けず劣らず男たちを沈めていっていた。




